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最悪の始まりはダブルベッドから

ここから本編、第一章です。




 逸人が目覚めた場所、そこは自分の部屋ではない、紛れもなく未知の場所だった。


「…………」


 カーテンの隙間から明るい太陽の差し込む部屋。茫然自失、呆気にとられて逸人は声も出なかった。


 昨日寝たのは、間違いなく自宅の寝具だったはず。

 だがどうだ、周囲の有り様は。


「っ…………え?」


 ご丁寧に掛けられていた羽毛布団を退けて、上体を起こした後。困惑するには間が空きすぎている驚きの声が、逸人の口から漏れ出した。


 今まで寝ていたダブルサイズのベッド、遮音性遮光性共に抜群であろう厚手のカーテン、デザインの統一された数々の家具、照明、内装。テレビは今住んでいる実家のものより一回り大きく、そこかしこにある調度品の風格は一介の大学生にはその価値すら測れない。


 目の前の光景に散る要素、その全てが彼自身の部屋とは全く異なる場所であることを雄弁に語っている。

 それはさながら、どこか現実離れした豪華な別荘の一室のようだった。


「そうだ、日付」


 逸人はベッドの上で硬直していた身体に改めて力を入れる。

 自分の着ている服も寝た時とは違う、見たこともないもの――皮肉なことに手持ちの服よりセンスがいい――に変わっているのを確認しつつ、携帯を置いていたはずの枕元を駄目元で探ってみる。


 普段使っているものとは質感も大きさも違う枕やシーツをひっくり返していけば、枕の裏から出てきたのかベッドの端から落ちる手前、隅に寄せられるように見慣れた銀色の長方形が転がっていた。


「あった……」


 探してみてはいたものの見つかるのもおかしいような、と逸人は自分の私物らしきそれを手に取る。

 早速そのまま電源を入れてみれば、画面には逸人の想像通りの日付と時刻が表示された。


『12/24 07:12』


 そして、それとほとんど同じタイミングで。


「……!」


 キイ、と。


 異音が届いた瞬間、もう成人済みとは思えないほど情けなく大きな動きで逸人は身体をビクつかせる。

 そんな反射動作は静かな室内にベッドのスプリングのガコッという音を響かせ、より一層傍から見た逸人の動きの滑稽さを増長させた。


 その異音の原因は何かと逸人が顔を上げ、向けた視線の先。部屋の扉の一つが開くと、その向こうから。


「ん、眩しっ……」


 カーテンの隙間を差す朝日から顔を覆うように手を掲げ、光を反射して夕焼けのような髪をたわませた少女が、ゆっくりと姿を現した。


「…………」


 少女、と呼べる歳なのか。自身よりは下、つまり成人はしていなさそうだが、逸人はその推測に自信は持てなかった。


 高校生とも大学生ともつかない、都合良く言葉を選んでしまえばその中間と言えそうな見た目。制服でも着ていてくれればわかりやすかったかもしれないが、あいにく彼女はステッカーの散りばめられて洒落たジャケットに下は無難なパンツルックという格好で、何一つあてにならない。


 逸人が上へと視線をやれば、彼女の肩まで伸びる赤みがかった茶色の髪は狼のようにウェーブがかかっていて、その上癖が強いのか毛先はツンと跳ね、今この瞬間もその一つがピンと重力に逆らって横を向いた。


 少女がドアノブから手を放せば慣性のまま扉が開け放たれて、視界の端、そのスペースが浴場に繋がる脱衣所なのが逸人にも見えた。

 豪邸には部屋ごとに風呂があるのか。いや、あってもおかしくないか。


 朝日から視線を逸らすような動きを少女がすれば、自然、その目は同室にいる人物に向けられた。


 色素の薄く濡れた黒、或いは灰の虹彩がしっかりと逸人の双眸を捉える。

 その視線にシーツの皺一つ波立たせないほど釘付けになっていれば、少女はそのまま流れるように唇を動かした。


「おはよ。いい朝だね」


「…………??」


 飾りがなく明るい一言。今日が何の日かも昨夜まで高めていた警戒心も忘れて、まず逸人の頭では目の前の顔が既知の人物のリストの検索にかけられた。

 その返答はすぐに出た。大学の友人でもなければ、昔の同級生が成長したならと予測される容姿にも当てはまらない。


 間違いなく、目の前の人物は初対面であるはずだ、と三秒もあれば疑念は確信に変わっていた。


「――え」


 すみません、あなたのような人は知らないんですが。忘れていたら申し訳ありません。

 綺麗な言語を構成するには脳のキャパシティが足りず、結果逸人の口からは二度目の戸惑いが零れ出た。


 その戸惑いに対して、彼女は視線を逸らすことなく口をへにゃりと曲げる。


「『え』って。どしたの、ただの挨拶じゃん」


 その旧友をからかうような口ぶりの言葉を聞きながら、適当な相槌でも打てればよかったものを、逸人は彼女と見つめ合うような形になっていたせいで、一つの変化を感じ取ってしまう。


 今、一瞬視線が鋭く変質したような。


「――なにか、へん?」


 そう続けて彼女が言ったときには、その目に表れる色は親しみに戻っていた。


 気のせいか、と流せてしまいそうなほどの変化だった。一秒六〇枚のフィルムの中に、二三枚だけ別のテイストが挟まったような、吹けば飛ぶような違和感。

 薄い黒、濃い灰の中の感情がぐにゃりと歪んだように思えただけ。寝起きだから、次々と起こる意味不明に混乱しているだけだから。それで流せてしまうものにも思えた。


 けれどその些細な変化に、逸人の気が引き締まる。

 今日の日付を思い出して、次いで今まで二年に渡る記憶を自分に叩き付ける。


 冷静に、警戒をしなければならない。

 そもそもこの部屋にいる意味さえわからない。知らない部屋にいるのを「まあクリスマスだから」で済ませてはならない。

 いや、まずもって傘木逸人の経験を以てしてもそれで済ませてはならない事態だが。


「変、ではないと思う」


 その場では何にも気が付かなかったように振る舞いながら、逸人は正気を持ち直す。

 けれどその代わり、その口から出た今日初めてのまともな意味のある声は強張ってこそいないものの、少女とは対照的な酷く他人行儀なものだった。


「そっか」


 少女はにこやかに答えて、部屋に備え付けられた遮光カーテンに近付いた。


 その素振りを見ながら、逸人は頭を回す。

 どうして自分はここにいるのか。昨日は部屋で寝たんじゃなかったか。目の前の彼女は誰なのか。何を目的としているのか。いくら最悪の日(クリスマス)だからってこんなこと起こっていいのか。


 まず、ここはきっと彼女の部屋だろう。

 それはきっと、間違いない。


「ねえ」


 言葉で思考は中断される。

 少女は目の前の落ち着いた色のカーテン、その端に手を掛けると、ビー玉の入った箱を転がすような音を立てながら部屋に日光を入れていく。


「昨日の夜、待ち合わせて一緒に来たと思うんだけど」


 少女の声は明るい。雑談の内容は普通だ。何も間違っていないが、強いて誤りがあるとすれば彼女の話す相手は昨夜自宅の自室で寝たはずという致命的な部分だけだ。


 一緒に来たとはどういうことか。

 自分が記憶を失っているのか。それが案外一番ありえそうな可能性だが、だったらさっきの視線の変化は何なのか。


「何時に到着したっけ」


 質問の内容は平凡だ。前後の齟齬もない。何も間違っていないが、強いて誤りがあるとすれば待ち合わせ相手は時間どころかその自覚すら持ち合わせていないという点。


 加えてその質問が、どこか別の意味を含んでいるように感じられることだった。


 逸人は神経を尖らせる。

 何もかもが意味不明な状況。今日がクリスマスということを鑑みても、これが自分に好意的な状況だと判断するのは愚の骨頂だ。


 間違いなく、彼女の言葉は額面通りに受け取っていいものではない。


「ここ、ベッドを借りさせてもらって助かった。いい部屋だね、君の部屋」


 質問に対して意味の通っていない言葉を聞いて、少女は当たり前ながら眉を細めた。

 そのタイミングで逸人は部屋の出口であろう扉に当たりをつける。


「でも、君と話すことは俺にはない」


 最低限枕元にあった携帯だけをポケットに入れ、逸人はベッドから降りる。


「それじゃ、もう俺はここで」


 有無を言わさずそう言い切って、少女の反応を見ることもなくその部屋のノブに手を掛ける。


 施錠されている可能性も考えてはいたが、捻ってみれば一度の引っかかりもなくその扉は開く。


 逸人はそのまま、早足でその部屋を後にした。


























「……………………は???」

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