第八章「探求行路」
「姉ちゃん!」
ワンボックスカーの薄暗い車内。
ヘッドマウントディスプレイの中で複数並んだ画面の一つ――サーモグラフィの画面で、姉の熱源が崩れ落ちるのを見て、妹の芽衣は悲鳴を上げた。
「姉ちゃん、返事して! ねぇ!」
インカムに向かって叫ぶが、返ってくるのは無機質なノイズと、乾いた風の音だけだ。
画面の中で、ゆっくりと立ち上がったターゲットの熱源が、動かなくなった姉の熱源へと歩み寄るのが見えた。
芽衣の瞳に、涙と共に暗い炎が宿る。
「姉ちゃんが、やられた……」
奥歯を噛み締め、ドローンを操縦するコントローラーを握る手に力を込める。プラスチックがミシミシと悲鳴を上げた。
「なら、もう巻き添えを気にして遠慮する必要はないよね」
怒りを押し殺した声で呟き、ドローンの自爆突撃スイッチに指をかけようとした。
その時、モニターの中の動きが変わった。
ターゲットが、倒れている姉の足首を掴み、ズルズルと引きずり始めたのだ。
「……何をする気だ?」
戸惑いで指が止まる。
ターゲットは教室の窓際まで行くと、窓を大きく開け放つ仕草をした。そして、あろうことか引きずっていた姉の体を持ち上げ――窓の外へと放り投げた。
「まさか!」
芽衣が驚愕の声を上げた、次の瞬間だった。
ドォォォォン!!
凄まじい衝撃音が車内を揺さぶり、頭上の屋根が大きくへこんだ。
「きゃっ!?」
芽衣はシートから転げ落ちそうになる。
この偽装バンは、電波状況を良くするために校舎の真下に停めていた。その屋根に、今、何かが落ちてきたのだ。
ドォン!!
間髪入れず、もう一度衝撃が走り、屋根がさらに深く、鋭くへこんだ。
「う、嘘でしょ……!?」
芽衣の脳裏に、先ほどの映像と今の衝撃が結びつく。
「姉ちゃんを……姉ちゃんの死体をクッションにして、三階から飛び降りたのか!」
落下衝撃を死体で殺し、そのまま車の上に着地したのだ。正気の沙汰ではない。
恐怖が全身を駆け巡る。芽衣は慌てて助手席のダッシュボードへと手を伸ばした。あそこには護身用の小型拳銃が入っている。
「くそっ、くそっ!」
震える手でラッチを外そうとした。
カチャリ。
その指先が触れるよりも早く、金属的な装填音が耳元で鳴った。
「……っ!」
芽衣の動きが凍りつく。
割れた窓ガラスの隙間から、夜風と共に火薬と鉄錆の匂いが流れ込んでくる。そして、右のこめかみに、ひやりとした冷たい感触が押し当てられた。
「チェックメイトだ」
感情のない女の声。
芽衣がゆっくりと視線を上げると、割れたサイドウィンドウ越しに、上着を脱いだリン・インが、無表情でこちらを見下ろしていた。
「まずはそのヘッドマウントディスプレイを外し、両手を見えるところへ上げろ」
冷徹な声に、芽衣は頷き、ゆっくりとヘッドマウントディスプレイを外して両手を上げる。
「……何でわかった。私たちが二人組だってこと」
「簡単なことだ。散弾銃を持っていたもう一人には、一切の迷いが感じられなかった。こちらの死角や居場所を正確に掌握し、的確なタイミングで攻撃してきた。だが、奴の死体には索敵のための装備が見られなかった」
リンは芽衣から目を離すことなく続ける。
「なら、考えられることは一つ。外部からドローンなどを使って位置を教え、指示を出している者がいる。そして、それがこの手の殺し屋のやり方ならば、電波遅延を防ぎ、確実な連携を取るためにすぐ近くに潜んでいるということだ」
リンは額に当てている銃口に力を込め、さらに押し付ける。
「今度はこちらの疑問に答えてもらおう。お前たちの狙いと、雇い主を教えろ」
それに、芽衣は不敵な笑みを浮かべた。
「こちとらプロだよ。誰が教えるもんか」
そう言うと、芽衣は上げた両手の指を空中で不自然に動かし始めた。
「何をしている!」
リンの制止に、芽衣は狂気を帯びた笑みで答える。
「私たちが、こういう事態を想定していなかったと思ってる? もう姉ちゃんもいないし、遠慮なく最終手段を使わせてもらうよ」
リンは気づく。芽衣の視線が、ダッシュボードの車載ホルダーに固定されたスマートフォンに向いていることに。
それと同時に、風切り音と共に反対側の窓の向こうにドローンが降下してくるのが見えた。
「そうだよ。この指の動きをスマホのカメラが感知すると稼働する仕組みだよ。……一緒に死ね」
芽衣の言葉と共に、ドローンの下部に装着された小型マシンガンが斉射される。
「チィッ!」
リンは咄嗟に身を翻し、バンの死角となるコンクリート塀の裏へと飛び込んだ。
直後、ドローンそのものが車内に突入し、凄まじい轟音と共に車が爆発炎上した。
◇◇◇
オレンジ色の炎が夜の校庭を照らす中。
燃え盛るバンの横で、煤けたコンクリート塀の陰から立ち上がる影があった。リンだ。
彼女は燃え盛る車を見つめながら、ゆっくりと煙草を取り出し火をつける。そして口に咥え、深く煙を吸い込んだ。
(……私も、まだまだ甘いな)
相手はプロの殺し屋だ。交渉による情報漏洩など、もってのほかだ。なのに、ありえない可能性に賭けて「生け捕りにして聞き出す」という選択をしてしまった。
(私が身を投じたのは、そういう世界だったはずだ)
自らの判断の鈍りを自嘲するように煙を吐き出すと、リンは再び校舎の中へと入っていく。そして、取り残されていたトランクケースを見つけると、それをゆっくりと引きずりながら歩き出した。
◇◇◇
廃校舎から遠く離れた、人気の無い空き地。
現場付近から新たに調達した車を停め、リンは後部座席から引きずり出したトランクケースのロックを外した。
蓋を開けると、そこにはリンのコートに包まったまま、気絶しているしおりの姿があった。
「ほら、目を覚ませ」
リンが頬をペチペチと叩く。すると、しおりはハッと目を覚まし、勢いよく身を起こした。
「私、たしかトランクに押し込められて……その直後に、何度もすごい衝撃が来て……ッ!」
混乱する頭を振ってからリンを見上げ、叫ぶ。
「あの襲ってきたやつは、どうなったの!?」
その悲鳴に近い問いかけに、リンはほんの僅かだけ安堵の表情を浮かべて返事をする。
「撃退した」
「……撃退って、どうやって……?」
「君を入れたそのトランクケースは特別製でね。散弾銃程度の攻撃には十分耐えられるんだ。それを盾にして、奴に接近した」
「私が入ったトランクを盾にした!?」
「安心しろ。念のために、防弾性の私のコートを着せたんだ。怪我すらしないさ。君は衝撃で気を失っていたみたいだがな」
「人を盾にしておいて、何を安心しろっていうの! 私、ちゃんと生きてるよね!?」
自分の身体に怪我がないか、あちこちペタペタと触って確認するしおり。
「ちゃんと生きているさ。言っただろう。君を何としても保護すると」
「殺し屋の何を信じろって言うのよ……」
しおりのジト目での抗議に、リンは(もっともだ)と心の中で呟く。
「ねぇ。撃退って……」
少し冷静になったしおりが、リンを探るように尋ねた。
「ああ。君の思った通り……殺した」
その事実を告げられた瞬間、しおりの顔からサァッと血の気が引いた。
リンは煙草を取り出し、火をつける。
「殺さなければ殺される。君は仇を討つと言っていたが、それは、あの廃校舎で襲ってきたような奴らに狙われ続けるということだ。私を含めた君の両親の仇が、どういう世界で生きているか……これで身をもって理解できただろう」
リンの言葉に、しおりの脳裏に廃校舎での光景が蘇る。突然床へ押し倒され、次の瞬間には耳を劈く轟音。顔を上げれば、直前まで自分たちが立っていた壁が、無数の鉛玉によって瞬時に蜂の巣へと変わっていた――。
しおりは恐怖と現実の重さに押し潰され、何も言えなかった。
「……かなり大掛かりだとは思っていたが、こんなにすぐに私たちの場所を突き止められるとはな。こうなると、協力組織に引き渡して一つの場所に留まらせるのも危険かもしれない」
「それで、私をどうするの? 足手纏いになるから殺すの?」
震えるしおりの疑問に、リンは首を振って否定する。
「いや、このまま君を連れて、車を乗り継ぎながら調査を行うことにする。そうすれば、私は君からもたらされた情報で動いたと言い訳もしやすくなるし、君も一方的に拉致されて連れ回されたと、解放された時に警察に言えるだろう」
リンは立ち上がり、しおりに手を差し伸べる。
「さぁ、車に乗るんだ。君の両親が死に、そして何人もの殺し屋たちが死んだ。死体の多さに警察は混乱しているだろうが、それも一時的ですぐに収まり検問を敷き始めるだろう。その前に、可能な限り現場から離れたい」
しおりは目を瞑る。そして、一度だけ深く頷くと目を開け、リンの手を取った。
「……わかった。あなたについていくわ」




