第九章「有無逃避」
「それで、これからどうするの?」
走る車の中、長い沈黙を破ったのはしおりの問いかけだった。
「やることはさっき言った通りだ。この件の黒幕を見つけ出し、排除する。それだけだ」
ハンドルを握り、まっすぐ前を見据えながらリンは答える。
「その『排除』って……ううん、なんでもない」
あれだけの目に遭ったとはいえ、しおりも普通の女子高生だ。その先を言葉にするのにためらいがあったのだろう。軽く首を振り、話題を変える。
「ねぇ。あんたは私を守ると言ったけど、私からしたらあなたをそんな簡単に信用できない」
しおりは一旦言葉を区切り、生唾を飲み込んでから続けた。
「……だから、あんたのことを教えてほしい」
それを聞いたリンは横目で少女を見た。顔が強張っているのがわかる。殺し屋に素性を聞くことの恐怖と、それでも少しでも情報を引き出そうとする覚悟がそこにあった。
「私は殺し屋だぞ。それが本当のことを言うと思うか?」
「……それでも構わない」
リンから目を逸らさず、しおりは答えた。
(私の言葉と挙動を観察して、何が本当か見極めようとしているのか。子供にそんな真似ができるとは到底思えないが……)
しかし、リンの目には、必死にそんな振る舞いをしようとする彼女の姿がどこか眩しく映った。
さてどうするか、とリンは考える。別に話す必要はない。リンが守らなければ待っているのは死だけだということは、しおりも身をもって体験したはずだ。生き延びたいならリンから離れることはできない。
だが、彼女が全てを知りたがるのは当然のことだ。それに、もし全てを話したとして、後で警察に保護された彼女が洗いざらい証言したとしても、香港の裏社会に戻ってしまえば、現地当局の協力を得たところでリンを捕まえるのは相当困難だろう。
「……日本語が流暢だけど、あなた日本人じゃないわよね?」
リンの中で結論が出る前に、しおりが探るように聞いてきた。
「ああ、香港から来た。しかし、よくわかったな」
「なんとなく、日本人とは雰囲気が違う感じがするから。それで、殺し屋がなんで日本に?」
「私はある犯罪組織――マフィアに所属していてね」
その言葉に、しおりが無意識に後ろへのけぞる。それを横目で見ながら、リンは話を続ける。
「組織が看過できない取引が行われているのが発覚した。放置しておけば、組織を危機に陥れかねないものだ。それに日本人が絡んでいるという情報があり、真相を調べるため、組織の中で腕が立ち、日本語が話せる私が派遣されたというわけだ」
「それにお父さんも関わっていたの?」
「そこまではわからない。ただ、この調査を快く思っていない者に利用されたのは確かだろう」
「つまり、黒幕がいて、そいつがあなたにお父さんを殺させ、そしてお母さんと私を巻き込んだってこと?」
その問いに、リンはこくりと頷いた。
「……納得はできないけど、大体の事情はわかった。でも、それだとあなたが私を守る理由ってなんなの?」
そう言われ、リンはすぐさましおりの父親との約束を思い出す。しかし、それを彼女に言うべきなのだろうか。
今、リンにとってしおりを守る理由は、あの約束だけではない。別の感情もある。それを話すことは容易いが、それは彼女の同情を誘うことにならないだろうか。
(だが、彼女がそれを求めるなら、返答を拒む権利は自分にはない。ならば……)
リンは静かに口を開く。
「……今の君が、かつての私の境遇に似ているからだ」
怪訝そうな表情を浮かべるしおり。いや、それはもしかしたら嫌悪かもしれない。
「私も、理不尽で圧倒的な力によって、事情もわからないまま両親とその友人たちを失った。……その友人たちが日本人でね。家族ぐるみで付き合っていて、彼らに日本語を教わったんだ。そして事件後、私は色々あって組織に拾われることになった」
リンの目が、遠い過去を映し出すように細められる。
「拾ってくれた恩人は、マフィアの人間とは思えないほど私を真っ当に育てようとしてくれた。しかしそれ故に、組織内では変わり者として、いつ排除されてもおかしくない立ち位置にいた。私は、自分がいかに組織の役に立つかを証明することで、その人を守ろうとした。そして、そのために人を殺した。――今考えれば、とても浅はかな考えだったと思うよ」
そして、しおりを見る。
「君には、そのような選択をする人間になってほしくない。これが、私が君を守ろうと思った理由だ」
「……身勝手ね」
怒りを押し殺した声で、しおりが静かに呟く。
「それって、あなたの後悔を私に押し付けているだけでしょ。お父さんを殺した殺し屋のくせに、偉そうに」
「……言われなくてもわかっているつもりだ。自分勝手な理屈を君に押し付けていることは」
沈黙が流れる。それを破ったのは、しおりだった。
「これからどうするの?」
「先ほどの殺し屋たちの件で、一つ気がかりがあってね。夜が明けたら試したいことがある。正直、うまくいってほしくないが、もし私の考えている通りのことが起こった場合――」
リンのハンドルを握る手に、ギリッと力が入る。
「組織の、それもボスにかなり近いところに、裏切り者がいることが確定する」
◇◇◇
明け方。
街外れの雑木林の中を、バキバキと枝を折る音を立てながら強引に入っていく車。ついにそれ以上進めなくなったのか、エンジンを吹かす音が辺りに響き、やがて停止した。
「この車、ここから出られなくなっちゃったじゃない。……もったいない」
しおりのぼやきに、リンは無表情で答える。
「この車ももう警察に手配されているだろう。乗り捨てるから問題ない。新しい車を調達すればいいだけだ」
「それって、盗むってことよね?」
「行方不明となった君と共に、容疑者として私の顔もすでに手配されているはずだ。真っ当な手段で手に入れることはできないからな」
そう言うと、扉を開けて外へと出る。それを見たしおりも慌てて続く。
「ここは通りから離れている。数時間程度なら、この車が発見されることはないだろう」
そう言いながら車の後ろに回り、トランクを開ける。
「さて、これからやらなければならないことのために、私はいっときでも君から離れなければならない」
そして、リンは開いたトランクのスペースを指差しながら言葉を続ける。
「この中に入るんだ」
「はぁ!? 何言ってんの!?」
「離れている間に、君に変な気を起こされても困るからな。君自身の安全のためにも、ここに隠れていてもらう」
「ちょっと待って、マジで? もしあんたに何かあったら、私はずっと閉じ込められっぱなしってことにならない!? それに、お父さんとお母さんを死に追いやったやつを突き止めるんでしょ。私もついていくわよ!」
しおりの反論に、リンは懐からサイレンサー付きの拳銃を取り出し、銃口をしおりへと向ける。
「君は被害者だ。加害者たちのいざこざに首を突っ込むべきではない」
「だからなんなのよ! そんな脅し、いまさら効かないわよ!」
食ってかかるしおりに対し、リンは銃口の向きを彼女の足元へと移して言った。
「命を奪う以外であれば、私はどんな手段でも迷わず取れるぞ。たとえば、君の足を撃ち抜いて無理やり身動きを取れなくするようにな」
冷徹な声と銃口の圧に、しおりはさすがに怯んだ。
「マジ……?」
「ああ、マジだ」
しおりは諦めたように大きくため息を吐く。
「わかった。あなたの言う通りにするわよ」
ヤケクソ気味に言うと、しおりはよじ登るようにトランクの中へと入っていく。そして、リンがトランクを閉めようとすると、不安げに彼女の顔を覗き込んだ。
「……ちゃんと戻ってくるんでしょうね。もしあんたに何かあったら……」
「心配するな。何があろうと、私は必ず戻ってくる」
そして、バタンと重い音を立てて、トランクは閉ざされた。




