第七話:願いの銀盤
アルデハイド、タナトスの同盟締結後八日目の昼下がりのことである。タナトス王国の中心に位置するゼアルの城の玉座の間に、国内の全ての彫刻家が集まっていた。ゼアルとしては二、三人くれば上々と思い声をかけるようダモクレスに言っていたつもりなのだが、ここはタナトス王国である。国民のゼアル王への忠誠は固く、声をかければ何を差し置いてでも喜んで参じるのが国民性である。
ゼアルにとってそれは嬉しい反面、少し焦る事柄でもあった。それはつまり、ゼアルが国民に対し、暇かと問えば暇である旨の答えしか返ってこないことの証明に他ならない。私生活を優先してほしいという彼の願いは民に届かないのである。
「まずは、全員よく集まってくれた。感謝する。」
とりあえず、とばかりにゼアルは気を取り直して言う。彼が骸骨でなければその表情に驚きが滲んだだろう。
「陛下のためなら!」
集まった彫刻家たちはまるでよく訓練された軍隊のように声を揃えて言う。それは彼らの忠誠心のなせる業である。その場の全員がゼアルへの忠誠に心を揃えていれば声も自然と揃うと言うものだ。
「まずはこれを見てもらいたい。」
玉座の間にはいつもより一つだけ家具が多い。巨大なテーブルが置いてあるのだ。そこにはあらかじめゼアルが作った魔法陣の描かれた地図が置いてあり、ゼアルは職人たちにそれを見にくるように言って自分もそのテーブルに着いたのだ。
「こ、これは!?」
「このような素晴らしいものを!?」
ゼアル同様テーブルに着き、その地図を眺めた彫刻家たちはそのあまりの美しさに息を飲んだ。たとえ、魔陣術を極めたものにもこれが魔法陣であることを看破できるものなどいないだろう。なぜならそれは、魔法陣と言うにはあまりに美しく、そして複雑すぎたのだ。これを魔陣術の達人に見せても、こんなものは成立しないと一笑に付すだろう。それほど、とてつもない魔法なのだ。そしてそれほど美しく仕上がってしまったのだ。
「諸君らには地図通りにこれを彫ってもらいたい。」
ゼアルがそう言うと彫刻家達は顔を見合わせた。こんな繊細な芸術を、その模様が針の先ほどずれただけで台無しになりそうなそれを掘るにはとてつもない実力と覚悟がいるのだ。だから、そうして職人達は覚悟を決める。そして、これまでゼアルに与えられた安寧の中でどれほど成長できたのか、その、成果をまるで親に見せ認めてもらうためにそれをやるような表情笑顔を浮かべて言った。
「お任せください! ここは我らの出番です!」
職人達はまるで配下のような礼をした。だが、頭を下げたせいで隠れた彼らの顔は皆一様に嬉しそうに笑っていた。彼らは敬愛すべき国王から頼られたのが嬉しいのだ。
「頼んだぞ。何かあればダモクレスに言え。答えるべき人間にとりついでくれる。奴はその点、とても頼りになる男だ。」
ゼアルは職人達を突き放したわけじゃない、この国でゼアル以上に国民を把握しているのはダモクレスなのだ。だからこそゼアルはダモクレスの名を挙げたのである。そして、それは職人たちの間では当たり前の認識である。ダモクレスは、それに優れていたからゼアルの副官となった、そして、無駄にゼアルの手を煩わせてはいけない。ならば誰に聞くか、当然その答えとして上がるのがダモクレスである。
「よし、手分けしてさっそく取り掛かるぞ!」
職人同士では時折このようなぶっきらぼうでありながらもどこか情にあふれる言葉が飛び交う。ゼアルはそれが気に入っている。それを知っている職人たちは、彼の前でもそれをやめない。
「応!」
一人が言いだし、ほかの全員が声をそろえてそういう。そして、意志が固まったのを確認すると言いだしっぺが職人たちを代表する。
「では陛下、我々はすぐに取り掛かります。」
心なしか、職人たちは今にも仕事に取り掛かりたいとうずうずしているように見えた。
「頼んだぞ。」
ゼアルは短いながらも満足げにそう言って頷いた。
職人たちの仕事はそれから一時間後に始まった。街中にノミを金槌でたたく小さな金属音が響き始める。ゼアルが書いた魔方陣つきの地図、その自分の担当する部分を拡大して写した地図をそれぞれが手に持って、端から順に書かれた通りの溝を掘っていく。額に脂汗を滲ませるほどに神経を研ぎ澄まし、それを行っていく。中でも一番神経を使う仕事しているのがその地図の中で王城に書き込まれた模様を担当している彫刻家だ。すべての魔方陣の基礎となるそこはもっとも緻密で手が込んでいる。特に屋上だ。屋上には刻まれる魔方陣とは遺失された魔法<オルフェウス>をさらにゼアルによって手を加えられたものである。
中央に大理石の杯を置き、そこに最後に銀の彫像をはめ込む。いわばそれは、魔方陣を描き出す塗料、流体真銀を生み出す装置である。流体真銀は王宮の屋上からあふれ出し細かな溝を伝い魔方陣を描き出すのだ。それを当然まだ誰も知らない。
「我が国の民は、勤勉に働いてくれる。本当に自慢の民だ。」
ゼアルは、自室に戻り、政務に励みながらダモクレスに自慢げに言う。
「本当で御座います。しかし、それはゼアル様の愛が故で御座います。」
と、今度はダモクレスが自慢げに目の前に本人がいるにもかかわらず国王自慢をする。
「ニワトリが先か、卵が先かよな。千年も前のこと、とうに忘れた。だが、すこぶる誇らしく思う。」
そんな談笑を二人で続けている。
しかし、そんなお互いにお互いを自慢しあう談笑の裏でもっと自慢すべき事柄が起こっているとは二人は知らなかった。
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「おい、何やってんだ?」
タナトスの広域に職人が散らばっているのだ、職人同士街中で出会うのは珍しくない。この時声をかけられたのは南のほうを担当する職人だった。
「あぁ、陛下の依頼でね。もっと街の景観を良くしようと思うんだ。」
声をかけたのは大工だった。その大工も街中では凄腕と言われている大工団の頭領で、彼らに頼めば一夜で家が建つとうわさされるほどの一団である。仕上がりも良く、素早く良いものを作るがゆえによく頼られる一団だ。
「面白そうじゃねぇか、ちょっと見せろ。」
そういうと彫刻家の持っていた地図をふんだくって、もう一枚紙を広げて何やら計算を始める。その紙は地面に置かれ凹凸の激しい場所で書かれているのに文字が汚いということは一切なかった。
「何をするつもりなんだ?」
この彫刻家と大工は仲が良かった。だから別段奪い返すこともなくそれを見ていた。
「ちょっとお前さんの仕事を楽にしてやろうとな。もういいぞ。」
そういわれて地図を返されて彫刻家は仕事を再開する。そして、ほんの少し掘り進めていると視界に黒い線が入る。それは恐るべき正確さでこれから掘るべき場所を示していた。大工たちは細かな彫刻の技術は持たない。だけど、図面は書き馴れていてその正確さは彫刻家以上である。逆に繊細なタッチで掘り進むのは彫刻家の領分である。こうして、まずは大工がその大仕事に加わった。
そして、それに気づいて彫刻家が顔を上げたとき大工はすでに居なかった。
その時、その大工は自分の大工団の仕事場にいたのだ。
「お前ら、国王様が面白いこと始めたぞ! 町中に彫刻家が居るから、そいつらの手伝いしてやれ。」
この大雑把な指示はこの大工団では当たり前のことだった。全員、自分のできることすべきことを把握しておりそれ以上の指示は意味を持たないからである。
「応!」
彼らは返事をして各地へ走っていく。そして瞬く間に道に下書きの線を引いて行った。
人数が増えれば目立つものである。一人の鍛冶師が図面を引いてる人間を見つける。
「何書いてるんだ?」
それを尋ねられたのは大工であった。
「ここをこれから掘る。あんな風にな!」
そう言って大工が指差したほうを見るとひとりの彫刻家が懸命に道を掘り進んでいる。これはしめたと思った鍛冶師は急いでノミを打った。石なんて固いものを掘っていればノミはいつか摩耗して使えなくなる。そうしたらノミが売れるだろうと思ってのことである。
こうして道具がそろい下書きができて、彫刻家たちは余計に仕事を早く進めることができるようになった。これまで書きながら掘っていく時とは段違いに速度が上がった。
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ゼアルはそれを見て驚いたのである。まさかこんなことになっていようとはと。それは、ダモクレスがゼアルの休憩中に、ゼアルの励みになると思って見せた光景であった。
「陛下、ご覧ください。人が人を呼び見る見るうちに仕上がってまいります。これも、陛下の人徳があればこそでございますね。」
ダモクレスはそう言って穏やかな笑顔を浮かべた。
「もう少し時がかかると思ったのだがな。これでは今日中に終わってしまうではないか。」
窓から見える範囲ではほとんどが完成してしまっている。ゼアルはこれを少しの間の国家事業として長期にわたる経済効果を副産物として期待していた。ゆえにそれはうれしくもあり、すこしゼアルを悩ませる種ともなった。
「もう少し、時をかけたかったのだがな……。」
ダモクレスはそれに首をかしげ尋ねた。
「それは、なぜでございましょう。」
ゼアルは、すこしだけ考えたのちに答えた。
「事業は雇用を生む。雇用は、金品の流れを生む。ここまで語れば、お前ならば理解できよう。」
ダモクレスも合点が行ったようで、ゼアルに尊敬のまなざしを向けその続きを語る。
「金品の流れは、物の流れ。物の流れは、需要の増大。つまりは陛下は景気向上を図っていらしたのですね。」
ゼアルは頷きながら答えた。
「左様、副産物としてそれを狙っていた。だが、あくまで副産物である。」
ダモクレスはもう一度首をひねった。
「では、主目的とは?」
すると、ゼアルはダモクレスに目を合わせた。それは、真剣な眼差しだった。
「たとえ、世界が変わっても付いて来てくれるか? 何があっても、遺志を継いでくれるか?」
ダモクレスは頷いた。
「もちろんでございます我が王。このわたくし、何があろうとこの国と、それを守る貴方様に忠誠を誓います。」
ゼアルはしばらく考えた。考えて、話し出した。
「これはな、我が願いの銀盤なのだ。これに連なる全ての魔法の、完成と共にこの肉体を失う。」
そういいながらゼアルは自分の手を見つめ握りしめた。握りしめて、まだ言葉を続けた。
「なに、死ぬのではない。形を失うが、ずっと民を、お前たちを守り続ける。その時は、お前が王になれ。お前にならば任せられる。」
ダモクレスは心の中で激怒した。それを、漏らさぬように強くこぶしを握り締め震える声で言った。
「お言葉ですが陛下。陛下はいつになったらご自分を許されるおつもりですか? 陛下は、千年も王を続けたのです。並みの事ではございません。お休みになりたいのなら、あなた様が永遠の安寧に身をゆだねることをだれもお停めしません。なれど、形を失い尚も我々を守り続ける義務などございません。それでは、死ぬことも出来なくなってしまうのですよ! 何れ訪れる安寧も、陛下の元には訪れず、あなたはいつしか忘れられてしまう。それを、わかっておっしゃっているのですか?」
ダモクレスにはわかっていた。ゼアルが何になろうとしているのか。それは、神と呼ぶのにふさわしいものである。しかし、それは神がこの世に姿を現すことの無いようにゼアルがこの世に姿を現せなくなるということだ。いつしか、すべてはゼアルを忘れてしまう。それでも、神は死ぬことを許されず永劫の果てに疲れ、それでも尚もあり続けなくてはならない。世界を調停する天秤として。いつか訪れる、自分を殺す誰かが来るまで。
――だからダモクレスは強がってしまった。――
「愛してしまったのだ。どうしようもないほどに。狂おしいほどに。この世界が好きだ、タナトスが好きだ。だから決めたのだ。これは、私の夢なのだ。」
ダモクレスは唇をかみしめて震えた。そして、静かな声で言った。
「ならば、わたくしもお供させてください。」
しかし、ゼアルはそれを強く否定した。
「ならぬ! お前が居なくては誰が民を導くのだ……?」
ダモクレスはそれに首を縦に振ることはできなかった。だから代わりに、小さくポツリとつぶやいた。
「時間を下さい……。」
ゼアルはそれにうなづきながらも一言付け加えた。
「他言は無用だぞ。」
ダモクレスはこの話が始まった時からそんなことはわかっていた。
「無論でございます。」
ダモクレスはすでに、ゼアルが話すか話すまいかと逡巡したその沈黙の間にその旨を見出していたのだ。
一人になった部屋の中で、すでに真っ赤になった太陽に光に照らされてゼアルは一人黄昏る。少しづつ、弱くなっていくその光は夜がもうすぐそこまで来ていることを告げていた。