第十二章「各駒暗動」
夜。市街地の有料パーキングに一台の車が停まる。
車から降り立ったリンは、助手席のしおりに向かって告げた。
「私はこれから、鬼龍組の事務所に向かう」
「でもあんた、この辺の地図も全然わかんないでしょ? どうやって事務所を見つけるのよ」
「この一帯は奴らのシマのはずだ。その辺の繁華街で、あのバッジをつけている者を見つければいい。ヤクザの威光を笠に着て傍若無人に振る舞っているはずだから、判別は容易だ。そいつに案内させる」
「で、私は?」
「君は再び、この車のトランクの中に入ってもらう」
「もう終わりが見えてるんでしょ? せめてヤクザたちがどうなったか、顛末くらいは知りたいし、ここで大人しくすることぐらいはするわよ」
しおりの言葉に、リンは首を振る。
「今回は、純粋に君の安全のためだ。奴らが私と君の同行に気づいている可能性は否定できない。ヤクザとて、組織を率いるトップは馬鹿ではない。私の動きを察知すれば、君を害するために付近の車を捜索するかもしれない。だが、それでも窓から中を覗き込むのがせいぜいで、トランクをこじ開けてまで探ることはしないだろう」
リンはパーキングに設置された監視カメラを見上げる。
「君を警察に無事に引き渡さなければならないからな。万が一の事態は、可能な限り避けたい」
その言葉に、しおりは大きくため息を吐き、「わかったわよ」と言ってトランクの中へ入り込む。
リンがトランクの扉に手を置いた。
「私の姿は、すでに警察の手配に回っているだろう。街中にある防犯カメラの映像を辿って、この車に辿り着くのにもそう時間はかからない」
「え、それってまさか――」
しおりの言葉に、リンは小さく頷いた。
「ヤクザの件を片付けた後、私はそのまま香港に帰る」
そして、トランクを閉じかけながら、しおりに告げた。
「君とは、ここでお別れだ」
「ちょっと待って――」
しおりの制止を意に介することなく、バタン、と重い音を立ててトランクは閉じられた。
◇◇◇
目的の人物は、思っていたよりあっさりと見つけることができた。
繁華街の裏路地。通行人に因縁をつけては小突いていたチンピラ風の女を、リンは路地裏の奥へと引きずり込み、壁に力強く押さえつけた。
「痛ぇなッ! テメェ、あたしをどこの誰だと……ッ!」
こちらを睨みつけてくる女の胸元には、例の金色の代紋が光っている。リンはそれを意に介さず、氷のように冷たく言い放つ。
「鬼龍組の人間だな。ちょうど探していたんだ」
「あぁ? テメェ、まさかどっかの組のモンか! ウチはそこらのチンピラとは違うってわかってねぇのがまだいやがる――」
なおもイキり立つ女の顎下に、リンはサイレンサー付きの拳銃を深々と突きつけた。
カチャリ、と撃鉄が起きる乾いた音が響く。
その途端、女の態度は豹変し、急にしどろもどろになった。
「お、おい、待てよ……なんだよ。こんなことして、タダで済むと思ってんのか……っ」
「簡単な頼み事をしたいだけだ。お前らの本拠地への『案内役』をしてもらいたい」
◇◇◇
「こちらが捜索令状になります」
女性警官が、パーキングの管理会社らしき男性に一枚の書類を提示する。
男性は「本当にあの車がそうなんですか? あんなのがうちの駐車場に停まってるなんて、信じられないんですが……」と戸惑った口調で応えた。
「ご協力をお願いします」
業務的に返す女性警官に、男性は「え、ええ。それはもちろん」と引き下がる。
女性警官は、周囲に待機していた数名の警官たちに視線を移し、許可が取れたと示すように短く頷いた。
彼らは一台の車を取り囲んでいた。それはリンが乗ってきて、しおりがトランクに隠されている車だった。
車の中を外からライトで照らして見回していた警官が報告する。
「車内には、特に異常らしきものは見当たりませんね」
別の警官が女性警官を見る。
「ナンバーは間違いありません。あの雑木林に乗り捨てられていた車両の付近で、盗難届が出されていたものです」
「抗争か内輪揉めかは不明だが、鬼龍組の殺し屋と目される連中を次々と殺して回っている危険人物が乗っていた車だ。何が仕掛けられているか、わかったもんじゃない。鑑識が到着するまで、絶対に素手で触るんじゃないぞ」
女性警官の厳しい指示に、周りの警官たちは神妙な面持ちで頷いた。
「しかし、鬼龍組といえばかなり巨大な広域暴力団ですよね。子飼いの殺し屋を何人も囲っているという噂はありましたが、まさか本当だったとは……」
「あくまでその疑いがあるという段階だ。繋がりはまだ完全に証明されていない。いいか、警察という組織は、その意図があろうとなかろうと、簡単に人の人生を変えてしまえる力を持っているんだ。言葉は正確に、慎重に選べ」
部下の言葉を、女性警官が鋭くたしなめる。
「も、申し訳ありません」
「我々の仕事は、この車両の確保と証拠の保全だ。早速作業に取り掛かるぞ」
そう言って、地面に置かれた備品バッグから黄色い『KEEP OUT』の規制線テープを取り出し、近くの部下に渡す。
「私とお前で、これを車の周囲に張る。他の者は誰も近づけないよう見張りに回れ」
「了解」
警官たちがそれぞれ散開しようとした、その時。
カツン、カツン、と。
固いヒールがアスファルトを叩く足音が、夜のパーキングに響き渡った。
警官全員が視線をそちらへ向ける。
そこに立っていたのは、雪のように白いチャイナドレスを纏い、両手に鉄扇のような巨大な扇を持った長身の女だった。
ゆっくりと近づいてくる女に、警官の一人が制止のために手を前に出して警告する。
「危険ですので、これ以上は近づかないでください!」
しかし、女は止まらない。優雅な足取りのまま、距離を詰めてくる。
その尋常ではない空気に警官たちも明確な異常を感じ取り、腰の警棒や拳銃へと手を伸ばした。
「止まりなさいッ!」
制止の怒声。
それに対し、女は真っ赤な唇を弧の形に歪め――バサァッ、と両手の扇を開いた。
◇◇◇
「ふざけんじゃないわよ……何よ『さよなら』って。こっちは何も納得してないんだから。それに、文句だってまだまだ言い足りないのに……っ」
真っ暗な車のトランクの中、しおりは体育座りで身を縮めながら、リンへの愚痴をブツブツとこぼしていた。
ヤクザが自分を探しているかもしれないと言われれば、さすがに怖くて大声で騒ぐことなどできない。
と、その時。
外から、複数の大人が叫ぶような喧騒と、何かを叩き潰すような異音が微かに聞こえた。
「……?」
しおりが疑問を抱いた直後、ガッ! ガッ! とトランクを乱暴にこじ開けるような衝撃音が響いた。
「な、何……!?」
バンッ!とトランクがこじ開けられた瞬間、しおりの頭から無情にも黒い布袋が被せられ、強い力で外へと引きずり出された。
「だ、誰!? 何する気なのッ!」
しおりの恐怖の叫びに、誰も答えない。彼女はそのまま拘束され、どこかへと連れ去られていった。
だが、しおりはある意味で幸運だったかもしれない。
頭から袋を被せられ、視界を奪われたことで――車の周囲の地面に転がる、警官たちの遺体を見ることがなかったのだから。




