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魔王と勇者のプレリュード  作者: 薤露_蒿里
第二章:傷跡
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第十六話:自ら滅び行く

 アルデハイド王国が滅亡し、ただひとりだけ、ラディナだけが逃げ延びた大戦。それは、かつてないほどにあっけなく終焉を迎えさせられた。その終焉を呼び寄せたのは、ただ一人の魔導を極めた一国の国王であった。


 その終焉の日から二日が過ぎ去った。盛者必衰と言うべきであろうか、かつて世界で最も栄えた平和を旨とする王国は今や地図上から消え去り、その傷跡は深く刻まれていた。エイレーネーを除いた軍勢で十五万、含めれば二十五万。それだけの命が一瞬で失われたあの戦争を、誰も彼もが決して忘れることができないだろう。決して触れるなかれ、彼の国は死の国。彼の王は、死者の王。忘れるなかれ、触れてはいけぬ、絶対の強者ゼアル・タナトスの名を。それは、世界を駆け巡ったひとつの恐怖の伝説となった。


 当然、エイレーネーですらも早々に戦争を仕掛ける気は無かった。だが、早急に奪還しなくてはいけない彼らの秘宝があった。それは、彼らが始まりに民を制することができた神の証明の道具。<オルフェウス>の魔法によって成り立つ錬金術の最後の到達点、双極の二つの物質の片割れフィロスフィアである。


 エイレーネー神聖国初代国王にしてエイレーネー教の教祖でもある男、ルシフ・シシフォスが菌糸の森から持ち帰った女神の秘宝と呼ばれるものだ。実際、ゴルダの民でその伝承を信じるものなどいない。彼らは知っているのだ、そこにシャマルの民が眠ることを。それが、指し示す事実は墓荒らしである。彼らの墓を暴き、その秘宝を盗んだのだろう。それはわかっている、下手をすればシャマルの民を滅亡に追いやったのがその男である可能性すら視野に入れている。だが、そんなことは彼らにとって重要ではない。価値あるものが現在自らの手にあるということが重要だったのだ。だが、ゼアルは、フィロスフィアを回収した。あるいは消滅させてしまったのかもしれない。どちらにせよ、ゴルダの民が以降もエイレーネーという国を維持するためにはどうしてもフィロスフィアが必要なのだ。故に、ヘルメスは頭を抱えていた。


「あの悪魔め……。よりにもよって我が秘宝を……。」


 当の大戦でエイレーネーが失ったのは二つ、国内最強戦力の司祭と、それに貸し与えたフィロスフィアである。司祭を失ったのは確かに痛手ではある、だが許容範囲内ではあるのだ。十年や二十年したらそれを超える司祭が生まれるかも知れない。そもそも、目下最大の障害であるタナトスを滅ぼすにいたらないのであれば個の強さなど幾分の足しにもならない。物量があれば、天と地を隔てるほどの実力差でも無い限り覆してしまうことができるのだ。


 だが、フィロスフィアはそうはいかない。あれは、世界にひとつしか存在しない上、製法も遺失した古代の遺物なのである。それを核に成り立つエイレーネーという一つの宗教は、新たな信者に洗脳を施すための見せかけの奇跡を失ったのだ。しかも、それは国内では女神の涙と呼ばれる聖遺物とされており、それ自体も信仰の対象である。それを失ったことが万に一つでも国民に露見した場合暴動は不可避であるとすら言えるだろう。


「取り返しに参りましょう。我が国は、秘宝を奪われたとは言え未だ世界最大の大国。それを取り戻すだけの財は持ち合わせております。」


 アルゴスは言った。それも確かに並みの相手であればという条件を付与した場合正しいと言える。元世界最大の大国アルデハイドを併合したエイレーネーは他の追随を許さぬ程の大国である。定石では、このような大国に対し取るべき外交姿勢は二つのうちどちらかである。一つは取り入り、庇護下に入ること。もう一つはいくつもの国で結束し討ち果たすこと。現在の世界情勢では後者はまず不可能と言えるだろう。多くの国が、エイレーネーを恐れているのだ。そのため、エイレーネーの庇護下に入るという一つ目の外交姿勢をとった国が多く世界のほぼ半数を占めている。よって、小国が取るべき外交姿勢とは前者である。


 だが、これは前述のとおり並みの相手であればという話だ。タナトスにという小国には可能なのだ。世界の半分を敵に回し、戦争に勝利することが。それは先の大戦がそうであると肯定している。


「どうやってあの悪魔を交渉に引きずり出すというのだ!?」


 故にヘルメスは激怒した。いや、それは八つ当たりだ。もはやどうにもならないのだ、その小国にはエイレーネーですら恫喝しうる世界最強の戦力が駐在しているのだ。個にして軍であり、そしてそれは他の追随を許さぬほど強いのだ。ヘルメスは確信していた、たとえ世界が束になってもその王には敵わないと。こちらが億の兵を用意したというのならその王は兆の兵を黄泉から呼び寄せるだろう。故に、手の打ちようがない。


「猊下、我々には資金があります。我々が使い切れぬ程の絶大な資金が。どうかそれで、あの悪魔めを交渉の席に引きずり下ろすのです。」


 それも、不可能だとヘルメスにはわかっていた。その王が欲しがるのは今は金よりも銀、だがそれも自分たちが攻め込む前にアルデハイドからタナトスに向かったという情報すらある。


 それに、タナトスの工芸品は素晴らしいがその数は多くないのだ。千年をその領土のうちだけで生き延びてきたタナトスはそれこそ国内で完結している。物流も、景気も、経済までもがほかに頼る必要がなかった。唯一の問題が銀が不足していたことのようだが、それも解決したように見える。八方塞がりになってしまったのだ。


「それも不可能だろうな……。」


 半ば諦観にも似た言い方であった。それは深い溜息とともに吐き出された言葉であり、救いなど無い絶望を孕んでいた。


「滅ぶよりほかにないのでしょうか。ようやくここまで来たというのに、ゴルダの民の楽園まで後一歩のところだというのに。」


 それは、ルシフの夢であった。ゴルダの民も元はシャマルやタナトスと同じ移動民族でった。五百年前、エイレーネーを興すまで行くあてもなくさまよい続けてきたのだ。よってゴルダの民には、もはや故郷がわからない。どこで始まったのかも、誰が最初なのかも。


 ゴルダの民に言わせるのであれば神などいないのだ。神が居たとしたら、ゴルダはきっと産土を、自分たちが始まったその場所を覚えているだろうから。故に、神を偽ることに一切の罪悪感を持たない。全てはただ生きるための自分たちの刃であるとしか考えていないのだ。


「本当にあれは悪魔だ……。悪魔の王だ、魔王だ!」


 ヘルメスは力と怒りに任せて机を叩いた。憎らしげに、脳裏に浮かんだゼアルを睨みつけながら。


「魔王……。魔王! それでございます、猊下!」


 アルゴスは何かを思いついたかのように何かを考え始める。ヘルメスは、アルゴスが何を思いついたのかわからずあっけにとられ、ただ感情に任せて疑問をぶつけた。


「一体何を言っているのだ?」


 するとアルゴスは、満面の笑みでヘルメスに詰め寄った。そして、囁くように言ったのだ。


「神に仇なす神の敵。その証拠に生命の理を逸脱しあのような姿をしております。我々に与えられた使命は邪悪なるものを討ち果たすこと。奪われた女神の美しき涙を取り戻すことでございます。」


 それを聞いたとたん、ヘルメスの口元は急激に釣り上がり笑い声すらこぼす。


「はっはっは、名案だ。いや、素晴らしい案だアルゴス! 我らは女神の戦士を聖戦士を育成し、養成し、かの魔王に差し向ける。討ち果たした暁には、女神の元で永遠の命と名誉を勝ち取ると、そういうことだな!?」


 女神など存在しない。故に、女神など有りはしない。だが、エイレーネーの国民たちやこれから聖戦士になろうとエイレーネーに渡ってくる人間にはその限りではない。女神の元など信じているから、そこで永遠で永遠の名誉を受けると思うのだ。要するに、志願するものなど騙される要素を最初から持った潜在的信者なのである。だから、それが人間がひとり行方不明になったとしてもそれをいとも簡単に隠すための隠れ蓑だと気づかない。扱いやすい人間なのだ。頭のいい人間なら、最初から志願などしない、ゼアルを倒せるほどの人間は手に余るから殺してしまうぞと最初から宣伝しているのだから。


「そのとおりでございます。露見することによって怒りが生まれるならその怒りの向く先を逸らしてしまえばいい、でございましょう?」


 ヘルメスはかつてないほどに笑った。まず、彼は怒りの矛先をタナトスにそらすことができるのだ。民は死に物狂いで働きそれを取り戻す手伝いをしようとする。騎士団はさらに過酷な訓練に耐え自ら聖戦士になろうとする。国民は全て信者なのだ、本当に必死になるだろう。そして、ヘルメスの元にはこれでもかというほどの富が集まる。志願兵も増えるだろう、そうすれば増税ができる。そして、民が現状になれれば聖戦士を魔王に殺させればいい。これで彼らはいくらでも私腹を肥やすことができるのだ。


「お前が私の右腕で本当に良かった! 気に入ったぞ! なんならうちに女が生まれたとき妾にくれてやってもいい!」


 そう叫ぶほどにヘルメスは上機嫌になった。


――――――――――――――


 小さな王国の小さな城で、不気味な骸骨の王は玉座で一人銀の空に浮いた銀の円形の鏡のようなものを覗き込む。英知を司る<メティス>の魔法のその一部である。その魔法は知っているのだ、過去も未来も現在も。そして、その知覚、知識、英知は世界を覆う。その魔法は知っている。この世の全てを、だからこそ知りたいものを、その魔法に伝えれば知ることができないことなど何一つないのだ。


 鏡に映し出されたのはふたりの男。聞こえる声は下卑た笑い声。映し出された者たちは気づいていない。見られていることに。だから、いつまでも下品に笑い続ける。


 鏡を覗く骸骨の王はそれを見て笑う。それは、どこか不愉快そうに。だが、鏡に映し出された男に比べ、いやそれらに比べるのは失礼であると言えるほどにはまだ上品な笑い声だった。やがて、笑いが収まると骸骨の王はポツリとつぶやく。


「どこまでも不愉快な奴らだ。」


 骸骨の王はその長い生涯で最も怒っていた。その証拠に、その手は震え笑っていながらも、誰も近づくことができないほどの殺気をばら撒いていた。だが、鏡に映っていた男たちは一つだけゼアルを愉快にさせたのだ。


「しかし、魔王か。悪くない、この見た目も存外役に立ちそうだ。」


 そう言いながら、王は鏡に映し出された二人を、いやそれと同じ種を根絶することを誓ったのだ。


 シャマルはかつてゼアルの師匠であった。彼に魔法を教えたのはその民だ、そしていつしかゼアルはその民に認められ魔法を語る友となったのだ。だから分かる、誰かが殺さなければシャマルはきっと滅びなかっただろうと。だからこそ、ゴルダがシャマルを滅ぼしたのだと断定したのだ。だからこそ、<メティス>に尋ねた。シャマルの民を滅ぼしたのは誰かと。けっかとして、その断定は正しかった。シャマルの民の最後の地に茸の胞子を持ち込んだのはルシフ・シシフォスである。

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