第10話 体温
替え玉の特訓を始めてから三ヶ月が過ぎた頃。
「どうですレオルさん? どちらがワタクシかわかりますか?」
「勿論、わたくしだとわかりますよね?」
ロミアとリーゼロッテは、体格を隠すゆったりとしたドレスに身を包み、近衛騎士長であるレオルに、どちらが本物かを当てさせるクイズを仕掛けていた。
さすがに三ヶ月では髪はそこまで伸びないので、ロミアは人工髪を装着しているが、そちらはそちらで精巧に造られているため、余程の目利きでない限り、本物の髪と見分けるのは難しい。
声や口調、立ち振る舞いに関しても、レオルが即答できない程度には、替え玉と本物との差異は見受けられなかった。
そして――
レオルは悩みに悩んだ末に、彼から見て右手側にいる〝リーゼロッテ〟を、指で差す代わりに掌を差し出して、恐る恐る答える。
「貴方様が、陛下で間違い……ありませんッ」
途端、右手側にいた〝リーゼロッテ〟ことロミアが、勝ち誇った笑みを浮かべる。
「はい、ざんね~ん。アタシはリーゼじゃないわよ」
「本当に残念です。レオルさん。まさか近衛騎士長たるあなたが、わたくしとロミアさんを見間違うなんて……」
さめざめと嘘泣きするリーゼロッテに、レオルは色を失う。
「お、お待ちください陛下! じ、実は最近、視力に違和感が出てきておりまして!」
「それ本気にしていいの? 言ってること、騎士として割りと致命的な気がするんだけど」
ロミアの指摘に、レオルは「ぐぬッ」と口ごもる。
「ほ、本気にしなくてもよい! 小生の視力は、一キロ先に落ちている金貨も見分けることができるのだからな!」
「ということは、それほどの視力を持っていながら、わたくしとロミアさんを見間違えたことになるのですね……」
ますますさめざめと嘘泣きするリーゼロッテに、レオルは「ごはッ」と目に見えない血を吐き出した。
「お二方。悪ふざけは、それくらいにしておいた方がよろしいかと。レオル様が泣いてしまいます」
「泣かんわッ!!」
と、怒声に近いツッコみを入れたその時だった。
「お姉様!」
同じくクイズを仕掛けるつもりで呼び出していたシャルロッテが、部屋に入るや否や微塵の迷いもなくリーゼロッテに抱きつく。
「も~う、シャルったら。いい加減お姉さん離れしないと」
「嫌です。だって……お姉様は永遠にわたしのお姉様なのですからっ」
答えになってない答えを返して、シャルロッテはなおもリーゼロッテに甘える。
あと何回、こうやってお姉様に甘えられるかわからない――わずかな沈黙に込められた妹の想いを余さず理解していたリーゼロッテは、困ったような笑みを浮かべるだけで、無理に妹を引き剥がすようなことはしなかった。
ひとしきりリーゼロッテに甘えてから、シャルロッテはようやく体を離す。
そして、横目でロミアを見やり、
「五〇点」
絶妙に厳しい点数を言い残すと、公務を理由にこの部屋から立ち去っていった。
シャルロッテが出ていった扉を見つめながら、ロミアはため息混じりに言う。
「また随分と微妙な点数ね。近衛騎士長さん相手についた自信が、一瞬で消し飛んだわ」
「ですが、前回が三五点だったことを考えると、かなり点数がアップしています。自信は持ってもいいと思いますよ」
と、ロミアがリーゼロッテに慰めている一方で。
王女殿下から見れば五〇点程度の出来しかない替え玉を見破れなかったレオルは、誰にも慰められることなく、ちょっとだけ本気で泣きそうになっていた。
そのことにしっかりと気づいていたエサミは、笑うのを堪えているのか、ちょっとだけ頬をひくつかせていた。
◇ ◇ ◇
リーゼロッテの私室に戻った後、ウィッグを外したロミアだったが。
その際に髪が乱れてしまい、エサミを呼ぶほどではないと判断したリーゼロッテに、半ば強制的に鏡台の前に座らされる。
「こういうのも、一度やってみたかったんですよね」
そう言って、リーゼロッテはロミアの後ろに立つと、その手に持った櫛でロミアの髪を梳き始める。
ロミアが替え玉の特訓を始めて以降、エサミも含めたメイドたちに髪を梳かれたことは幾度となくあった。
けれど今のような、所謂女友達のノリで髪を梳かれるのは初めてだったせいで、なんとも言えない照れくささを覚えてしまう。
リーゼロッテが、どこか幸せそうに髪を梳いてくれているから、なおさらに。
「ロミアさんって髪が伸びるのが早いですね。もう肩甲骨のあたりまで伸びてますよ」
「傭兵やってた時は、煩わしいことこの上なかったけどね。戦ってる時は長い髪なんて邪魔にしかならないから、しょっちゅう切らなきゃいけなかったし」
その話を聞いて、リーゼロッテがハッとした表情を浮かべる。
鏡越しでその様子を見ていたロミアは、リーゼロッテが口を開くよりも早くに釘を刺した。
「言っとくけど、丸坊主はノーサンキューだからね」
言わんとしていたことを先回りで潰されたリーゼロッテが、不服そうに唇を尖らせる。
「わたくしが言おうとしていたこと、どうしてわかったんですか?」
「この三ヶ月、アンタになりきるために散々観察させてもらったからね。それなりにはアンタの考えが読めるようになったわ。……まぁ、たまに全く理解できない言動をされることがあるし、アンタがその気になれば、いくらでも誤魔化されそうな気もするけど」
言われて、リーゼロッテは「ふふん」と得意げな笑みを浮かべる。
後者はともかく、前者の「全く理解できない言動」に関しては、全くもって褒められた話ではないことに気づいていないご様子だった。
「けど、ロミアさんって本当に観察力というか洞察力というか、人を視る目が凄いですね。為政者としては正直あやかりたいくらいなんですけど、どこで身につけたんですか?」
何の気なしに訊ねてくるリーゼロッテに、ロミアは「それは、まぁ……」と言葉を濁す。
そういった機微を察知することにかけては、むしろこちらの方があやかりたいレベルのリーゼロッテが、慌ててかぶりを振った。
「あっ、話したくなければ無理に話さなくてもいいですよ」
まさしく彼女の言うとおり、洞察力を身につけた経緯については、あまり人に話したくない内容だった。
なぜなら、ロミアにとってはあまり思い出したくない、両親の話に触れる必要があるからだ。
けれど、この三ヶ月間でますますリーゼロッテのことが気に入ってしまったロミアは、彼女になら話してもいいかと思い直し、
「別に話したくないってわけじゃないけど、あまり面白い話でもないからね。それでもいいなら聞く?」
リーゼロッテが首肯を返すのを確認してから、ロミアは語り出した。
実のところ誰にも話したことがなかった、自身の生い立ちについて。
「家族仲が良さそうなリーゼにこんな話をするのは気が引けるけど、アタシの両親は絵に描いたようなクズでね。父親はアタシが五歳くらいの時に蒸発。母親はコブ付き――じゃわからないか。子供がいると男にモテないからって理由で、子育てを放棄するような人間だったのよ」
案の定というべきか、リーゼロッテの表情が複雑なものに変わる。
その反応は半ば予想していたことなので、ロミアはあえて気にせずに話を続けた。
「だから、食い扶持は自分で稼ぐしかなくてね。生きるために盗みとかスリとかやってく内に、自然と人の視線を盗めるようになっていったってわけ」
ほら、面白い話じゃなかったでしょ?――と、ロミアは締めくくる。
話を聞き終えたリーゼロッテが、神妙な顔で、声音で、訊ねてくる。
「今はもう、ご両親とはお会いしていないのですか?」
「ないわね。父親は蒸発したきりどうなったか知らないし、母親はアタシが一三~四歳くらいの時に、痴情のもつれで女に刺されて死んだから」
ロミアは自覚していないが、あえて「父親」「母親」と他人行儀な呼び方をすることで、自分にとって思い出したくない過去を――両親に愛されなかった過去を、他人事だと思い込むようにしていた。
そうした機微をやはり察知していたリーゼロッテが、突然後ろから抱き締めてくる。
「髪、また乱れちゃったんだけど」
口をついて出た照れ隠しに対し、リーゼロッテは浮かべていた笑み以上に柔らかな言葉を返す。
「いいじゃないですか。わたくしがまた、梳いてあげますから」
「だったらいいけど」
その言葉どおりに、ロミアは、後ろからこちらを抱き締めてきた――いや、抱き締めてくれたリーゼロッテに対して、振り解こうという素振りすら見せることはなかった。
同情も、多分に含まれているだろう。
だが、それを上回るほどの愛情が、こちらを抱き締める彼女の腕からヒシヒシと伝わってきたから……そう悪い気分にはならなかった。
むしろ、心地良いくらいだった。
だけど――
(リーゼの体温、いつもよりも高くない?)
常日頃から体温が高いせいもあって、彼女の平熱を正確に把握しているわけではないが、今のリーゼロッテの体温はいつも以上に高い……ような気がする。
毎日同じベッドで寝ているとはいっても、そう頻繁に抱きつかれているわけでもないので、なおさら確信が持てない。
だからこそロミアは、単刀直入に訊ねることに決めるも、
「リーゼ。今日はちょっと、いつもよりも体温高くない?」
「あぁ……こういう日もあるというだけで、別に珍しい話じゃないですよ」
だからご心配なく――その言葉を鵜呑みにしたロミアは翌日、思い知ることになる。
やはりこの女王陛下には、自分如きの洞察力なんて通用しないことを。




