第三十三話:戦う理由
門をくぐるとそこには、戦争中であるということが嘘のように、日々の生活を送る街があった。立ち並ぶ、幾多の建物、空に向かって伸びる煙の柱。風は、まるで薬物のような泥炭が燃える匂いを孕んで、建物の隙間を疾く駆ける。
カン、カン、カンと鉄を打つ音が小気味良く木霊する。この街が、いつもと違うのはそれに混じって大砲の砲弾が打ち出される爆音が混じることくらいだろう。
「ようこそ、人間の街の端っこ、境界都市ロドスへ。今は戦時中だが、この壁の中はこのとおり、至っていつもどおりだ。なにせ、この街が戦時中じゃない日なんてそうそうはない。」
アトラスはめんどくさそうに頭をかきむしると、両手を広げて歓迎を体で表す。
境界都市は、戦争をするための街だ。その街の機能の全てを、戦争のために捧げている。街には製鉄所や、鍛冶場が多く、そのほとんどが戦争の道具を作る場所だ。剣や鎧、大砲やその弾を作る場所である。故に、その街の機能を止めるわけにはいかない。だからこそ、戦時中であろうとも日常が続くのである。
「本当に戦時中か、疑いたくなるよ……。」
ラディナは、呆れた様子で物を言う。当然だろう、誰も彼もがまるで日常を送るような顔をして過ぎ去っていくのだ。
そんな話をしていると、馬を二匹連れた男が歩いてくるのが見えた。その男は、ラディナたちに手を振りながら近づいてくる。
「おーい! 預かってた馬だ! てか、こっちのツノ持ちは本当に馬か?」
男は不満そうだった。それもそうだろう、ラディナの馬、ソレルは人間くさい性格である。それも、傲慢な人間によく似ている。男にとっては嫌な奴のポジションをあっという間に確保してしまったのだろう。
「済まないな、捨てた荷の代わりになるかわからないが、心ばかりのお礼だ、取っておいてくれ。」
ラディナは数枚の金貨を取り出すと男に渡した。その時のラディナの表情は、半ば苦笑いでもしているかのようであった。
「ありがとう……。」
続いて、ぶっきらぼうにカロンが言う。
「こっちこそ、思わぬ儲け話で助かったぜ。ありがとうよ……。」
男はそう言い、渡された金貨を受け取ると馬の轡を二人に返した。
彼は鉄の材料を運ぶだけ、故に稼ぎも多くはなく、生活は困窮していたのだ。彼がこの時受け取った代金は、彼の運んだ泥炭よりも多額だった。
「よし、二人共俺についてきてくれ! ちょっと渡したいものがあるんだ。」
アトラスはそう言って歩き出す。
「それはいいけど、どこに行くのか教えてはくれないだろうか?」
ラディナはそれに対して少しだけ懐疑的である。最も、ラディナとカロン二人の技量があればいかなる場所であれ恐るに値しない。彼女を止めることができるとすれば、それは万全のゼアルのみである。だからこそ、彼女が勇者なのだ。
「領主のところだよ、金をゆすろうぜ。なんたって、部下の命の恩人だ、損をさせたら俺は赤っ恥だ。」
妙なリズムを刻みながら、アトラスは上機嫌に言い放った。
それもそのはずである、アトラスの部下は誰ひとり死んでいない。今回の敵戦力は過去の侵攻より大きかった。だから、アトラスは死者を覚悟していた。だが、それはラディナというイレギュラーによって発生しなかったのだ。上機嫌にもなる。
「わかった付いていくよ。」
ラディナは、アトラスの後ろを歩いた。
領主の館へ続く道、その道中には様々な店がある。店先に炉をを構えた鍛冶屋に、ワイナリーと見紛う革細工屋。勿論、本物のワイナリーも存在する。戦時下において酒は貴重な資源である。戦力向上に役立つのだ。
革細工屋がまるでワイナリーのようなのは、革をなめすためだ。なめす工程で、革を専用の薬液に漬け込み、丈夫に、そして柔軟に仕上げる。
「賑わっているのだな。」
ラディナはその街の様子を見て思わず呟いた。戦争の最前線、この街が見せるのはそんな悲惨さではなく職工が栄えた良い街という印象だ。
「戦争のおかげさ、そのおかげで俺らは食いっぱぐれることはない。そのおかげで、このクソったれな職場は無くならない。」
だが、答えるアトラスの表情は暗く深い影を落としていた。
街の中は、ずっと職人たちが槌を振るい、金属を打つ音が鳴り響いて、焼けた鉄の匂いが立ち込める。それは、まるで街が生きている証、街の心音のようであった。
「戦争は嫌いか……?」
カロンは不思議そうに尋ねた。自分には、農業ができなかったから、殺すことしかできなかったから。だから、戦に身を置く今の方が彼にとっては性に合っている。
「大嫌いだな。俺は戦争も、人死にもクソくらえって思ってる。魔族だって、何人何百人と殺してきた。中にはきっと、俺みたいなやつもいたはずだ。知ってるか? 奴ら、言葉を話すんだぜ。死ぬとき、まだ死にたくねぇって言ったり、絶望した目をしたり。そんな奴を何人も何百人も殺してきた。だから、俺はこの街が嫌いだ。」
深い、深い悲痛に彩られた目をしていた。悲しくて、今にも泣き出しそうな。だけどアトラスはそれを瞳の奥に隠して獰猛な笑みで上塗りしていく。
元来、アトラスは優しい人間なのだ。だというのに、長い長い戦争に身を置いて磨り減って摩耗した心を、騙してまた剣を持つ。そんなことをどれほど続けてきたのだろうか、獰猛な笑みには、深い憎しみがにじみ出ていた。
「知っている。魔族だって人と変わらないことを……。」
ラディナの心には思い出があった。タナトスで暮らした思い出が。理想の街、それは紛れもなく魔族たちが作ったものだった。そして、タナトスの王に、魔族の王に憧憬すた抱いたのだ。思えば、その時から随分と遠く歩いてきたものだとラディナは目を細める。
「……俺はな、魔王が悪いとも、魔族が悪いとも思ってねぇ。王っていうのは、自分ひとりの感情で動けないものだ。だからきっと、仕方のない理由があったと思うんだ。だが、魔王への恨みは大きくなって、今ではそれが戦う理由になってる。まるで怨嗟だ、こんなの地獄と変わらねぇ。だから頼む、あんたは勇者だろ?」
ラディナはアトラスが勇者と口にした瞬間に、半歩引いて剣に手をかけた。
だが、あくまで警戒がバレないように、自然な動作で、剣にかけた手も無造作に。
だが、アトラスにはそれがバレていた。当然だ、アトラスだってラディナには及ばないものの達人と言って差し支えない。一瞬だけ、ラディナから漏れ出した鋭い殺気を見逃さなかったのだ。
「ま、待て。男装に、一本角の馬ときたら勇者だ。噂で聞いたんだよ……。」
アトラスは必死だった。剣を喉元に突きつけられている気分だった。
当たり前だ、戦ったとして万に一つ勝ち目がないことをわかっている。ラディナがその気になれば剣ごと、自分を切り裂くであろうこともわかっている。なにより、ほんの一瞬漏らした殺気が鋭すぎた。アトラスは、それに首をはねられたとすら感じたのだ。
「なんだ、脅かさないで欲しいな。罠かと思ったじゃないか……。」
その情報を、能動的に仕入れたとしたら敵の可能性が半分、味方の可能性が半分だ。だが、受動的なのであれば敵の可能性はそれよりずっと低くなる。だから、ラディナは構えを解いた。なにより自分より優秀な不意打ちの刃がアトラスの首を既に捉えているから。
「敵対するなら……いつでも殺せる……。」
一瞬の殺気すら見逃さないアトラスの感覚の隙間を縫ってカロンの刃はアトラスの首元に突きつけられているのだ。しかも、それをアトラスは今気づいたのだ。アトラスの額に冷や汗が滲む。
「敵対は、命知らずなのがよくわかった。だからナイフをどけてくれないか? 正直すごい怖ぇ……。」
ラディナと違い、カロンは生来の暗殺者だ。だからこそ、不意打ちに関してはラディナより一日の長がある。また、森での探索技術を習得した彼は今や至高の狩人と呼べるだろう。
「カロン、少し裏を取って欲しい。」
ここは、前線の街だ。魔族の密偵が入り込んでいる可能性も、否めない。だからラディナは警戒を怠らない。だが、裏を取れたのであれば、アトラスは晴れて味方になる。
「わかった、裏を取りながら影からついていく……。」
加えて、市街地というこの地形もカロンに味方する。遮蔽物が多く、隠れる場所が豊富なのだ。
「すげぇな……。正直、驚いたぜ……。」
アトラスは、二人が自分のかなう相手でないとわかっていた。だが、その実力は想像していたよりも高いと実感したのだ。未だ、喉元に刃を突きつけられている気分なのである。
「お褒めに預かり光栄だ。疑って済まないな。」
ラディナは、剣から手を引いて道案内を続けるように促す。
「お互い様だ、疑わせるようなことを言ったのは俺だ。前置きするべきだった。……っと、さっきの話の続きだ。頼む、魔王を殺してくれ、人間はもう引き返せないところまできちまっている……。」
アトラスは、うなづいて歩きながら話を再開した。
領主の館はもう、目と鼻の先だ。
おそらく、カロンは先に忍び込んでいる。そして、噂や情報の調査を行っているだろう。ラディナにとっても、恐ろしい程優秀な暗殺者、それがカロンだ。