三十四話:戦場へ
ロドスの領主との会談は、極めて順調に進みラディナは多額の報奨金を手にした。多くの精鋭の命を救ったのだ、報奨金の額は極めて高額だった。
その際、同時に屋敷に忍び込んだカロンは、噂の裏を取ることに成功していた。
噂とはこうだ『角を持った馬に跨る男装の騎士、それが勇者と呼ばれる存在である。』と。余談ではあるが、その噂は主に女性の間では少しゆがんだ形で広がっている。ラディナが美化されて伝えられているのだ。
娯楽に乏しい戦争の最前線に於いて、噂とは紛れもなく娯楽である。だからこそ、異常な速度で広がり、アトラスの耳にも伝わったのだ。
ラディナ達は、受け取った報奨金で物資を購入し、旅の支度を整えた。
暗雲が立ち込める、暗い空の下。旅立つに良い日和と言い難い天候ではあったが、ラディナ達は先を急いだ。
不運なことに、同時に警鐘が鳴り響く。魔族の襲来である。だが、それは好都合でもあった。今、ロドスには勇者という特級戦力が滞在している。
「いいかお前ら!? 俺たちは、勇者とその仲間を護衛し敵主力の眼前まで送り届ける! ヤバイと思ったら逃げろ、んで隙を見て街へ帰れ! 招集したのは俺のわがままだ、命張る必要はねぇ!」
アトラスが叫んだ。ラディナ達が旅支度をやめないのを見て、アトラスは部下の恩人に出来る限りのことをしたいと思ったのだ。
ラディナ達なら、魔族の主力の中央を食い破って進むことも容易いことは分かっていた。それでも、アトラスにとってラディナは部下の命の恩人なのだ。
「黙って行かせたとあっちゃ武人の名折れよ!!」
兵士のうち、一人が叫んだ。
周りの兵士たちも、そこに共鳴するかのように頷く。
ここにいる全員の気持ちは同じだった。隣にいる人間は、仲間であり、家族である。だからこそ、仲間の恩人は自分の恩人だと考えている。むしろ、よくぞ呼んでくれたと思っているのだ。
「っつたく、誰に似たのやら……。」
アトラスはそうつぶやいて面倒臭そうに、頭を掻いた。
「君に似たんじゃないかな?」
ラディナはアトラスをからかった。つぶやくように、独り言のようであり、しかししっかりとアトラスにその声は届いたのだろう。アトラスは、深いため息を吐いてから叫んだ。
「てめえら行くぞ!」
その掛け声とともに城門は開かれ、兵士たちは各々雄叫びをあげながら突き進んでいく。兵士たちは盾と盾を重ね、ひとつの巨大な城壁が全速力で戦場を駆けていく。一緒になってラディナたちは馬を走らせた。
遥か遠く、地平線の先から轟音と咆哮が聞こえる。戦いに猛る魔族たちの性、故の咆哮。
魔族たちの足は人間のそれよりもはるかに早い。それぞれがそれぞれ、一つの力に特化してそれらが集まって一つの文化を作っている。それが魔族なのだ。故に、人がバカ正直に挑んだところで魔族には敵わない。適うはずもないのだ。
だが人間は、知恵を磨いた。戦においては戦術を、戦法を磨き、暮らしにおいて文化を磨いた。人間も魔族と何も変わらないのだ。
「ならば何故、ゼアルは……魔王は人と魔族とでこの地を分けたのだろうな……。」
ラディナは戦いの咆哮にかき消されてしまうような小さな声でそうつぶやいた。
やがて、ロドスの兵と魔族の兵が前線で衝突した。猛り狂う獣の猛攻を、人が重なりあい作った盾の城壁が押しとどめる。
「気張れ! 負けんじゃねえぞ!」
戦闘で、盾の城壁の前に立ち幾多の魔族を瞬く間に屠り、返り血の戦化粧を施されたアトラスが叫ぶ。
「おおおぉぉぉぉ!!」
巨大な、天地を揺るがす大声が戦場にこだまする。一つ一つの声は小さく、しかし、重なり合った大きな声。それは魔族たちの方向を易々と跳ね除ける戦いそのものの咆哮となった。一つ一つ、小さいがゆえに一つでなく、弱いがゆえに弱さを背負い合う。人間の、在り方を示すような咆哮だ。
盾の城壁は、魔族の突進を受けて無理矢理に前へ、前へと進む。
それはやがて城門を開くように、左右に分かれて誰もいない空白の空間を作り出す。
「行くぞカロン! 続け!」
ラディナは叫んだ。ロドスの気のいい兵士たちのお節介を無駄にしたくなかったから。ほんの少しだけ、一瞬通り過ぎただけの街、だけどそこには確かに思い出を残してきた。アトラスも、ほかの兵士たちも、願わくばずっと元気でと願いながら一瞬たりとも振り返らずソレルを走らせた。
「遅れない……。」
カロンはそれにぴったりと追走した。ひとりでも多く、できれば誰も死なずもう一度会えることを願いながら。
二人は、馬を走らせて盾の城壁が途切れるところまで来た。最前線だ、アトラスが割り開き、兵たちが守った道の先。その道こそが、魔族と人間を分かつ境界戦線を超えるための唯一の橋のようにすら感じた。
「行けよ、勇者様。振り向くな、んで、お前の目で魔王を見てこい……。」
すれ違うその瞬間、アトラスは確かにそう言った。ラディナにだけ届ける、小さな声で。
ラディナは何も言わず、だが確かに頷く。遠ざかっていくラディナの背中はアトラスには「待っていろ」と語っているようにすら見えた。
「全く、頼もしい背中だぜ……。」
誰よりも強く、疾く、大きな背中にアトラスは小さく敗北感をこぼす。
だが、ひとつだけ息を吐くと大剣を背中に担ぎ直し自分に喝を入れてあらん限りの大声で叫んだ。
「撤収だ! 義理は果たした、生きて帰ってカーチャンの晩御飯を食うぞ畜生ども!!」
その時には既に、アトラスは勝ち誇った指揮官の顔をしていた。誰ひとり、欠けることなく恩人たちを無事送り届けることができたのだ。
願わくば、そこが死地でないことを祈りながら、踵を返しドロスへ向かって駆けていく。
「カーチャンの飯! 隊長の酒!」
などと思い思いの咆哮を上げながら各々、陣形を維持し兵士たちはロドスへと帰っていくのだ。
その声が聞こえて、ラディナは笑っていた。
「緊張感のない人たちだ、全く変な人たちだ。」
嬉しさが半分、懐かしさが半分、そんな笑いだった。そして、ラディナは馬を走らせながら一人第三騎士団を想起するのだった。
だが、懐かしさに浸るのは束の間のことだった。不意にソレルが悲鳴を上げた。それでもなおも、ソレルは歩みを止めない。むしろ、走って走って、前へ前へと進んだ。
「ダメだ止まれ!」
ラディナのとってそれは一種のトラウマだった。ラディナは似た死に方をした人間を知っている。ラディナが生まれた国の王、アフロディーテは的に胸を貫かれながらも悲鳴の一つも上げず、何も言わず死んでいったのだ。「言えば、止まってしまうから」と。
「ダメだ、止まれ……止まってくれ……。」
ラディナは轡を強く握り締めた。だが、ソレルはいうことを聞かず走った。
ラディナには、ソレルのその目が見えないのだ。「死んでなんかやるものか、俺は勇者の愛馬だ」と誇らしく、すこしにやけたようなその顔が。
ソレルが悲鳴をあげたのは、尻に矢が突き刺さったからだった。それも、毒矢だ。だというのに、ソレルはそれを意にも介さない。
「あそこを目指そう、身を隠しやすい……。」
カロンは不意に、ラディナに言ったのかソレルに言ったのかもわからないそんな言葉を投げかけた。
「わかった、ソレルせめて向こうだ。手当をさせてくれ。」
ソレルはラディナに言われるまでもなく頷いてそっちの方向へと走っていた。だが、ラディナに心配させまいと嘶いて見せてそっちへと向かっていく。
カロンが指さしたのは森だった、鬱蒼と生い茂り、枝葉はまるで屋根のようで。暗く深い闇があたりを包んでいる。視界すらおぼつかないそこは、急いで隠れるには絶好の場所だった。深い闇の帳が、隠れ潜むものを覆い隠してくれるから。
ラディナたちは急いでその森へ入った。
急いで森へ入ると、小さな明かりを灯してソレルを見やる。
「毒矢じゃないか!!??」
ラディナはソレルに刺さったそれを見つけて怒ったような、慌てたような声を上げた。
その矢の矢尻よりすこし奥には布が巻かれ、それは毒に長時間漬け込まれ完全に変色している。更に、その矢の矢尻には溝が掘られそこに細い糸が通っている。
「暗殺によく使われる毒染めの矢……何故生きている?」
その矢に使われる毒は、総じて殺傷能力が高く量も多い。射られた者を確実に死に至らしめるための矢である。カロンはそれを知っていた。だからこそ、ソレルが今生きているのが不思議で仕方がないのだ。
「わからない、でも引き抜こう。」
ラディナは、手当てのために矢を引き抜くことを決意する。すると、それるは近くにあった太い枝を折って咥えた。
そして、やってくれと言わんばかりに二人を交互に見るのだった。
「行くぞ、1、2の3!」
掛け声とともに毒矢は無事に引き抜かれた。ソレルは僅かに悲鳴を漏らしたものの、特に暴れるでもなく枝を食いしばってそれを耐えたのだ。
「よく耐えた……えらい……。」
カロンが、それるのたてがみをそっとなでてなだめているとラディナが素っ頓狂な声を上げた。
「ちょっとまって、傷は一体どこだ?」
ラディナは今さっき矢を抜いた近辺を撫で回しながら傷を探していた。だが、どこにも見つからなかったのだ。
「ちょっと見る……。」
カロンはそう言って、矢の刺さっていたあたりを撫で回す。
「どうだ?」
ラディナは心配そうに覗き込んだが、カロンもまた不審げな声を上げたのだった。
「治ってる……?」
そんなはずはないと、カロンはその傷跡を何度も何度も触って確かめている。
「あるいは、”神様”からの贈り物かもしれないな。」
ラディナは治っているという現象に心当たりがあった。エイレーネーが持っていたとある秘宝、それを触媒に降らせた雨が傷を治し蘇らせたのを覚えていた。
だから、それをソレルの体にゼアルが仕込んだのだと思ったのである。