第十四話:虎を囲う鼠
ラディナは一匹の牧羊犬を屠った後に王城にて第三騎士団と合流し、国王アフロディーテ・アルデハイドを救出した後全軍を率いてタナトスへ向かっていた。
同時期、アルデハイド王国衰退の原因を作ったエイレーネー神聖国は世界最強の国として認められることになり世界中から同盟の使者が殺到する。中でもこの時世界の情勢に最も影響を与えたのが四国同盟と言われる軍事同盟である。この同盟はとある一つの国を滅ぼさんがために設立されたものである。その同名の加盟国はまず、同盟の盟主としてエイレーネー神聖国。そしてその他の三国はタナトス北方のイタリカ、同じく西方のラバル、そして東方のカディナである。この四国は前述の通りタナトス及びアルデハイド王国を包囲するように存在しており、当然この同盟が滅ぼさんとする国とはタナトスのことである。
この同盟が成立したことにより、イタリカ、ラバル、カディナは示し合わせたようなタイミングでそれぞれ五万ずつの兵をタナトスに差し向けたのであった。これは三国ともほぼ全兵力と言える数であり小国であるタナトスを攻めるには明らかな過剰戦力である。だが、この三国は永きに渡り、タナトスに辛酸をなめさせられてきた。よって、対タナトスに対しては一切の出し惜しみをしなかったのである。
総勢十五万にも及ぶ巨軍、そして、エイレーネーの援軍すらありえるのである。エイレーネーがアルデハイド王国を陥落させた場合エイレーネーはタナトスへの兵站を確保することができてしまう。補給線も、何もかもが無理なく構築可能だ。しかも、状況は最悪である。タナトスは四方を敵軍に囲まれているのだ。包囲殲滅、それは戦術における最高の一手でありそれを成り立たせることができればかなりの不利を覆せるとされる。それを小国に対し大国が力を合わせて行っているのだ普通であれば万に一つも勝ち目はない。
だが、タナトスにはゼアルが居るのだ。馬鹿馬鹿しいまでに強い、世界最強の軍がそこに布陣しているのだ。彼は個にして軍である。
「諸君らに提案する。今すぐ撤退するが良い。そうすれば命ばかりは拾うことになろう!」
ゼアルはその声に皮肉を込めて言い放った。十五万の軍勢を目の前に一切恐れず、それどころか命乞いする代わりに退けと言ってのけたのである。
「馬鹿め、一人で何が出来る!」
当然の反応である。ゼアルもよく聞き慣れた反応だ。そんな反応が未だ遠方の敵陣から聞こえてくる。ゼアルの声が相手に届いた理由は<オレイアス>の効果によるものである。相手の声をゼアルが効くことができたのが、それが怒号とも言えるほどの大声の罵倒だったからである。
やれやれ、と頭を抱えた後ゼアルは一つの魔法を発動させる。数が足りないならば補えばいい。陣形が不利なら相手の陣形を乱してしまえばいい。故に発動された魔法は<リザレクト>かつて、ラディナが率いた第三騎士団を壊滅させた魔法である。歪な、不完全な蘇生を行うその魔法が広く、広く、戦場を埋め尽くすように広がっていく。ラディナを相手取ったときは、ゼアルはまだこの魔法自体も手加減して発動していたのだ。だが、今回は手加減をしない。人間も、動物も、過去にその地で死んだ全てを蘇らせる。たとえ、千年前、いやゼアルが生まれるはるか昔、伝説と神話に描かれた生き物たちまでもが蘇る。
骸骨の兵士、骸骨の虎、骸骨の獅子、果ては骸骨の巨人までもが蘇る。神代の巨人はそれこそ格が違う。今や混血となりはてすっかり小さくなった巨人たち、それでもその身の丈は大きいもので10mを超える。だが、それは天をつく山のような巨人、その頭は雲を抜け雲海を見下ろすほど。それだけではない、現代には滅びた巨大な生物も数多蘇る。大型の爬虫類や、空を飛ぶ怪鳥も骸骨の姿で蘇らされ大地を空を埋め尽くした。もはや一対十五万ではない、それは数億、いや十数億にも及ぶ大軍にわずか十五万で挑むような無謀な光景である。
だが、敵もその魔法を知らなかった人間ばかりではない幾人かの人間が蘇生によって無理やり肉体に結び付けられた命を、再び魔力へと再変換し、駆逐する。それは、闇に属する禁忌の魔法の一種。命を魔力に変換してしまう<タルタロス>の魔法である。死者にのみ効力を及ぼす、浄化の魔法など存在しない。代わりに存在するのが<タルタロス>である。魔力から生み出された魂を肉体につなぎとめる魔力によって作られた命というつながりの糸を無理やり魔力に戻す魔法だ。死者も生者も関係なく、その魔法は命に効く。
前衛の兵士たちが、その骸骨の軍団を足止めし、後ろから魔術師が<タルタロス>を放つ。そうしてようやく戦場は膠着する。流石に組成された兵たちはさほど強いわけではない。故に、その程度で膠着に持ち込むことが出来るのだ。
――しかし、そんなギリギリの膠着がいつまでも保つことはない。――
いつの間にか空には暗雲が立ち込め、雨が降り出す。それは最初こそ、ポツリポツリと空から雫を落とすのみであったが、それは次第に激しさを増していく。そしていつしかその雨はまるで天の川がそのまま空から落ちきたかのような豪雨になる。
それだけの豪雨であれば、その雨水を飲んでしまう兵士もいた。その雨水を飲んでしまった兵士は哀れにも全身の筋肉を激しく痙攣させ始める。表情筋も痙攣し、まるで笑ったように固定され、やがて横隔膜や心筋すらも痙攣させ恐怖と苦痛の悲鳴をあげながら次々と倒れていく。ストリキニーネ、この雨に混じっていた魔法の毒とよく似た症状を誘発させる毒である。この雨にはそれによく似た成分組成を偽装する魔法が混じっていたのだ。
さっきまで、前線を担い、それを押し留め後衛を死守していた歴戦の戦士たちが。あるいは、後衛からその魔法で幾度となく起き上がってくる骸の兵士に止めを刺していた、希望の光が。それらが、想像すら絶する壮絶な悲鳴を響かせ次々と死んで行くのだ。あるいは死に至らなくても、地べたに転がり全身を痙攣させるものもいる。
雨は、すぐに止んだ。だが、空は未だにいつでも雨を降らせられるのだぞと言わんばかりに黒い雨雲を一面に広げている。筋肉に作用する毒は骸骨の兵士たちに一切の影響を及ぼさないよって、三国の同盟軍だけがその被害を受けたのだった。毒を受けてなおも生き残った者はその、強烈な苦痛にトラウマを受け付けられ継戦不能となる。それどころか、その症状を喚き散らし口々に撤退を叫ぶ。戦場における兵士たちの士気の究極的な低下、即ち恐慌と潰走状態である。やがて、それは兵士たちを前線から遠退け、僅かな兵だけを残す。だが、ここで戦場に幾多もの馬が駆ける音が鳴り響く。そう、鳴り響いてしまったのだ。
それらの先頭はアルデハイド第三騎士団。だが、それを追随するように地を埋めるほどのエイレーネー神聖国の騎士団及び司祭団である。これを援軍と捉えた三国同盟軍は毒の影響を直に受けたもの以外全て勝機はまだあると考え戦線に残る。それどころから、アルデハイド第三騎士団を追随するエイレーネー軍が空に打ち上げたひとつの魔法によって再び雨が降り出し、その雨が兵士たちの傷を癒していく。それだけではない、今さっき死んだばかりのものに限り、再び立ち上がり、息を吹き返したのだ。
<アポロン>、共振の魔法。その魔法は、触媒に使った物質の効果を広く広域に広げる。そして、死者を蘇らせることができる薬はこの世に一つしかない。フィロスフィア、あるいは賢者の石と呼ばれるそれによって変質させられたあらゆる液体である。それは、生命の水とも呼ばれる最高の薬へと変貌を遂げる。あらゆる病を治し、未だ魂が其処にあるのなら死者ですら蘇らせる。それどころか、それは生命を補充し命を長らえる。錬金術の最高到達点と言われるエリクサーそのものだ。<オルフェウス>によって生み出された錬金術体型、その頂点とも言える触媒、フィロスフィアはいとも簡単にその最高の薬を量産する秘匿された奥義である。だが、それはの製法を知るのはこの世でただ二つだけ、一つは既に滅びたシャマルの民、もう一つはその全てを共に解き明かしたシャマルの民の古き友ゼアル・アルデハイドだけである。そして、このフィロスフィアは世界にひとつしか存在しない。そしてそれは、シャマルの民と共に巨大な菌糸の集合体、要するに茸に覆われた彼らの最後の地でともに眠っているはずなのである。