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回帰ノ序章:骸の皇

 時は、一年を遡る。

 鎧が擦れる金属音、あわてた様子でリズムの早い足音、酸素を求める呼吸の音。静かな城の中にそれだけがこだまする。

 兵士の影が走り去ると、立ち並ぶ松明の明かりが大きく揺れた。


「国王陛下!」


 タナトス王城内にまるで悲鳴のようなその声は、松明の炎が爆ぜる音すら克明(こくめい)に鳴り響くほどの静寂を切り裂いてけたたましく響き渡る。

 兵士はそこで息をつまらせた。


「何事だ?」


 国王と呼ばれた男が問い返す。まるで、心も何もかもどこかにおいてきたかのように淡々と。


「カディナの軍勢がすぐそばまで来ております!」


 タナトス王国は周辺にある四つの国に比べればその領土は格段に狭く。周辺国の中では最も小さいラバル国の十分の一にも満たない。そして今は戦乱の世、千年絶えない血と鋼の時代だ。故に、タナトス王国でなければ既に滅んでいただろう。


「よく伝えてくれた、奥で休むがよい」


 だが、この国は千年滅びずそこにあり続けた。あまりに攻め滅ぼせぬその城は、手を伸ばせど届かない。その城はいつしか(よい)の幻城と呼ばれるようになった。いかなる大軍を持ってしてもだれもかれもがこの城にだけは一度もたどり着いたことがないのだ。


「ありがたきお言葉」


 その原因は主にこの国の国王にあった。

 タナトス王国に差し迫るのは、タナトス王国に比べ圧倒的に大きいカディナ王国の軍勢。しかし、国王は相も変わらずといった様子だ。


 国王は通りがかかりに知らせを伝えた若き兵士の肩に手を置くと、兵士の瞳を見据えて微笑む。いや、実際には微笑んだと思ったそれは兵士の妄想だろう。


 ゆったりと一歩ずつ、かの国王は城門に近づきそれを押し開く。僅かに吹き込んだ、冷たい風が城内の明かりを一斉に揺らし、ほの暗く閉ざされたタナトス王城に柔らかな月光が扉の影を落とした。


 空虚な眼孔には、深い、もしくは、どす黒い赤の光が灯っている。彼に貌は無く、代わりに骸骨(むくろぼね)が嗤う。鎧の下に肉はなく。ただ、守るべき臓腑(ぞうふ)を失った骨たちがひしめき合う。


 身震いするほどに恐ろしいその容姿は、もはや表情などとは無縁のもの。不浄なる死者が、闇夜に吠える。


「来い! ブケファラス!」


 骸の王が名を呼ぶと彼の忠臣は、まるで風のようにどこからともなく現れる。だが、僅かに草を揺らした。

 もはや肉も朽ち果てた千年の忠臣、白骨の馬は、蹄を踏み鳴らし、黄泉から響く(いななき)きの声をあげる。それは、骸の王にふさわしい冥府の名馬だった。


 骸の王は愛馬にまたがると、その手綱を軽く打ち鳴らす。黄泉の馬は(きし)みの(いななき)きを轟かせ夜の闇をまるで風のように早くかけていく。恐るべき夜の王の前に、行く手を阻むものはなく城門も、番兵も何もかもがまるで頭を垂れるがごとく道をあけていく。


 ギリリと軋みを上げて開くタナトスの一番外周に位置する巨大な城門。煽られて、田畑は(わず)かに緑の波を起こす。


「国王陛下ご出陣!」


 門を見張る数多の兵たちは、最強の王の出陣を受けて勝利を確信し口々に歓喜の声を上げる。

 

 乾いた(ひずめ)の音を鳴り響かせ、はためく(たずな)は微かに音を立て、前へ前へ突き進む。

 やがて、聴こえてくるのは幾千幾万という軍歌の合唱。戦場が奏でる行進曲。


 闇を押しのける松明の行進は、かの(むくろ)の王を黄泉へと押し返さんとする破魔の光のようにも見えた。なれど、闇は深淵よりなお深い。故に、夜はまだは明けない。


「汝らに問う! 如何用(いかよう)にてこの地に参ったのか!?」


 骸の王と、対峙する敵との距離は未だ遠く。かろうじて地平の彼方に見えるほど。されど黄泉の声に距離は関係ない。たとえ世界の端であろうとそれは届くのだ。僅かな声を上げる風すら黙らせて、なおも響き渡る。故に黄泉の声は侵略者たちの耳にも届いた。


 轟々(ごうごう)と鳴り響く音とともに、対峙する敵の軍勢の上に巨大な炎の玉が浮かぶ。まるで昼間のように戦場が照らし出される。降り注ぐ熱線は、大地をなで、生ぬるい風が空へと向かう。

 それは、幾千という魔導師たちの魔法が合わさった極大の魔法。一つの国を丸ごと滅ぼすことも容易な禁呪の一つである。


「どうあっても戦いたいのか……」


 荒れ狂う風をのもともせず、骸の王は残念そうにつぶやいた。


 (むくろ)の王がおもむろに剣を抜き振り上げると、空にはもう一つの偽の太陽が浮かぶ。だがそれは光など決して発しない漆黒の球。夜の頂、理の外に存在するそれには一切の常識が通用しない。熱せられた大地すら凍てつき、風は逆流を始めた。


 灼熱の偽の太陽が(むくろ)の王を焼き尽くさんと放たれる。


 それに合わせて(むくろ)の王は闇の太陽を放つ。


 二つの太陽は戦場の中心で衝突した。互いに真逆のエネルギーたちは互を貪り喰らい、やがて小さな黒点に姿を変える。

 僅かに消え残った、小さな黒点は爆ぜ、夜の荒野に命すら凍てつく冷たい風を巻き起こす。


 そして次の瞬間、(むくろ)の王の二度目の魔法が大地を覆う。真っ黒な闇の奔流(ほんりゅう)がやっとの思いで偽の太陽を作り出した侵略者たちを飲み込む。かろうじてそれを免れた幾人かの兵士たちは、戦意をくじかれ、誇りを砕かれ潰走(かいそう)していく。


 蜘蛛(くも)の子を散らすようなどと表現しても差し支えのないこの戦場で(むくろ)の王は突如として姿を消した。

 次の瞬間、侵略者たち将、黄泉の王に刃を向けた愚か者は、天と地が逆転した世界を見た。

 宙を舞う間、幾度か世界は周り、視界の内に、剣を振り抜いた(むくろ)の王を見た。首のない自分の体を見た。

 見て、ようやく理解したのだ。自らの首が宙を舞っていることに。

 自らの瞳で見た景色が彼に告げたのだ、自らの死を。

 やがて、寒気とともに風が止むのを感じる。いや、止んでいるのは風ではない。感覚が、命が消えていっているのだ。


「去るのなら追わぬが、尚も刃向うなら容赦はせぬ!」


 (むくろ)の王の咆哮が、無慈悲に敗戦を侵略者達に叩きつけた。


「ひっ! あ……かは……。」


 辺りにいた兵のすべてはその声に腰を抜かし、もはや立つことすらままならず、逃げることすらできずに崩れ落ちる。恐怖のあまり呼吸すらままならず、まともに声すら発せなくなる。


「二度と我が国に刃を向けるな!」


 その声に、あまりの恐怖に、突風とすら感じてしまう程の圧倒的存在感にその場に居たすべての人間が自ら意識を手放した。耐えられなかったのだ。骸の王のあまりに圧倒的な存在に。言葉にするのなら、深淵だろう。いくら言葉を尽くしても、語りきれない恐怖を他になんと表そうか。それはこの王の前では愚問なのだ、矮小(わいしょう)な人間の存在では恐怖に抗うすべはない。


 骸の王は、一瞥(いちべつ)するとゆっくりと馬を返し、自らの国へと馬を歩ませた。


 戦が終わる頃には、せっかちな鳥たちは歌を歌い始め。風は少しずつ遅く、ゆっくりと、朝の凪に向かう。


 ほんの数分後、僅かに太陽が地平の彼方から顔を出すとともに、朝のぬくもりを孕んだ風を連れて骸の王は自国へと凱旋(がいせん)を果たした。幾千、幾万の兵を一人で討ち果たし、されど(おご)ることなく、ただ静かに。


「国王様万歳!」

 

 (むくろ)の王の凱旋(がいせん)を見た兵士たちは城門を開け放つ。


「偉大なるゼアル・タナトス陛下に栄光あれ!」


 街を往く人々は凱旋(がいせん)する骸の王を見て、道をあけ、そう唱えて()(むくろ)の王に尊敬と羨望のまなざしを向ける。


 骸の王は、ただ、普段街を歩く時と同じようにその声に手を振り、満足そうに「ハハハ」と笑い声をこぼしながらゆったりと街を往く。


「国王様! うちのお花畑から摘んできたの!」


 少女が一人、花束を持って(むくろ)の王に近寄る。恐ろしげなその王にだ。


「そうか、では執務室に飾るとしよう。ありがとう」


 恐ろしげな見た目とは裏腹に(むくろ)の王が少女にかける言葉は、声はどこか、彼が引き連れてきた風のように温かいものだった。


 タナトス王国の千年王、(むくろ)の皇、ゼアル・タナトスとはそういう人物なのだ。やさしく、慈悲深く、されどどこまでも恐ろしい。民に愛され家臣に愛され、子供は彼にあこがれる。そんな存在であるからこそ、彼は千年もタナトスの国王を続けたのである。

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