ある日、俺は死んだ ~グラフィックボードを買いに行ったら転売屋に刺されて異世界に来た件~
ジャンク品というものは、不思議な存在だ。
捨てられかけたもの。壊れたもの。時代遅れになったもの。値段のつかないもの。
しかしそれを手に取る者が現れたとき、ジャンク品はジャンク品ではなくなる。
誰かの目に映ったとき、誰かの手に握られたとき、誰かの知恵と組み合わさったとき
――それはもう一度、「使えるもの」になる。
これは、そういう話だ。
転売屋に殺されたオタク青年が、異世界のジャンクショップで目を覚ます。
猫耳の少女は今日も何かを壊している。
銀髪のエルフは三桁年分の経験を持って工具を握っている。
転生者の血を引く店主は飄々と帳面をつけている。
そしてどこかの暗い城で、転売屋の末裔が世界の資源を囲い込もうとしている。
武器は剣でも魔法でもない。
ジャンク品だ。
笑いながら読み始めて、最後には少しだけ胸が温かくなる。そういう物語を目指して書いた。
捨てられたものたちが、もう一度輝く話を。
では、扉を開けよう。
ある日、俺は死んだ
今でも覚えている。
あの日の秋葉原は、朝から異様な熱気だった。
発売日限定のグラフィックボード。新世代のGPUで、性能は前世代の一・八倍、価格は税込み三十万二千円。オンライン販売はすでに完売。残るは今日の朝十時、量販店の店頭販売のみ。
橘 翔は前日の夕方からそこにいた。
寝袋と折り畳みチェアと、魔法瓶のコーヒー。イベント帰りの猛者たちに混じって、二十一番目に並んだ。隣の四十代のおじさんとマザーボードの話で盛り上がり、前の大学生とゲームのベンチマーク比較をして夜を明かした。
三月の朝は寒かった。しかし気分は悪くなかった。
これが秋葉原の醍醐味だ、とカケルは思っていた。好きなもののために、こうして並ぶ時間そのものが楽しい。手に入れる瞬間のためだけじゃなく、並んでいる間の時間も含めて、自分はこれが好きなのだと。
問題は、朝九時半に起きた。
「おい、そこのお前」
男が現れたのは、開店三十分前のことだった。
年齢は三十前後。スーツ姿に大きなキャリーケース。目つきが鋭く、声が低い。
「二十一番から三十番まで、俺の仲間と交代してもらう。銀行振込で一人あたり五千円出す。どうだ」
要するに、転売屋だ。
大量購入して、フリマアプリで定価の倍以上で売る。行列に割り込み、あるいは前の人間を買収して、数をかき集める。法律のグレーゾーンを泳ぐ、よく知られた手口だった。
「お断りします」カケルははっきり言った。
「あ?」
「前日から並んでる。お金もらっても意味ない。自分で買いたいので」
男の目が細くなった。
「五千が嫌なら一万にしてやる」
「いりません」
「てめえ」
男が一歩踏み出してきた。カケルは動かなかった。後ろで隣のおじさんが「おい」と立ち上がる気配がした。
「場所を売れって言ってんだよ。簡単な話だろ」
「簡単じゃないです」カケルは答えた。「昨日の夕方から並んでる。楽しみにしてきた。それを売るつもりはないです」
男の顔が歪んだ。
次の瞬間、カケルは何かが腹部に刺さるのを感じた。
熱い、と思った。
次に、冷たい、と思った。
足の力が抜けた。膝が地面についた。折り畳みチェアが倒れた。魔法瓶が転がった。
隣のおじさんの叫び声が聞こえた。誰かが走る音がした。
カケルは地面に倒れながら、空を見上げた。
三月の秋葉原の空は、薄く曇っていた。
電気街の看板が、視界の端に見えた。
「……俺、好きなことしてたな」
声に出したかどうかも、わからなかった。
意識が、遠くなった。
◇
次に気がついたとき、空が全然違った。
青すぎる、と思った。
雲の形も違う。風の匂いも違う。地面に触れた手の感触も、舗装されたアスファルトではなかった。
草だ。
カケルは仰向けのまま、しばらく動けなかった。
腹の痛みがあった。しかし死んでいない。というか、生きている感触がある。生きているのに、ここは秋葉原ではない。
「……どこだ、ここ」
起き上がろうとすると、声がした。
「起きたか」
若い男の声だった。
カケルが顔を向けると、岩に腰掛けた青年が帳面に何かを書き込んでいた。年齢は自分と同じくらい。黒髪で細身、顔立ちは落ち着いている。服装はこの世界の人間のものだが、どこかその着こなしに違和感がある。まるで後天的に覚えた格好のような。
「あなたは……」
「霧島 涼。旅の商人だ」青年は帳面から目を上げた。「荒野で倒れているところを見つけた。転生者か?」
「……転生者?」
「日本から来た人間が、ここに転生することがある。珍しくはないが多くもない」涼は静かに言った。「祖父もそうだった。俺はこっちで生まれたが、日本語は少し話せる。お前が日本語で喋っているのを聞いた」
「俺、喋ってたのか」
「うわ言で。「グラフィックボード」と「ひどい」と「痛い」」
「……なんで覚えてるんですか、そんな細かく」
「帳面に書いた」涼は言った。「珍しいものは全部記録する主義だ」
カケルは体を確認した。傷は塞がっていた。あの腹の刺し傷が消えている。
「治療してくれたんですか」
「最低限のことは」
「ありがとうございます」
「礼はいい。それより」涼は立ち上がった。「行くあてはあるか」
「ない」
「ならば俺について来い。俺が経営する店がある。人手が足りていない」
それが、始まりだった。
◇
城下町ランデールの外れに建つ「秋葉原最終処分場」を、カケルが初めて見たとき、思わず立ち止まった。
「この看板……日本語じゃないか」
「祖父がつけた名前だ」涼は言った。「初代店主。かつて日本の秋葉原から転生してきた男が、唯一持ってきた記憶にちなんでつけた。この世界に、自分がいた場所の名を刻みたかったんだと思う」
「初代って……今は?」
「もう二十年以上前に亡くなっている」涼は静かに言った。「俺が二代目だ」
店の中は、想像を絶する混沌だった。
雑多な電子機器の山。現代日本では捨てられかけたものたちが、埃をかぶってそこにある。基板、ケーブル、ヘッドセット、分解されたノートPC、意味不明な部品の寄せ集め。
現代のジャンク屋だ、とカケルは思った。ただし異世界にある。
「使えそうなものはあるか」涼が聞いた。
「ある」カケルは即答した。「というか、全部に可能性がある」
「そういう目で見られる人間を待っていた」
その日から、カケルはここで働き始めた。
店員として、というより、修理屋として。解析屋として。改造屋として。
ジャンク品の山を前に、カケルは生まれて初めて「自分のいるべき場所かもしれない」と思った。
◇
店にはすでに、二人の先住者がいた。
一人は猫耳の少女。
ミーナ・ネコムラ——店主のリョウが「ある日、里の近くで迷子になっているところを拾ってきた」と説明したが、ミーナ本人は「冒険に出たら道に迷っただけ」と主張していた。どちらが正しいにせよ、カケルが来た時点ですでに店員として働いていた。
問題は、触れるものを片端から壊すことだった。
「ミーナちゃんが来て最初の週に、在庫が十七点破損しました」とリョウが静かに教えてくれた。
「十七点……」
「その後は週平均四点に落ち着いてます」
「落ち着いてるのかそれ」
「進歩です」リョウは真顔で言った。
もう一人は、銀髪のエルフ。
エレナ・シルバーフォレスト。年齢は三桁だという。カケルが到着した初日、彼女は基板の修理をしており、挨拶代わりに「あなた、三番の棚のコンデンサ、向き間違えてますよ」と言った。
「まだ触ってないです」
「触る前に気づきました」
「なんで」
「なんとなく」
なんとなくで気づくのか、とカケルは思った。
この二人と一緒に、カケルは店で働き始めた。
最初の二ヶ月間、それがどういう日々だったかといえば——
ミーナが何かを壊す。カケルが直す。エレナが静かにフォローする。リョウが帳面をつける。そしてまたミーナが何かを壊す。
その繰り返しだった。
それでも不思議と、カケルはこの場所が好きになっていった。
日本で死んだことへの怒りは、今でも消えていない。転売屋に刺されたあの瞬間のことは、忘れていない。
しかしここには、守りたいものができていた。
この店が。この仲間が。この混沌としたジャンク品の山が。
それだけで十分だ、とカケルは思っていた。
とりあえず今のところは。
第0章 : 了




