第十一章「黒幕露顕」
車のトランクが開かれる。しおりは差し込む朝日に目を細め、手で光を遮った。
見上げると、そこにはリンが立っていた。
「用事は終わった。新しい車も用意した」
そう言って、リンはしおりに手を差し出す。
「…………」
しおりは何か言おうとしたが、ただ一言「わかった」とだけ言って、その手を取った。
◇◇◇
二人は調達した新しい車に乗り込んだ。
リンが懐から煙草を取り出し、火をつけようとした時、助手席のしおりが不快そうな顔をしてリンを睨みつけた。
「……未成年の前で吸うなんて、常識ないの?」
「これはすまない」
リンは素直に謝り、煙草をしまう。
その様子を見ていたしおりが、ふと尋ねる。
「……ねぇ。なんであんた、煙草なんて吸うの?」
「……こんなもの、気がついたら吸っているものだぞ。きっかけなんて覚えているものではない」
「……聞き方が悪かったわね。そういうのを聞きたかったわけじゃないの」
しおりはリンの横顔を見つめながら言葉を続ける。
「私はこんな匂いがキツくて煙たいもの、よく吸えるなって思うけど……喫煙者って、そういうのが美味しいって感じるんでしょ。でも、あなたを見ていると、なんか無理やり吸っているように見えて。なんでそこまでして吸っているのか、疑問に思ったのよ」
よく見ているな、とリンは内心で感心した。
(――そうだな。この件が終われば、彼女とは二度と会うことはない。ならば、言ってしまっても問題ないのかもしれない)
それはもしかしたら、自身の胸中を誰かに吐き出したかっただけの無意識の言い訳だったかもしれない。だが、リンはそう自身を納得させると、車を発進させるとともに躊躇いながら口を開いた。
「……どちらかと言えば、煙草は苦手だ」
「じゃあ、どうして?」
「……君からは何を言っているのかと思われるだろうが……私は、それ以上に『人殺し』が苦手なんだ」
その言葉に、しおりは明らかな不快感を示した。
「殺し屋のくせに?」
「ああ。どうしようもないほどの吐き気が込み上げてくる。……それを誤魔化すために、より強い不快感で上書きしているんだ」
「そんなに嫌だったら、辞めればいいじゃない。そうすれば……私のお父さんを殺すこともなかったでしょ!」
「……それができれば良かったんだがな」
リンは重い息を吐いて続ける。
「前にも言っただろう。あらゆる手段を使って、自分たちがいる沼の底へと引きずり込もうとする連中だ。……一度足を踏み入れれば、どんなに本人が望んでも、周りが抜け出すことを許さないんだ」
その言葉を聞いた瞬間、しおりは膝の上で両手を思い切り握りしめた。
「今、運転中じゃなかったら……あんたの胸ぐら掴んで引っ叩いてるところだったわ」
押し殺した声で言う。
「あんたが私に期待を押し付ける理由が、ようやくわかった気がする。あんた、なんもかんも諦めてるのね。だから、まだ引き返せる私に、自分にあり得たかもしれない違う道を進むことを期待してるんでしょ」
そして、しおりは溜まりに溜まったものをぶつけるように叫んだ。
「ふざけんな! それじゃまるで、自分が人を殺したのはどうしようもなかった、仕方なかったって言い訳してるようなもんじゃない! そんなふうに諦められるくらいなら……『申し訳ない』『ごめんなさい』って思われる方が、それはそれでムカつくけど、仕方ないなんて思われるくらいなら、そっちの方がまだ数億倍マシよ!!」
「…………」
その怒声に対し、リンは前を向いて運転を続けることしかできなかった。
しおりは何度か大きく深呼吸をして、自身を落ち着かせるかのように言った。
「……これ以上続けてると、自分を抑えられなくなりそうだから話題を変えましょ。今あんたに怒りをぶつけたところで、何も変わらないでしょうしね」
そして、リンを非難するような口ぶりで尋ねた。
「あんたが言ってた『試したいこと』ってどうなったの? 確か、裏切り者がどうとか言ってたけど」
(……ここで『助かった』と思ってしまうのは、私が弱いからなんだろうな)
リンは内心で自嘲しながら、質問に答える。
「ああ。私が想定していた中で、おそらく最悪の事態が進行している」
その言葉に、しおりが「え?」と不安げな表情を浮かべる。
リンは「安心しろ」と前置きして言葉を続ける。
「あくまでそれは、私が所属する組織にとってだ。逆に、君にとっては色々と希望が見えてきた」
「どういうこと?」
疑問を浮かべるしおりに、リンはポケットからあの代紋のバッジを取り出し、彼女に手渡した。
「? 鬼龍組? ……まさか、日本のヤクザが絡んでるの!?」
渡されたバッジに彫られた文字を見て、しおりが顔を上げる。
「ああ。私の組織における、日本での協力組織でもある」
思っていた以上に事態の規模が大きいことを察し、しおりの顔に再び不安が広がる。それを横目に、リンは説明を続けた。
「まず、私が何を試したかだが……私がさっきまで持っていたスマホがあるだろう」
「……お父さんの会社が燃やされたニュースを見せつけてきた、あれね」
憎悪混じりの皮肉に、リンは頷く。
「あれは元々、組織から貸与されているものだ。マフィアといっても、下っ端はただのチンピラと変わらない。彼らに余計なことをさせないよう機能を省き、捜査当局対策として盗聴防止や暗号化、特定の操作で内部データを破壊できるようにした特別製だ」
そこまで言うと、リンは本題に入る。
「昨夜のショットガンの殺し屋は、私たちが廃校舎に潜んでいるのを、尾行もせずにすぐさま突き止めて襲撃してきた。そこで私の中に一つの疑惑が生まれた。……あのスマホの位置情報や通話内容が、組織の何者かによって漏らされ、利用されているのではないか、という疑惑だ」
しおりが、ごくりと喉を鳴らす。
「だから私は実験をした。スマホの電源を入れ、特定の場所に放置するという簡単なものだがな。そして全く動きがないことに疑問を抱き、確認のためにやってきた者がいた。そいつはあろうことか、私のスマホの番号を知っていて、呼び出し音を鳴らすことまでした」
「まさか、このバッジ……」
しおりは、手に持つ金色のバッジを恐る恐る見る。
「そいつが持っていたものだ」
(そいつをどうしたの……?)
しおりの喉元までその言葉が出かかったが、彼女はそれを飲み込んだ。
リンは構わず言葉を続ける。
「表裏に関わらずどんな組織でも、国境を越えての活動は、学生である君の想像以上に大変なことだ。他国の文化や政治、社会の暗黙のルールを考慮しなくてはいけない。だから大抵の場合、現地の組織と提携するか、買収することでワンクッション置くことになる」
それに、しおりは察したように目を見開く。
「……あんたたちにとって、このヤクザがそうだっていうの?」
リンは頷く。
「そうだ。そして、その現地ヤクザと交渉し、組織のトップを出し抜いて裏切るように仕向けるためには、相応の報酬と権力が必要になる。この二つを合わせれば自ずと答えが出る。……組織のかなり上層部、それもボスに近いところに、今回の件を仕組んだ裏切り者がいる」
「あんたの組織自体が黒幕ってことはないの?」
しおりの疑問に、リンは首を軽く振る。
「何のために? 組織自体を危機に陥れかねない取引だぞ。それに組織は、その取引を潰すために私を日本へ派遣したんだ。組織全体の目論見なら、そんな自作自演は必要ないだろう」
「……それもそうね。で、その裏切り者は何をしようとしてるの?」
「そこまではわからない。だが、動機は推測できる」
「……誰が何をしようとしているかもわからないのに?」
「前にも言っただろう。マフィアなんて所詮、欲望と面子に凝り固まった獣の群れだ。それらを満たすため……つまり、より強い権力か、莫大な金を手にするため、そのどちらかということだ」
しおりはふぅと息を吐く。
「それが、あなたの組織にとって最悪な事態ってことね。でも、それでなんで私にとって希望に繋がるの?」
しおりは「あ、バッジは返す」と言ってリンに押し付けると、不快そうに自分の服でその手を何度も拭った。
リンはバッジを受け取り、ポケットにしまう。
「国境を越えた活動は、組織にとってかなり壁が高いと言ったな」
しおりは頷く。
「今回、君の家族や私を襲った殺し屋たちの元締めは、このヤクザで間違いないだろう。彼らをどうにかできれば、組織は海を越えたこの国で、まともに活動することができなくなる。そして私が香港に帰り、ことの次第をボスに報告すれば、内部の粛清が始まり、もはや目撃者である君に構っているところではなくなる」
そして、リンはしおりを見る。
「これだけの事件を引き起こしたヤクザを、日本の警察も放置することはできない。解放された君の証言が決定打となり、組織は壊滅させられるだろう。これで、君の両親を死に追いやった者たちは罰を受け、君の安全は保証されることになる」
そして、リンは一拍置いて言葉を続けた。
「……これでこの件は全て終わる」




