第二十七話:旅立ち
いつまでも、ここで立ち止まるわけには行かない。勇者であるラディナは、少なくとも魔王に会いに行かねばならないのだ。
だが、その前にラディナは話しておきたいことがあった。
「本当についてくるのか?」
カロンに向けたその言葉はラディナにとって深い意味を持った。カロンは、ここで平穏に暮らすこともできるのだ。見るからに農夫には向いていない彼だが、彼の暗殺者としての技術は狩猟に役立つはずだ。猟師をやってもいい、それに、農地は余るほどあるのだ、小作人を雇うのも手だろう。だから、自分と一緒に戦に身を投じることを強制できないのだ。
だけど、ラディナの本心はついて来て欲しい。もう、友人がどこにいるのかも生きているのかどうかすらわからないなんて嫌だと心が叫ぶのだ。
「行く……。離れ離れは懲り懲り……。」
カロンは言った。カロンにとっても、ラディナは大切なのだ。昔のことはもう思い出せない、それでも、もう二度と見失うなと心が告げている。
「ふふっ、これからよろしくな。カロン。」
ラディナは嬉しくて、思わず少しだけ笑った。
カロンは、少し俯いてそっぽを向いた。そっぽを向いたあと、少ししてからポツリと呟く。
「挨拶したい人がいる……。」
カロンはそう言って、少し俯いた。
ラディナは少しだけ安心した。カロンは演技が上手いが、勘違いされやすいのだ。人当たりのいい青年の振りをしようとすればいくらでもできる。だが、カロンの様子を見る限りそうではないようだ。きっと、カロンの普段通りを受け止めてくれている友人だろうと思った
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森のはずれ、猟師の小屋。その門前には、いつもどおり猟犬がいる。名前はティンダロスだ。いつも、ティンダロスはカロンにじゃれついてくる。
「元気だな……。」
いつもどおりの言葉を交わす。いわばこれは、カロンがここに来た時の定番だ。
「ティンダロス! お客にじゃれつくなと何度言ったら!?」
これも定番だ。猟師の男はいつもこれを言うが、ティンダロスをきつく叱ったりなどしない。だが今日だけは定番から少し外れる。
「誰だその別嬪さん!」
少しだけ、そう、辺りを見渡す間だけ猟師は間をおいて驚いたように目を見開いた。
「別嬪とは嬉しいことを言ってくれる。僕は、ラディナ。だいさ……いや、勇者だ!」
ラディナは名乗った。だが、勇者と名乗るのはまだどこか違和感があった。そのせいで、第三騎士団団長と名乗ってしまいそうになる。
「ほぉ、この別嬪さんが……って、女神様そっくりじゃねーか!」
女神、それは人間の間で美を象徴するものの一つだった。それに似ていると言うのは女性にとっての最高の褒め言葉であると言ってもいいだろう。だが、ラディナは自分と同名のその女神に似ていると言われるのが少し複雑でもあった。
「はは、たまに言われる。だけど僕は、その女神様を知らないだ。」
ラディナはその容姿が自分に近いとされていることは知っていたが、それがどういうものかまでは知らない。
「人の造物主、我らの母、それが女神様だ。ところでカロン、この別嬪さんはお前の彼女か?」
猟師がそう言った瞬間、カロンは顔を真っ赤に染めて俯いた。
「からかわないでやってくれ、彼は結構初心だぞ。」
ラディナはカロンをかばうように言った。どこか冗談めかして、笑いながら。
「なんだ、カロンをよく知ってるじゃないか。やっぱり、彼女か?」
猟師の男はニヤニヤと笑う。猟師もわかっててからかっているのだ。カロンは、暗殺者であった頃はよく恋人ごっこをしては女を殺したりしていた。なのにもかかわらず、実は初心なのである。猟師はカロンが暗殺者だったことを知らない、だからただ初心な若者をおもちゃにしているだけだ。
「少し違うな、だけど仲間であること変わりはないさ。」
ラディナにとってカロンは共に背中をあずけ合う仲間であり、それ以上にもそれ以下にもなるつもりはなかった。
それを聞いて、カロンは少しだけ残念そうな顔をした。
「大切な……、仲間……。」
それでも、カロンは満ち足りていた。なぜ、自分が満ち足りているのかカロンにはわからない。あるいは、自分の気持ちは、自分が思っているようなものではないのかもしれない。
「そうか、んで今日も狩りか? 大食らいだな!」
猟師の男はそう言って豪快に笑う。漁師の男はそれなりに金持ちであった、獰猛な獣を狩り、森を守り、人を守る。そんな彼の仕事はそれなりの金を産むのだ。それだけに、余裕もあった。大食らいな人間の一人や二人、養う事だって大した負担にはならない。それに、カロンが猟師になるなら、今まで以上に稼ぐことだってできる。恩を売って、その恩を盾に副業として狩りをさせてもいいのだ。それだけで、すぐにお釣りが来る。
「違う……今日は、お別れを言いに来た……。」
だが、カロンは言った。漁師の思惑を裏切ったといえば裏切ったことになるだろう。しかし、それでもカロンは行くと決めたのだ。一度決めてしまえば後戻りなどできない。
「そうか、寂しくなるな。それで、これからどうするんだ?」
猟師は少し顔を伏せて言った。猟師は好きだったのだ、毎日一人ぼっちで狩りをして、だけどたまに将来有望な青年が来て、一緒に狩りをするだけの毎日がたまらなく大切だった。
「勇者と、旅をする……。」
ラディナは黙って聞いている。別れに水を差すほど野暮な心は持ち合わせていなかったからだ。まっすぐ、語るカロンの瞳に光を見出したからだ。
「はぁ、全く。本当に、寂しくなるな。だが、お前が決めたことだろう?」
猟師が問いかけると、カロンはそれにうなづいた。ラディナはついてこいと言ったわけではない。それは、紛れもなくカロンの、彼自身が決めたことだ。
「少し待ってろ。」
猟師はそう言うと、小屋の中に入っていく。
カロンとの別れを惜しむ人もいる。カロンが生きていくための家だって、ここにある。なのに、それを連れ出してしまう。ラディナはそれを少し申し訳なく思った。
「すまないな、ついて来てもらってしまって……。」
ラディナが思わず口にしたのは謝罪だった。
「俺が、決めた……」
だが、カロンはそんなことを気にかける様子もなく言った。自分で決めたことだ、だから気にするなとでも言うように、ラディナに芽生えた罪悪感をぬぐい去るように。
ほんの少しの間だった、猟師はすぐに戻ってきたのだ。小屋から再び出てくると、カロンに一本のダガーを渡した。
「餞別だ、持っていけ。旅の途中、猛獣に出会ったらどうするか、わかってるな?」
カロンは優秀な狩人だ、肉食獣にだって負けはしない。もしかしたら、魔物よりも強いかも知れない。ラディナがどうであるか分からない、それでもカロンなら無事に旅を終えられるだろうと思っていた。それに、一緒に狩りをして狩人の心得をある程度教えられた。
「感謝する……。」
カロンはダガーを受け取るとそれを腰に差した。このダガーは、カロンが猟師になるなら使わせようと、猟師の男が用意していたものであった。
「行ってこい、それで、いつでも帰ってこい。」
カロンはうなずいた。頷いて、カロンは歩き始めた。
「帰ってきたら……また、狩りへ行こう……。」
その言葉を置き去りにして。