第十一話:召還
ラディナがタナトスを訪れて一ヶ月経った夜。王城の塔の上から星を眺めるゼアルのもとにに一羽の鳩が舞い降りた。鳩は足に手紙を括りつけられた所謂、伝書鳩というものである。手紙の差出人はアフロディーテ・アルデハイド。即ち同盟国アルデハイド王国の国王からであった。
『親愛なる同盟国タナトスの国王よ。どうか私の願いを聞き届けて欲しい。我が国は今危機に陥っている。エイレーネー神聖国という国の侵略に会い今にも滅びようとしているのだ。しかし、タナトスの戦力はゼアル王ただ一人。それを借り受けたいとは申せない。だが、どうかこのことをラディナへ、我が国最強の騎士へ伝えて欲しい。そして、願わくば産土へ骨を埋めるか異国の地にて永らえるか彼女自身の判断に任せて欲しい。私には、何が正しいのかわからないのだ。だからこそ彼女自信に決めてもらいたい。』
宛名はゼアルだった。賢王たるゼアルには国王の思惑が見て取れた。それは簡単なことだ、アフロディーテの中では二つの思いがせめぎ合っているのだ。一つは、何も知らされず何もできずに産土の地を失う無力感、虚脱感、それを少しでもラディナから取り除くため知らせ、守る機会を与えたいという思い。もう一つは、おそらくアルデハイドは滅びるだろう。そのときにラディナだけでも生かしたいという思い。どちらも、国王としての思いではなかった。ラディナを想う彼女の親のようなそんな思いだったのだ。
だからこそゼアルは決めた、ラディナが望むならアルデハイドに行かせ、もしどういう理由であれ帰ってきたなら再び招き入れようと。もし、帰ってきた時アルデハイドが滅びているようなら彼女はもらってしまおうと。我がタナトスの国民にしてしまおうと。そう、決めたのだ。
「ダモクレス、聞こえるか? ラディナを呼んで欲しい。至急だ」
<オレイアス>山彦の魔法。声の無限の反響によってはるか遠くまで声を届ける魔法である。よって小さくつぶやくように言われたその言葉は、変わらぬ大きさのまま城中に響き渡りダモクレスの耳にも届いた。
「はい、陛下。只今呼んでまいります」
ダモクレスは同じく<オレイアス>を用いて返事をする。そしてすぐに城を飛び出しラディナの下へ走った。
夜の帳は松明の外套に切り裂かれ町に未だ落ちきらずに居る故に街の闇はまだ浅い。しかし、それはダモクレスにとって関係のないことであった。夜の闇は彼の視界を遮ることはないのだ。たとえ深淵の闇であったとしてもである。
ダモクレスは夜の闇をかけて、一つの宿屋にたどり着く。そこはラディナが泊まる宿屋であった。
「すみません、主人。陛下の名にて、ラディナ殿をお連れせねばなりません。私は副王ダモクレスでございます」
その名を、その顔を知らぬものはこの街には存在しない。ダモクレスは嫉妬の的であり、憧憬を受けるものであり、そして忠誠を誓われるものである。僅かな嫉妬を向けられながらも愛されているのが彼である。
「わかりました、ついてきてください。ラディナさんはこちらです」
故に国民のほぼ全てが彼に協力的である。
「感謝します」
そう言いながらダモクレスは宿屋の主人に続く。案内された先は、宿屋の奥の部屋。要するに上等な部屋である。人質であると同時に、国王の客であるラディナはこのようにこの街で歓迎を受けているのだ。タナトスの人間でラディナを人質として扱うものは居ない。それは、一般的に彼女はゼアルの友であると思われている。それはある意味正しかった。ゼアル自身がラディナを友と思っているのだから。
「ラディナ様。王城より副王ダモクレス様がお見えです」
宿屋の主人はその部屋の扉をコンコン、コンコンと四度軽く叩き要件を伝えた。ノックを四度行うのは礼儀である。三度であれば親しい間柄を示し二度はトイレでのノック、なので敬意を示す相手へのノックは四度なのである。
「わかった、お通ししてくれ……」
中から帰ってきたのは扉に遮られた、くぐもった声。だけど確かにラディナの声であった。だから、ダモクレスは言葉に従い部屋に入る。
「ラディナ様、夜分に失礼いたしました。国王陛下が至急王城へとお呼びです」
入るやいなやである。ゼアルは至急と言ったのだ、故にダモクレスも挨拶も出来るだけ簡素な物で済ませ本題を話す。
「ゼアル殿が? わかった、今から向かう」
普段は、ゼアルと呼び捨てにしている彼女であるがこの時ばかりはしっかりと敬称を付けた。
言い終わらぬうちに、ラディナは騎士としての正装、鎧を付け剣を腰に差したその格好へと軽い着替えを済ませる。着替えとは言え、未だ寝間着に着替えたわけではない。ただ、外した鎧を付け直し、腰に剣を差すだけである。見られて困るものは一切ないのだ。
「よし、すぐに行こう!」
それらの着替えが終わるやいなやダモクレスに声をかけると急いで宿屋を後にした。ラディナの心には一抹の不安があった。このタナトスに危機が差し迫ったとしてもゼアルがなんとかしてしまう。呼ばれるということは危機が迫っているのはタナトスではないことを意味する。つまりは、ほぼ確実にアルデハイドのことなのである。
「はい、ラディナ様」
ダモクレスはラディナを先導するように少し前を掛けた。再び夜の闇の中を走っていく。夜の闇の中であれば、行き慣れているとは言え種族的に夜目に優れるわけではないラディナでは万に一つ道を見失う可能性があるということからの配慮である。
もちろん、これはいらぬ心配だった。ラディナは人間である以前に、ゼアルより剣に優れる達人である。彼女の領域ではもはや目で物を見ることはしない、殆どの物は気配でそこにあることを知っているのだ。故に夜の闇は彼女の行く手を阻むことなどできないのである。そして、そうである理由は簡単だ。物を見て判断するのは彼女にとってあまりに遅すぎるのである。
種族的に身体能力に優れるダモクレス。鍛え抜かれたが故に絶大な膂力と、鋭敏な感覚を有するラディナ。二人の歩みは早く、わずか数分のうちに王城に到着するのであった。
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王城に到着すると、ラディナが通されたのは玉座の間である。そこには、早く伝えねばと待ち構える国王ゼアルが鎮座していた。
「陛下! ラディナ様をお連れしました」
ダモクレスが到着早々、ゼアルに向かって言う。本来は無礼である、国王への謁見の際には決まった手順がありそれに則るものである。しかし、それを気にするものなどタナトスには存在しない。
「ダモクレス、ご苦労であった」
短く、そう告げるとほんの半拍と言っていいだろうそれだけの短い時間を置いてゼアルはラディナに語りかける。
「ラディナよ、アルデハイドが危機に瀕している。アフロディーテ王よりは、判断は委ねろと言われている。そこでお前がどうしたいのかを聞きたい」
落ち着いていながらも、どこか残念そうな声であった。事実、ゼアルはタナトスが安全であるならアルデハイドを助けに行きたかった。だが、アルデハイドが危機に瀕し、そこからの援軍が望めないタナトスは今やベビに睨まれたカエルなのである。睨んだヘビたちを生殺しにするため決してゼアルは動けない。
「僕は、祖国を救いたい。だから、アルデハイドに行く。だけど、この国も気に入っているんだ。必ず返ってくるよ……」
ラディナはそう言いながら乾いた笑みを浮かべた。
「死ぬ気はないということか」
それは、ゼアルにとって、嬉しくもあり不安でもあった。
「もちろん無い!」
ラディナはきっぱりと言い切った。
「ならば、ブケファラスを貸そう。千年をともに戦い抜いた戦友だ。きっと役に立つ」
ブケファラスとはゼアルの馬である。千年前から戦いをともにしているゼアルの友であり、ゼアルの自慢の名馬だ。どの馬よりも早く、闇を物ともしない。勇者のごとく勇敢で、怯えることなど決して無い。ブケファラスは、かつては暴れ馬であった。気高く、誰であろうと自分に乗るものを許さなかった。だが、ゼアルだけは乗ることができた。ブケファラスは強者とともに戦場を賭けることを好むのだ。ラディナは間違いなく強者である、そしてゼアルの友でもある、故にブケファラスは許すだろうとゼアルは判断したのだ。
「君の馬か? あれならきっと風よりも早く駆けつけられる」
ラディナはそう言って笑った。
「貸してやるから、必ず帰ってこい」
馬を与える。それはタナトスでは返ってくることが出来るようにというまじないである。ましてや、自分の馬を与えるは生きて帰ってこいという命令に近い意味を持つ。
「必ずや!」
ラディナはゼアルにそう、誓った。
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王城の庭園にて、それは呼び出される。
「来い! ブケファラス!」
ゼアルの掛け声とともに、それはどこからともなく現れる。白骨の史上の名馬、歴戦の勇士、名をブケファラス。
「我が友よ、この女を再び私の元へ連れ帰ってくれ……」
ゼアルがブケファラスに言うと、ブケファラスは大きくいななき、姿勢を下げた。ブケファラスは賢い馬である。認めた相手のためならば、乗りやすいようにと気を使うことすら知っている。
「僕は、ゼアルほどは強くない。でも君にふさわしい戦いをしてみせる」
そう言うと、ラディナはブケファラスにまたがり夜の闇を駆けて行った。危機に瀕する祖国に向けて……。