1話 無職(32)田舎へ帰還。
「……32歳で無職か」
ぽつりそう呟いて、山彦優星は肩を落とし電車のシートに背を預ける。
働くため田舎から都会へ出て14年。それはそのままこれまで勤めた会社の勤続年数である。
業務内容はデスクワークだった。お菓子の企画発案と商品開発。小さい頃からお菓子が大好きだった優星にとってとてもやり甲斐のある仕事だった。
けれど辞めた。心が限界だった。
もともと業務量が多く、それがどんどんと増えていき、やがて残業どころかオフィスに泊まり込む事も多くなった。
自分の業務とは関係のないものまで押し付けられ、家に帰れる日も殆どない。帰れたとしても睡眠にあてて、会社でも休憩は必ず仮眠。食事はゼリー等の補給食で時短。
携帯をみる暇もないハードワークな生活が、まるまる14年間続いていた。
そんなある日、訃報が届いた。
ちいさな頃からずっと優星の面倒をみてくれいたおじいちゃんが亡くなったという母からのRINEメッセージ。
異様にしつこい着信の嵐が気になって、数ヶ月ぶりに開いた携帯に残されていたメッセージ。
――……休暇をください……。
大好きだった祖父。その葬式に出るため、初めて優星は休暇を貰いたいと上司に伝えた。
しかし、その答えは……行ってもいいが、仕事はどうするんだ?だった。
お前がやらなきゃ皆が困るんだぞ?それを分かってるんだろうな?から始まり、お前なんてウチの会社じゃなきゃ勤まらないぞ?と散々言われ、初めて優星はもう働けないと思った。
これまでもその手の事を山のように言われてはきたけれど、大切な人の葬式にすら行かせてくれないなんて。良くも悪くも、そこでこの会社は異常なんだなと感じ取る事ができ、そして辞めることを決意した。
……とはいえ、確かに俺はあの会社でしか働いた経験はない。他の仕事なんて、できる気がしないのもまた事実。
不安を煽るように窓からみた空は薄暗く、小さな水滴が硝子に付着していた。
やがて実家に近づき、見慣れた田んぼばかりの景色が増えてきた。
「……ただいま、おじいちゃん」
つぶやくと僅かにきれた雲間から、光が差す。なんだかおじいちゃんの禿頭に反射した光のようで、微かに口元が緩んだ。まるでおじいちゃんがおかえりと言ってくれてるようだ。
……表情筋、死んでると思ったのに。
硝子に映るその表情を見て優星は驚く。ほんの僅かだが、一瞬だけ柔らかくなった自分の顔に。
◆◇◆◇◆◇
駅に着き、そこからじいちゃんの家には車で十五分くらいのところにある。田んぼだらけのぽつらぽつらとしか民家のない山の中。
車を持ってないので、駅前でタクシーを呼んで家まで行く。
雪解けあとのところどころがたがたになっているアスファルトをタイヤ越しに全身へ感じながら、窓の外を眺めぼーっとする。
(……懐かしい)
かなり時間が経っているので、当然変わっているところも多い。綺麗な新築の一軒家が今ではボロボロになって誰も住んでいなかったり、ある家は草に覆われ崩れかかっていたり。
郷愁を覚える景色がどんどんと過ぎ去っていく。
「着きましたよ」
「あ、はい……ありがとうございます」
木造の古めかしい、田舎の古民家。山を背負うように建てられた、北海道にしては珍しい縁側つきの、ザ・おじいちゃんの家って感じの一軒家だ。
「ただいま」
気持ちのせいか妙に引き抜くい扉をスライドさせ、玄関の中へと足を踏み入れる。するとすぐに奥から声がして、母さんが出迎えてくれた。
「おかえり、優星!大丈夫だった?」
当この町をでて14年間。忙しくて一度も里帰りなんてできなかった。久々にみた母の姿はどこか小さく変わってしまい、しかしあの頃のように元気で僅かに優星は安心した。
「うん。……葬式、間に合わなくてごめん」
「仕方ないわよ。あんたのせいじゃないもの。それより、大変だったでしょ。全部終わらせてきたの?」
「一応、やることはやってきたかな。さいごまだなんかうだうだ言ってたけど、大丈夫だと思うよ」
「そう。お疲れ様……優星。しばらくゆっくりしなさい」
「ありがとう。おじいちゃんにあいさつしてくる」
リビングで荷物を下ろし、縁側を通る。春の湿った土と線香が交じる匂い。
襖をあけ、仏壇の間に入る。畳を踏みしめた時、座布団の上に何かがいる事に気がついた。
「あれ、お前……シロチョコ!?うわあ、懐かしいなぁ!」
「みゃあっ」
シロチョコ。野良とは思えない真っ白な毛並みの雌猫である。優星がちいさな頃からいた猫で、眠たそうなジト目が特徴。
「お前、いったいいくつだ?そういや猫の寿命ってどんなもんだっけ……?」
「みゃう」
「あ、いや、違う違う!嬉しいよ。元気そうでさ」
ちょっぴりシロチョコが不機嫌そうになった雰囲気を感じ取った優星。機嫌をとるように彼女の背を撫でてやる。ふんわりとした絹のような優しい肌触り。
じいちゃん、すごくこいつのこと大切にしてやってたもんな。
「みゃああ」
ごろごろと喉を鳴らし甘えてくるシロチョコ。尻尾をアンテナのようにぴんとたて、身体を手にこすりつけてくる。
「そういえばさ、向こうでもお前に似たそっくりの可愛い奴がいてさ……真っ白で柔らかくて綺麗な毛並みの猫。たまに会社とかアパートの側でよく会って撫でてたんだよ。あいつと会う度にお前のこと思い出してたよ」
ぎりぎりメンタルがもっていたのも、あの猫のおかげだったのかもしれないと優星は思う。撫でる度に癒され、故郷を思い出して泣く事ができた。動物相手だと誰にも言えない愚痴も吐くことができた。
だから、優星はあのシロチョコにそっくりな猫にはとても感謝していた。辛い時に寄り添ってくれていた、あの子に。
(けど、こうしてみると……まじで瓜二つだな。いや、シロチョコなわけないんだけど)
双子レベルに似たシロチョコを不思議な気持ちで撫でつつ、優星は祖父の遺影をみあげた。
「もしかして……お前もじいちゃんに手を合わせてくれていたのか?」
「うみゃあーあ」
「そっか、ありがとな。お前がいてくれたおかげでじいちゃん寂しくなかっただろうな」
この家には優星の祖父が一人で暮らしていた。優星の母は、優星が高校にあがるタイミングで利便性の高い駅前近くの町営住宅へ移り住んだ。
なので祖父は若い頃に亡くなった祖母と建てたこの家を手放せず、たった一人ここに住み続けていた。
「懐かしいよな……そこの縁側で、よくお前と日向ぼっこしたっけ。のんびりと麦茶飲みながら、ゆっくり流れる綿あめみたいな雲眺めて。俺とじいちゃん、お前……それと」
シロチョコが物凄い勢いで走り去る。縁側の木の板を駆けていくとたとたという小気味良い足音を残して、残された優星は彼女を撫でていた途中のポーズのまま固まる。
「……急用でも思い出したか?あいつ、たまにいきなり消える事あったよな、そういや……」
祖父の仏壇へと向き直り、シロの温もりの残る座布団へ正座する。手を合わせ、目を閉じ、祖父の姿を思い浮かべる。
「じいちゃん、遅くなってごめん。帰ってきたよ」
座敷に残る祖父の懐かしい匂い。まるでまだそこにいるかのような、生きているかのような、そんな気持ちに優星はなり心が綻ぶ。
ツルツルの頭と対照的に長く白いふさふさの髭。体格も御老体とは思えない、筋骨隆々の肉体だった。
だからこそ、あの姿からは予想もつかなかった祖父の死に優星は激しく動揺した。それこそ、働けなくなるほどにメンタルを崩す程に。
『優星、良かったな。好きな事が仕事にできて!』
最期に話た時の祖父の笑顔が蘇る。きっと寂しい気持ちを抑え、自分の背中を押してくれたあの言葉。なのに、と、優星の心が締め付けられた。
「せっかく、応援してくれてたのにな……仕事、辞めちゃって……ごめんね、おじいちゃん」
「謝ることない」
突然、隣で声がして優星は目を見開く。足音もなく、いつの間にかそこにいた、少女。
「!」
絹のような光沢の白い髪を揺らし、獣を思わせる金色の瞳で優星を見据える。
透き通る白い肌、肌寒そうな薄手の白いワンピース。
どこか現実味の薄い、少女。
彼女の名前は、瀬織津姫。都会へと優星が行くまでこの家でよく一緒に遊んだ女の子親戚の子である。
眠たそうなとろんとした目つき、感情の薄い表情。昔のままの彼女がそこに立っていた。
「……おじいちゃんは、優星の幸せをずっと願っていた……だから、こうして無事に帰ってきたからいいんだよ。帰ってきてくれてきっと喜んでる。謝ることじゃない……暗い顔されても、おじいちゃんは困る……と、思う」
不思議なほど、その言葉は優星の心にすっと入り込んだ。
「それもそうか」
確かに、せっかく帰ってきたのに暗い顔していたらじいちゃんも心配する……昔同じような事を言われた記憶がある。優星は思い出す。
「おかえり、優星」
微かに口元が緩み、彼女は優星の隣に座り込む。寄り添うように、体温が感じられそうなほどの距離で。近くにきた彼女の白髪から香る花のような香りがする。
「ただいま、久しぶりだね。織姫……って」
瀬織津姫、文字って織姫。優星が呼び始めたあだ名のようなもの。
優星は彼女のその名を呼んで、まじまじと織姫をみる。
織姫は小首を傾げて、わずかに頬を染めた。
「驚いたよ……全然昔と変わってない。高校生の時のまんまだ」
不思議そうな表情をされた優星だが、その反応はこちらがすべきものだろうという気持ちでいっぱいだった。
なぜなら、彼女はあの頃と何も変わってないから。
比喩でもなんでもなく、時が止まっているかのように最期に目にした高校生くらいの姿のまま。
「だめなの?」
「ダメではないけど……おわっ」
さっきからこうしたくてウズウズしていたのだろう。弓で矢を放つように勢いよく優星へと抱きついた織姫。まるで猫のように、匂いをつけるかのよう、ごろごろと優星の体に頬擦りをする。
「……撫でて」
「あ、ああ……」
なでなで、と優星が撫でてやると、
「むふーっ」
と、とても嬉しそうに鼻息を噴出。見た目は可憐で大人しい、眼鏡でもかけていれば文学少女のような容姿。だが、その中身は正反対で、どこか野性味がありわりと活発で男っぽい遊びが好きだった。
「帰ってきてくれて、嬉しい」
「俺も会えて嬉しいよ、織姫」
久々の人の温もり。けれどどこか覚えのあるその体温に優星はぼんやりとする。この感じ……向こうでも、どこかで。
満足したのか織姫はようやく離れてくれた。別に抱きつかれるのが嫌というわけではないが、優星の歳……というか容姿を考えると、見た目女子高生で止まっている織姫に抱きつかれている図はかなり危ういものがある。
それが例え親戚関係であっても、社会的な死という恐怖が湧いてくる。
「さて、優星」
「ん?」
「おじいちゃんがいなくなって困ってる事があるの」
「困ってること?なんだ?」
「昔一緒に探検してた場所、覚えてる?」
「探検……あ、あの洞窟か。裏の山にある」
小さな頃に入って祖父に怒られた洞窟。正しくは祠でありある神を祀っている……そう祖父には聞いていた。
「もしかして害獣が出てるのか?」
「うん。駆除してくれるおじいちゃんがいなくなっちゃったから……優星してくれないかな」
「いいよ。運動不足だったし……俺もおじいちゃんの為に何かしてあげたいしな」
――約30年前、この世界には突然魔素という未知の元素が発生した。
それにより各地に魔物が発生。
魔物は人類に害をなす強力な外敵であったが、それと同時に魔物に対抗できる力を持つ人間も呼応するようにあらわれだした。
人は彼らの事を探索者と呼ぶ。
探索者は魔物の発生源である、洞窟へ赴き人間の領地へと出てこないよう魔物を間引く。
それは命がけの仕事だったが、洞窟内には魔素により変質した現代科学では解明できない未知の鉱物や植物があり、貴重なそれらを持ち帰る事で探索者は一攫千金を狙うことができた。
その洞窟の名はダンジョン。
優星の祖父が有する土地にあり、昔から探検していた洞窟はダンジョンなのだ。
優星はその事実をまだ知らない。
【重要】
先が気になる、もっと読みたい!と思っていただけたら、ブックマークや☆☆☆☆☆→★★★★★評価、をよろしくお願いします。執筆へのモチベが上がります。




