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灰の令嬢は、知恵で世界を塗り替える  作者: 白石マサル


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42/46

42話 残り三週間と、レインの言葉

 ルシェムに戻った翌日、レインから手紙が届いた。

 王都へ出発する前に出した手紙への返事だった。

 封を開けると、二枚入っていた。


 エリナへ

 

『今どういう状態ですか?』と聞いてくれた。答える。

 正直に言う。落ち着いている。

 それが、少し意外だった。残り四週間を切って、最後の山が来て、毎日何かが動いていて、それなのに落ち着いている。

 なぜかを考えた。

 一つ目の理由。やることが見えているから。骨格は仕上がった。確認書は揃った。師匠の発言の準備が進んでいる。次に何をするかが明確な時、人は落ち着く。

 二つ目の理由。これは、うまく言葉にするのが難しい。

 お前が聞いてくれたから、落ち着いている。

 それだけかもしれない。

 人の状態を聞いてくれる人間がいることで、自分の状態がわかる。そういうことがある。俺には、そういうことがあまりなかった。孤児院でも、学院でも。

 だから、今、落ち着いている理由の一つが、お前が聞いてくれたことだと思う。

 うまく言葉にできないが、あることは確かだ。

 残り四週間を切った。落ち着いて、動く。

 

                                      ――レイン――


 二枚目を開けた。


 別に書く。

『今どういう状態ですか?』と聞いてくれたことで、もう一つ考えたことがある。

 一年後の約束の話だ。

 一年後の夜に、ゆっくり話がしたい。数字と結果ではなく、一年間に何を考えていたかを。お前自身のことが、入っている。

 その夜に向けて、俺が話したいことが、少しずつ形になってきた。まだ全部ではない。でも、一つだけ今言える。

 お前のことを、ずっと考えていた。

 報告書の話でも、商会の話でも、クロヴェルの話でもなく、お前自身のことを。

 手紙が来るたびに、お前が何を感じているかを考えた。『少し重い』と書いてくれた時。『目が少し熱くなった』と書いてくれた時。『今日、笑った』と書いてくれた時。それぞれを、ゆっくり読んだ。

 なぜそこまで考えるのかを、整理しようとした。整理できなかった。でも、あることは確かだ。

 一年後の夜に、もう少し言葉にできるかもしれない。

 今は、ここまでにする。

 残り、もうすぐ三週間になる。

 

                                      ――レイン――


 エリナは二枚目を、三度読んだ。

 

 『お前のことを、ずっと考えていた。

 報告書の話でも、商会の話でも、クロヴェルの話でもなく。

 お前自身のことを』

 

 エリナは手紙を机の上に置いて、少しだけ目を閉じた。

 整理しようとした。

 できなかった。

 最近、整理できないことが増えている。でも、今日のこれは、特に整理できなかった。

 心臓が、少し早く動いていた。

 前にも同じことがあった。『覚えている』という手紙が届いた時。

 あの時より、今日の方が少し強かった。


 マリオが昼過ぎに事務室に来た。

 

「なあ、エリナ」

「何?」

「また顔が違う」

「またですか?」

「うん。今日は特に。赤い、とまでは言わないけど、なんか、いつもと違う」

「気のせいです」

「気のせいじゃない。ゴードンさんも、今日は声をかけにくいって言ってた」

「ゴードンさんが、そういうことを言うんですか」

「珍しいだろ。俺もびっくりした」

 

 エリナは少しだけ、諦めて答えた。

 

「レインから手紙が来た」

「ふうん」


 マリオが壁にもたれた。


「で?」

「で、というのは」

「内容は何だった?」

「今どういう状態かを聞いたら、答えてくれた。それと——」

「それと?」

 

 エリナは少し止まった。

 

「もう一枚、別に書いてあった」

「何が書いてあったんだ」

「…………私のことを、ずっと考えていたと書いてあった」

 

 マリオが少し動かなくなった。

 それから、ゆっくりと息を吐いた。

 

「そうか」

「うん」

「それは、顔が違うよな」

「マリオ」

「何?」

「どういう顔をしていますか、今の私は」

 

 マリオが少しだけエリナを見た。

 

「なんか、困ってる顔」

「困っている?」

「うん。でも、悪い困り方じゃない。なんて言うんだろう……嬉しいけど、どうすればいいかわからない、みたいな顔」

 

 エリナは少しだけ、その言葉を受け取った。

 嬉しいけど、どうすればいいかわからない。

 それは、正確だった。

 

「マリオ」

「うん」

「こういう時、どうすればいいですか?」

 

 マリオが少しだけ驚いた顔をした。

 

「お前が俺に聞くのか?」

「聞いています」

「そうか……俺に聞くか」

「あなたは、こういうことに慣れていると思うので」

「慣れてるかどうかわからないけど、一つだけ言えることがある」

「何ですか?」

「どうすればいいかわからない時は、何もしなくていいと思う。少なくとも、今は」

「何もしない?」

「急いで答えを出そうとしなくていい。今は、残り三週間で最後の山を越えることが一番大事だろ。それが終わってから、考えればいい」

「一年後の約束がある」

「あるな」

「その夜に、話せると思う」

「なら、それまで待てばいい。お前にとって、待つのは難しいかもしれないけど」

「難しいです」

「でも、できるだろ」

「……できます」

「それで十分だ」


 夕方、ルナが棚の整理をしながら、エリナに声をかけた。

 

「手紙、来た?」

「来た」

「レインから?」

「そう」

「よかった」

「なぜよかったの?」

「エリナが、朝から少し違う顔をしてたから」


 ルナが棚から目を離さずに言った。


「悪い顔じゃない。でも、いつもと違う。手紙が来たなら、理由がわかった」

「みんなに顔を読まれています」

「みんなが見てるから」

「そうですね」

 

 ルナが少しだけエリナを見た。

 

「嬉しいことがあった?」

「そうかもしれません」

「ならいい」


 ルナが棚に向き直した。


「嬉しいことがある時の顔は、見ていていい顔だから」


 夜、エリナは机に向かった。

 返事を書こうとして、何を書けばいいかを少しだけ考えた。

 『お前のことを、ずっと考えていた』に対して、何を返すか。

 整理しようとして、できなかった。

 でも、マリオが言った。

 どうすればいいかわからない時は、何もしなくていい。

 急いで答えを出そうとしなくていい。

 今は、残り三週間で最後の山を越えることが一番大事だ。

 エリナは、それを受け取った。

 答えを急がない。

 でも、何も届けないのも違う気がした。

 届けたいことがある。

 答えではなく、受け取ったということを、届けたい。


 レインへ

 

 二枚、届いた。両方、読んだ。

『落ち着いている。お前が聞いてくれたから』という言葉を受け取った。私が聞いたことで、あなたの状態がわかった。それを知れて、よかった。

 二枚目も、読んだ。

『私のことを、ずっと考えていた』という言葉を、受け取った。どう答えればいいか、今日一日考えたが、うまく言葉にできなかった。整理しようとしたが、できなかった。

 でも、受け取った。それだけは届けたかった。

 一つだけ、今言える。

 あなたが考えてくれていたことを、私は知っていてほしかったと思う。それが、今日わかった。

 一年後の夜まで、もう少し待つ。待てる。

 残り三週間を切った。最後の山を、一緒に越える。

 

                                      ――エリナ――

 

 書いて、封をした。

 『受け取った』という言葉を、何度も書いた。

 それしか、今日は書けなかった。

 でも、受け取ったことを届けることが、今夜の自分にできることだと思った。


 ランプを消す前に、エリナは引き出しを開けた。

 今まで届いたレインからの手紙が、全部入っている。

 最初の手紙。『また来る』と書いた短い手紙。消毒液を五個もらえるかと書いた手紙。『一年前の自分が見たら驚くか』という問いを教えてくれた手紙。『重い時は重いと言っていい』と書いた手紙。『楽しみにしていた』と書いた手紙。『覚えている』という一枚の手紙。『お前のことを、ずっと考えていた』という今日の手紙。

 

 全部、ある。

 一枚も捨てていなかった。

 そのことに、今日初めて気づいた。

 いつから捨てなくなったのか、わからない。

 でも、全部ある。

 引き出しを閉めた。

 ランプを吹き消した。

 

 暗い部屋で、少しだけ目を開けていた。

 お前のことを、ずっと考えていた。

 その言葉が、暗い部屋の中で、静かに響いていた。

 整理できなかった。

 でも、あることは確かだ。

 一年後の夜が、近づいている。

 

 エリナ・アッシュフォード、八歳。

 

 今日、手紙を一枚も捨てていなかったことに、気づいた。

 それが今夜、一番大事なことだった。

読んでいただきありがとうございます。

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