麗蘭と先輩④
「麗蘭?」
前方から声に楽し気な雰囲気を乗せて万希彌が私の名前を呼んだ。
びっくりした。
人が近づいて来ていたことに全く気づかなかった。
私には『亜空間』というスキルがある。このスキルには、色々な使い道があるけれど、今回は『自分、または自分と対象者を箱の様なもので囲うことで外部との繋がりを遮断』させるという使い方をした。
完全に遮断すると、廊下にいる筈の私達の姿がふっ……と消えたように見えてしまう。
クラスメイト達の注目を浴びていたこともあり、音声の遮断と少々存在感を薄くするようにし、かつ箱の外から近づく存在には直ぐに気づけるように発動していた、つもりだった。
万希彌がこんなに近くまで来ているのに感知できなかったなんて……。
確かに、平常心の時に比べて精神的にまいっている時や落ち込んでる時には発動状態が良くない時もあったけど―――それでも一緒に現れた藤宮先輩は万希彌と違って未だそこまで気を許すような間柄ではないからちゃんと発動するはず……なのに。
兄に関しての事や、昨日の先輩に対しての発言に、腹の中をぐちゃぐちゃにかき回されたような不快な感情によってそれだけ乱れていたのか―――と心の中で独り言ちた。
そうやって、自分の感情を分析することに気を取られていた私は、万希彌や藤宮先輩のことを気にかけていなかった。
そして、自分なりに納得できたことに満足した私が顔を上げた時、万希彌と視線が合った。
私を見つめる万希彌からは笑顔が消えていた。そして、黒曜石の様に光を放つ様に輝く瞳は鈍色と変化していた。
――ひゅっ――――――。
思わず息をのんだ。万希彌のこの瞳は知っている。鈍色となった万希彌の感情が意味するものは『怒り』だ……。
鈍く輝く瞳を染谷先輩へと向けた。そして、皇太子として人の前に立つ時と同じ笑顔を浮かべた万希彌の口が開いた。
「君は―――染谷伯爵のご息女、だったかな?」
明かる気な声で染谷先輩の家名を口にした。
その言葉を聞いた先輩は、皇太子が自分のことを知っていた、ということに喜びを感じたんだろう。
輝くような笑顔でぱっと顔を上げた。
――――上げてしまった。
万希彌と先輩の視線が合わさった瞬間、陽の気を纏った声とは違う万希彌の暗い陰りを落とした瞳を見てしまった先輩の顔色は一瞬にして青ざめ、再度頭を深く深く下げた。
「染谷嬢は麗蘭とお知り合いだったのですね。お二人はどこでお会いになったんですか? 麗蘭はまだ公式の茶会などにも参加したことがなかったですし、学年も違うので気になったのですが……」
万希彌の放った言葉に、端から見てもわかる位に染谷先輩の体が震えていた。声は優しげなのに冷気を纏わせているかの様な声が先輩の軀を覆っていた。
周囲の温度が下がったような気が――――違った! これは実際に下がってる―――!?
廊下の気温と万希彌から発する冷気の差によって靄が掛かってきていた。
万希彌から漏れ出す冷気に染谷先輩は、何が原因かは把握できていないだろうが皇太子の地雷を踏んだと察し顔を上げる事が更に出来なくなっていた。それどころか、胸の前に添えた右手と脚がかたかたと震えだしていた。
――――原因、は私だよね……。
実の兄同様、もしかするとそれ以上に兄バカな万希彌は、私の表情を読むことが得意だから……。
私と染谷先輩との関係が良いものでないことや、先輩と繋がりがある(ことを万希彌は把握しているんだろうな…)侯爵令嬢のことで、私のこのぐちゃぐちゃに濁った感情に気づいたようだ。
そんなことを考えている間に、染谷先輩の足元が薄い氷に囚われだしていた。
やばい! 考えてる場合じゃなかった!!
急いで万希彌の腕を掴み引っ張ると、ふらつきながらも私の方に向いてくれた。
すかさず万希彌に言った。
「もう用事は済んだから!! 万希彌、ご飯に行こうっ」
私の大きな声に一瞬体を固くした万希彌は、私の瞳を覗き込むようにしばらく見つめてきた。
そうして何度か瞬きをした後、瞼を閉じたまま深く息を吐いた。
そして瞼が開いた万希彌の瞳は黒曜石の輝きを取り戻していた。
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