第十二話:偽りの覚悟
アルデハイド王国市街地南部、苔の城壁付近。ここにはエイレーネー神聖国騎士団約一万、司祭約二千が展開される。迎え撃つはアルデハイド王国元第三騎士団約八千である。
同時期に、それぞれその場所から東西に三キロほど離れた街道でも同様の布陣が成されている。そしてそれぞれ、東に第一騎士団、西に第二騎士団を展開し迎撃に当たってる。アルデハイド王国騎士団は総数残り二万八千。対するエイレーネーの騎士と司祭の混成部隊は三万六千。更に城外に居る、攻城兵器を操る兵士が六万存在する。攻城戦において魔法使い、エイレーネーで言うところの司祭は一般的に騎士の五倍の効果を持つとされている。
第一次アルデハイド籠城戦でのエイレーネーの死者は一万。アルデハイド側は第三騎士団から二千の死者と戦術的には勝利と言っても過言ではなかった。しかし、それは援軍が到着しない前提での勝利である。この時エイレーネーからは司祭という名の魔術師を擁する大規模な援軍が到着したのだ。籠城戦における法則の一つに三倍の法則というのがある。これは、相手の城を陥落させるためには相手の三倍の兵力を用意しなくてはならないということである。現在、エイレーネーはアルデハイド王国の三倍以上の兵力を揃えている。当然アルデハイド王国の旗色は悪い。一瞬でも気を抜いた瞬間に攻め落とされるのが落ちである。
戦場に法螺の音がなる。エイレーネーの攻撃開始の合図である。法螺の音とともに、轟音が鳴り響き、エイレーネーの騎士が一気にアルデハイド王国騎士団に向かっていく。アルデハイド王国は狭い地域において寡兵にもかかわらず三方面作戦を強いられることになる。逆に数において有利であるエイレーネーは余剰戦力を少なくして火力を十分に発揮できるため戦線は伸びれば伸びるほど相対的に有利になるのだ。
「魔術師! 結界を!」
法螺の音が鳴ると同時に総指揮官に任命された第一騎士団団長の男が叫ぶ。防衛戦において魔術師は強力な城壁となる。結界によって投石や矢の雨を防ぐことが出来るのだ。だが、代わりに防衛戦において魔術師を攻撃力として運用するのは愚策である。それは、結界が薄くなることを意味する。よって、投石が簡単に結界を割ってしまうのだ。結界というのは最初に顕現させる時多くの魔力を必要とする。そして、結界が割られるとその部分を再構成する必要が出る。結果魔力が底をつくまでの時間が飛躍的に短くなってしまうのだ。つまり魔術師は結界維持のために全員動員せざるを得ない。
しかし、結界と、それを破らんとする攻撃との予測合戦で圧倒的に勝利できたなら別である。相手の持つ結界突破力の上限を完璧に看破した場合、結界の維持力はギリギリで十分になる。だが、事今回に至っては完全に不可能である。なぜなら、魔術師が攻撃に加わっているからだ。魔術師はその力量によってはたった一人で百人がかりで張った結界に簡単に孔を開けることができるのだ。この際の魔術師の力量とは魔力量のことではない、魔力の制御力である。この制御力に優れる魔術師は魔法を圧縮し一点にとてつもない火力を集中させることが出来る。つまり、結界貫徹力の高い魔法を打ち出すことが出来るのだ。よって、防衛戦において多人数の魔術師を相手にする場合は結界維持に全力を注がざるをえない。
「騎士団! かかれ!」
エイレーネーの将校が言う。結界とは攻撃に対する防壁であり、攻撃自体以外の侵入を防げない。よって攻城戦の定石は結界に魔術師を釘付けにし、歩兵を結界内に侵入させ、続いて何人か魔術師を送り込む。送り込んだ後は結界を維持する魔術師を殺し結界を解除した後全軍で叩き潰すというものである。
「第三騎士団の誇り見せてやろう!」
先頭に立ちアレスが叫ぶ。アルデハイド王国最強の第三騎士団は団長の指揮のもと動いていないのだ。あくまで団長とは先陣をきる役である。故にこの騎士団は最初からまとまってなどいない。そもそも、型破りが多すぎて指揮など無理なのだ。だから、全員が知っている自分がどこにいれば一番戦力になるのか。そして、誰と連携を組むのが最適なのか。よって、第三騎士団のすべての兵は戦場で奇抜な即興劇を繰り広げ続けるのだ。
「おー!」
団長ラディナ・オネイロスは不在である。にも関わらず、彼らは全員が全員戦場での大親友同士である。故に結束し、歓声の大合唱を行う。八千人の全力の気合が篭ったその歓声は、猿叫となり敵を一瞬怯ませる。
そして、そのすきをアレスは見逃しはしない。
「おらっ!」
その掛け声と共に振り下ろされた大槌がエイレーネーの兵士を数人まとめて叩き潰す。圧力によって無理やり潰された死体はその圧力によって血液が皮膚を破るまで耐えてしまう。それが故に、血液は四方に飛び散る。
「ひっ! 化物!!」
それも含めて戦略である。恐怖を煽り、敵の足止めを延長する。
目の前で仲間が殺された恐怖に顔を歪め、足を止めているうちに兵士たちの間に一本の光の線が走る。つづいでベチャリ、ベチャリと言う湿質な嫌な音が続き。幾つもの血の噴水が空に向かって立ち上る。その中心には黒いマントを来た一人の青年が居た。カロンである。
「流石だ!」
アレスはカロンに向かって惜しみない賛辞を送った。
「……ん、いつもどおり……。」
対するカロンはそれが当たり前のことであるように表情を変えない。
この二人のコンビネーションこそアルデハイド第三騎士団中でラディナを除いた最強のコンビネーションである。
同時期東西の戦場では第一、第二騎士団は押され気味であった。しかし、数的不利にも関わらず善戦している二つの騎士団は健闘しているといえるだろう。第一、第二騎士団は主に貴族位の騎士である。男爵や子爵、伯爵と言った爵位を持つものが多く、戦闘能力に優れているとは言い難い。だが、二つの騎士団には有能な指揮官が居た。鮮血公爵『アドニス』と熱血侯爵『パリス』である。故に東西の戦場は戦えていると言っていいだろう。
加えて、この時アルデハイド王城でも戦いは起こっていた。魔術師達による結界戦である。魔術師たちはその魔力を総動員し、限界まで集中力をつぎ込んでそれを維持している。空からは未だ大岩と魔法の雨が降り注ぎ今にも王城を完膚なきまでに破壊しつくさんとしていた。魔術師たちはそれを止めるため、最も危険な王城の塔の上で結界を維持し続ける。破れたら、その雨が降り注ぐのは、自分たちの立っているこの城であると自らの心を背水の陣に立たせて。
それぞれがそれぞれ自分の戦場を必死に死守し続けている。魔術師たちは騎士のために、騎士たちは魔術師のために。互いに助け合い、支え合うことで戦場は維持し続けられているのだ。例えば、結界がなくなったとしたら、王城に礫の雨が降るだけでなく結界を利用して魔法を防いでいる騎士たちにエイレーネーの司祭の魔法が炸裂してしまう。結界とは騎士に与える対魔法の盾も兼ねているのだ。
だが、エイレーネーの猛攻は凄まじい。結界を維持し続ける魔術師たちの額にも自然と汗が滲む。
そんな戦争のさなか、司教のスータンを着た男が一人の指揮官に言う。
「手こずっておりますね。これ以上兵を死なせてしまうのはとても悲しいと思いませんか。」
司教は悲痛な顔を浮かべていた。彼もこの時ばかりは本心から悲痛な表情をしていた。自分が民から税金を徴収する口実が減ってしまうから。
「申し訳ありません、猊下。」
対する指揮官は司教にとっての牧羊犬である。牧羊犬は、飼い主の本心を知らない。だから、ほんとうに心を痛めているのだと勘違いをする。
「いいえ、私が悪いのです。もっとうまくやれていたなら……。しかし、これ以上は許せません。法螺を三回吹いてください。」
あくまで司教は、人のいい聖職者の鏡を演じ続ける。人前では常にそうである。
「何か……あるのですか……。」
牧羊犬は訝しげに首を傾げる。
「申し訳ありません、敵を騙すには味方からと申しますので隠しておりました……。まだ、私達には味方がいるのです。それを目覚めさせる暗号です。」
司教は憂鬱そうに、申し訳なさそうに牧羊犬に頭を下げた。
「頭をお上げください。さすが猊下でございます! 感服いたしました! では、早速。」
そう言って牧羊犬は法螺を三回鳴らした。エイレーネーの味方を目覚めさせる暗号でを。
裏切りの法螺を。
法螺の音が三回戦場に鳴り響く。それは遠く、アルデハイド王城にまで届いた。当然塔の上の魔術師達もその音を聞く。音を聞いた魔術師の何人かがにやりと口角を上げる。そして、結界を維持するために天に翳した手をすっと下げる。
「な! 何をやっている! 早く戻れ!」
隣の魔術師が慌てたように言う。この段階だから、こうなったのだ。これまで、冷や汗を垂らしながら一緒に結界を維持してきた相手だだから魔術師はそう言った。きっと疲れたのだ、活を入れてやろうとそう思って。
「<ヘファイストス>」
<ヘファイストス>。それは、魔術師ならば必ず誰もが知る魔法。炎の魔法であり、最初級の攻撃魔法である。それを、仲間の魔術師に向けてはなった。
「うわーあぁ!」
これを受けた対象は、放った魔術師の力量にもよるが炎に包まれる。特に、力量の高い魔術師ほど、対象を一瞬で焼き尽くす。逆に平均的な魔術師であれば、対象はそれにより致命的なやけどを負うが、即死には至らない。
「血迷った……か!?」
焼き払われた魔術師は最後の力を振り絞ってその裏切り者を睨みつけた。
そんなことが、王城の各塔の上で繰り広げられる。そして、王城を守る結界は薄れ、ひび割れて消えていく。当然、王城にも巨岩の雨が振り、塔は崩れ、魔術師たちは命を落とす。だが、それで構わないのだ。
「女神エイレーネーのために、いつか来たる平和のために!」
なぜなら、裏切った魔術師たちは平和という甘言に惑わされた女神エイレーネーの狂信者なのだから。
結界の崩壊によって、騎士たちは魔術師による魔法の集中砲火を受け始め徐々に徐々にと命を落とし始める。それは、アルデハイド王国最強を誇る第三騎士団も例外ではなかった。
「一体どうなってやがるッ!」
そんな愚痴をこぼしながらアレスは手に持った大槌で目の前に迫りくる魔法を出来得る限り撃ち落とす。
「多分……裏切り……。」
カロンにはそれほどのことはできないが、猛烈な魔法の弾幕を躱して敵の魔術師の首をはねる。だが、その鉄壁の守りから抜けた魔法が一人また一人と確実に第三騎士団の兵数を削り取っていく。
その時、声が響いた。恐慌一歩手前と言った状態の第三騎士団に向けて清廉な女の声が響いた。
「我が騎士たちよ、友たちよ。慌てるな! 我々は常に不利を戦い抜いてきた! 我々は不可能を可能にし続けてきた! それは、我々が一人残らず互いに互いを友だと思っているからだ! 忘れたか!? 我々はが家族であるということを! 忘れたか!? 共に戦ったとあの時を! 僕は一度も忘れたことがない!」
それは紛れもない、第三騎士団団長にしてアルデハイド王国最強の騎士、ラディナの声だった。
「ハハッ、かっこよくなっちまって……。」
アレスはその声を聞いて口角を上げながらいっそう体に力をみなぎらせる。腰を抜かし、今にも逃げ出さんとするものは立ち上がり剣を構えた。その目を恐怖に曇らせるものは、目に光を取り戻した。そして、口々に言う、叫ぶ。
「忘れたことなんかない!」
と。
そして歯を食いしばってその目を眼前に迫る嫌になるほどの魔法の大軍に向けた。
「ならば我々は今から進軍する! 目を開け! 敵を見ろ! 我らが祖国を救う道はそこにある! 全員僕に続け!!」
その声ともに、第三騎士団は奮い立ち目の前に向かって進軍を開始した。残る第三騎士団総数約六千。だが、誰の目にも恐怖はなかった。となりには、何度も背中を預けた友が居たから。
そして、そんなラディナはそれを守るために今だけでもと、自分のためだけに、自分の守りたいもののためだけに剣を振るう覚悟を決めた。幾千、幾万の命を自分の意志で屠る覚悟を決めた。故にラディナの剣は鋭く敵を切り裂いた。
だが、ラディナはその付け焼き刃の覚悟の代償をその日の晩初めて実感することになったのだった。