第十三話:剣戟の極地
骸の馬に乗って先頭を行く。ラディナは戦場を駆ける死そのものだった。馬鹿馬鹿しいまでに強く敵が立ちはだかろうと物ともしない。盾も鎧も彼女の前では役に立たない。彼女は、そのすべてを切り裂いてみせた。ただ、バカ正直なまでに強かった。
「おい、ラディナ! お前また強くなりやがったな!」
第三騎士団の中でラディナを名で呼ぶものはアレスただ一人だ。彼はかつてラディナに負けた元アルデハイド王国最強である。その時のラディナは強烈だった、アルスが訓練用の気の大槌で最初こそラディナを翻弄したが、その間合いや攻撃のリズムを掴んだ瞬間に手に持った木剣で大槌を切り裂いてみせたのだった。だが、今のラディナはその時よりなお強い。彼女が通った後には骸しかなかったのだ。一撃一撃が、音速を超え、空気を切り裂いて衝撃波を飛ばす。それらが、それらは旋風となって容赦なく敵を刻んだ。
「なんでだろうな、まるでこの剣が僕の体の一部みたいに感じるんだ!」
風に髪をなびかせながら答える様はまさに花だった。戦場に死を撒き散らし赤い鮮血に濡れる彼岸の花、それがラディナだった。
だが、それは同時に危険な強さだった。無理やり決めた覚悟はラディナに恐怖を、少しずつ、だが確かに与えていった。それは罪悪感というのが相応しい、人を殺したという感覚だ。自分の剣が、自分の心がそれを殺せと叫んだから殺したのだ。その責任を他人に押し付け続けたラディナには初めてだったのだ。だが、それ以上に今は後ろに仲間がいる。だから、そんなことを自覚している時間がなかったのだ。
突き進むとやがて立ちはだかる一人の騎士が居た。牧羊犬である。ラディナはこれまで通り通りがけにその剣ごと、その男を切り裂こうとした。だが、その男はラディナの剣戟を避けるでもなく受け止めたのだ。
支点、力点、作用点、てこの原理に於ける三大要素である。支点と力点はラディナの肘になる。そして、作用点とは相手の剣とぶつかる位置である。剣の先に行くにつれてその速度は速くなり、よって衝撃力も強くなる。逆に根本に行くにつれてその速度は遅くなる。牧羊犬はラディナ手元にまず自分の剣を当て、少し引きながら速度を殺して剣先を受けたのだ。当然、そんなことをすれば剣が剣がボロボロになる。なにせ相手は鉄を切る技を持った剣の達人である。
「ちっ!」
舌打ちとともに、ぼろぼろになった剣を捨て、転がっている剣を拾った。それはきっとそこらじゅうに転がる死体の剣である。
「団長の剣が……。」
カロンは驚愕に目を見開いた。鉄をも切り裂く騎士団長の剣を、更に鋭さを増したその技をその牧羊犬は受け止めてみせたのだ。
「そういうこともある。」
そう言いながら、ラディナは馬から降りた。確かに馬に跨っての突撃力を利用した剣戟は強い。だが、繊細さを欠くのである。故にラディナは馬から降りたのだ。
「僕はアルデハイド王国第三騎士団団長、ラディナ・オネイロスだ! この戦場にて我が剣を受け止めたのは貴公が初めて。名を聞いておきたい。」
ラディナは自分から気をそらさせるために大仰に名乗ってみせた。相手も騎士だ、あわよくば一騎打ちに持ち込むことが出来る。そうすれば、その間に団員たちを先行させ本陣を落とすことも出来ると確信したのだ。
「神に仇なす俗に名乗る名はない!」
牧羊犬はきっぱりと言い放った。エイレーネーの人間にとっては信者にあらずは人にあらずなのである。エイレーネーとはいつか来たる平和の象徴であり、それをもたらす神なのである。それを進行しないということは、平和を望んでいないということにほかならない。つまりは、人の命を食い物にするような人間だと思っているのだ。
「そうか、名乗りを躱すこともできないとはつまらない教義もあったものだな。」
ラディナは皮肉った笑いを見せてやった。相手の名を聞けないことを憂いたふりをして味方に先へ行けと目配せをしながら。
「どうあっても死にたいらしいな。侮辱された以上、手加減などせんぞ!」
もとよりラディナはそんなものを望んでいなかった。むしろ、そのような激昂を誘い相手の目を自分にくぎ付けにするのが一番の目的だったと言っても過言ではない。つまりは、戦場のその場を支配したのはラディナだった。ただ一点を覗いては。
ラディナを残し、他の騎士たちは先行しようとした。それは当然ラディナの勝利を信じるからである。彼女が勝利できない相手など他の誰にも勝機はない。なぜなら、ラディナは王国最強なのだから。だが、ここで第三騎士団全てに対し想定外の事態が起こった。王城からの早馬が飛んできたのだ。
「伝令! 第一、及び第二騎士団が壊滅寸前! 至急救援に向かわれたし!」
第一、第二騎士団の壊滅。それはその後数分と立たず王城が陥落することを意味する。不利な状態での消耗戦は無駄に兵を浪費するだけと考え電撃戦に打って出たラディナ出会ってもそれを無視することはできない。だが、救援に兵を割けば敵本陣を陥落させるのは絶望的なる。残された道は一つだった。
それは、完全な敗北と言える戦争の結末。捨て肝上等の撤退戦以外の道が全て閉ざされてしまったのだった。要するにラディナは間に合わなかったのだ。電撃戦にはもともとタイムリミットが存在する。それは、数的有利が発生する前に敵の兵站を分断し究極的には敵本陣を落とすという作戦である電撃戦の性格上、敵が陣形を立て直すまでというタイムリミットである。しかし、今回においてはそれよりもっと短いリミットが存在していた。第一、第二騎士団が耐えられるうちにというリミットである。それは、あまりにも短いとラディナもわかっていた。だが、第三騎士団なら電撃戦が失敗した後即座に転身し、撤退戦に対応することが出来るという信頼があった。だからこそ、唯一の勝ち筋に賭けたのだ。
「第三騎士団全軍後退! 第一、第二騎士団の援護を行った後陛下を連れて撤退せよ! 目指すは同盟国タナトスだ! なに、なんとかするさ。彼の国の王は我が友だ!」
声帯が擦り切れんばかりの大声を上げ、ラディナはその命令を第三騎士団に伝えた。だが、同時にその騎士団めがけて高速で突っ込む一人の剣士が居た。さっきまでラディナだけと対峙していた牧羊犬である。
ラディナは牧羊犬の一撃を弾くとほくそ笑みながらも言った。
「行かせると思ったか?」
牧羊犬はラディナを憎々しげに見つめるとありったけの憎悪を込めて言葉を吐き捨てた。
「異教徒め! 殺してやる!」
だが、ラディナは笑う。
「ははは、貴公では役者不足だ。」
当然である。確かにラディナの技を受け止めたこの牧羊犬の技は凄まじい。だが、それも馬を降りたラディナには遠くおよばないのだ。ラディナが馬から降りたのであればその戦い方は力よりも技、速さよりも鋭さである。つまりは、彼女の技は先程までの騎乗戦の比にならない。
牧羊犬はこれ以上挑発されないために口を噤んだ。対するラディナは開戦が近づくのを感じその全神経を限界まで研ぎ澄ませ目の前の牧羊犬に集中する。ラディナは剣の腕に関して絶対的とすら言えるが、今彼女の前に立つ牧羊犬も達人の領域に足を踏み入れているのは間違いない。もしも、ラディナが気を抜くことがあればこの牧羊犬はラディナを切って捨てるだろう。達人同士の剣戟は常に一撃必殺の応酬なのだ。
気迫が時を止める。双方構えたまま動かず。だが、戦いはすでに始まっていた。呼吸のリズム、眼球の動き、筋肉の微動作ですら戦いの一環である。互いに三度呼吸し、牧羊犬が足に力を込める。その瞬間を見計らってラディナは溜めた息をグッと止めて牧羊犬より一瞬早く踏み切った。牧羊犬は上段の構えであり、それが振り下ろされる地点もラディナには見えている。だからこそすれ違いざまの抜き胴で牧羊犬の腹を切り裂く。
その傷は深く、上半身と下半身に体を二つに分けてしまうほどだ。だが、辛うじて皮一枚でつながっている。
座り首、介錯人が首を落とす際に完全に落とすのではなく首の皮一枚残して斬る事によって死して尚も首が残るようにする技である。それによく似た一つの精神がこの地方には存在する。埋葬の慈悲、ラディナがやったように斬った時に皮一枚残す事によって死体が混ざってしまわぬようにという慈悲である。
「お見……事……。」
今の今まで人としてすら見ていなかった相手に剣士として負け。更には慈悲すら掛けられた。だからこそ、賞賛せざるを得なかったのだ。だが、その牧羊犬に残された時間はその短い賞賛の言葉を吐くとともに突きてしまった。それを言ったきり血を吐きもう二度と動かなくなったのだ。
残心、殺し切ってもなお相手に対し警戒を示す。だが、その意味はそれだけではない。それは、強敵への敬意すら含めている。そうして、殺した相手を少しの間見遣り、そのまま剣を鞘に収めた。ラディナは血を払うのを忘れたのではない。その必要がなかったのだ。彼女の剣には一切血がついていかなかったのだから。
ラディナは、即座に馬に乗ると転身し全速力で自分の部下たちを追いかける。こうして、第二次アルデハイド籠城戦はその性質を撤退戦へと変化させた。