記号化された髪型
俺の中で、もはやサイドポニテが母性豊かで世話好きな優しくて慎み深い年上の美人なお姉さん、という記号としてインプットされてしまった。
スザンナに膝枕されている状態で、そんなことを感じながらぼんやりと半意識で微睡んでいる。
記号化されたサイドポニテを優しくつかんでわずかにひっぱると、スザンナがまた新しく一口サイズのエンパナーダを口に運んでくれた。
小麦粉の生地で細切れのハムとチーズを包みきつね色になるまで揚げているエンパナーダは、
チーズのこってりした味にスパイスをかなり効かせるため、体温が上昇し、水分を補給したくなる。
今度は、サイドポニテをくるくるまいてみる。
すると、スザンナはさっぱりした青りんごジュースをもち、ストローを口まで運んでくれので、
ズズッーと空になるまで一気に飲み干す。それくらいスパイスが良くきいているのだ。
飲み干した後にサイドポニテを優しくひっぱってみると、新たなエンパナーダが口に運ばれてきた。
言葉をつかわずに意思疎通ができる深い関係というのもなかなかどうして悪くない。
さっきのとは違い、青魚にニンニクと玉ねぎが練りこまれていてこちらもよく効いたスパイスであっという間に食べ終えてしまう。
カッカッカッと正確に秒針を刻むようなわずかな音が外から聞こえ出す。
ユリアが追加の朝食として持ってきたのだろうか。
それとも、新しい昼飯として持ってきたのだろうか。
再度サイドポニテをくるくるまきまきしてみると、今度はスザンナが新しいジュースを一口飲んでから、ストローを口まで運んできたので、躊躇わず遠慮なくズゾッーと一気飲みさせていただく。
なんでちょっと嬉しそうな顔をするのスザンナさん。
カッッカこつこつカカッこつカッ
ん、どうしたのだろう。近づいてきている秒針の音が乱れるなんて珍しいな。
どっか身体でも壊したのだろうか。もしかしたら皿でも落としたのかな。
気にせずスザンナの柔らかなサイドポニテを優しく以下略する。
――い、今はジルイド様はお休み中でございましてっ少々お待ち
――あらもうお昼よ起きてるでしょう
そう言い放った声の主が勢いよくドアを開けた。
「ごきげ、ヒィ…!
………あら失礼、お楽しみ後でしたか」
ヒィとは何だヒィとは。全く。
スザンナからあーんされてちょうどエンパナーダを口にくわえたところを見たトロワは、
一体何を思ってヒィなどという反応をとったのだろう。
「お楽しみ前中後ではありませんよ。っんぐんぐ……。ふぃーっと。
甘みをぷりぷりの身に蓄えたエビに刻まれたニンニクとほうれんそうを加え、最後に少々ハーブを含んだこどで臭みを消し、代わりに鼻孔と口内を刺激し食欲を掻き立てるスパイスをもみこんだ中身の具を小麦粉で包み込み、黄金色になるまでカラっとあがりながらももちもちした生地とぷりゅっぷりゅっしたえびの食感を同時に味わえるエンピナーダは我が家の定番料理の一つであり、今回も最高の出来栄えの味です。
おひとつどうです?」
そう俺がプロパガンダし終わると、スザンナが優しくゆっくりと、口をふいてくれた。
「…あら、美味しそうですわね。
けれど、今日はジルイド様に内密な相談があってきましたの。
ですからその間にいただきますわ」
「よかったわあ、私の手作りのなのよ。
さあ、召し上がって?」
といってスザンナが自己アピール。後半部分は一切スルー。
トロワの部屋から退出してほしいというメッセージをわざと忖度せずに動こうとしない。
どうやらスザンナのほうが場数を踏んでいるようで、20代の余裕をみせつけている。
ややこしくするな。
「ユリアちゃんも、昨日手伝ってくれたのよね?」
いきなりロックオンされてメーデーメーデー鳴らすかのようにのようにあわあわしだす。
しかも"ちゃん"呼びとは。いつの間に仲良くなったんだ。
「は、はい!スザンナねえさんのお手伝いを少ししただけですが、お料理を教えていただきました」
そっちは"ねえさん"呼びかよ。なるほど、ユリアはスザンナの舎弟となったようだ
「ジルイド様達に食べてもらおうと油が跳ねるなかですごおくがんばってたものね、
今回も過去最高の出来、だって。やったわね、ユリアちゃん」
プロパガンダしなければよかった。
「い、いえ、手を負傷していたので、もう片方の手で調理器具を使って揚がったものから順に取り出していただけで、その、あの」
奴隷という立場なのであくまでも下出にでようと謙遜しなければという気持ちとただのプロパガンダな褒め言葉で照れてる気持ちによる負荷で、クールビューティーの頭のキャパシティがそろそろオーバーワークしそうだ。
「そお?その間にもいろいろ料理しなきゃだったから助かったわよ。
けれど、せっかくの美味しいユリアちゃんの色んな想いがつまったエンパナーダが、
味わえられずに冷めていってしまうなんて悲しいわあ」
ここまでいわれたらトロワの完敗である。
スザンナは果たして、料理を手伝ってほしいという名目で、情報収集のためにいろいろ聞き出したのだろうか。
まだ色々と言い訳作ってないから何をきかれても言うなはぐらかせ、
とユリアには昨日屋敷に帰る途中に念押ししたはずだが。
「そういうことでしたらいただきましょう」
うむ、さすがは才女にして薄幸美女のトロワ、大人な対応をしてくれる。
「うん、確かにジルイド様の言う通り、美味しいわ、ありがとう、ユリアさん」
前言撤回。
「ヒィ…!」
スザンナの存在を完全スルーしたお褒めの言葉をもらって、うっかり口から漏らしてしまったユリアは助けを求めるような目で俺のほうをみてくる。無理だ、諦めろ。
いきなりスザンナが俺の頭をどかして立ち上がり、トロワに歩み寄っていく。
「私ジルイド様の乳母をしておりますスザンナと申します。
失礼ですが、お名前をよろしいでしょうか?」
もうトロワ、スザンナの名前知ってるからね、さっきスザンナ姉ってユリアが言ってたからね、
なのに存在スル―されちゃったもんね、だから怒るのも仕方ないね、
けれど、ここまで空気を氷点下みたいに凍り付かせるようにしなくてもいいと思うんだ。
まずい、何だか不毛な会話を速く終わらせるには………
皿にあった10個以上のエンパナーダを一気に食べることにした。
うん、ユリアの想いはずいぶん重い。
にらみ合っているから俺が食べていることに気付いていない。
「トロワと申します。ジルイド様とユリアさんとは昨日お会いしましたの。
お聞きになっていらっしゃらなかったのかしら」
わざと言ってる。絶対わざと挑発している。
これ以上ややこしくするな、情報持つ人間が増えると辻褄合わせが大変なんだよ!
スパイスが効いてるのを一気に食べたのでジュースでむせそうになったのをごまかしつつ水分補給をし、いつもの食事の10倍速で3回同じように繰り返し流し込み続けた。
ふう……、どうやらもう4つしかなくなってしまったようだ。
これは、トロワとの密談の時にまたゆっくりと食べることにしよう。
「スザンナ、おいしかったからついついぱくついてたら、もう4つしかなくなっちゃったよ。
このあと、トロワも交えて皆と会食しようと思ってさ。詳しいことはその時にまとめて話すよ」
嘘である。今思いついただけである。
「だから、今から追加のエンパナーダとキルロスじいじも含めた会食の準備をしてほしいな。
たぶん、ファルペ父上も共にするだろう」
そう言うと、スザンナもトロワも何を言っているんだこいつと怪訝な顔をする。
「実は、ユリアの怪我を手当てしてくれたのは、トロワさんなんだ。
トロワさんは、お医者さんの娘さんなんだよ。だから、お礼をしようと家に招待したんだ。
けれど、謙虚で慎み深いトロワさんは、お気持ちだけで………と言ってきてね。
でも、それじゃあまずいから、今日僕が改めて礼を述べることにしたんだ。
本当はこちらから赴くつもりだったんだけど、わざわざ来てもらったんだから、
やっぱり、トロワさんには今日の食事を招待したいな。
ファルペ父上にもそう伝えておいて」
嘘である。昨日帰宅してからずっとどう言い訳やら提案やらをしようかと思案していた欠片を必死こいて拾い集めてでっちあげただけである。
謙虚で慎み深いトロワなどメデューサと同じ想像上の生き物である。
トロワが医者の娘くらいしか事実はない。まさしく真実はいつも一つである。
「そういうことでしたの……大変失礼をいたしました。
私からもユリアを手当をして頂いたことに感謝しております」
先程とは打って変わって謙虚で慎み深いというのを身をもって示すスザンナ。
「……いえ、当然のことをしたまでですわ。
どうやら私も連絡の手違いがあったようですので、こちらこそ失礼をいたしました」
どうやら俺のでっちあげた話に乗ったらしい。
真正面にいるユリアをじっとみつめて、目で命じる。
わかってるよな? お前も、話に、乗れよ?
「ユリアが昨日僕のことを落馬したときに身を挺して守ってくれた事もまだ話してないから一緒に話すね。
ただ、その時に頭を打ったようだからあんまり覚えてないかもしれないけれど」
つまり、なにか聞かれてもそう答えとけ、というユリア宛てメッセージである。
首を上下に振ってるから、忖度したと受け取っていいだろう。
「それじゃあ、私はさっそくお料理たくさんつくらないとね。では、ごゆっくり」
「それと、ユリア、お茶と菓子を用意してきてほしい」
「了解しました!ジルイド様!」
そう言ってスザンナとユリアは厨房へと去り、静かに扉が閉まった。
さて、これで人払いは済んだ。
ユリアが戻ってきた時までにある程度話をまとめて、その後3人で口裏合わせとかないと……
すると、薄幸美女がおもむろにエンピナーダを手に取る。
「はぁ~い、じるいどぼっちゃまぁ~、あぁ~んちまちょうねぇ~、はい、あぁ~ん」
ものすごい蔑んだような目と面白いものを見つけたようなにやけた笑いを浮かべながらエンピナーダを口元に押し付けてからかってきた。
うっぜえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!この奪幸ぉぉ!!!!
だが、ここで激昂するようでは俺ではない。
お返しに奪幸の指までぱくりと口にしてエンピナーダのみ咥えとりそのまま食べて飲み込んだ。
「おや、血でも見たのですか?何だか今顔が少し青ざめていますが?」
からかうのが好きなのは、君だけじゃないんだよ、薄幸才女トロワさん?
おもおもな話が続いたので今回は軽めなノリにしてみました。