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魔王と勇者のプレリュード  作者: 薤露_蒿里
第二章:傷跡
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第十八話:亡国の姫

 エイレーネーはゴルダの民が怪物と化し空前絶後の混乱に陥った。それを起こしたのはタナトスの王にしてかつてゴルダに滅ぼされたシャマルの友であるゼアル・タナトスだった。


 だが、これはその裏で国を滅ぼされた事を嘆く生き残った一人の騎士の話。そう、ラディナ・オネイロスの話である。


 彼女はその時、王城にいたのだ。塞ぎ込むように、割り当てられた自室で一人ぼんやりとただ空を眺めていた。薄暗い部屋の中には窓枠が影を落とし、月の光を切り取って部屋の中に月光の四角い溜まり場を作っていた。


「お気に召しましたか? ここはゼアル様のお気に入りの客間の一つです。」


 彼女心配したのは、ゼアルだけではなかった。その忠臣、ダモクレスも同様にゼアルの友ラディナを心配し気遣っていたのだ。故に、彼はラディナに割り当てたられたこの部屋を訪れたのである。


「あぁ、素敵な部屋だな。きっとゼアルもこの月光が気に入ったのだろう。」


 そう言いながらラディナは先程まで座っていたベッドを立ち上がり月光溜まり場に立ち尽くして空を見上げる。窓枠が切り取った空は、だけど確かに所狭しと星々が空を彩るまるで絵画のような世界であった。


「ええ、それもゼアル様のお気に入りです。どころで、紅茶などはいかがですか。これでも私、それなりに紅茶にうるさくて。きっと落ち着きますよ。」


 そう言いながら、きっと壁の向こうにでも隠していたのだろう。紅茶や、いくつかの茶菓子が乗った台車を持ち出してそれを勧める。


「頂こう、なんだかすごくいい香りがすると思ったんだ。」


 台車に乗せられた紅茶の、ダージリンが醸し出すマスカットフレーバーが仄かに部屋の中まで漂ってくる。それだけではない、茶菓子が漂わせる甘い匂いですら開け放たれた扉は拒むことなく部屋に招き入れてしまう。


「それは良かった。無駄にならずに済みました。」


 そう言いながらダモクレスは既に、カップに紅茶を注ぎ始めていた。美しい、薄橙のそれは僅かな仄かに果実のような甘い香りと、深い森林奥のに居るかのような命の匂いをこれでもかと漂わせる。それらは不思議と、心を落ち着かせ、それどころかその液が喉を通り抜け香りが鼻を駆け上がる様を思い浮かべさせて喉をコクりと鳴らす。ダモクレスが紅茶にうるさいのはどうやら事実のようだとラディナは心の奥で密かに微笑んだ。


「どうぞ、私の淹れる紅茶を飲んでいただくなど何年ぶりか。ゼアル様は飲むことができませんから。」


 ダモクレスはそう言っておどけたように笑ってみせた。これは、彼のジョークなのである。それは、どうやらラディナにも伝わったようであった。


「ふふっ、確かにそうだな。あれでは、飲めそうにない。」


 ラディナはゼアルが紅茶を飲まんとして、骨だけになった空虚な口腔から紅茶が漏れ出す様を想像じて笑わずにはいられなかったのだ。


「ええ、我が主にはせっかく入れた紅茶を留めておく胃がございません。きっとおもらしなさることでしょう。」


 普段のダモクレスなら決してそんなことは言わないだろう。故にラディナは自分では必死に隠したつもりでそれを悟られてることを悟る。自らがひどい顔をしていることを。


「そうだな、なにせあれは骸骨だからな。」


 そう言いながら気をつけて笑う。決してその表情に、悲愴をにじませないように。


「ええ、我が主は骸骨でございます。なので、残念ながら紅茶を淹れて差し上げても飲むことは叶わぬのでございます。」


 そう言いながら、ダモクレスはわざとらしく目元をハンカチで拭う。さながら舞台役者のように、あるいは道化の泣き真似のごとく。それは、誰が見ても泣いているとは思わない、むしろその芝居がかった動きが笑いを誘うのだ。本当に泣いてなどいないくせにと笑いながら小突いてやりたくなるのだ。その程度の、ささやかな憎たらしさを孕んでいる。


「ははは、それは災難だな。」


 とラディナはあえて皮肉っぽく笑うのだ。


 紅茶にブランデーを垂らすのがよくやる行為である。ダモクレスも、そうしていた。いやむしろそれはカクテルとしての側面が強いほどにブランデーが入れられていたのだ。呑んで馬鹿な話をして忘れさせようと、そんなダモクレスの気遣いなのだろうとラディナはあえてそれを何も言わずに嚥下する。


「ええ、本当に。ですが、その災難を相殺してあまりあるほどこの国は素晴らしいのです。きっとラディナ様はご存知でしょう?」


 ゼアルが千年を費やして作った国は確かに小さな国ではある。だが、それは小さいながらも、かつて世界最大の国であったアルデハイド王国を超える幸福に満ちている。


 ラディナはタナトスが好きだった。だが、そのタナトスの温もりはかつてのアルデハイドを、世界を一つに纏める夢を王と、騎士たちとで交わした時代を忘れさせてくれないのだ。なぜなら、タナトスの国は第三騎士団によく似ている。


「あぁ、本当に素晴らしい。本当に、この国が大好きなんだ……。」


 そう言いながら、思い出してしまったのだ。かつての第三騎士団、まだラディナが騎士になって間もない頃の王国を。何もかもが暖かく感じたあの時代を。だから、かつてアフロディーテ王の前で口にした言葉を自分でも気付かないうちになぞっていた。


 思い出は時として、人を苦しめるものである。いつの間にか、ラディナは今にも泣き出しそうな顔をして俯いた。


「ラディナ様、顔をお上げください。私には、ただこうして言葉を掛けるより他何をする力もございません。私はただ、我が主が、いいえ私ですらも高潔で優しい方と思うあなた様にどうか悲しまないで頂きたいだけなのです。」


 ダモクレスには、それ以上をする力も、それ以下をする度胸もない。放っておくことなどできないのだ。だから、無理に理由をこじつけてまでこうして慰めに来て目の前で道化を演じるのだ。それでも、慰めることができないと知りダモクレスは悲嘆に暮れた。


 互いに何を語ればいいのかもわからなくなり、それは次第に沈黙を静寂へと変える。まるで鉛のように重くて、冷たい空気がまるで立ち込めるように耳鳴りのような静寂を鳴らす。


「何やら、羨ましいことをしていると思えば主賓が俯いているとはどういう了見だ?」


 しばらくの沈黙の後に、その声が静寂を打ち破った。低く、茶化すようでありながらも、どこか真剣さを孕んだ声だった。だが、声の主は何がどうなっているのかその時にはすべてを察していた。


「忘れて前に進むものもいる。だが、ラディナにはそれは叶わぬのだ。此奴はな、それをするには優しすぎる。だがダモクレス、その心意気は選ぶに足る男のそれだ。あの時の選択が誤りではなかった証明だ。」


 そう言いながら、声の主はその姿を表す。不気味な髑髏の顔ながらも優しげな声を上げながら。


「陛下、失礼いたしました私が及ばぬばかりに。」


 ダモクレスは、自らの不甲斐なさに顔を歪めギリリと奥歯を噛み締めながら言った。


「ふむ、ダモクレスは其方に辛いことを思い出させてしまったかもしれない。だがどうか許してやってくれ……。」


 ゼアルがダモクレスの為に放ったのはたったそれだけの言葉だった。たったそれだけだったのは、ラディナという者がどんな人間かゼアルには分かっていたからだ。善意で言葉を発したものを彼女は決して責めはしないとわかりきっていたからだ。


「許すも何も、怒ってすらいない。むしろ僕は少し彼に面倒な思いをさせてしまった、謝るべきは僕だよ。」


 そう言って、今にも泣き出しそうなまま乾いた笑みを浮かべる。最初から、ラディナが怒っていないことなど分かりきっていたのだ。だからこそ、その信頼を示すためにもそれだけの言葉で済ませたのだ。


「勿体無いお言葉……。」


 だが、それでダモクレスの気が済めばいいのだがとゼアルは思案した。


「ラディナよ、お前は忘れて前に進むにはあまりに優しすぎる。自らの手で、決別せねばならぬだろう。だから、どうしたいのか聞いておきたい。」


 その答えなどゼアルにはわかりきっていた。ラディナはもちろんこう思うだろう、叶うならばもう一度アフロディーテ王や第三騎士団のみんなに会いたいと。だが、それがいかなる魔法の前でも無理なことはラディナにもわかっている。だからこそ、答えなど決まりきっているのだ。


「できるなら、仇くらいは討ちたいかな……。」


 だからこそ、ゼアルは二度もエイレーネーを訪れたのだ。ラディナの仇を、連れてくるために。


「気が向いたら、この城の地下、牢獄へ行くがいい。変わり果てた姿ではあるが、お前の敵が居る。」


 ラディナはそれを聞いて驚いたような顔を上げた。


 だが、ゼアルは説明せねばならなかった。何故、今それがそうなっているのかということを。


「エイレーネー神聖国。それを興したのはゴルダという一つの民族だ。かつて、わが友であったシャマルを滅ぼし、そこより持ち出した秘宝でエイレーネーを興したのだ。シャマルの民は既に復讐を終えた、それが奴を、ヘルメスを怪物へと変えたのだ。だから、後は好きに使うと良い。」


 それだけを言い残してゼアルは、ラディナに与えた部屋を去った。

 

――――――――――――――――――――


 後日のことである。タナトス王城の地下深く、闇に閉ざされた牢獄で、変わり果てた姿のヘルメスを見てラディナは呟く。


「もはやお前に復讐する気は起きないよ。だけど、決して許さない。」


 牢に繋がれたヘルメスはその身を醜い怪物へと変えていた。だが、身にまとう装束が、持ち物がそれが本人であると告げている。笑っているかのような表情がひどく癪に障ったが、それも呪いによるものだとわかっている。だから、ラディナはヘルメスを決して許さず、だが自らが卑しく成り下がらぬためにもそれに剣を突き立てることをやめたのであった。

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