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その部屋から“出る”条件


 起きた瞬間、傘木逸人は冴えた目をぱちりと開く。


「…………」


 頭に手をやりながら、慣れた手つきで枕元の携帯の電源をつけた。

 その時間を見て、用の済んだ携帯はそのまま掛け布団の上に軽く放り投げられる。


 それが無事に着地するよりも早く、そのホテルの一室の扉が開かれた。


「だっ……」


 脱衣所の扉を勢いよく開いた少女は、鈍色の瞳を迷わせることなくベッドの上の男に向ける。


 逸人はそれに驚くこともなく、当然のように目線をやった後に会釈を返した。

 機械的で取り乱す様子のない会釈を受けて、少女は大きく開いていた口を一文字に結び直す。


「……私のこと、覚えてますか」


「覚えてるよ、問題ない」


 寝起きと呼ぶには覚めすぎている意識を自覚しつつ、逸人はのそのそとベッドの上から降りて伸びをする。


「それと、平気だから」


「……それは心配してません」


 部屋に光が入るよう、カーテンを開きに向かいながら逸人が言えば、少女は少し間をおいて推測を否定する言葉を述べた。


 シャッと小気味良い音と共に、見慣れた朝日がホテルの舞台がかった内装を照らし上げる。


「あれ、夢ではない?」


「ないです。シャキッとしてください」


 まだ少し脱力感の残る身体で放った冗談は、一秒の遅れもなく容赦のない言葉に撃ち落された。




「このループを抜け出す条件は、さっきの『死神』を名乗る存在をどうにかすることでしょう」


 今はまだ朝日が差す、ホテルの室内。

 逸人は部屋を出るまでのほんの短い時間を、少女の話を聞いて過ごしていた。


「……どうにかって?」


「わかりません。……わからないから大変なんです。一番可能性が高いのは誰も殺させないことですが、それに期限があるのか、対象に縛りがあるのか、何も」


 どうやら話は思っていたより困難を極めるらしいと、逸人は話題に上がった『死神』を思い出す。


 自称『死神』。

 本物の死神を知らないため真偽は不明だが、そう称するのに値すると思えるくらいに目の前で起きた事象の数々は異常を極めていた。

 振り向いて目を離した数秒で、数メートルとて離れていないベンチ上に気配もなく現れる。握りしめたアクセサリーが突如別の形に変質する。


 そして、身体が触れあっただけで明確に命を奪われる。


 痛みは無かった。それは覚えていないだけなのかもしれないが、命の灯火が自分の身体から消えていく感覚だけは、他の何とも取り違えていない確実なものだったように思う。


 季節感の合っていない、今朝の気温で着るには明らかに寒すぎるであろう服を纏ったあの存在を止めなければこの時間を繰り返し続けることになるというのは、ビジュアルだけならまだしも他を考えると少し想像したくない。


 そんな後ろ向きの考えをしながら、逸人はふと声が聞こえないなと思って先ほどまで喋っていた少女の方を見る。


「あー、あの?」


「……なんですか」


「いや、なんでか暗かったから」


 ホテルの部屋に一つしかない椅子。それを独占して座る彼女に声を掛ければ、片膝を抱えるように手を組んだ少女は薄い影を落とした顔を上げる。


「いま、言った条件」


 そしてぽつりと呟いたかと思えば、内に秘めていたのであろう考えを次々と吐露し始める。


「そもそも、条件は全く違うかもしれません。あの死神が目立って常軌を逸しているというだけで、ループの瞬間が7時37分というのに変わりはありません。他に条件があっても……」


「ストップ」


 矢継ぎ早に発される言葉に歯止めをかけ、逸人は簡単な提案をする。


「そこまで考えてもさ。限りなくなっちゃうし、まずはわかりやすいところからじゃ駄目かな?」


 もしかすると、この少女は自分の想像よりも追い詰められているのかもしれない。

 彼女の様子を見て、逸人はそんなことを思った。


「それは……そうですね」


 少女は提案に納得を見せて、小さく息を吐くとその表情を逸人の見慣れたものに戻す。


「仕方ありません。対策を、考えましょう」


「あれを止める方法、ってことか」


 言われて逸人は頭を回してみるも、そんな都合のいいものは早々浮かんでこない。

 相手は独特な感性を持ち、人を死に追いやったり直接命を奪うような得体のしれない力を持っている。実力行使はまず不可能。


「あの子が電車に飛び込むのをただ止めるだけでは、事態は好転しないでしょう。原因の方です、問題は」


 説得という手段もある。自殺を誘導されていたのであろうあの学生を標的から外させることは出来たものの、あの女は本命は逃せないと口にしていた。


 そしてきっと、その本命とは自分のことだ。


 どんな経緯と判断基準で自分が本命になったのかはわからない。だが本命とされている限り、自分が命を落とす結末から逃れる未来は存在しないように思えてしまう。


「……あれを納得させる言葉を用意しましょう。さっきだって思い悩む一人の幼気いたいけな少女の心を言葉で動かしたんですから、他人を甘言で動かすのはお得意なんですよね?」


 逸人が悩む中、調子を取り戻したのか少女は皮肉めいた言い方で言い放つ。


 実際はプライドも何もない頭を下げての請願だったのだが、見ていない彼女に対してわざわざ訂正する理由もない。事実を伝えれば最後、その視線が更に冷たくなるのは必至だ。


 少し申し訳なさそうに目を伏せる逸人の機微には気付くことなく、少女はそのまま続ける。


「それと同じように、あの死神を説得します。出来るかわかりませんが、やるしかありません」


「……どうやって?」


「なんでも頼らないでください。それを今から考えるんですよ、私とあなたで」


 信用や信頼とは縁遠い感情を抱かれていると思っていた彼女が、解決法を探る頭数として自分を数に加えていることに逸人は多少の感動を覚えつつ、ふと思う。


 話の流れを思い返すに、実際に説得するのは自分一人なのではないか。そうなると、死神の前に立つのもまた考えるまでもなく自分というわけで。


「そろそろ出ましょうか。説得の方法は、歩きながら案を出し合うとしましょう」


「え、もしかして俺があれ(・・)を説得するの?」


「サポートくらいはしますよ。平気だとお聞きしたのですが、不満ですか? まさか無理とは言わないですよね? ……無理なら多少、考えなくもないですが」


 数分前の発言がこんなところに繋がるとは、あの時の自分は予期もしていないことだろう。


 だが心配はともかく、不安はかけられないからと見栄を張った自分が平気と言ったのも事実。


「まあ、やるよ。多分俺のほうがまだ成功率は高いだろうし」


「それは演技力という意味ですか。それなら私も劣りません、むしろ私のほうが高いと思いますが」


「演技力で言えば、確かに俺は下手かもしれないけどさ」


「は? 私が猫を被るのが上手いと、まるで見てきたように言うのはやめてもらえますか」


「あ、そうなるんだ」


 乗っかっただけで理不尽が飛んでくるとも予想はしていなかった。

 それと見てきたみたいではなく、実際に見てきている。言えば十倍になって帰ってくるのは、経験則で流石に予想できているが。


 死神を説得するよりもこの少女が求める言葉を絞り出すほうがよほど難しいのではないか。

 そう考えれば、今求められていることはそれほど困難な道のりではないようにも思える。


「あの死神とやらは、あなたの言うことを一度聞いたじゃないですか」


「そのあと凄いことになったけど」


「それに、本命とも言ってましたし。案外好かれてるんじゃないですか」


「餌か標的としてだと思う」


 人型をしていれば恋愛が出来るのはフィクションの世界に限る話で、立っている次元も違いそうなあの女が下位の存在に抱く本命という感情は、お気に入りのペットや好物の料理への執着と同等のものだろう。


「なんでもいいですが、私たちに利用できる情報はたったこれだけです。他に嗜好を知らない以上、これを使わない手はないでしょう」


 少女はそう言って、薄い一枚のカードをこちらに投げて寄越す。


 映画のトランプ投げばりに綺麗な軌道と回転を描くカードを受け取れば、電子キーらしいそれのツルツルとした表面にはこのホテルの名前が大きく刻まれていた。


「あなたは知らないでしょうが、このホテルはフロントにある精算機にカードを返却して料金を支払う仕組みらしいですよ。あなたは知らないでしょうが」


「へ、へー……」


 二度も言われた意味を汲み取れないほど馬鹿ではない。

 逸人はやり場のない視線を片手で持ったカードキーに向けつつ、部屋を出ようとする彼女についていく。


「よかったですね」


 廊下に出ながら、彼女は振り向くことすらなく静かに言葉を紡ぐ。

 何が、と聞くこともできない空気を彼女は読み取ってくれたのか。エレベーター前に辿り着くと、最初の親しげな顔合わせ以来見ていなかった、にこやかな笑顔を逸人に向ける。


「同室の相手に宿泊費を全額払わせた悪行も、急いでいるという理由でそもそも料金を踏み倒した罪も、私の記憶以外どこにも存在しませんよ」


「ほんとうにすみませんでした」


 周囲に他の利用客や従業員がいるのか確認する工程も挟まず、平身低頭の姿勢で逸人は心の底から謝罪した。


「想像してみましょうか。部屋から一人で出て、フロントに下りた途端こんな宿泊施設の料金を、従業員の方から精算方法の説明を受けながら払った惨めな女の姿を」


「はい。いえ、本当に申し開きのしようもありません。心よりお詫び申し上げます……」


 謝罪というのは本音であればここまですらすらと言葉が出てくるものなのかと、逸人は人間のDNAに刻まれた詫びの精神を人生で初めて理解した。


 どうしてこうも彼女は当たりが強いのか。理由に目星はついていたものの、少し弱いんじゃないかと考えていた自分をシャコのエサにしたい。


 何も問題は無さそうだしこの施設は事前払いかと勝手に納得していた。その実、後ろで払いを済ませていた人間がいたというのに。


 逸人の両親は言っていた。金銭のことで不義理な人間になってはいけないと。

 別段逸人の抱く両親への敬意は一般的大学生の水準程度のものではあるが、社会的な倫理観の後押しもあって逸人の心情は今、猛烈な申し訳なさで満たされていた。


 床を見つめて縮こまっている逸人を前にして、少女は今になってエレベーターのボタンを押した。

 そして明らかにポーズだけではない誠心誠意の謝罪をしている姿に、ほんの少しだけ口元を緩める。


「名前、知らないので教えてください」


「え……?」


 今までにない優しい感触の声色に、逸人の心が揺らぐ。


 もしかして、この少女は許してくれるのだろうか。


 人の話を自分勝手に退け、あまつさえ年下にホテルの利用料金を払わせたクズを。

 そもそもホテルに入った記憶がないとか、なぜ少女が同じ部屋にいるのかなんて話はこの際関係がなかった。


「傘木、逸人です」


「そうですか。警察に行けばわかることですが、前科はありますか?」


 あっこれはそういう感じの流れではないっぽい。

 すぐに現実に引き戻された逸人は、顔を上げながら首を横に振りながら到着したエレベーターに乗った。


「初犯ですか。でも、反省してるようでよかったです。最初は宿泊施設の料金すら踏み倒す極悪人かと思いましたが……」


 今までにない穏やかな声だが、とてつもなく大きな勘違いをされている気がしてならない。

 宿泊代を踏み倒したのは事実なのだが、その背景を全てすっ飛ばして言われると少し意味合いが異なってくる。


 一階に下りるだけのエレベーターは数秒で動きを止めて、流れるようにフロントの隅、精算機らしい機械の前に案内される。


「あなたの言動を見ていて、思ったんです。もしかしてこの人は、根っからの悪い人ではないかもしれない。魔が差してしまっただけで……」


「あの、すいませんちょっと」


「反省してないんですか?」


「してます……」


 カードを挿入口に返却し、表示された五桁の数字にも手を止めずに料金を払いきる。

 ああ、こんなに高い部屋だったんだな。言われてみればあの部屋には高級感があった。逸人は片手の指で足りる比較対象を経験から引っ張り出して、そう思った。


「よかったです、ちゃんと反省してもらえてるみたいで」


「いや、だからあれには理由があって」


「は? 悪い人じゃないんですよね?」


「はい」


 口答えをしようものなら罪悪感と正当性を盾にした彼女からの反撃を免れない。おまけで評価の低下と人間性の否定もついてくるらしい。


「でも、勘違いされたままだとお互いのためにもならないからさ」


「はぁ……」


 それでもと逸人が弁明を続けていると、少女はあからさまにため息を吐いて振り返る。


「もういいです。見直したつもりでしたが、ちゃんと理解しました。あなたは他人からどう見られてるかがそんなに気になるんですね。支払いは渋らない代わりに名誉の回復だけはしたいと。その自尊心、私も見習いたいです」


 どうやらコンティニュー回数は尽きたらしく、彼女の中の自分の評価が地に落ちたらしい。加えてそれを取り返すチャンスもなくなったのが、言葉の端々から伝わってくる。


「ほら、そんな言い訳で人は説得できないですよ。私に言い訳するくらいなら、さっさと頭を回してください」


 少女に連れられて、逸人はそのままホテルの外へと出て今日三度目となる路地の姿を視界に捉えた。


「ほら、行きましょう。それともあの子を見捨てますか?」


「見捨てないよ。第一、それじゃまたホテルに逆戻りかもしれないんだろ?」


「はい、正解です。よく出来ました。理解してもらえてるようで何よりですし、ヒーロー気取りの見栄張りも満点です。誇っていいですよ、何も知らない人から見ればちゃんと『とってもいい人』に見えますから」


「だからそれは……」


「なにか言い訳がありますか? もう会うことはないと考えて私の話を一蹴した上、ホテル代も押し付けたのは事実ですよね? そして何度も顔を合わせることになったとわかった瞬間、善人を気取る。とっても早い変わり身、騙されかけましたがもう評価を変えることはないので言い訳も結構です」


 雨降って地固まるという言葉があるが、彼女と自分の信頼関係はその正反対を進んでいる。


 一度は完全に信用された部分を不用意に突いたことにより、彼女の中の逸人の評価はホテル代踏み倒し時点の更に下をくぐり抜けているのが、ピリピリとした空気で伝わってくる。


「よ、よし。早速プランを考えるか」


「…………」


「あ、あの?」


「いいですね、その姿勢でお願いします。頑張ってもらえれば私の評価も変わるかもしれませんから」


 空気を変えようとした前向きな言葉も、好青年を演じる要素の一つとしてしか捉えられていないらしい。


 起きた時から未だに謎しかない、解明どころかむしろ意味不明な存在まで出てきたこの状況。


 その中で唯一手掛かりを持つ協力者の信頼すら得られていないことに項垂れつつ、最早通学路のような既視感でまみれた駅までの道を、先行きが不安になりながらも逸人は進むしかなかった。

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