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第197話 始まりの地へ

「さて」オイゲンは量子通信で分艦隊各艦長を前にして言った。「知っての通り、我々は破滅しつつある」


 ホログラフで映し出されて座っている各艦長――それは本来の分艦隊の編制より多い、何故なら、撤退行に際して自隊とはぐれたらしい艦も拾っていたからだ――を前にして、オイゲンは艦長室の机の上に置いたタブレット端末を操作すると、その画面に映し出された戦況図を各艦長の持つ端末に共有した。それは、オイゲンが予想していた通りの状況が示されている。


 ドニェルツポリ軍はミンスラウ州を制圧するという当初の軍事目的を果たすことにこそ成功したが、それにより交渉を有利に進めるという政治目的の達成には失敗した。それのみならず、プディーツァ本国で温存されてきた一〇個連合艦隊の内三個が招致されその境界に展開していた。これを突破するには延びきって疲弊している補給線を立て直す時間が必要だが、それが完了するまで敵が黙って見ているわけがない。


 事実、彼らは動いた。


 しかし、その「彼ら」というXに「目の前の敵」を代入すれば嘘になる。


 動いたのは、ジビャに展開する敵主力艦隊だった。音もなく彼らは集結を終えると、ジンスクへの航路に沿って各星系を攻略。横合いからドニェルツポリ軍第九連合艦隊を痛撃。これを前後に分断することに成功した。


 そしてこの分断は、ミンスラウ州攻略艦隊の凡そ八割が完全包囲されたということを意味していた。


 各連合艦隊司令官は麾下の全艦隊に即座に反転することを命じた。速やかに現宙域から離脱し、まだ戦力が残されている内にジンスクを突破せよ! ……反攻作戦開始前から既に補給に難が付きまとっていた彼らからしてみれば、その命令は「背中に羽をつけて空を飛べ」というのとほとんど同義だったが、それが唯一この牢獄から抜け出す道であるからには、努力は続けられた。


「現在我々は本隊の到着を待たずしてナカンを発って、ダカダンに向かう途上にある。」故に、オイゲンはその試みに全力を尽くした。そのおかげか既に道のりの大半をクリアしたところだった。「だが問題は一時間前、そのダカダンからの通信も途絶えたということだ。その後も何度かコンタクトを取ったが、貴官らと通信ができる以上どうやら本艦の量子通信機の故障でもないからには、既に敵手に落ちたものと思われる」


 ざわ、と艦長たちがざわめきながら顔色を真っ青にする。撤退行が始まって以来先遣隊として道を切り開いてきた彼らは既に、重力燃料も食料も水も弾薬も、ありとあらゆるものが払底していた。それでも最悪、ダカダンに着きさえすればそこにある備蓄で暫くは抵抗ができる。その間に状況が改善するかもしれないという、淡い希望もあった。


 が、それが敵の手に落ちたということは、ほとんど戦闘不能の状態で敵前に放り出されるということになる。その状態では、たとえ戦隊主力が到着するまで持ちこたえたところで、状況は好転しない。敵からすれば鴨が葱を背負って来たようなものだ。戦隊丸ごと、殲滅される。その悪夢が、艦長たちを支配した。


「が、」オイゲンを除いては、だが。「方法がないわけではない。我々はまだ途上にいる。ここから行き先を変更すれば、まだ抵抗のしようはある」


『ですが、どこに迂回するというのです』艦長の一人が、不満げに言った。比較的若い男だった。『主な迂回先へ向かうには既に燃料がありません。それに、ダカダンが落ちた以上、どこに針路を取ったとしても周辺宙域のほとんどは落ちていると考えるべきでしょう。どこへ行っても敵に出くわすに違いありません』


「それでどうするのかね、抵抗する代わりに貴官は白旗でも振るつもりかね? それからその旗をシーツにしてプディーツァ兵に片っ端から股でも開くか」


『……分艦隊司令官殿ッ!』突然下ネタをぶつけられて、彼は顔を怒気と羞恥で真っ赤にした。『軽率な発言は控えていただきたい! 私が言いたいのは、とにかく、たとえ敵の軍門に下ることになっても、今は部下の人命をこそ優先するべきではないかということですッ』


 ――真面目な若者だ。こういう指揮官には生き残ってもらわなければ、戦後この国がどうなるか分かったものじゃない。


 オイゲンは内心で静かにそう呟いた。自分のように不真面目で成績も劣悪な軍人はどうなろうと構わないが、こういう真っ当に人命を考えられる人間がいなければ、戦後軍に厳しい目線が向けられる中それを立て直すことなど不可能だろう。


 敗戦は最早避けられない。問題は、どう負けるか、負けた後どうするかだ。


「それは当然理解している。」だからこそ、今は何もせずに降伏するわけにはいかない。「確かに君の意見は魅力的だったが、しかし私はそれよりいい方法を知っている」


『分艦隊司令官殿、しかし、彼の言うことは正論では?』別の艦長が言った。こちらはオイゲンほどではないが、中年ぐらいの年頃の、女性艦長だった。『どこに迂回しても敵は待ち伏せているでしょう。既に彼我の戦力差は歴然としています。ジビャから攻撃してきて敵も疲弊しているとはいえ、これを突破するのはほぼ不可能では?』


「そう、突破は不可能だ。迂回も不可能。だが……降伏も不可能だ。そんなことは命令もされていなければ許可も受けていない。私個人としても、こんなムリゲーからはさっさと手を引いてしまいたいところだが、生憎とこれで金をもらっている以上は逃げるわけにもいかない。貴官らもそうだろう?」


『ではどうなさるおつもりで?』また別の艦長が言った。『我々は最早、軍艦と呼ぶにはあまりに不備の多い鋼鉄の塊に乗った何者かに過ぎない。これでどうやって敵と戦い、本国へ帰還するというのか。はっきりとした回答を頂きたい』


 オイゲンは、息を吸い込んだ。端末を操作し、星図の中に一つの赤い光点を灯す。それは量子通信に乗って、各艦長たちに伝わる。


『…………これは?』


 その光点の位置は、ダカダンから少し手前の位置にあった。主要航路からは逸れた星系。オチャイィと小さく脇に振られているが、それがどうかしたのか?


『分艦隊司令官殿、失礼ながらオチャイィ星系には人は住んでいません。恒星のエネルギーがあまりに強すぎるからです。ご存じなかったのですか?』


「無論、知っている」


『では何故……?』


「そして君たちは知らなくても仕方ないことだが、私はそこから逃げかえってきた人間だ。そしてこの艦もそれは同じ。ではそこで何があった?」


 そこまで言って、一人が気づいたような顔をした。それはまるで連鎖反応のように一人、また一人と広がっていき、最後に残った一人が口に出す。


『フロントライン・コロニー……ですか?』


「ご名答――我々は、これからその跡地に籠城する」

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