15話 兵の不信
影憑きは変わらず出現していた。命在るモノを侵食する影も多く居るが、深淵の女王は、今や世界樹へと還ろうとする魂さえも利用し始めていた。各国で影憑きへの対策がなされ、精霊信仰に対する関心も高まり始めていた。
それに乗じてフリドレードの一件のように大陸からの間者が紛れ込む機会も増え、エランに続きジュリアスでもそれを見極める為の政策がなされている。受け皿となるフリドレードは、ジェーディエの許に厳格に管理され、多くの巡礼者はフリドレードで修養を体験し、グラウスの祭に参加したり、語り部によって精霊信仰を学ぶ機会を得ている。
各地方を結ぶ大路には、以前より隊を配しているが、喪失の谷による影響で多くは兵を割けないのが現状だ。そして、やはり影は──深淵の女王は、精霊姫であるマリーエルを狙っている。
まるで惹きつけるように影はマリーエルの許に集まり、そしてその側に仕えるカナメを澱みへと引き込み絡めとろうとする。
未だ消えぬ影憑きではあるが、しかし、決して命世界のモノ達が屈した訳ではない。それぞれの蓄積した知識や技術で、今の所は大事にならずに済んでいる。
エランへの大路の中程で出現した影憑きは、精霊隊が対する前にクッザール隊分隊に霧散させられた。精霊隊はその後始末を引き受け、マリーエルの手によって場の祓えが行われた。
「海上でも影憑きが出るようになった訳だから……アタシ達も気を引き締めないとね」
鉄槌を手にしていたカッテが、辺りに険しい目を向けながら言った。
「船には雷撃石があったろ」
剣を仕舞いながらカルヴァスが言った。
「あれはね、元は海を荒らす海賊の為に作られたものなのさ。相手の船に当てちまえばそれで終わり。だから、そう何発も打てるものじゃない。あの時も、そうだったろ」
世界樹の枝葉の祓えへと出た際、船上で巨大生物に襲われ、カッテは船に備えた雷の精霊の力を込めた精霊石を用い、雷撃を以って巨大生物へ攻撃した。一体は撃破したものの、二撃目を撃つのに手間取り、その間にマリーエルが力を揮うことによって事なきを得た過去がある。
「陸と海とじゃ同じようにはいかないけど……それに、あの巨大生物と対するなら、より慎重にならないとね。まぁ、それはマリー様の兄君の所の隊がやっているんでしたっけ。うちのセルジオ様も全力でことに当たっているけど、それに従うアタシ達も全力でいかないとね」
再び霊鹿に乗ったマリーエル達は、クッザール分隊と情報を交換しながら路を進んだ。
「姫様、お怪我は……宜しいのですか」
幾度目かの休憩の折、僅かに緊張を解いたクッザール隊の兵がマリーエルへと器を差し出しながら訊いた。
カルヴァスとカナメは、クッザール分隊の隊長との話し合いに出ていて不在だった。
「怪我? 皆さんのお陰で怪我をすることなく此処まで来られましたよ」
笑顔のマリーエルに、ちらと辺りを窺うようにして兵は言葉を続ける。
「いえ、背に怪我をされたと耳にいたしました。その……姉君の手によって」
マリーエルは目を瞬くと、改めて薄く笑みを浮かべた。
「大丈夫。言ってしまえば姉妹喧嘩の行き違い。貴方は兄弟は居る? そう、だったら喧嘩はしますよね。恥ずかしながら、精霊姫といっても姉妹喧嘩はしてしまうの」
マリーエルが頬を押さえて言うと、兵は恐縮したように頭を下げた。それでも何か口にしようとした兵が、ハッと後ろを振り返った。
「何か伝令でも届いたか」
カナメと共に戻って来たカルヴァスが、兵に目を止めた。
兵はもごもごと口を動かしてから、気まずそうにその場を去ろうとした。その肩を、カルヴァスが軽く叩く。
「オレはお前の直属の上司という訳じゃないが、今は命を預かる立場だ。何か言いたいことがあるなら聞くぜ。小さな不和が争いの火種となるからな。そういうのは避けたい」
それでも兵は視線を彷徨わせ、腕を組んで静かに見下ろすカルヴァスを前に口を開けなかった。
「カルヴァス精霊隊長、先程の──」
その時、クッザール隊分隊長が慌てた様子でカルヴァスを追って来た。カルヴァスの前で俯く兵に気が付き、眉間に皺を寄せる。
「この者が何か……?」
「あぁ、精霊姫様に何かお伝えしたいことがあるみたいだったんでな」
そこで分隊長はハッと息を呑み、兵の首根っこを掴んで頭を下げさせた。
「申し訳ございません。この者は隊に編入してまだ時を経ておらず」
「あ、いえ、特におかしなことを言われた訳ではないので」
マリーエルが答えても、分隊長は険しい顔を兵に向けていたが、マリーエルの「おかしなことではない」という言葉に勇気づいたのか、兵は縋るような視線をマリーエルへと向けた。
「我等は、この国の為尽くしております。尊き精霊姫様の許にこうして奉じることも誇りに思っています。ですが、だからこそ、姫様の御姉君であるレティシア様の行いは──」
「やめないか!」
分隊長が声を荒げた。すぐに頭を垂れ、兵をより深く低頭させる。分隊長は頭を下げたまま、マリーエルににじり寄った。
「申し訳ございません。この件に関して、マリーエル様の許にも様々な話が上がっていることでしょう。そのことについて我等承知しております」
そこで分隊長は兵を振り返った。
「姫様方は、我等の想いを全てご承知で、その上で判断されている。お前はそれに疑問を挟む身分ではない」
身を固くして答えられずにいる兵から目を外し、カルヴァスに向き直った分隊長は、改めて頭を下げた。
「此度のことは私の指導不足です。処分は何なりと」
分隊長を見下ろしていたカルヴァスは、ちらと兵に目をやり溜め息を吐いた。兵は血の気を失い、僅かに震えている。
「この程度で処分はしない。だが、この一度きりだ。次またこのようなことが起きぬように指導すること」
分隊長が、改めて頭を垂れる。
カルヴァスは兵に目を移し、顔を上げさせた。
「もし何か言いたいことがあるなら、まずは上役にハッキリと伝えること。そして、多くの者が己の考えを黙している理由を考えろ。オレ達は──兵は、何の為に在る? そして、初代グランディウスより続くこの国の為に尽くされている姫様方は、何の為にそうされているのか、今一度よく考えるんだな」
「……はい」
カルヴァスが目配せすると、分隊長は兵に仕事を言い渡し送り出した。「それで」と話を促すカルヴァスに、表情を引き締めてから本来の用事を済ませると、分隊長も去っていった。
カルヴァスが椅子に腰かけ、ふぅと息を吐いた。
「あの、ごめんね、余計なこと言っちゃったかも……」
マリーエルが言うと、カルヴァスはふっと笑った。アーチェが差し出した茶を受け取り、ひと口飲んでから、再び息を吐く。
「お前が気にすることはない。ちょっとのことで不満を姫に伝えようとするのが兵として間違っている。それを抑えられないようじゃ、上に立つ者もその力を疑われる。それは、ゆくゆく更にその上に立つクッザール隊長の信用にも関わってくる。さっきの奴は、まだ入隊したばかりだから大目に見て貰えるけどな。まぁ、分隊長は実力者だ。今回は、色々指導もままならない内にこんな事になっただけだ。あいつも災難だったな」
ちら、と意味ありげに視線を投げるカルヴァスに、「なんだよ」とインターリは顔を顰めた。
「ずっとオレがお前に言ってんのはこういうこと。ま、お前も思う所があるみたいだから、これ以上は言わないけどな。あー、これから色々根回ししなくていいのかと思うと気が軽いぜ」
「……悪かったね!」
不満を露わに顔を背けたインターリの顔をベッロが嬉しそうに舐めまわした。それをぐいと押し返してから、インターリは探るような視線をマリーエルへ向けた。
マリーエルは考えていた。
今までも考えてきた筈だった。自分の立場と、起きたこと。民の想い。それをどうにか治める為に尽くしてきたつもりだ。しかし、全てが思う通りに進む訳ではない。
レティシアのことは、深淵の女王との一件からも非常に難しい立場と状況であることは判っている。どれだけ尽くしてもレティシア自身がそれを壊してしまうということも。それでも──。
「ほら、これ食えよ」
カルヴァスが包みから取り出した焼き菓子をマリーエルの口の前に差し出した。目を瞬いたマリーエルは、小さく笑ってからそれを口に含んだ。甘じょっぱい味が口の中に広がっていく。
「おいひぃ」
「食ってから喋れって」
「あ、そうらね……」
気まずそうにアーチェの方を見るマリーエルに、カルヴァスは可笑しそうに笑ってから、その頭を優しく撫でた。
その様子をじっと見つめていたカッテに気が付いたカルヴァスが、首を傾げる。
「ん? お前達の分もあるぞ」
そう言って包みを掲げるカルヴァスに、カッテは訳知り顔をしながら包みを受け取った。そしてカナメの方を見やり、その様子に気が付いたアーチェと目を見合わせ、ニヤリと笑い合う。
「アンタ、そういうの判る子だね」
「ええ。カッテ殿も」
「カッテでいいよ」
「では、カッテ。実際、どうだと思います?」
「それはねぇ──」
楽しそうに話し合う二人の様子に、インターリがじとりとした目線を向けてから溜め息を吐いた。




