第三十一話:境界の街
ゴブリンの集落を殲滅した街から数キロ南東に向かったところにその街は存在した。境界の街ロドスと書かれた看板が街に入らんとするものを誘うが、それを街と呼ぶのは憚られた。
堅牢にして、強固な石造りの壁が、巨大な鉄門が、あるいは一列に並んだ巨大なバリスタが鎮座している。街というより詳細だ。周囲を囲う壁は、星型をしておりその頂点ごとに見張り台が設置されていて、そこには見張りの兵士が常駐している。
鉄の匂い。戦に明け暮れて、血の匂いばかり嗅いでいたラディナたちには少し新鮮にすら思えた。
あるいは、それに混じって泥炭、ピートの焼ける匂いが漂ってくる。泥炭とは植物などが不完全に発酵し、炭化したものであり燃料として使うことができる。それを焼成する際は、薬品によく似ているが独特な匂いを放つのだ。それは湿地帯に多く、湖沼鉄が含まれることがある。おそらく、ピートが鉄の原料なのだろう。もともと、炭素の塊である泥炭に鉄が含まれる場合、精錬して取り出すと鋼になるのだ。
鉄門の前には長蛇の列が出来ており、ラディナたちのすぐ前に荷車を引く男がいた。
「見かけない顔だな、ロドスは初めてか?」
男はラディナたちを見て何かを考え込むように言った。ラディナは、この男は自分たちがどんな目的でこの街に来たのか疑問に思っているだろうことを察した。この街には観光に向くところなどない、戦いのためだけにどこまでも特化した要塞だ。
「初めてだよ。これから、魔族領に行くつもりだ。もちろん、アルデハイドのためにね!」
ラディナは、意図して誤解を招いた。アルデハイド王国は、人間の国は魔族と戦争中である。だから、こう言えば新しい志願兵であると思わせることができるのだ。この街は、警戒心が強そうだ。だとするのなら、なんの後ろ盾もなく勇者だと語るのはいらぬ疑念を招くだろうと思ってのことだ。
その時、いくつかの炸裂音と法螺貝の音が鳴り響いた。空を見上げるとそこにいくつもの煙が立ち上り、魔法による爆発までもいくつか見える。
「これは、一体!?」
ラディナは驚いて、辺りを注視する。
「魔族の侵攻だよ、すぐ兵士が集まる。急いで検問を済ませて街の中に入れることを祈るんだ。よっぽど運が悪くなければ、生き残れるさ。」
男はそう言って笑って、荷車を脇に寄せた。その際、脇に寄せた荷車が倒れ、その中身が地面に散乱する。その中身は、泥炭だった。
「捨ててしまうのか?」
ラディナは聞いた。緊急時だから仕方のないことだとは思っても、それを容認するのは難しい。
「中身を見たりと、時間がかかるんでね。荷車は安い、捨ててしまうのが吉だ。」
そんな会話をしていると、その間に何人もの兵士が検問を待つ行列を守るように布陣する。
「検問が終わるまで我々がお守りします。そのうちにどうか!」
兵士たちは言った。街の中に人を収め自分たちもすぐに撤退するつもりだろう。ロドスの要塞は強固であり、同時に幾多の防衛機構を備えている。それを利用しないのは愚策だ、だから急いで街に人を収めたいのがこの兵士たちである。
「馬を頼めないか? 僕と、連れの分。腕には覚えがあるんでね、少しばかり、時間稼ぎをしてくるよ。」
ラディナはそう言って、男に馬の轡を押し付けた。ソレルは、馬ながら生意気に男を見据えると、ふてくされたように目をそらした。
「わ、分かった。だけど、取りに来いよ、この馬か? よくわかんねーけど、てなずけられる気がしねぇ!」
男はラディナの腰の横、剣を注視していた。業物、そう呼ぶにふさわしいその剣は、ラディナが戦いに赴くに十分な装備であると主張しているのだ。
「もちろん、取りに行くさ。それまで、この男の言うことを聞くんだぞ。あと、明日には僕のもとに帰って来い。」
ラディナはソレルの鼻頭を撫でながら優しい声で言いつけた。ソレルはそれに、嬉しそうに目を細めると、軽く一つ鳴き声を上げ、また男を見やって馬鹿にしたように目をそらした。
「血の匂いがする……そろそろくる……。」
カロンが急に声を上げた。カロンは暗殺者としても、追跡者としても、狩人としても一流だ。そのカロンがいうからには敵は、もうすぐ姿を現すのだろう。そう思い、ラディナは剣を抜いた。
青白い光が、周囲に溢れ、光の紋様が浮かび上がる。業物と呼ぶことすらおこがましい、それは、魔剣である。最高の魔術師によって、最強の魔法を施された最良の魔剣だ。
「すごい剣だ……。」
男は熱にうかされたかのように、どこか虚ろな、あるいは見惚れたかのような声で呟いた。ラディナはそれに、微笑みを返すと兵士たちの隊列に歩み寄る。
「協力させて欲しい、これでも腕に覚えがあるからね。」
兵士たちは、声をかけてきたラディナの剣を見て息を飲んだ。強い魔法の力を帯びて青白く光るそれは、美しくすら見えた。
「それはダメだ、我々のやり方があるのだ。」
だが、兵士たちはそれを受け入れることはできない。なぜなら、これまで街の人間たちを守ってきたやり方があるのだ。その作戦を、万に一つも違えるわけにはいかない。違えて、死者を出せばそれは彼らの責任になるからだ。
「それは残念だ……。」
やがて、大地を埋める程の魔族の軍勢は地平の彼方から姿を現した。幾千、幾万、それでもまだ足りない幾百万の巨大な軍勢だ。だが、人間たちも負けてはいない、同等、あるいはそれ以上の数の軍勢がロドスの砦を守らんとしている。