第三十話:ゴブリン
即興であるが故に、ラディナ達の作戦は非常にシンプルなものだ。まず、ラディナが中央に突撃し、できるだけゴブリンの注目を集める。
少し、遅れてカロンが集落に潜入し後方からゴブリンを殺す。
この二つである。シンプルではあるが、それは非常に有効なものだ。ゴブリンは人間より弱く頭も悪い。たとえ、百を超える軍勢に囲まれようとラディナなら対処は容易であるし、別に彼女一人で殲滅することも可能だ。
つまり、カロンは遊撃である。遊撃しつつ、逃げようとするゴブリンをできるだけ殺す。それがカロンの役割である。とはいえ、二人で殲滅するのが無茶なのは二人共理解していた。重要なのはゴブリンに人間の恐怖を刻み込むことだ。できるだけ笑おう、かつてゴルダだった時のゴブリンがそうしたように私も笑いながら殺そうとラディナは昏い覚悟を決めた。
ラディナは、立ち上がりただ悠然と歩いた。何も、気負うことなく一歩ごとにくさを踏みしめる音を響かせながら。その顔に、嗜虐的な笑みを浮かべながら。
風に煽られ、視界を遮る髪を彼女は気にかけない。かける必要がないのだ。ラディナは、ゴブリンを敵とすら認識していない。
「ゲギャ! ゲギャ!」
ゴブリン達は、その下卑た声で言う。侵入者だ、敵だ、餌だ、と。ゴルダは、ただ退化していたのだ。ゴブリンとなり、改変後の世界をさまようことで、考える力の全てを失っていた。それは、呪いが故かあるいは、怠惰の代償か。
「ゲギャー!」
ゴブリンのうち一体が荒削りの棍棒を振りかぶって飛びかかる。
だが、ラディナはゴブリンの放物線運動の起動に交差するように、剣で撫でた。無造作に、まるでただ何かを振り払うかのように。
それだけで、ゴブリンは首を、それも気管だけを切り裂かれ呼吸だけができなくなる。死ぬほどの血を流せず、意識を手放すことができず、徐々に窒息して死に至るのだ。
苦しみ、もがき続ける。それでも、尚も声すら出せないゴブリンは他のゴブリンにも恐怖と衝撃を与える。
つい、先程まで捕食者として血肉、を食らっていた自分たちが獲物になった瞬間である。食事を共にしていた、仲間が、今や自分の血肉で大地を濡らしているのだ。
ゴブリン達は一抹の恐怖を覚えた。たかが、人間の女一人に。だが、それも無理からぬこと。自分たちの、仲間を盟友を一刀の元に切り捨てたのだ。
そんな女に、それを仇と、命を投げ捨て斬りかかってゆくようであれば、彼らはあるいはゴブリンに成らずに済んだだろう。
だからこそ、混乱してゴブリン達は死へと自ら足を運ぶ。
「ゲギャ! グーギャ!」
退路がどこにもないことを、彼らはまだ知らない。故に、逃げろ逃げろと叫ぶ。だが、そこには現存する最高の暗殺者が潜んでいる。
風をかき分ける音が鳴り響き、遅れて金属が微かに震える残響が鳴り響く。それにすらも遅れて、白銀の光線が走り抜け血しぶきが吹き上がる。
人肌の温もりを残す鮮血の飛沫は、空中で気化し、むせ返りそうなほどの鉄の匂いをばらまく。ボトリ、ボトリと音がして、ゴブリン達の首や、切断された顔の半分、脳症が地面を彩っていく。死の極彩色である。それは、仄かにまだ暖かく風に生ぬるい、心地の悪い、温度を与えていく。
退路までも塞がれたゴブリン達は、恐慌に陥り、前へ後ろへ、あるいは左右へと無秩序に走り出す。左右に走り出したものは、自ら集落を囲うために作った防壁に遮られ。後ろへと走り出したものは、逃げるつもりで、死地に足を踏み込む。
ゴブリン達は恐怖した。恐慌の中で、目の前で剣をただ、だらりと垂れ下げるように剣を持つ女の瞳を畏怖した。錯覚である、その瞳から放たれた殺気が草を撫で、極寒の突風のように吹き荒れる。全身が震えだし、ここにいてはいけないと本能が告げる。
騒然としたゴブリンの集落の中、徐々に血の匂いは立ち込めるようにその濃さを増して行く。それは軍人であり、血の匂いには慣れているはずのラディナやカロンですら吐き気を催すほどである。
やがて、ゴブリン達の声も徐々に小さくなってゆく。声を上げる事が出来る者が減ったのだ。
「生存者を探そう。」
ラディナはゴブリンが粗方片付いたのを見計らいラディナは言った。ゴブリンの殲滅は二人では極めて難しい。ならば、人命を優先するのも、当然である。
「わかった……。」
どこからともなく姿を現したカロンは、うなづいて懸命に生存者の痕跡を探し始める。ゴブリン達が建てた粗末な小屋の中、あるいは、きっと牢獄であろう木の格子の中まで隅々を。
だが、見つかるわけもないだ。そもそも、この惨状である。連れ去られた人間は、腹を食い破られ口から血を流して死んでいる。生きたままだったのだ。生きたまま、ゴブリン共に食い荒らされて死んでいるのだ。残虐で、非道なその行いに吐き気すら催す。たとえ、人が生きていたとして、そんな惨状を目の当たりにして正気でいられるわけがない。死んでしまったほうがましだとすら断言できる。
無残にも、腹を食い破られているのは遺体だ。それが、たとえどんな惨状だったとしてもそれには遺族がいる。だとするのなら、持ち帰って弔ってやりたい。ラディナはそう思った。
「生存者は居ないか……せめて、彼だけでも連れて帰ろう……。」
ラディナは、遺体を指差して言った。
「手伝う……。」
静かになった、森の中。死を悼む、静かな響きを孕んだふたりの声が亡き者の魂を慰めるように微かに響いた。
――――――――――
ラディナ達は街に戻ると、そこには町長と思われる老齢の男が待っていた。
「あぁ、よくお帰りくださいました……。」
町長は言った。悲しみの風が吹き荒れる中、服がはためくのを無視して頭を下げながら。
「すまない、誰も助けられなかった……。」
そう言いながら、唯一回収できた男の亡骸をラディナは町長に差し出した。
唇を噛み締め、静かな怒りを孕んだ声でを僅かに震わせながら。
「いいえ、彼はきっと幸福でございます。この町には空の墓が多くございます、墓に収まりその身の一部だけでも静かに眠れるのですから。」
そう言い、町長が視線を向けた先には墓石が並んでいた。その間隔は、棺を並べるには狭すぎる。死体が入っていないのだろう、ラディナはそう考えた。
「そうか、それほどまでに……。」
強く握り締めたラディナの拳に血が滲む。復讐を果たしていたなら、あるいは違った未来があったのかもしれない。アルデハイドが、ゴルダに打ち勝つことができたならこの被害は出なかったかもしれない。ならば、もう少し早く帰ることが出来ていたら。渦巻く胸中で、いくつもの可能性がよぎっては否定される。
「あなたも、ありがとうございます。お二人で、大変でございましたでしょう。」
町長は、カロンにも礼を言った。嬉しそうな笑顔を浮かべながら、それでいてどことなく寂しげに。
「ラディナがやりたがった……。」
惚れた弱みもある、ラディナを心配したという理由もある。だが、ゴブリンを殺したのはカロン自身の殺意だ。目の前で、人が惨殺され挙句食われている。それを、カロンは許せなかったのだ。殺してから食べればいい、真っ先に急所に噛み付いてやればいい。なのにもかかわらず、彼らはまるで拷問のように生きたまま食い殺したのだ。
「ええ、それでもお礼が言いたかったのです……。」
そう言って、柔らかに微笑むと言葉を一旦区切って町長はラディナに向き直った。
「ゴブリン共が、この街を襲い始めたのは少し前のことになります。最初の襲撃以降、男を集めなんとか被害の浅いうちに撃退して参りました。最初に、襲われたものなどもう生きてはおりますまい……。」
最初の襲撃では女も連れされた。女は、ゴブリンに捕まれば苗床として生きながらえる。だが、何れ壊れて子を成せなくなれば餌へと変わる。女に対してゴブリンが与える苦痛は想像を絶する。故に、町長は男に守らせた、男たちもそれを受け入れた。死ぬことも視野に入れながら。
「もう少し早く、来てやれればよかったんだが……。」
ラディナの瞳はどこまでも深く暗く濁っていく。
「いいえ、おかげでこの町は滅亡を免れたのです。本当に感謝しています。約束の馬は、最初にあなた方に依頼をした若者に持たせました。どうぞ連れて行ってください。」
町長は、ラディナたちに悲しんでもらいたくなかったのだ。できれば、笑って欲しかった。街を救った英雄に、少しでも恩を返したかった。
それでも尚、死んだ人間に思いを馳せ、強欲にその全てを救おうとするラディナの姿は町長の目に英雄として、勇者として焼きついた。
「感謝する。馬の代金だ、復興に使ってくれ。」
ラディナはただ、そう告げて、金を渡すと町長に背中を向けて歩きだした。ラディナは、その金を押し付けるつもりなのだ。少しでも多くの人を救うために。だが、村長は金を返そうとするだろう。返される前に、立ち去ってしまおうと、そう思ったのだ。
カロンもそれに続く。ラディナが考えそうなことが、手に取るように分かった。それに「きっと、本当にラディナは自分の戦友で自分は本当に騎士だったのだ」という実感を得ながら。
夕暮れの町外れの道、僅かな風に舞う木の葉をかき乱し、馬に乗って駆ける影二つ。




