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事件その2

 記憶喪失騒動が瞬時に終結した日から一ヶ月、アビゲイルはまたもやカインの事件を目の当たりにすることとなる。


 不本意ながらカインは女性関連の問題には事欠かない。記憶喪失に陥れたローネの次に引っ掛けたのは隣国の姫君だった。引っ掛けた、というのは彼にしてみたらもはや言いがかりだけれども、罠を仕掛けたつもりもないのにあっちからほいほい飛び込んでくるので、カインは避けるために苦労している。


 タクシスコ国からやってきたグレースレイン王女はプライドの高い姫だった。


 国賓として迎え入れていた王女が、王宮で見かけたカインを気に入ってしまったという。その場で自国に連れて帰ると宣言するも、あっけなく断られる。愛する婚約者がいるので、との謝絶を一笑に付した。


「あなたたちの愛が本物だってこと、証明できたら諦めてあげる」


 とっておきの惚れ薬を用意するから、その力に抗えるのなら見逃そうと約束を押し付けられた。心の底からいい迷惑でしかない。


 かくしてカインとアビゲイルの愛を試される場が公開されることになってしまい、アビゲイルは頭を抱えている。


 しかも王女は最後に恋人らしく二人で過ごす猶予をくれた。カインを絶対連れて帰るのだと、それが決定事項かのような余裕のお慈悲である。




「よし、駆け落ちするか」


 茶でも飲もうか、とでもいう調子で提案されて首を横にした。見せ物になるのを嫌がるアビゲイルを慮ってのことだが、高飛びできるわけがない。


「そんなことをしたらあなたが笑い者になってしまうわ」


 勝負――といっていいのか微妙ではある――から逃げるような振る舞いは、騎士としてあるまじき行為だろう。


「別に俺ごときの評判なぞ地に落ちればいい。幻滅されてちょうどいいくらいだ」


「カイン、あなたが積み上げてきたものはそんな簡単に捨てていいものではないでしょう」


 切なげにしたカインがアビゲイルの頬を撫でる。


「なぜ。俺はアビーと二人で生きていければそれでいい。兄の領地に行って、雇ってもらおう。兄なら匿ってくれる。ほとぼりが冷めたら移住してもいい。どうだ?」


 真顔で、本気でそう考えている。困り果てたアビゲイルはどう返していいやら。


「それとも、騎士ではない俺は好きではないか」


「肩書きなんてどうでもいいわ。でも、騎士にはなりたくてなったのでしょう。あなたが努力して得たものを、私と天秤にかけないでいられたらいいのに」


「はじめから天秤になどかけることもない。アビーがなにごとに置いても一番だ」


「タクシスコ国に行ってみたいって、一瞬でも思ったりしなかった?」


 グレースレイン王女は姫の称号がこの上なく似合うお方だった。ちらりとでも惹かれるのは男として仕方ないと思う。


「ありえん。アビーのいるところが俺の居場所だ。

 売られた喧嘩は買う。それでいいか」


 こくりと、アビゲイルの喉が鳴った。


「惚れ薬、飲むの……?」


「飲んだって変わらない。そんなものに惑わされるものか」


 丸まった頬に手のひらを添えて、まっすぐに見つめられる。わずかに目を細めた。


「なにを()せば、アビーは俺を信じてくれる?」


 そうっと目線を下げて逸らす。


 そんなことを訊かれても、これといって答えがなかった。死ぬまで病気はしない、と宣言して酒も煙草も呑まずに健康的な生活を送るとしても、突然予期もしなかった病気にかかることだってある。――そう、カインの愛が生涯尽きないなど、死ぬ間際になってでないとわからないだ。


 原因といえるものはアビゲイルの学生時代にあった。大人になっても交流のある親友のデボラとは同学年でありずっと友情を温めていたので事件の時系列も全貌も知るが、当時すでに騎士として身を立てていたカインやジェームズは知っていたとしても詳しくはないだろう。


 在学中、とある令息がとある令嬢に一目惚れした。二人はすぐさま婚約を結び、みなから祝福されたものだ。その他五組、同じように一目惚れを起こした婚約が成立した。


 アビゲイルとデボラも彼らとは友人ですらなかったが、こんなことがあるのねぇ、と噂に興じたものだ。


 ところが卒業間際になって、ことごとくが破局させられた。それも、途中で編入してきたたった一人の令嬢によって。一目惚れがもとで婚約したはずだが、かの令息たちはみな「編入生の彼女こそが運命だ」とのたまい、婚約を破棄して乗り換えたのである。


 運命だというのならば一人につきひとつ、もしくは一度にひとつではないのか。それが、五人もの男がたった一人の女性しかも同時期に運命を感じたというのだからさぁ大変。


 それがアビゲイルに「一目惚れとは……?」と不信を抱かせた契機である。カインから一目惚れされて、冷え冷えとした気持ちになってしまったのだ。


 しかも大騒ぎになってしまったことから、学園外部から刑事調査が入った。そして判明したところでは、彼らを翻弄した女生徒は彼女が「惚れ薬」と呼ぶいかがわしい中毒薬物を使用していたのである。更生過程において男性たちは非常に反省して謝罪を行いかしこまったそうだが、元婚約者たちの心の傷も深く修復不可能であった。問題の編入生にも相応の報いがあったとのこと、アビゲイルはその辺りとっくに興味を失っていたので委細は覚えていない。


 それよりも、その薬物事件に触発されたデボラがさらに高等の専門学校に通うと進路を変えたことに驚愕して、彼らの行く末など吹き飛んだというか。そしてデボラは見事医師となった。


 よって、「一目惚れ」と「惚れ薬」、アビゲイルはこれらによい印象を持っていない。


 だからといって、それらを払拭する方法もわからずにもやもやしてしまう。カインを信じたいけれど、先入観のせいで足踏みしてしまうのだ。




 約束の日が来てしまった。


 庭師が渾身の出来と保証する王宮の中庭に衆目が集まりつつある。この場ならば新しい恋の誕生に相応しいと誰かが言ったゆえに決まった。グレースレイン王女がすすんで話を広めたため、この三角関係は立派な見せ物である。最悪だ。


 遅れてこなかったカインとアビゲイルを見て、王女は悠然と微笑みを浮かべた。磨かれた爪の指先で、液体の入った瓶の蓋をゆったり撫でている。


「よくいらしたこと」


 褒めて挨拶を続けようとしたところ、アビゲイルたちの背後から歩み出た女性に片眉を上げた。


「王宮に籍を置く医師のデボラ・デトレフと申します。恐れながら申し上げます。お持ちの薬に毒性がないか、念のため成分を検査してもよろしいでしょうか?」


「医師だったのね。ええ、やってごらんなさい」


 コトリと気負いもなく差し出した瓶を、デボラは丁重に押しいただいた。

 小指の先ほどの量を手持ちの容器に移して、再び蓋をした瓶を王女へ返す。


 さわさわと緊張感の薄れた女性たちが見守るなか、デボラは薬の匂いを嗅ぐことから始めた。試験紙に一滴ずつ垂らしたり、また薬液に混ぜたりしている。やがて無表情で王女のもとへ戻ってきて頭を下げた。


「内容物に中毒性や危険性はございませんでした」


「そう」


 疑われたことに気分を害した様子も見せず、これからが楽しみだと紅唇を笑みの形にした。


「さ、いらっしゃい」


 手のひらを上にして開いていた指を小指から一本ずつ握りこみながら、カインを呼ぶ。


 な、なんってなまめかしい手招き!


 少なくない数の男性観客が低くどよめいた。カインはアビゲイルの側頭部を撫でて、最後に繋いでいた指をぎゅっと握って離した。痛みにも似た熱がこもる。


 向き合う王女と騎士はそれだけで物語を紡ぎ出しそうだ。


「わたくしに、変わらぬ愛を証明してみなさい。

 さもなければ、わたくしへ愛を誓うのです」


 惚れ薬を飲んでなお、アビゲイルを想い続けていられるか。できなければカインは王女のもの。


 いっそ目を閉じていたいと思うのに、カインから目が離せない。せっかく分けてもらった熱が逃げていく。


「飲み終わったら、はじめにわたくしだけを見るのよ」


 しんと静まった空気の中で、カインは目隠しを施される。瓶を受け取り、口を当て、一息に煽った。


 豊麗の(ロイヤル・)金糸(イエロー)が光を弾いて、たくましい背中で揺れる。


 グレースレイン王女は手を上に伸ばし、カインのあごを下げさせた。ちょうど王女とだけ目が合うように。色づいた指先が、目隠しをずらす。


 無。


 ピリッと寒気さえ及ぼす容貌にはなんの感情も込められておらずハラハラする。瞳孔がやや開き気味である淡い青緑色(ウォーターリーフ・)の双眸(グリーン)は確かに、ひたと王女へと向けられていた。


「カイン・ルイーディ……」


 掠れた声で呼ばれた名に、不愉快そうに眉が寄せられる。


「お気はお済みでございますか」


 フッと鼻を鳴らし、皮肉で唇が歪んだ。負の感情の表出にすら誰もが見惚れているなかで、すいと王女から離れる。彼女の爪にひっかかっていた目隠しの布が、ぱさりと床についた。


 しっかりとアビゲイルに照準を合わせると、まっすぐに歩み寄る。片膝をついて、アビゲイルの手をやさしく取り、自身の鼻先まで持ち上げた。彼の頬は一分前と違い、はっきりと上気しているではないか。


 中指の第一関節に唇を押しつけると、すっかり冷えて白くなった手先をあたためるように絡めとる。


「 アビゲイル・アダルベルト。

 あなただけに純真な愛を捧げます。

 “ Say(なんで) anything(もおっしゃって) you want(ください).

 Your Cain Ruedi, at your(叶えてさ) service(しあげます). ” 」


 王女が同席している場で、たかがメイドを本物の姫より格上扱いするなんて。王女の横槍にカインもよっぽど頭に来ていたのだろうけれど、挑発していると取られても仕方ない言動だ。


 カイン、と名前を呼ぼうとしたのに空気しか出なかった。


 くらくらして、なにも考えられない。


 立ち上がったカインは歯を見せて笑う。また周囲がさざめいた。


「アビー、行こう」


 腰を片腕で抱かれてはふらりと膝が抜けて、胸板に手をついた。一度瞬いたカインは慣れた様子でアビゲイルを横にして持ち上げる。


 自分のものではない、甲高い悲鳴が次々と上がった。


「あの、その、カイン、気分……は? 体調は……?」


「ああ。ちょっと高揚する感じはあるな」


「……それだけ?」


「それだけだ」


 言い切られてしまい、黙った。

 片目をつぶって手を振るデボラの背後にちらと見えた――いまだあちらの壁を向いている王女の両腕はだらりと下がって、うなだれていた。




 廊下を抜けて外へ出てもカインは止まらない。結局連れて来られたのは温室だった。進むごとに違う香りがふわふわと飛んでくる。


 アビゲイルを抱えたまま、備え付けのベンチに座る。


「暑い」


 と言うなり上着を脱いだ。ぷつぷつとシャツのボタンを四つ外す。暑いなら離れてくれてもいいのに、膝の上に乗せたアビゲイルを抱え込んでいる。


「カイン、……ありがとう」


 不信を払拭してくれて。カインがいなくなるかもしれないなんていう恐怖を叩きのめしてくれて。


「私はあなたから愛を受けとるばかりで、あなたに好意を伝えることを怠っていたわ」


「アビーははじめ俺を怖がっていたし、俺の思いが一方的なことは理解していた。仕方ない」


「いいえ。私、もっと早くに素直になっていればよかったのに」


 懺悔に近いものに被せられた笑みは穏やかだった。


「見た目だけで声をかけたと? 一目惚れは本当だが、好意が持続したのはアビーの内面の強さにも惚れていったからだ」


 強い、といえば王宮に勤める女は総じて気が強い。そうでなければ生き残れないからだ。


「一世一代の告白に『困る』とだけ至極平然と返されて、俺は正気に戻った。たぶん、あの場でアビーから愛を返されていたら、翌日に花束は持って行かなかったんじゃないか。むしろ早々に冷めていたかもしれない……」


 さすがに初対面で迫ったことは反省し、その後は冷静に謝罪から時間をかけて関係を進めていこうとしてくれていた。

 

「カイン」


 頬の熱を移すように、カインの手を添えた。


 やっぱり、永遠など信じないけれど。だってこんなふうに、アビゲイルの気持ちはころころ変わる。


 けれどもしもこの先、カインの愛が変容したり離れたりしても大丈夫だと思えた。これまでカインがアビゲイルの内へ育ててくれた愛、この甘やかな信頼は確実なものだから。いま、精一杯カインを愛したい。


「好きよ。あなたが、好き」


 覚悟を決めて、まぶたを下ろして上を向く。これより先は、カインから寄り添ってきてくれるのでなければ、アビゲイルからは動けない。


 きっと喜んでキスをくれるはず。


 ――――。


 ――…………。


 ……………………?


 なにも起こらない。


 なにかを間違ったのかと不安になって目を開いた。

 カインときたら、あどけなく少年のように眉を開いて、うっすら目元を紅くしている。


「あ、アビー、……」


「はい」


 こんなに直截に伝えたのは初めてだった。このまるで初心な反応も。


「いいのか?」


「はい?」


「だって今のは、……キ」


 言いさして、彼は合掌した手で目頭から下の鼻口を覆い、目尻に涙を滲ませていた。そのいじらしさはアビゲイルより乙女らしくてなんだか負けた気になる。


 いまだ薬の影響が強く残っているのではないか。感情が大きくなってしまっている。

 だからって、お預けというのも決まりが悪い。


「して……」


 カインが「ん?」と訊き返す。顔を背けて、痛いほどにうるさい胸を押さえる。


「だから、口づけを、ください……」


 ハッと息を呑んで、こくりと嚥下したのが聞こえた。


「……目を閉じてくれ」


 おとがいを指で掬われて、まつ毛が震える。それでもまぶた越しに、カインの影が落ちてきたのがわかった。


「愛してる、アビー」


 直後にしっとりとした感覚が双唇に下りてきて、息を止める。


 ちゅっ、と完璧なリップ音を立てて、弾力は離れていった。


 次に目を開けば飛び込んできた、緩みきった表情に、やっとアビゲイルの気持ちが彼に伝わったのだと思えた。顔のだらしなさがこんなにだらしなくない男もいるものだと……。














 おわり。





*蛇足*


 温室で二時間も過ごし、カインとアビゲイルはデボラのいる医局を訪ねた。


「副作用とかはないみたいだけど、ほんとうにあれは惚れ薬だったの?」


 問われて、デボラはゆるりとカインを瞥見する。


「そうねぇ。各成分は毒とも薬とも言えるほどの割合ではなかったわよ。味はどうだった?」


「酒と栄養剤を混ぜたような味だった」


 へぇ、と笑って薬を分析した女医デボラの見解を述べる。


「エピネフリンとノルエピネフリンの大量放出を引き起こす薬っていうだけよ。瞳孔は拡張、心臓がドキドキとして脈動が加速する。呼吸が激しくなり、汗をかき始め、ぞわぞわとする。筋肉が緊張し、ある種の直接行動をとる準備が整う――というわけよ」


「つまり?」


「一目惚れの擬似体験ができるわね」


 あくまで、感覚を作り出すだけと断言した。


「カインは、自分の体験と同じだと感じた?」


 隣を見上げる。薬で誘発したとはいえ、アビゲイルに刹那で抱いた気持ちは、王女を前にして起こらなかったのだろうか。


「体感的には似ていたかもしれないが、心が動かなかったな」


 まぁまぁ、とデボラはにやにやしている。


「一目惚れという現象自体はわりと簡単に起こるのよ。人は意識的そして無意識的に自分が求めている理想の顔(ラブ・マップ)を脳内に描いていて、それに当てはまる人物に瞬時に恋に落ちるんですって」


 なるほど、と深くうなずいているカインとは対照的に、アビゲイルは眉を下げていた。


「もう、アビゲイルったら。みんながみんな豪華なバラが好きってわけじゃないっていうだけよ」


 親友からフォローされて、そうね、と同意した。


「私もミヤコグサのほうが好きだし」


「ミヤコグサ?」


「小さくて黄色い……小さい花が集まってるのがかわいくて好きだわ。 “Eggs and Bacon” って呼ばれてる」


「いつも喜んでくれるから、バラが好きなのだと……」


「バラだってきらいじゃないわ、あなたの気持ちだもの。それより上があるってだけで」


「買ってくる」


 さっさと医局を出ようとするので慌てて引き止めた。


「野草よ! 売ってないわ」


「どこで手に入る?」


「いまは咲く季節でもないの! やだもうこの行動力って薬の影響?」


「むしろ効果は切れてるころでしょ」


 デボラがケラケラと声を上げた。


 

【Map】

俗語で顔のことを指す。


あなたの願いを叶えます、というには

I’ll grant your wish. とか I’ll make your dream come true. だの他に言いようはあったと思うんですが、こう、主従関係というか上下関係というかを強調できるかなってこうなりました。

「俺はあなたの愛の奴隷です」みたいなあのその、お後がよろしいようで()。


最後までお付き合いくださりありがとうございます。

ほっとしたり明るい気分になれたら本望です。


あれもこれも書きたくなってしまって、短くまとめるのは難しいですね。


みなさまがまたよいお話に出会えますように。


June 26th, 2026

誤字報告ありがとうございます。

一部適切な表現に訂正いたしました。


All Rights Reserved. This work is created by 枝の先. 2026.

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I will not accept to make profits through my work without my permission.

Thank you very much for reading my work.


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