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第189話 横着

 エレーナ・エンラスクス大統領暗殺の犯人は、結果から言えばドニェルツポリ人であった。


 名前はゴルドッホ・スペンサー。年齢は五〇歳。戦争中に大手報道機関から転身したフリーのジャーナリストであり、独自のルートから大統領が演説を行うことを察知していた。


 問題は彼が何故前の職場を退職したのかであった。これも結論から言えば――戦争に関する会社の方針に対して反発していたからである。彼の会社はドニェルツポリ系企業であるから当然この戦争を支持する立場にあった。もし戦争に負け、プディーツァに併合されれば言論の自由は失われるも同然だったからである。


 しかし彼は、戦前から反エンラスクス政権的な立場の人間であり、ありとあらゆる政策に対して不満を持っていた。なるほどエンラスクス政権はポピュリズム的性格を孕んだものではあった。その上身内人事は横行していたし、開戦直前には汚職疑惑も――ゴルドッホがスクープしたものだ――あった。当然、彼はこの戦争を芸能人上がりの素人政治家が引き起こした不必要な戦争として考えていたし、そうであるから、この戦争はエンラスクス政権を終わらせるものになるだろうと期待していた。


 が、そうはならなかった。


 それどころか、エンラスクス政権は異様なまでの強固さを示し、その断固たる態度に支持率は跳ね上がった。それは、国民がこの戦争は仕方のない災難であって、今こそ一致団結してその苦しみに立ち向かうべきだと考えたということである。


 それは彼の世界観を破壊するものであった。彼にとってエレーナ・エンラスクスという女は自己顕示欲に満ちた政治的小人であって、現実にもそうあるべきだった。しかしメディアを通じてまるで英雄や現人神のように扱われる彼女を見る内に、彼の心には闇が巣食うようになっていた。


 理想と現実が折り合わないから、現実の方を改変しようという発想は、徐々にプロ意識を侵食し、入手した情報をその薄暗い目的のために使おうとするようになった。


 彼は暗殺実行当日の演説内容を、最近の彼女の動向から予測していた。頻繁な国防大臣及び参謀総長との面会。それに対して、外務大臣とのミーティングの頻度は低下している――何か、軍事的決定を下すに違いない。その内容次第で、彼女を殺すことにしよう。


 彼は戦地の取材のときプラスチック爆弾を入手していた。密かに隠し持っていたそれを、中身をくり抜いたカメラの中に仕込み、手荷物検査をクリア。できる限り前の列に忍び込み――戦争が再開されるという確信が持てた瞬間、その即席爆弾を、投げた。


 その柔らかいプラスチック爆弾には威力を増すため鉄釘や金属製のボールベアリングなどが捻じ込まれていた。大統領の僅か一メートル手前で信管が作動した瞬間、樹脂製の外板をそれらは易々と突き破り、ショットガンの如く彼女の上半身の各所を貫通。その内の一つが鼻から脳幹を貫いて即死に至らしめ、更には残りの破片が降り注いだ結果、手前の列にいた報道関係者三二名と壇上にいたボディーガード三名、壇の下にいた同五名を死傷させる大惨事となった。その混乱に乗じてゴルドッホは逃走する予定だったが、逃げる人波に巻き込まれて身動きが取れず、あえなく内務省職員に取り押さえられた――ここまでが、ドニェルツポリ内務省が事件から()()()()()()の間に発表した内容である。


 そう。


 そんな短時間でそんな詳細な情報が分かるはずはない。


 これらは全て、事前に調査された内容であった――内務省の手によって。


 内務省の防諜エージェントは、ゴルドッホのことを戦争以前からマークしていた。彼の友人の一人に、プディーツァのスパイと思われる人物がいたためである。その人物は表向きには貿易商であり、ゴルドッホがフリーのジャーナリストになってから取材を通じて知り合い、その活動資金の一部を工面する間柄でもあった。一見、熱い友情を感じさせるエピソードに感じられるかもしれないが、彼の会社は所謂フロント企業で、その背後にはプディーツァ軍情報部が隠れていた。


 事実、従業員の中には偽名ではあるものの前職がプディーツァ軍の情報将校であった人物がいた。そしてその人物の部下が何度かゴルドッホの自宅を訪れている――恐らく、プラスチック爆弾や大統領の演説日程などは、実際にはここで入手したに違いない。そこで足がついて、ネット通販の購入履歴を漁ったところ、釘やボールベアリングなどの、ジャーナリストは普通必要としない物品を購入した痕跡があった。


 しかし、そこまで分かっていたにもかかわらず、彼らは敢えてその企みを阻止しなかった。それが何故かと言えば、そうすることが上層部、ひいては内務大臣からの指示であったからだ。


 そしてその内務大臣が誰に指示を受けていたかと言えば、国防大臣リュドミラ・ボーリューである。


 「ヘイル・トゥ・ザ・シーフ」計画。


 そう名付けられた大統領暗殺計画は、実際のところ戦前――それこそエンラスクス政権以前にその前身を持つ。


 シビリアンコントロールを是とする民主主義国家ドニェルツポリ共和国において、国防の最高決定権を持つのは、理屈の上では大統領である。とはいえ実際には、大抵が軍事的経験のない文民出身の大統領であるから、政治的な要件だけを参謀総長に伝えて、実際の適用については数多いる幕僚たちに任せるのが通例だ。


 しかし、実際の適用がどうあれ、権利上そうなっているのは、参謀本部にある恐れを抱かせた。


 例えば、もし、何かがあって民主主義が正常に機能しなくなり、単に人気があるだけで政治的に定言のない政治家や専門外のことにすらやたらと口を出す政治家が大統領になったとしよう。すると、彼らは実現不可能な作戦や机上の空論、果ては政治的目的からすれば逆効果な軍事作戦を提案してくるに違いない。それを理論立てて不可能と説明しても、彼らはそれをはじめから聞いていないか、もしくは人事権を行使してまともな参謀商工を罷免するに違いない(正確には、これは国防大臣の職務だが彼が拒否するなら同じような理屈が働くだろう)。


 それだけではない。他国の傀儡と呼ぶべき人物が何らかの陰謀や国内の特殊政治力学によって大統領に選ばれた場合、国そのものがなくなる危険性がある。そのとき、国防軍も内務省も、当然の如く解体されるか、構成員を全員拘束し、殺害される可能性があるだろう。


 そのような事態になれば、国防の――国家の危機である。それを未然に防ぐために立案されたのが、

「ヘイル・トゥ・リーズン」計画――後の、「ヘイル・トゥ・ザ・シーフ」計画である。


 その案には隠密作戦から強襲作戦までいくつかのバリエーションがあり、発動時に最も実現確率の高いものを選定して実行に移すことになっていたが、大統領を暗殺し政権を転覆するという結論に関しては同じである。


 要するに、クーデターをやろうというのだ、烈度こそ違えど。


 が、先も述べたように、シビリアンコントロールの存在する政治環境において、この計画はそのタブーを犯すものである。当然その存在は参謀本部の一部の人間が把握しているだけであって、外部の人間に漏れたことはほぼなかった。それに、一〇年前の国境紛争時を除けば、軍事的な「国難」と呼べるものは独立以来なく、大抵は汚職だスキャンダルだと低レベルな――軍事とは無関係な政治的問題に終始していたこともあって、発動する必要がなかったのだ。


 そんな中、一人の大統領が選ばれる。


 エレーナ・エンラスクス――この芸能界出身の大統領は、参謀本部と内務省エージェントの頭を大いに悩ませた。


 何しろ、就任当初の彼女は、比較的親プディーツァ派だったのだ。


 よく言えば良識派。


 悪く言えば売国奴。


 プディーツァに対する堂々とした強硬な姿勢こそあれ、一方で旧革命評議会政府系国家の持病と言える汚職事件のイメージが強い前大統領の悪いイメージを反面教師的に利用し、政治経験のなさと表裏一体の清廉潔白さをアピールして、彼女は歴史的に高い投票率の選挙で歴史的に高い得票率を以て当選した。


 後にどういう選択をしたかを知っている我々からすれば、何とも歴史の皮肉を感じずにはいられないことだが、そういうわけで、彼女は次々と「平和的」政策を打ち出した。段階的軍縮、首脳会談、経済的交流……一見すると一〇年前の国境紛争から冷え込んだ関係の雪解けを感じさせるものであったし、当時のドニェルツポリは国際的に孤立していたため融和外交は必ずしも間違いではなかったが、その国境紛争が本格侵攻の前触れだったに違いないと考えていた――そしてその予想は残念ながら的中した――国防省と内務省からすれば、それは傀儡化の第一歩に見えた。プディーツァとの繋がりを示す情報は何一つなかったが、それは敵の情報部によって巧妙に隠蔽されているだけに思われた。


 リュドミラと内務大臣が計画を知らされたのはそのときである。彼らは政権につくまではエレーナの平和路線を支持していたが、いざ大臣のポストに就いてみるとプディーツァの目論見が見えてきて、一転して現実論者になっていたのだ。それでも内務大臣は渋ったが、ポストを保障するというリュドミラの説得により懐柔された。


 大臣たちの同意は得られた。すると問題は、いつ実行するか、そしてどの案を実行するかであった。何しろ、国防大臣と内務大臣が挿げ替えられる前に実行されねばならない。しかし誤って過度に強硬な手段を選択すれば、国民の支持が得られず、カウンター・クーデターによって政権を奪還されるだろう。そうなるともう一度政権を奪い返すのは不可能で、最悪の場合内戦が始まる。そうなれば国体どころの話ではない。


 しかし、その懸念は杞憂に終わる。


 何故なら、プディーツァの侵攻が始まったからである。


 その侵攻(正確にはその前兆)に対して、エレーナは以前の融和的態度を一変させ、断固として立ち向かう姿勢を見せた。プディーツァのスパイたちの動きは活発になったし、暗殺の試みは計画レベルのものでその数、数百に上る。更には、プディーツァ特殊部隊による斬首作戦まで実行された(そして失敗したのは前述した通りだ)。ただ裏切った傀儡を処分するだけならここまでのことはしない。ただ裏で掴んでいる弱みをバラまいてその政治力を失わせるだけで済むからだ。


 当然のことながら、心配されていた軍事行動に対する過度の干渉もなかった。それどころか政治力をフルに発揮し、当初はこの戦争から手を引こうとしていた地球からの支援を得ることに成功。軍が作戦を円滑に行えるようあらゆる面で努力を惜しまなかった。


 それらの行動によって、計画は一旦白紙に戻される。国防軍も内務省もそれどころではなかったからだ。


 が、半年が経ち、状況は変わる。


 せっかく停戦が成立した――そして終戦へ向かおうとしている――にもかかわらず、その平和への道を大統領は閉ざし、再び戦闘を開始しようと動き出したのである。


 軍は適切な情報を与えていた。実際、彼らの忍び込ませた情報エージェントからの報告は、挑発的行動こそあれ、敵軍に大規模作戦の兆候はないというものがほとんどだった。戦時中のスパイ狩りも生き延びた優秀な人材の報告であるからには、それは真実に違いなかった。


 内務省も同じ結論に至る。戦前・戦中のような世論操作的なSNSの投稿は少なくなり、ときたま見られたとしてもその発信者はただの極右・極左であり、つまりごく一部の現実を知らない過激派だった。その他判明していて泳がせているスパイにも動きがあったわけではない。情報エージェントが末端に接触する頻度も少なくなっている。これらの情報からすれば戦争は終わったように思われた。


 にもかかわらず、大統領は何らかの精神疾患にかかったかストレスからパラノイアに陥ったのか、再びプディーツァ軍を攻撃するよう要請してくる。だがそんなことをすれば国際的な非難を浴び、復興に必要な「同情」が得られなくなる。そもそも今の軍の状態でプディーツァ軍に対して大規模攻勢を成功させるのは難しいばかりか、失敗すれば今ある国土も失うことにも繋がる。それは許されないことだ。


 とはいえ彼らは、暗殺によって生じる国内の動乱が敵を利すことになるのも避けたかった。彼らとて一枚岩ではない。政治信条ではなく命令によってのみ行動を決定するプロフェッショナルたちとて、大統領のシンパは少なからずいたし、それは一派閥と呼んでいい勢力に達していた。彼らを下手に刺激すれば、そこに反動が生じ、その熱に中てられた国民の力に押し潰されることになる。


 とすれば、国防省にしろ内務省にしろ、直接手を下すわけにはいかなかった。大統領には、何らかの事故かそれに準ずる状況の中で英雄的に落命していただき、その死によって国民には納得してもらう。


 その要件の下、計画は立案された。既に潜入しているプディーツァ人工作員を逆に利用し、彼らに手を汚させようというのである。これならば国防省は何もせずに済むし、内務省がやるべきことと言えば、ただ敵の計画を見過ごすことと事後の背景事情の隠蔽だけである。最小限の労力で最大限の効果が得られるのだ。これを実行に移さない手はなかった。


 こうして、エレーナ・エンラスクス大統領はゴルドッホ・スペンサーによって暗殺された。


 だが国防省も内務省も知らなかった。


 人、それを横着と呼ぶことを。


 そしてその横着は大抵、ロクな結果を生まないということを。

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