第9話 特訓
朝、目を覚ましたロミアは、自分が今置かれている状況に困惑していた。
女王陛下と同じベッドで寝ていたことを忘れていた――というわけでは断じてなかった。
傭兵をしていれば、寝ているところを叩き起こされて戦闘に駆り出されることも珍しくない。
寝起き直後だからといって、現状把握に支障をきたすほど寝ぼけてしまうなど、ましてや眠りにつく前の自身の状況を失念してしまうなど、あってはならないことだった。
だからロミアは、今自分が置かれている状況を正確に把握していた。
寝る前にあった出来事も、しっかりと頭の中に入っていた。
だからこそ、だった。
だからこそ、ロミアはなおさら困惑していた。
女王陛下に、抱き枕のように抱き締められている状況に。
ただ抱き締めているだけではなく、がっつりと足を絡められている状況に。
そして――
リーゼロッテの体温が、額と額を突き合わせるまでもないほど明らかに、こちらよりも高いことに。
(体感だけど、アタシより二度近く高いわね……)
人によっては、立っているだけでもつらい体温だった。
(まさか、昨日の夜はしゃぎすぎて体調を崩――)
「ご心配なく。これが、今のわたくしの平熱ですから」
いつの間にか目を覚ましていたリーゼロッテが、こちらの心を的確に読んだ言葉をかけてくる。
ロミアはどう返せばいいのかわからず、逡巡してしまうも、変に取り繕っても相手を傷つけるだけだと思い直し、単刀直入に訊ねることにした。
「やっぱり、病気の影響なの?」
「ええ」
「……つらくないの?」
「さすがに、もう慣れましたから」
気を遣わせてしまったことを申し訳ないと思っているような、そんな笑顔でリーゼロッテは答える。
逆に気を遣わせてしまったことに、ロミアの方が申し訳ないと思ってしまうくらいだった――と言いたいところだが。
「で、いつまで抱きついてるつもりなの?」
こちらに微塵も気を遣っていない抱きつきっぷりで、いつまで経っても離れようとしないリーゼロッテに、ロミアの目が自然とジットリとしたものになる。
「それなんですけど……ロミアさん」
あらたまって名前を呼ばれたせいか、なんとなく気後れしながらも「なに?」と返す。
もしかしたらこの状態にも、深刻な理由があるのかもしれないと思っていたら、
「ロミアさんって、抱き心地が悪いですね」
まさかの言葉に、目が点になる。
「ちなみに、シャルの抱き心地は最高でした」
全く必要のない情報まで付け加えられたところで我に返ったロミアは、先程よりも声音を冷たくして、先程と全く同じ言葉をリーゼロッテに返した。
「で、いつまで抱きついてるつもりなの?」
「はい。すみませんでした」
これにはリーゼロッテも、すごすごと引き下がるしかなかった。
その後、エサミたちメイドが部屋にやってきて、ロミアとリーゼロッテはネグリジェからドレスに着替えさせられる。
そしていよいよ、女王としての礼儀や作法を教わることになったわけだが。
「ロミアさん」
「何です?」
「一度見ただけで、ほとんど完璧にこなすのはやめてください。教え甲斐がありません」
つまらなさそうに言うリーゼロッテに、ロミアは言葉遣いまでしっかりと模倣しながら、得意げに返す。
「戦闘においてワタクシが、相手の視線を盗み、死角を突く戦い方を得意としていることは女王陛下もご存じでしょう? その根幹を支えている洞察力を利用すれば、女王陛下の礼儀と作法は勿論、話し方や歩き方、はてはアナタが自覚していない癖に至るまで模倣することなど、造作もないとは思いませんか?」
その言葉どおり、ロミアは、リーゼロッテの立ち振る舞い、テーブルマナーを筆頭とした礼儀作法の数々を、尋常ならざる洞察力をもって一目で理解し、模倣することで、完璧に近いレベルで再現して見せていた。
普通の女王陛下ならば、嬉しい誤算だと喜んでいたところだろうが、
「ぅぅ……ロミアさんに鞭打つ勢いで、ビシバシ教え込ませようと思ってましたのに~」
普通じゃない女王陛下は、喜ぶどころか心底から悔しがっていた。
主が主なら侍従も侍従というべきか。
彼女の傍に控えていたエサミは、悔しがる主を見て心底から楽しんでいるのか、頬をヒクヒクしていた。
「こうなったらアレをやりましょう! 頭の上に本を乗せて歩くアレを! わたくしはできませんけど!」
「いや、それやる意味ある!?」
そんなやり取りを前に、とうとう堪えきれなくなったエサミが、表情一つ変えることなく「ぶふっ」と噴き出した。
◇ ◇ ◇
この調子ならば問題なく替え玉をこなせそう――そう思っていたロミアだったが、
「ほらほら、どうしたんですか~ロミアさん? まだほんの触りをやっただけですよ~」
「無理……ほんと無理……」
リーゼロッテが記憶している人間の顔と名前、性格や経歴を憶えたり、ルイグラム王国のみならず、友好国の風土と歴史を学ぶ、座学の時間を迎えたところで、彼女の甘い見立ては粉々に打ち砕かれてしまった。
「アンタの頭どうなってるの? なんでこんなに記憶できるの?」
言葉遣いを模倣する余裕すらなくなったロミアが、今にも力尽きそうなか細い声音でリーゼロッテに訊ねる。
「自慢じゃありませんけど、わたくしこう見えて、と~っても有能ですから」
心底楽しげに自賛するリーゼロッテに、ロミアはガックリと肩を落とす。どころか、目の前の机にめり込みそうな勢いで突っ伏した。
(まぁ、実際物凄く有能なんでしょうけど……)
机を見つめながら、ロミアは心の中で独りごちる。
『わたくしのことを小娘だと侮り、傀儡にしようとしていた叔父や叔母を黙らせる程度には、頑張らせていただきましたけどね』
そうリーゼロッテは言っていた。
一八歳という若さで国主を務めるハメになり、才覚を示すことで己を利用しようとした者たちを黙らせた彼女は、有能は有能でも、飛び抜けて有能な人間であることは疑いようがない。
というか、それくらいの人間でなければ、今頃この国はレーヴァイン王国に併呑されていたところだろう。
正直、凄い人だと思う。とても同い年とは思えないくらいに。
そういった意味では、尊敬に値すると言ってもいいくらいだが、
「ちなみに、シャルもわたくしに負けないくらい有能なんですよ~」
鼻を高くして調子に乗っている彼女を見ていると、どうしても「コイツを尊敬する? 正気か?」という気持ちが沸々と湧いて出てしまう。
(……まぁ、友達としては、これくらいの方が面白いけど)
なんて口にしたら物凄い勢いで喜ばれてしまいそうなので、こういう言葉は絶対に口にしてやらないと心に決めてから、ロミアは顔を上げた。
「ていうか妹さんもそんなに有能なら、一からアタシに仕込むよりも、妹さんがさっさと一人前になるよう教育した方が手っ取り早いんじゃない?」
「言いたいことはわかりますけど、ダメですね。諸外国に対しては勿論、国を統治する上でも国主の見た目というものはとても大事ですから。実際わたくしも国主になってすぐの頃は、『小娘にしか見えないから』という理由だけで侮られ、様々な面で苦労させられました」
シャルには、そうした苦労はできるだけ背負わせたくないんです――と、苦笑混じりに付け加える。
「言い分はわかったけど……心なしか、アタシならいくらでも苦労させていいって言ってるように聞こえるのは気のせい?」
「気のせいじゃないですよ~」
満面の笑みで、リーゼロッテは肯定する。
自然、ロミアの頬が引きつる。
「ロミアさんは、シャルと違って立派な大人じゃないですか。それに、安くはない前金をお支払いしていますからね。こちらとしても気兼ねなく心の鬼にすることができます」
「アンタの心の鬼、本当に気兼ねというものがなさすぎる気がするんだけど!?」
というロミアの悲鳴を無視して、座学は日が沈むまで行われた。




