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魔王と勇者のプレリュード  作者: 薤露_蒿里
第三章 黎明
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第二十八話:焚火

 パチパチと燃え盛る薪が音を立てる。僅かな風に、仄かに揺れて、タールの匂いを運んでくる。夜の闇を切り裂いて微かな温もりを孕んだ光が、辺りを照らし出す。


 夜の帳が降りた森の外れに、それでも木々の歌声は木霊して。


「ここでよかったかい?」


 本来であればこんなところで野営するのは良くないだろう、道のそば、それもできれば一通りの多い場所が好ましい。獣に襲われないためだ。


「草食獣の痕跡が多い……ここなら襲われない……」


 草食獣の痕跡が多いということは、肉食獣が少ないということだ。草食獣は肉食獣に比べ臆病で、変わった場所には近づこうとしない。猟師と共に森で狩りをした経験から、周辺の動物の種類は大雑把ではあるが把握できる。


 それだけではない、カロンはどの草が食べられるのか、どの草に毒があるのか、それを熟知している。カロンは食料までも調達していたのだ。


「すごいな、カロン。そんなこともわかるのか!」


 ラディナが言うと、カロンは少し照れたように目をそらす。


 ラディナは少しだけ、回想をした。カロンと共に戦場を駆けたこと、第三騎士団で共に笑いあったこと。カロンは何も覚えてないが、ラディナにとってはそれがひどく懐かしい。


「長く付き合ってきたつもりなのに、知らないことがたくさんだ。」


 思い返してみれば、思い返すほど、思い出の中と目の前の違いがわかる。ラディナはカロンのことを知っているつもりで知っていない、それを思うとなんとなく感慨深いような気分になった。


「古い知り合い……だけど……知り合ったばかり。」


 カロンはラディナが自分を知っていることも認めていた。そうでなくては説明がつかないことが山ほどあるのだ。だから、本当に古い知り合いなのだと認めていた。それはまるで、幼い頃の知り合いのような感覚だ。当時のことなど、幼すぎて覚えていない。それに、よく似た感覚である。


「随分、饒舌になったんじゃないか?」


 ラディナは、石の上で片膝を抱えながら愉快そうな声で問いかけた。


 カロンのセリフにしては気の利いたセリフだ。全部忘れてしまったから、カロンは自己紹介からやり直した。でも、自己紹介をしたのはラディナも同じ。だから、知りたいならこれから知ればいいという遠まわしな励ましの言葉だ。


「いいことだ……。」


 カロンは、自分が寡黙なせいで人に勘違いされることが多いのを感じていた。だから饒舌になるのならそれも、いいかもしれないと思った。


「あ、料理は僕がやろう。」


 ラディナだって女だ、それなりに女性らしい趣味はある。料理だって、決して下手ではない。だから、ラディナは申し出た。


「俺がする……。」


 だが、カロンはその申し出を断って自分で進んで料理を始めた。


 カロンは野宿の経験が多い、それに猟師から自生している草と塩だけで作れる料理を知っている。さらに言うなら、それらを使って滋養強壮や疲労回復の効果をもつ料理だって作れる。カロンにとって森とは食材の宝庫なのだ。だからたまには、と自ら料理をするのだ。


 簡単な鍋料理である、調理に使える器具も少ないし、強い火力も期待できない。だから、じっくり時間をかけて作れるそれが最良の選択なのである。


 最初に鍋に入れるのは動物質、とりわけ骨や、その周辺の肉が旨みを多く含んでいる。それを煮立たせることで出る香りには食欲増進の効果がある。ちょうど、美味しそうな匂いを嗅いで腹が減る、その現象を意図的に引き起こすのだ。空腹は一番のスパイスである。


 次に動物質のかでも、肉質が柔らかく食べやすい部分を入れる。出汁をしっかり吸って、旨みを身に蓄えさせるために。このくらいになると灰汁も多く出るからカロンはそれを丁寧に掬う。そうすれば、灰汁で味が崩れる心配が減って味付けを始められるのだ。


「ほー、カロンは料理も上手かったんだな。」


 鍋から立ち上る匂いに、我慢ができずラディナは鍋を覗き込む。動物の出汁がよく染み出したスープはまだ出来上がっていないにも関わらず芳醇な匂いを放つのだ。


「慣れてるから……。」


 そう言って、鍋をひたすら見つめている。塩や香草、薬草で味を整えながら少しづつ完成へと近づけていく。白く透き通ったスープは、様々な香りを孕み、それを辺りに振りまいている。だが、その香りは人間の鼻腔をくすぐるものであるが、野生動物には余りにも臭すぎる。ネギや、ノビル、あるいはいくつかの香草は動物には毒になるものも多いのだ。


 やがて、味が整った鍋に野菜を入れる。野菜とは言っても、そのへんに自生しているものだ。特に味がいいものは薬草としての効果を併せ持つものが多い。逆に言えば、それくらいしか味のいいものは自生していないとも言える。


「できた……。」


 程よく火が通り、野菜なども柔らかくなった頃にカロンはラディナに完成を告げた。


「いい香りだ、野草料理なら負けてしまうかもしれないな。」


 食べなくても香りだけでわかる。それは間違いなく、整った環境で料理するのと比べても遜色ないものであると。それもその筈、人間は育ちやすい作物の味を良くすることによって料理の質を上げる。だが、誰も足を踏み入れない外れの森には元々味がいいが育てるのが難しく栽培に適していない野草が未だ眠っているのだ。


「慣れてるから……。」


 カロンは相変わらずその一点張りだ。カロンは、食用に適していない雑草で食いつないできた。その手にかかれば、この程度は朝飯前と言えるだろう。


 そんな、不敵な笑みを浮かべながらカロンはラディナに鍋の中の料理をよそって渡した。


「ありがとう、いただくよ。」


 未だ、朦々と湯気が立ち上るその器。覗き込んでみれば、湯気の隙間から幾多の具材が顔を出している。甘味の強い、癒しの薬草、辛味をもつ滋養強壮の香草、それらの香りをたっぷり吸い込んだぶつ切りの肉。野性味溢れる、だけど工夫が凝らされた至高の料理である。


 転がっていた枝を、ナイフで削ったただの棒。それを、二本使って具材を器用に挟んで持ち上げる。


 持ち上げて、それを唇の前に持ってくると息を吹きかけて熱を逃がす。熱すぎて、そのままでは食べられないのだ。先程まで煮立った鍋の中にあったものだ、それも当たり前である。だが、息を吹き付けるたび、苦しくなって息を吸い込むと芳醇な香りが空気と一緒に鼻腔を蹂躙する。ラディナは、それをたまらず口の中に押し込んだ。


「あ、あふっ……。」


 あまりの暑くて、口の中で必死に息を浴びせてなんを逃れようとする。


「ふっ……。」


 カロンはそれを見て僅かに笑った。


「ふっ、あふっ……。んぐ……。笑ったな、カロン!」


 ラディナは苦し紛れに口の中でそれを懸命に覚まし、嚥下した。そして、笑ったカロンを少しだけ睨みつける。本気で睨んだわけでないのは言うまでもない。


「悪かった……。」


 カロンは、そんな言葉とは裏腹に自分の皿の料理をつまみ上げて、冷ましている。


「ふっ、はははははは! 全く、何も変わってないな。」


 不器用なカロンの謝罪がひどく懐かしく思えた。どんなに記憶が変わっても、どんなに思い出せなくても何も変わらない、カロンはカロンでそれ以上でもそれ以下でもない。それが、ラディナにはひどく尊く思えた。


「本当に、何も変わってないんだな……。」


 だから、一度言葉を切ったあとに、付け足すように。だけど聞こえないほど小さな声で呟いた。まるで、宝を抱くかのように。


 談笑と、何気ない雑談。それが一人では味気ない食事のただひと時に色を添える。交わす一言一言が、空を、森を、風すらも彩るように。味気が無いなら、味を持たせればいい。


 孤独は、ひどく感覚を鈍らせてしまう。冷たい、研ぎ澄まされた刃のように。


―――――――


 食事が終わりラディナは眠る用意をする。カロンは見張り、ラディナは体力温存だ。交代するその時まで三時間の間、ラディナが眠るばんだ。


 寝袋に、潜り込んで目を閉じようとしたときカロンが言った。


「もし……生きて帰れたら……。」


 だが、カロンは最後まで言葉を言い切ることができなかった。怖かった、伝えれば、あるいは触れれば壊れてしまう。そんな気すらした。


「生きて帰れたら……一緒に……。」


 だが、伝えずにいられなかった。カロンは、初めて自分の意志で恋をした。


「それも、悪くないのかもしれないな。だけど、考えさせて欲しい……。」


 そう言って、ラディナは一人微睡みの底に落ちていく。

 静かになった、森の中で鈴虫の声だけがうるさく鳴り響く。時折、焚き火の爆ぜる音と、温い風。暑くて、滲んだ生暖かい汗がカロンの頬を僅かに濡らした。

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