14話 エランへの大路
「忘れ物はありませんか」
町外れで、アントニオが言った。
「大丈夫だよ。何度も確認したし、カルヴァスが用意してアーチェが確認してくれたから」
マリーエルが答えると、遅れて来たカナメが「これ、必要なものだったよな?」と鏡を差し出した。アントニオの鋭い目がギロリと向けられる。
マリーエルは視線を彷徨わせ、えへへ、と笑みを浮かべた。
「全く、貴女は。どうして一番必要になるものを忘れられるのですか」
「うぅ……忘れないようにって棚の上に置いておいたの」
「それで忘れてしまっては、意味がないではないですか」
「あ、いや……俺が、借りてたんだ」
カナメが口を挟むと、アントニオは眉間に皺を寄せた。
「見え透いた嘘はお止めなさい。姫様を甘やかしてばかりでは、なりません」
「はぁ、随分厳しいんだねぇ」
様子を見守っていたカッテが感心したように言った。アントニオが目を細め、カッテを見やる。
「貴女も、姫様に対して甘い気がしますが……元より貴女は教育役や世話役ではありませんからね。仕方のないことです。ですが、貴方達のせいで私が──」
「また、ごちゃごちゃ言ってるのか。出立の際には小言じゃなくて餞別の言葉でも贈れっての」
霊鹿の支度を終えたカルヴァスが呆れた声を出した。
「ほら、今回は最初から鏡話が使える訳だけど、暫くは直に会えない訳だ。出立する姫様に何かひと言」
カルヴァスの言葉にアントニオは顔を顰めると、しかし大人しくマリーエルの前に跪いた。
「無事のお帰りをお待ちしております」
そう言ってから、マリーエルの手を取り、額を付ける。
「うん、行ってくるね。今回もきっと沢山助けて貰うと思うけど」
マリーエルは鏡を掲げて見せてから、親愛を返した。
カルヴァスの号令でマリーエル達は進み始める。今回はクッザール隊の数隊も共に進むこととなる。元クッザール隊副隊長であるカルヴァスの許に、クッザール隊分隊は従っている。
後ろを振り返ると、マリーエル達が進んでいくのを見守っていたアントニオの許に、ヨンムが歩み寄って来ていた。小さく手を上げたヨンムが何やらと話し掛けると、アントニオは困惑したように顔を仰け反らせた。戸惑いのままマリーエルへと深々と頭を垂れ、ヨンムが踵を返すのに付き従っていく。
──何があったんだろう……。ううん、私が関係しているなら、すぐに呼び戻される筈。
マリーエルは遠ざかっていくアントニオの後ろ姿から目を外し、前に向き直った。
──私は私の使命を果たす。行ってくるね。
エランへの路は最早行き慣れたものだった。
大陸へと向かう際に、霊鹿に乗り進んだことを、この路を通る度に思い出す。
マリーエルは皆を見回し、密かに笑った。隣を行くカッテに目を止め、声を掛ける。
「カッテって、霊鹿にも乗れたんだねぇ」
ニッと笑ったカッテは、霊鹿の首筋を優しく撫でてから答えた。
「アタシが乗るのは船だけど、エランの子供も霊鹿の乗り方くらいは覚えるんですよ。こういう時に霊鹿に乗れないなんて格好がつかないからね」
そう言ってから、カッテは黙々と霊鹿を進めるインターリに目を向けた。
「アンタ、随分静かじゃないか」
ちらとカッテを見返したインターリは、前方に視線を向けたまま小さく鼻を鳴らした。足元を進んでいたベッロが心配そうにキュウと鳴く。
インターリは僅かに顔を歪め、「別に」とだけ言って口を引き結んだ。
「なんだ、拗ねてんのか」
カルヴァスの言葉にも、目線をやるだけで答えない。
「……体調が悪いとか?」
マリーエルの声にだけはピクリと体を揺らして、考えるように視線を逸らしてから、じとりとマリーエルを見つめた。
「別に。何でもないよ」
「本当に……?」
「本当に。というか、散々、僕にあぁしろこうしろ言ってた癖に、いざ大人しくなったら何だどうだって訊いてくる訳?」
インターリの吐き捨てるように言われた言葉に、マリーエルは、むむと頭を捻った。
「うーん。インターリはそのままでいいんだけど、でもちょっとだけ気を付けて欲しい所もあって、でもそれはインターリの気持ちを押さえて欲しいってことでもなくて……むむ。難しいね」
「どちらかと言うと、旅の始まりに君の愚痴がないとこう……物足りない感じがあるんだ、と思う」
カナメがマリーエルのように考え込みながら言った。インターリが思わず上げた「はぁ?」という声に、カルヴァスがクックッと笑う。
「愚痴のないお前なんてお前じゃないってことだろ。まぁ、どんな時も愚痴ばっかで余計なことされるのは、オレとしては困るけど。確かに愚痴もなく黙り込んでるお前もなんか薄ら寒いというか……違う気がするんだよなぁ」
「私としては、このくらい大人しくされている方が、喉への負担も減りますし都合がいいのですが。いちいち叱らねばならない私の喉の都合も考えて下さい、カルヴァス隊長」
それぞれの考えや想いを口にするマリーエル達に、鼻に皺を寄せていたインターリは不機嫌そうに顔を背けた。
「なんなんだよ、アンタら。本当勝手だよね」
「えーと……ごめんね、インターリ。私達の要求ばかりだったよね。でも、インターリのことが嫌なんじゃなくて──」
「判ってるよ。いちいち言わなくてもいい。判ってるから、こうして大人しくしてやろうって思ったり……したんでしょ」
その時、前方から細い笛の音が響いた。ベッロが耳を立て、辺りを探る。
「ほら、影憑きのお出ましだ」
いち早く霊鹿を降りたインターリを見やってから、カルヴァスは全隊に号令を出した。
「今は多くの隊が喪失の谷に居るから、此処はオレ達で対応していくしかないけど……。行けるか、マリー」
「うん、行けるよ」




