第8話 ♪藤井香織 ランチの友に助けてもらう
アイスノンを目に当てて冷やしていると、気持ちよいせいか、いつの間にかウトウトしてしまっていたようだ。だからなのか、誰かが休憩所に来たことにまったく気付かなかった。
『やっほ。 カオリン大丈夫?』
え? その声は、私の唯一の友! “総務のあっちゃん” ではないか!
アイスノンを取り除き、顔を上げて相手を確認する。
視線がピタリと合うと、友人が腹を抱えて笑い出した。
……もういい。 三人目だ。 怒る気も失せる。
『ど、どぐう、土偶だよ顔が。 カオリンすごい! 教科書もびっくりだよ』
友人なのに、一番辛辣とはどういう事だね? 泣いちゃうぞ。
『あ、ダメ! そうやって目をこするから腫れるのよ! 涙は流しっぱなしがいいの。覚えておきなよ。土偶にならずに済むからさ』
やっぱり“あっちゃん”は、冷たいのか優しいのかよくわからないお人だ。
“目をこすらない” 覚えておこう。 ……にしても、土偶はヒドイよ。
拗ねていると、あっちゃんが持っていた発泡スチロール箱をあけた。
中から蒸気がムワっと舞い上がる。
『カオリン。 目、つぶって上むいて』
素直に言われたとおりの姿勢をとる。
「アっっっっちぃぃぃぃ!!!」
条件反射だろうか? 襲ってきた目の上の熱い布を払いのけた。
「熱いよ!!! あっちゃん、何すんだよ!!!」
慌てて持っていたアイスノンで目を冷やす。 死ぬかと思った。
チラ見すると 床に落ちたオシボリは、まだホカホカと湯気を立てている。
『アレ? 熱かった? ごめん、ごめん』
ごめんじゃないでしょぉ! 気をつけてくださいよ!
どんだけ熱いおしぼりを乗っけるんですか! コントですか!
『よし、大丈夫。 反省した。 次は適度に冷ましてから渡すね』
さ、最初からそうして下さい! お願いしますよぉ。
恐る恐る着席して、アイスノンを外す。 あっちゃんが熱いオシボリを広げ、適温に冷ましてから私に手渡した。熱くない事を確認して目に乗せる。今度はじわりと熱さが広がった。
……気持ちがいい。
『カオリン……昨日の夜、ずっと泣いてたでしょう?』
突然の質問にびっくりする。どうして知ってるのだろう? うなずいて返事する。
昨晩、泣き納めするかのように号泣した。スッキリした気持ちで朝を迎え、今日から泣かないと決めたのだ。 まぁ、いきなりこんなですけど。
『さっきちょっと泣いただけで、そんなに腫れるっておかしいもんね』
いや、結構即行で腫れていくんだけどね。 っていうか、さっきって?
『あ、小1時間前。私、ここでサボってたんだよねぇ』
なるほど、見てたのか……。
「それで心配してきてくれたんだ。 あっちゃん優しいね」
『ん? 違うよ。 平居さんに頼まれたの……様子を見てきてくれって』
え? いや、そこは言わなくてもいいんじゃない? 自分の手柄にしておこうよ。
『蒸しタオルも頼まれたんだ。 随分心配してたよ、カオリンの事』
ふーん、そうなんだ。 ……まぁ、笑った事は許してやってもいいか。
『でも……カオリン、ツイてないよね』
「え? どうして?」
『だって、この4年半。カオリンが泣いてるトコ見たことなかったもん。大島主任の下で、よく我慢できたよね。 私、感心してたんだから。 もしかして、今日、初めて泣いたんじゃないの?』
……いや、まぁ 2回目ですけど。
『それをたまたま見られて泣き虫だって思われるの、なんだか癪だな』
いや、あっちゃんに知っててもらえただけで充分嬉しいよ。
あっちゃんも職場では絶対泣かない人だ。
二人とも職場で泣く女を軽蔑してきた。 いや、人だから泣くことは構わないと思う。
ただ、泣いて許してもらおうとするのが嫌なのだ。
職場で男女平等を望むなら、仕事に向かう姿勢も同じでないとおかしい。
お昼ごはんを一緒に食べながら、そういう話をよく語りあった。
『平居さんに、泣くな! とか言われた?』
「うん。 売場で働くなら泣き虫はダメだって言われた」
『やっぱり……。 平居さん誤解してるよね。悔しいな』
あっちゃんが自分の事のように悔しがってくれる。 本当にいい人だ。
「でも、平居さんと約束したから……。売場では絶対泣かないって」
『そうか……。 カオリンこれから大変だね』
「うん。……でも、がんばる!」
『そうか。よし、応援する!』
二人で笑いあった。 暫くあっちゃんとはお昼を一緒に食べる事はできなくなるだろう。それでも応援してくれていると思ったら、それだけで心強い。
『どう? マシになったでしょ?』
鏡をこちらに向けて、あっちゃんが尋ねてくる。
あれから何度も、蒸しタオルとアイスノンを交互に繰り返し当ててきた。
それが効いたのか、目の腫れが若干引き始めている。
「おお! あっちゃん、ありがとう。これで売場に行けそう」
鏡ごとあっちゃんの両手を包み込んで感謝の意を告げた。
『よかった。じゃあ連絡するね』
あっちゃんが笑いながら立ち上がり、備え付け電話の受話器をあげた。横についている携帯番号一覧を確認すると、目にも留まらぬ速さで番号をプッシュする。
さすが総務部総務課の花形社員である。
『お疲れ様です。総務の渥見です。……はい。もう大丈夫です。目もだいぶん落ち着きました。』
ちらりとあっちゃんがこちらを見る。電話の相手はたらし天狗だろう。
『はい。あ、そばにいます。替わりましょうか?』
あっちゃんが受話器をこちらに向けてくる。
『平居さんが替わってって』
なぜだろう。 異常に緊張してきた。 怒られるかな……。
「もしもし、替わりました……」
(藤井? 大丈夫か? もう痛くないか?)
びっくりするほど優しい声だった。今まで一度も聞いたことがない声だ。
驚いて送話口を手で押さえながら、思わずあっちゃんに聞いてしまった。
「これ、平居さん?」
『え? そうだけど……』
あっちゃんが不審な顔で答えてくれる。……間違いないらしい。
あの顔からこんな声も出るんだ。
(おーい。 聞こえてるか?)
「あ、はい。すみません。もう大丈夫です。……ご迷惑おかけしました」
(別にかまわない。 それじゃあ……)
その後のスケジュールを一通り説明してくれた。びっくりするほど今の私に気を使ってくれている内容だ。 申し訳なくなる。
「わかりました。休憩が終わったら、事務所に伺います。 あ、はい。伝えておきます。……失礼します。」
受話器を置いて息を吐く。一気に緊張から解放された。
『お昼休み、挟んでくれるんだね。平居さん、優しいじゃん』
あっちゃんが肩で小突いてきた。
「……うん。 あっちゃんにも“ありがとう”って伝えてくれって」
『了解でーす!』
たらし天狗が優しいと何だか調子が狂う。
何か悪い物でも食べたのだろうか?
それとも、あっちゃんの言うとおり普段は優しい人なのだろうか?
『あ! カオリン、私、戻らないといけない』
時計を確認したあっちゃんが、慌てて片付け始めた。
「ごめんね、あっちゃん。 いろいろありがとう」
『どういたしまして。 何かあったらメールして。お昼は一緒できないけど、今度は晩ごはんを一緒に食べてあげるよ』
憎いことを言ってくれる友である。
「ありがとう」
手を振って背中を見送る。
よし! とにかく私も動き出そう! もう新しい1歩を踏み出し始めているんだ。
と言っても、今現在まったく何も出来ていないけど……。 ま、仕方がない。
とりあえず腹ごしらえに社員食堂へ行こう!
読んで下さってありがとうございます。