12話 海底に生じたモノ
カルヴァスは王の間に設えられた卓に着いた。
エランのセルジオから届いた書簡は、既に各自に届けられている。
「さて、では此度のことについてだが」
グランディウス王が言い、隣の席に着いたアントニオへと目配せする。アントニオは〝知の洪水〟を終え、徐々に職務に復帰していた。
「私が得た知識……これはまだ不明瞭ではありますが、恐らく海底に対話可能な命在るモノが生じたのだと思われます」
その場に重い雰囲気が生まれ、皆が思案に沈んだ。
「それは、どの程度対話が可能なんだ」
クッザールの問いに、アントニオは少し遠い目をして考え込んでから答えた。
「ある程度は、とだけ。まだ私が得た知識も戸惑いの中にあるようなのです。素より在った言葉のようなものが拡大され、それを繰るようになった……と言いますか。歌のようなものではありますが、あれは我々の扱うものや精霊の言葉や歌とはまた違います」
「どれ、歌ってみせよ」
卓の上で腕を組んでいた栗鼠の精霊アールが、小さな指をピッピッと振った。一瞬、躊躇ったアントニオだったが、皆の視線が集まっていることにひとつ咳払いすると、音を歌に乗せた。
それは、静かに広がっていく旋律だった。時に深く潜り、跳ねる音。
幾つかの旋律を歌ったアントニオの声に耳を澄ませていたアールは、ふぅんと唸ってから顔を上げた。
「うむ。何を言っているのかさっぱり判らん」
ピクリと口端を動かしたアントニオは、それでも小さく顎を引いた。
「他の精霊であっても耳にしたことがないというのであれば、やはりこれは新たに生じたものなのでしょう。精霊界ではこのことに関して異変はないのでしょうか」
アールはピッと尾で卓を叩き、首を振った。
「ないのう。多少、水の奴と魚の奴らは落ち着かぬようだが……」
アールの言葉にカルヴァスが眉根を寄せた。
「それはつまり……元々精霊の力を受けていた存在が、形を変えたってことじゃないのか?」
一斉に視線が集まり、カルヴァスは僅かに表情を引き締めた。難しい顔をしていたアントニオが、「ふむ」と思案げに声を漏らす。
「確かに、そう言われたらそれが一番しっくりときますね。私は何か新たなモノが生じたのかと思い込んでいましたが、元々あったものが形を変える……その方が自然です」
「ならば、つまりそれらは……魚、ということか?」
クッザールの言葉には、間の抜けた響きが籠もっていた。暫し黙り込んだ卓上に、今度は悶々とした雰囲気が満ちた。
「カルヴァス、お前は巨大生物と対峙し、実際に『魚のようであった』んだよな」
グランディウス王の問いに、カルヴァスは頷いた。カッテからもたらされた情報と共に、詳細を話す。
「エランの民は『あのようなモノを見たことがない』と言っていました。ただ、体の内部の構造は魚のよう。見た目は少し人に近いものでしたが、鱗等も見られました。そして、〝形を変える〟。これは我が隊の副隊長がその折言っていたことですが、今、命世界ではあらゆるものが形を変えている。魚が、対話可能な何かに形を変えるのも有り得る話だと思います。だからこそ、エランの浜では影に侵され影憑きとなった……ということでしょう」
その言葉に、グランディウス王は深く考え込んだ。ちらとクッザールに目線をやり、次いでカルヴァスを見やる。
「此度のことは、やはり精霊隊が適任か」
カルヴァスが頷くと、アントニオは身じろぎしたが、それ以上何も言わなかった。〝知の洪水〟が終わったとはいえ、様々なことが落ち着かぬ今、グラウスの地を離れるのは危険だった。またいつ新たな知識が生じるか判らない。
「アントニオが知識として扱えるということは、それだけの数が居るってことだ。僕からは、鏡話を提供したい。これは新たにひとつの鏡を幾つかに分けた内のひとつ。これで同時に設置された数か所で話すことも出来る……筈。確実に話せる二欠片をマリーエルとアントニオに。対話可能といっても、さっきの歌を聞く限りじゃどの程度か怪しいからね」
じっと黙したまま話に耳を傾けていたヨンムが言った。持ち込んだ箱を卓の上で開き、細工された鏡を取り出して掲げる。
「他の欠片は観測所と……エランにあった方がいいか。じゃあ精霊隊隊長には二つ持って行って貰おう。重要な地があれば、隊長判断でそこに置いてくれ」
「此度は儂もついていくとしようかの」
卓の上でアールがふんぞり返った。鏡を懐にしまったカルヴァスが眉を寄せながらアールを見やった。
「行くのは海上だぜ。栗鼠の精霊であるお前が居てもどうにもならないと思うけど。前回だって役に立たなかったじゃねぇか」
アールは怒り出すことなく鼻で笑うと、ニヤリと笑った。
「かと言って、儂のように姿を保てるモノもそうおらん。そして姫に寄り添えるモノもな」
「……それじゃあ、ただのぬいぐる──」
「なんじゃ。まだ文句があるのか」
「……ねぇよ。判った。一緒に来るならそれでいい。剛勇なる森の戦士」
カルヴァスの言葉に、アールは胸を張り、得意そうにした。
その様子を見守っていたグランディウス王は、思わずといった風に笑うと、表情を引き締めた。
「では、エランでの変事は精霊隊に。あとは──」
そこで口を引き結び、眉間を押さえた。
「──レティシアのことだな」
シンと沈黙が落ちた。その中で、ヨンムが鏡の箱を閉じる音がカタンと響く。箱の表面をなぞってから、ヨンムが言った。
「僕が観測所に連れて行きますよ。元々は僕の隊への贈り物が切っ掛けだとか。僕とレティシア姉上は近くもなく遠くもない距離を保てていますし、僕の隊の者もそこまであの気質を気にしてませんから。建前としても十分でしょう。影の力を扱う者が、影の溢れ出そうとしている地に向かうのは。元々、近い内にそうする予定だったんだから」
難しい顔をしていたグランディウス王は、卓の上に手を組んだまま暫く考え込んでいたが、顔を上げヨンムを見た。
「そうだな。今はきっと、それがいい。このことは私からレティシアに伝えよう。観測所への移動の際は、クッザールも共に向かって欲しい」
「ええ。承知しました」
「職人の許へは私が行く。レティシアに関わる件には、現国王である私にも責任があるからな。──お前達は、それぞれの役目を果たすに務めてくれ」
皆はそれぞれ頷くと、王の間を出て行った。
カオルは職人への詫びの品の手配や、今後のことについての諸々の指示を終えると、執務室に戻った。自室に戻りたい所だったが、王となってから日課としていることがあった。
王の書。
執務室に設えた箱へと仕舞っていた王の書を取り出し、頁を捲る。
──何処か、新しい箇所は……。
王の書に読める箇所が増えるのは、それだけ王として認められたということ。空白の頁に、今王として必要なことが現れる。
勿論、王の書にばかり頼る訳ではない。
初代より書き込まれたあらゆることは、今を生きるカオル達にとってあまりにも古い価値観のものも存在している。それら全てを真に受ける訳にもいかない。
実際に起きていることを見て、聞き、そしてかつての王達の言葉を心に留めて判断する。
今は、フリドレードとの関係もひと段落つき、国内で頭を悩ませることはそう多くない。
王は一人で国を治める訳ではない。
出来の良い弟や妹、そして部下達を持てたことは幸いだった。
「……レティシア」
頭を悩ませる妹。父殺しという大罪を二分する形となった妹。元凶を作り出した──。
そこまで考えたカオルは、眉間に深い皺を寄せた。
──何も、アイツ一人の問題ではない。俺も気が付かなかった。
そこまでの憎しみを抱いていたのかと。悪しきモノに心を許してしまう程の想いを……。いや、違う。深淵の女王にもその想いはあったのだ。
『お前にも、この才はあったのに』
そう、深淵の女王はレティシアへと言った。
初代グランディウスの子であったモイーラ。強い憎しみを抱き続け、深淵の女王へと形を変えた。
古に何が起きたのか。王の書に未だそれは現れない。
──だが、モイーラという名は現れた。
そして、初代王であるグランディウスがこのことを予感していなかった筈はない。初代精霊姫であるマリーピアでさえ、いつかを予感し、心の臓を差し出したのだから。
王の書に、真の王として認められねばならない。
──真の王、か。
カオルは王の書を閉じ、箱に仕舞い込んだ。
「父上は、一体何処まで読めていたのだろうか」
それを知ることは、もう叶わない。




