第46順(最終順)
……ふと、思い出すことがある。
あの日――
目が覚めたその日に、今日が最後の日だと唐突に理解した日。
誰にも気づかれぬまま、けれど最後のワガママは果たしたいと思った日のことを。
「我ながら、大胆だったとは思うわね……」
思わず唇に触れてしまうくらいには、強い記憶。
あれから月日が流れ、二人も子供がいる今となっては、もう一人の自分に関する記憶はほとんどなくなっているけれど。
かつて一緒だったこと。
途中でその存在が元の世界へと戻っていったこと。
その事実は覚えていても、もう一人の自分だけが持っていた記憶や感情の大半はもうないのだ。思い出すこともできないし、抱いていたという感覚すらもない。
それでも、私ともう一人の自分は一心同体だった。
つまるところ、この鮮烈な記憶の原因は、もう一人の自分にとっても、私にとっても、とてつもなく重要な出来事だったからに他ならないワケで……。
「……どうして今になって恥ずかしくなってくるのでしょうか」
鏡を見れば、少し顔を赤らめている自分がいる。
子供が二人いるとは思えない、ウブな少女のような赤ら顔だ。
あの日――
いつものようにゲイルと共にいた日の、別れ際……。
もう一人の私は、誰にも気づかれず消えようとしていた。
だけど同時に、最後の最後にワガママを口にした。
それは、罪悪と自罰に塗れたもう一人の私にしては大胆で、いじらしいワガママであったように思うのです。
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「ゲイル」
「ん? どうしたの?」
自分が今日の晩には消えてしまうのだ――とは悟らせぬいたずらっぽい笑顔で私はゲイルに声を掛けます。
「たまには、お別れの際に口づけでもして頂いても構わなくてよ?」
「え? いや、それは……」
一瞬、ノリ気な顔を見せてから、ゲイルは視線を逸らしました。
その様子を見て、部屋の中にいる全員が思ったことでしょう。
あ、ヘタレたな――と。
「その、一応……婚約者ですので。さすがに、結婚が決まってない段階で、そういうのは控えるべきといいますか……」
言っていることは正論なのですけれど。
しどろもどろな感じが正論を言って逃げてるだけに見えるのですよね。いえ、実際に逃げようとしているのかもしれませんが。
「そうですか……」
私は目を軽く伏せ、自分の唇に触れながら、とても残念そうな様子を見せます。
「ゲイルがどう思っているかはともかく、私としては――ゲイルに、家族以外の異性との最初のキスを貰って頂きたかったのですけれど」
次の瞬間、部屋の中にいる侍女などの女性陣から「坊ちゃん! 女にそこまで言わせて拒否するとか言わないよな?」という圧が高まります。狙い通りです。
まぁ貴族としては間違ってないのですよ。
婚約段階でのキスは、破談になった時にあまりよろしくない出来事扱いですからね。
貴族としての考え方。
男女の心の機微。
私という特殊性。
そして、私の感情にゲイルの感情。
様々なものが複雑に絡み合ったややこしい状況であるのは間違いありません。
けれど――私にはもう、このタイミングしかありません。
だから……まぁ、ティノの悪影響でもしてみようと思うのです。
「ゲイルは、私と口づけを交わすのは嫌なのですか?」
この時――目を少し潤ませながらゲイルを見上げるように目を合わせるのがポイントです。我ながらとても悪女っぽいムーブな気がしますが、意外と嫌いではありません。
「う……い、いや。嫌なワケがない、よ?」
希望を見出すように恐る恐る顔をあげ、ゲイルの隙を窺い――
もじもじとした態度で様子を見て……そして――
――ここです!
「それなら――」
「!?」
私はゲイルに飛びつくように抱きつくと、驚くゲイルを余所に軽く唇を重ねました。
「私がゲイルの唇を奪ってしまっても……」
ここで余裕ぶった調子で、どこか妖艶な笑顔を浮かべることができれば、ティノのマネとしては完璧な気がします。
いえ、実際にそんなティノを見たワケではありませんが、あの子ならこのくらいしますわよね?
さておき、さておきです。
「奪ってしまっても……」
余裕ぶった、妖艶な……は無理ですけど、私らしいちょっと悪女っぽい笑みくらいは浮かべれば、浮かべれば……。
どうしましょう。よ、余裕の笑みが保てません。
顔が真っ赤になってる自覚があります。
とんでもないことをやらかしてしまった気がします。
いやでも、それでも、最後までやりとげるくらいはしないと……そうです。悪女っぽい笑顔です。笑顔、笑顔……。
「も、問題ありません、わよね!」
あ、笑顔はなんとか作れましたけど、顔は真っ赤だし、口元はちょっとプルプル震えてる自覚ありです! きっと台無しです!
「く、くくくく……ふふふふ、ははははは」
突然笑い出さないでください。余計に恥ずかしいんですけど!
「いやぁ余裕ぶろうとして失敗して顔真っ赤な笑顔、なんだかすごい刺激を感じたかな。ふふ。普段見るコトのできないキミの姿だと思うと、刺激が強すぎて、さすがにボクも我慢できない……」
そう口にすると、ゲイルは私を強く抱きしめたあと、今度はゲイルの方から唇を重ねてきます。
突然のことで驚きましたが、すぐにそれを受け入れると私はゲイルを抱き返すのでした。
満たされるというのはこういうことなのかもしれません。
愚かな自分の贖罪の旅の果て、己を赦してこのような幸せを味わう。
家族を救い、友を救い、伴侶を得て。
背負った業は雪げなくとも、業を背負いながらも幸せになって良いのだと言ってくれた皆様に感謝をしなければ。
やり遂げた充足感と、大切な人の腕の中にいるという幸福感。
自分には勿体ないほどの満ち足りた感覚に、涙が出そうになります。
けれど、自分が消えることは知られたくないのです。
だから今は涙を我慢して、けれどもこの幸せで胸を一杯にしたいのです。
「ゲイル」
「はい」
「……ワガママに付き合ってくれてありがとう」
「ふふ。珍しいキミのワガママだったからね。最初はヘタレちゃったけれど、がんばってみた」
「ええ。ありがとうございます」
そして、もう一度だけ唇を交わし、私たちは身体を離すのでした。
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しかしまぁ――考えてみれば、一心同体だし、思いや感情、経験も共有しているワケで。 あの時、キスをねだったもう一人の私の感情や、大きな幸福感を覚えた感覚というのも、私の記憶に強烈に焼き付いているワケでして……。
いや、もう一人の私の状況を思えばそりゃあ私の記憶にも強烈に焼き付くわ――と思わなくもありませんが。
ただ、記憶はともかく体験として見た時、あれはどこまでいってももう一人の自分にとってのキスなのです。
だからこそ、ピクニックの時に私としてのキスを求めたワケです。
そこだけは断じて譲れないといいますか、私ともう一人の私の間にあるプライドという境界線のような気もします。
……なんてことを思い返していたら、気がつくとそろそろ仕事をする時間ですね。
ここ数日、ゲイルはお城で泊まり仕事をしているので、滞っている貴族家当主と抱えている事業などの事務処理を私が片付けているのです。
部屋を出て、書斎へと向かっていくと廊下の角から小さな影が現れて慌てて足をとめます。
「あ。ママしゃま!」
「あらあら。勝手に出てきたの?」
どこで覚えたのか、二歳のこの子は私のことをママ様と呼ぶのですよね。
まぁ、言葉遣いはあとで矯正すれば良いので、今は人や物をちゃんと識別して、それぞれの名称で呼べているのであれば良いかなとも思います。
「奥様! 申し訳ありません。ここのところ坊ちゃんは人目を盗むようにすぐどこかへ行ってしまって!」
「いいわ。幼い子の好奇心は留まるコトを知らないようですし」
「ママしゃま~、だこ、だこ~!」
私のスカートを引きながら、抱っこをおねだりする息子が可愛くて仕方ないわ。
見た目は私そっくりなのにどことなくゲイルを思わせる動きをしているのよね。
「いいわよ。お仕事があるからまた書斎までね」
「あい!」
「奥様」
「書斎についたら貴方にまた託すわ。この子をお願いね」
「はい」
そうして、息子を抱き上げて書斎へと向かう途中、なにやら一階のエントランスから女の子の言い争う声が聞こえてきた。
そのことから、即座に何が起きているか理解して、一緒にいる侍女に訊ねる。
「……カフェ様、来てる?」
「きてうよ! カヘしゃまいる~」
「はい。いつの間にかカフェ殿下がお屋敷の中におりまして……」
「あの子とケンカしているワケね」
「ケンカと言いますか……お嬢様に一方的にやりこめられていると言いますか……いつも思うのですが、あれ……不敬罪とか大丈夫なのでしょうか?」
「平気よ。陛下夫婦はその程度のコトで不敬罪なんてコトはしないから」
まったく、両親に似て好奇心旺盛でお忍び好きに成長しているのは良いのだけれど、なんで毎度毎度うちに来るのかしら?
「あー……もしかして、モカってばカフェの教育を私に任せる気……?」
あの子の情報収集能力があれば、自分の娘が城を抜け出そうとも、即座にどこにいるか調べられそうなものだし。
「あるいは、うちに行ってる分には問題ないとでも思っているのかしら?」
それはそれでありそうね。
「はぁ……とりあえず、声を掛けに行くわ。一度書斎を経由してからね」
「はい」
「は~い」
嘆息を一つ漏らして、私は書斎へ。
何しに行くかと言えば、仕事ではなくモカへの連絡。
以前に貰った箱魔法『送り箱』は今も私の手元にあります。
ゲイルが家に居ないときは書斎においているのですよね。
何をするのかと言われれば、モカへの手紙なのですけど。
一度、書斎の前で息子を侍女に預け、中で手紙をさっと書いて送り箱へ。
それを済ませて書斎から出ると、侍女から息子を受け取って抱き上げます。
さぁエントランスへ向かいましょう。
「ママしゃま。まただこしてぅれりゅの?」
「ええ。今日は特別よ」
「やったー」
書斎に入ったら今日はもう構って貰えないの知っている息子は、今日は特別という言葉にとても嬉しそうにする。可愛い息子の様子を見ているととても癒される。
容姿は私に近いのに笑顔はゲイルに似ているのよね。ふにゃっとしているというかヘラヘラしているというか。本人はどうあれ、そう見えるところが。
一生懸命にお話ししてくれる息子に相づちを打っている間に、エントランスへ到着です。
こちらに気づいたカフェが、少しバツの悪そうな顔を浮かべているけれど、そこは気にしないで声を掛ける。
「いらっしゃい、カフェ。また両親に黙って来ているのね」
「ご機嫌ようルツーラ……今日は呼び捨てモードなんだ……」
「ええ、そうよ。基本的に貴方がお忍びで遊びにきてる時は、王族として扱いません――と以前言ったはずです」
カフェはうちの娘よりも一つ上。
だけど、淑女としての完成度は、ひいき目抜きにうちの子の方が上なのよね。
ちなみに娘の方は、見た目はゲイル寄りですが、中身は私寄り。
魔性式を終えたばかりの年齢ながら、すでに私よりも上手な悪女スマイルをマスターしている気がする末恐ろしい子です。
「お母様。カフェ様は淑女の勉強の時間なのに抜け出してきたそうです」
「そう。それは良くないわね」
うなずきながら、手紙を即座にモカが確認したならそろそろ来るかな? と玄関を見ます。カチーナもそうですが、カチーナの後任であるラニカも、ちょっと人間離れした侍女っぷりをしていますからね。
「でも、淑女教育の時ってみんなあんまり褒めてくれないし……」
王族だからどうしても厳しくなってしまうのはあるのでしょうね。
一方で、カフェはどうにも幼い頃のフラスコ様のような傲慢の気があるようで、一度どこかで、伸び始めている傲慢なクチバシを折っておかないといけません。
実際、フラスコ様もそういう提案をしてきたとモカが言ってましたし。
などと思っていると、玄関が開きました。
「あら?」
「ゲイル! 帰ってきました~!」
「お父様! お帰りなさいませ!」
娘はお父さんっ子ですからね。帰ってきたゲイルに対して、嬉しそうに抱きついています。
「ゲイル。お邪魔していますわ」
「ああ。カフェ様。いらっしゃい」
こういう時、ちゃんと淑女の礼はできているので、決してデキが悪い子ではないのですよね。まぁモカとサイフォン様の子が、落ちこぼれになるようなことはないと思いますが。
さておき――
「予定より早いですわね、ゲイル様」
「あ、ルツーラ! そうなんだよ。なんとか片付いてね」
嬉しそうに笑っていますが、目の下の隈が酷いです。これはロクに寝ていないようですね……まったく。
「だいぶお疲れの顔をしていますよ。湯浴みをし、お休みになられてはどうですか?」
「うん。そうするよ」
力なく笑いながら、私の元へとやってきてゲイル様は息子へと笑いかけます。
「ただいま~」
「?」
しかし、息子は不思議そうに首を傾げました。
「え~っと、お父さんだよー。パパ様だよー」
「ぱぱしゃま?」
「そうそう」
「うー? ぱぱしゃま? ぱぱしゃまは、おうちいないいないだよ?」
ピシリと周囲の空気が音を立てて凍った気がします。
そういえば、この子が生まれてから、ゲイルは忙しくてあまり顔を合わせてないのですよね。
ただ昔からこの家に仕えている老執事のヴァルや、義姉の専属従者であるラルダはむしろ最高のネタを見たとばかりに満面の笑みを浮かべて見守っていますが――それはさておき。
カフェ様は衝撃の瞬間を見たとばかりに口を開けて固まってますし、娘に関してはいつかやると思ってましたという顔です。
「えーっと、あんまり家には居ませんが、本物のパパ様です。覚えてね~?」
私が抱く息子の目を見ながら、わりと切実な声を出すゲイル。
その姿に、なんだか可笑しくなってしまいます。
「あい! いつもおうちにいないパパしゃま! おぼえるます!」
「んんー……」
何一つ安心できない言葉を口にする息子に、ゲイルは難しい顔をしたあとで満面の笑みを浮かべました。
「ルツーラ。息子に認知されてないこの刺激。悪くないかもしれない」
「そうですか。あなたのその無敵っぷりが時々とても羨ましくなりますわ」
娘とケンカして「お父様嫌い!」と遠ざけられた時もショックを受けつつも満面な笑みを浮かべていたので、まぁ――本当に得な性分だなと思います。
「それじゃあお風呂行って来る。あ、そうだ。ちょっと変な時間だけど、食事も用意しておいてくれると嬉しい」
従者にそう声を掛けると、エントランスの階段を上がろうとして足を止めます。
「あ、そうだ。ルツーラ」
「はい?」
ちょいちょいと手招きするので、私は首を傾げつつそれに従いました。
「改めて、ただいま。ルツーラ」
そう言うと、ゲイルは私の頬に唇で触れました。
「ぼくもしゅゆ~!」
続けて、腕の中にいる息子もゲイルのマネをしてきます。
「ああもう。本当にあなたは……」
嬉しくて顔を破顔していると、それを見ていた娘も駆け寄ってきます。
「あ~! わたしも混ぜて~!」
言いながら、私に抱きついてくる娘の姿は愛おしくて。
きっとこれが、もう一人の私が必死に守ろうとしたものなのだろうな……と改めて実感します。
「ここの家族、時々客人忘れていちゃいちゃするよね」
「殿下もご家族でいちゃいちゃする為にお帰りになられたら?」
「それはそれこれはこれ」
王族の子が相手でも物怖じしない老執事ヴァルの言葉を、カフェはさらっと躱しながらこちらを見ています。
その直後――
「お邪魔しま~す! カフェお嬢様を迎えにきました!」
「ええ!? ラニカ!? ラニカ、なんで!? はやくない!? バレてたにしても駆けつけるの速すぎない!?」
モカ付き侍女のラニカがやってきたのを見て、慌てるカフェ。
「そこはホラ、私はモカ様の従者なので」
「なんだろう意味のある言葉じゃなさそうなのに説得力がすごい!?」
そこについては同感ですわ、カフェ。
「ママしゃま、たのしそー」
「え?」
「うん。お母様すごい楽しそうな顔してるよ」
「そう。そうね。楽しいもの」
貴族らしくない賑やかさかもしれないけれど。
それでも、いつまでも守って行きたいと、そう思うくらいには。
この幸せの土台を共に築いたもう一人の私。
この光景と幸せを、あなたに見せてあげたいし、共にしたかったわ。
それは敵わぬことだけど。
願わくば――どこかから、見て笑ってくれていることを祈るわね。
あなたが飽きてしまうくらいに、この幸せをいっぱい見せてあげるから――
・
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……大丈夫。ちゃんと見てる。幸せそうで良かった。
「?」
どこからともなく、もう一人の自分の声が聞こえた気がして周囲を見回す。
すると、両手で自分の口を押さえている娘の姿が目に入った。
「どうしたの?」
「えっと、なんだか自分の口が勝手に動いたような気がしたの」
「そう」
……まさかね。
【A journy of atonement
through the redo of a villainess - closed.】
本日(2026/02/10)原作のコミカライズの最終話がニコニコでも公開されました。
これにて主要な掲載サイトの全てで最終回を迎えたことになります。
4年間の連載にお付き合い頂いた皆さま、漫画を描いてくださった原口先生。
皆さま、お疲れ様&ありがとうございました!
それに合わせたワケではありませが、こちらも最終回です٩( 'ω' )و
これにて、ルツーラ外伝は終了です。
ここまで、お付き合いありがとうございました。




