第182話 一人の人間として知るべきこと
「僕が初めて人を殺したのは、破壊されたフロントライン・コロニーから脱出するときだった。」
それからユーリはゆっくりと、部屋の中心に向かって歩き始めた。ベッドが目に入ったので、そこに彼は座った。カマラは一瞬迷ったようだったが、それを追って近くまで来て、結局その隣に座った。
「僕は、実のところ、心のどこかで、戦争は起こると思っていたんだろう。考えれば、すぐ分かることだった。軍事教練は毎日あったし、コロニーに宇宙軍が駐留するようになったし、外壁には元々なかったミサイル陣地が次々つけられていたし、ニュースは毎日国境の演習の話ばかりだった。これで起きないと思う方が馬鹿だ。だが――」
ユーリの脳裏には、ふとシャーロットの笑顔が思い浮かんだ。もう、恐らく会うこともできない彼女の記憶。たったそれだけで、戦争にまつわる全ての兆候を嘘だと断定できた日々のことを、彼は鮮明に思い出せた。
「だが、今日じゃない、とは思っていた。毎日だ。確かに軍事教練でやることは段々本格的になっていったし、退役済みの中古とはいえ軍用エンハンサーにも乗るようになっていたし、そのせいで普通の授業がどんどんどんどん短くなっていったけど――それは、実際には役に立つことはなくて、明日も同じことで愚痴を言ってシャーロットと馬鹿やって、それでまた明日って、言えたはずなんだよ。言えるって、思っていたんだよ」
だけど、フロントラインは破壊され。
そこにいたほとんどの人は死んだ。
「別にそのときは、プディーツァ人に対する憎しみがあったわけじゃない。恐ろしいことが起きたのは分かったし、その実行犯が誰であれ、プディーツァ軍が来なければ起きなかったことだということは理解していた。それに、これからは戦わなければ死ぬ状況だってことぐらい、分かる。何より、この戦争という異常事態に、それを起こした何者かたちに何も声を上げずに死んでいくなんて……僕はしたくなかった。でも、だからって誰かを殺してまで生きていく覚悟はなかったんだ。誰も殺したくなかった。敵と呼ばれる人たちであっても、それは、誰かの大切な人であるはずだから――そしていずれは、僕にとってもそうなる可能性がある人たちだったから」
かつて同じ国だった人々が殺し合うなんて、馬鹿げている。
たとえその合一が幸福だけで構成された歴史ではなかったとしても、だ。
「だから、僕はできる限り殺さないようにしようと思った。エンハンサーを狙うにしたって、武器とか手足とかを破壊すれば、戦えなくなるだろう? そうすれば敵は逃げるしかなくなる。そうやってどうにかできると思った。実際、最初の戦いでは――エンハンサー相手じゃなくて、工作艦とかの後方支援向けの艦を狙った戦いだったけれど――それができた。だから、エンハンサー相手でもそうできると思った――それは、ただの思い上がりだったのに」
ユーリは、そのとき一瞬だけ迷いが生じた。
ウジェーヌをどう語るべきか、という問いが、頭を過ったのである。彼は戦争の被害者でもあったけれど、同時に戦争に加担して事態を悪化させた一人でもある。だけれど、彼が後者であったという事実を、ユーリは誰にも話したくなかった。それは、彼の尊厳を踏みにじるものだと思った。そんなことはしたくない。
「脱出するための戦いで……友達が死んだ。」ユーリは、だから言葉を選んだ。「僕と……一緒に戦っていたんだ。だけど後ろから現れた新手に撃たれて撃墜された。その瞬間……僕は何もかもが分からなくなった。何も考えずに、撃った敵を追い詰めていた。頭がソイツを殺すことで一杯になってしまった。気づけば僕は敵に囲まれていて――殺されそうになっ、」
ふと、記憶がフラッシュバックしてくる。「ロジーナ」の狭すぎるコックピットの圧迫感が彼を取り囲む。それはアラートの鳴り響く「ミニットマン」のコックピットの幻覚と折り重なった。「サボテン野郎」。彼はユーリを嘲笑いながらアンナを貪り食う。その人肉の味が口一杯に広がったようで、彼の胃は、それを拒絶しにかかる。
「ウッ……」
「大丈夫? 水、持ってこようか?」
「いい、」ユーリは、吐き気を堪えながら、じっと床の一点を見つめた。現実を視界に入れ続けることで、耐えようとしたのだ。「話していた方が楽だ」
それから、自分の手足を見た。大丈夫。宇宙服じゃない。ヘルメットもない。ここはノヴォ・ドニェルツポリのマンションの一室。戦争は終わったのだ――そう自分に言い聞かせると、段々と現実が戻ってくる。彼は、そこから再び過去に目を向ける。
「僕は、一転怖くなった。自分が次の一瞬には消えてなくなるかもしれないなんて、考えたくもなかったのに、目の前でその可能性はちらついて消えてくれなかった。それが怖くて怖くて、押し潰されそうになって――でも、追手はそのとき隙を見せた。どういうことだったのかはよく分からない。もしかしたら、何か情けをかけられたのかもしれない。あるいは、不意に、人を殺すのが嫌になったのか――でもそのとき、僕は確かに、引き金を引いたんだ」
「…………!」
「自分の放ったビームが、分厚い装甲を貫いて、眩しく火花が散った。機体はバラバラになって、近くのコロニーの残骸にぶつかって細切れになった。敵のパイロットが焦げるところは見えなかったけれど――機体が壊れる様は、まるで、その人の魂が砕けて粉々になったみたいだった。何しろ、ほら、エンハンサーは人型をしているだろう? だから、猶更そう見えたんだ」
バラバラになる機体。早く同じ姿になれという囁きが聞こえた気がする。だがそれは自分の声だった。ユーリは敵パイロットの声など知らない。だから、これは幻覚だ。自分の中から発せられたものであって、怨念であるはずがない。
「こうして僕は、人殺しになった。軍事教練の教官は褒めてくれたけど、そんなものが欲しくて僕は戦ったんじゃあない。他に方法がないと思ったからだ。僕が生きるため、そしてシャーロットが生き残るためには敵を殺すしかないって、それだけしかないんだって――そうして僕は、彼女も壊した」
「壊した、って……」流石に、カマラも口を差し挟んだ。顔見知りに物騒な言葉がくっついたら、そうもなるだろう。「シャーロットお姉ちゃんは、どうなったの?」
「剃刀で自分の手首を掻っ切ったんだ。死ななかったのは偶然だよ。今は――どこかの病院にいる。少なくとも、僕はもう会えないだろう。でもそうなる前に、僕がちゃんと気にしてあげられればよかったんだ。兆候はいくらでもあった。ある日突然に人が壊れるわけがないんだ、全部全部積み重ねなんだよ。……でも僕は自分のことで一杯一杯で、あいつのことを何も考えられなかった! そうしたら戦うのが急に嫌になって、でも戦えって皆が言うんだ。だから、僕は殺した。殺して殺して、殺して殺して殺して殺して殺して……そうやって殺し続ける内に、誰かが粋なニックネームをつけてくれやがった。『白い十一番』ってな」
「『白い十一番』……」カマラは、そのとき、目を白黒させた。「って、あの?」
「そうさ。よくできたプロパガンダだろう? 七機をあっという間に撃墜した民間出身のエースパイロット。それも少年兵ときている! ……実際には、自分が世話になった教官一人守れず、幼馴染の異変にも気づけないでいた癖に、一端に英雄みたいな扱いを受けてるんだぜ。おまけに、大統領までその嘘に乗っかった。そしたら僕が出て来たんで流石に驚いていたよ。それから、久しぶりだなんてさ……でも、僕は我慢ができなかった。だって、この戦争を始めたのは、一端にはエレーナさんなんだから。戦前の政策が悉く失敗したせいで、一体何人が死んだんだ? 教官だけじゃない。顔も知らない人が大勢、ドニェルツポリ人もプディーツァ人も死んだんだ。そしてその内の何人かを僕が殺したっていうのに、何が久しぶり、だ! ……僕は大統領に全部ぶちまけた。何でもできるなんて思っちゃいなかったけれど、何とかしてほしかったんだ――いや、こうじゃないな」
――僕は多分。
――彼女が本当に何でもできると思っていた。
――女神のようなあの人が、本当に女神の類なんだと信じていた。信じたかった。そうじゃなきゃ、僕は……壊れそうだったから。
「…………」
「結論から言えば、彼女は、何も出来はしなかった。できるはずがない。政治っていうのは、人間一人の頭で考えたことだけでどうにかなるものではないんだ。彼女はそういうようなことを言った。僕はがっかりしたよ。何でそんなことを言うんだって、思った。でも、彼女は、本当は僕に会いたくなかったって、言った」
「会いたくなかった?」
「『白い十一番』が僕であってほしくなかった。僕に人殺しをさせたくなんてなかった。変わらないでいてほしかったって……そして、彼女にとって僕は、僕のままだった。人を何人殺したとしても、僕は僕だ――それは、そういう意味だった。たった一言だったけれど、僕はそれだけで救われたような気持ちになった。そういう明るい気持ちになって、それで――敵兵を、殺した」
ユーリの脳裏には、向かってくる敵影があった。それを片端からスナイパーライフルで片付けるのである。一個小隊を撃墜して――つまり四人を殺しておいて――彼は、以前のように思い悩まなくなっていたのだ。
「……僕は多分、とっくの昔に変わっていてしまったんだろうな。それに、大統領は気づかなかったんだ。誰かを殺した時点で、僕はユーリ・ルヴァンドフスキの皮を被った怪物だったのに、彼女はその外側だけしか見れなかったんだ。それでも、彼女は悪くない。だって僕だって気づかなかった、自分が『白』く塗り替わっていくなんて。」
「『白』く」カマラは、その表現に少し怯えたらしかった。「……変わっていく」
「そうさ。今まで感じてきた情緒だとか、心の機微だとか――そういう色を持った全てが、もっと統一された一色の、戦争向けに作り替えられていくんだ。塗るといっても外側からは分からない。言うなれば心の内壁の模様替えなんだから。だから僕は、『白い十一番』という怪物は、地球製のエンハンサーが来ても、それを人殺しのための悍ましい道具とは思わなくて、そのことを不自然に思うこともなかったし、そうであっても誰も気づかなかった。単に服を買い替えるみたいに気軽な感じ方で、僕に成り代わったその怪物はそれに袖を通して着心地を楽しんだ。そしてデートに行くみたいに、人を殺した。」
デート、という言葉が、彼にアンナの情景を思い出させた。一度もできなかったが、どこか遊園地にでも行ってみたかった。戦争さえなければ、そんなこともあったのだろうか? ……いや、戦争がなければ、ユーリとアンナは、出会うことさえない。だが、そんなことは、彼には耐えられなかった。
「でも、悪いことばかりじゃなかったんだ。」だから、間髪入れずに、彼は続けた。「『白い十一番』は僕に出会いもくれた。仲間、上官――そして、恋人。彼女は、『白い十一番』のファンだったんだ。アンナ・ジャクソン。彼女は僕に全てをくれたよ。『白』くなろうとしている心を何とか色づけようとしてくれた。変な人でさ、エンハンサーの話になると止まらなくなるんだ。僕より背がデカくて、年上の癖に子供っぽくて、その癖変なところで大人だったんだ。僕は夢中になった。彼女と過ごした時間は今までの人生の何百分の一の長さだろうけど、僕にはその何百倍にも価値があった。」
――そして、その価値のあった時間を、僕は、滅茶苦茶にしてしまったんだ。
そう言おうとして、できなかった。ぶよぶよの水風船めいた彼女の遺体が、目の前をちらついた。宇宙服の隙間からドロドロとした悪しきものが出てくる。それは特定の物質でもなければその化合物でもない。もっと根源的な、「闇」とか「終焉」とか、あるいは「死」そのものである。その酷い匂いが彼の鼻を衝いた。そのまま胃に流れ込んで、そこで反乱を起こす。
「ウッ……」
「兄さん……⁉」
カマラは蹲ったユーリに寄り添った。それから、急いで部屋の隅にあるゴミ箱に目をやった。しかしそれを取りに立ち上がった瞬間、彼女は服の裾をがしっと掴まれた。
「彼女は」ユーリは、その拳を握り締めながら、事実を言った。「死んだ。母艦に対艦ミサイルの直撃があって、その破片を全身に浴びて……カマラ、知ってたか? 今の宇宙服は酷く頑丈にできている。細かい破片が刺さっても、条件次第じゃ破れないし千切れない。だがそれは衝撃を全て吸収してくれるわけじゃない。するとどうなると思う? ――骨も肉も血も砕けて混ざり合って、それでも外側には何も漏れ出さないんだ。プルプルして、密封されてて、触れても人間みたいな感触はない。でもそこには彼女の名前が確かにあって、でも顔は見れなかった、そこに一番大きな破片が突き刺さっていたから――そんな痛くて苦しい死に方を、僕は彼女にさせてしまったんだ」
「兄さん、そんなことは……!」
「ない、って言えるかッ?」ユーリは、在り来たりな慰め方に腸が一瞬加熱されたのを感じた。「僕は戦争に夢中になって、彼女を守ることができなかったんだ。僕はいつものように戦えばいいと思っていた。そうすれば生きて帰って彼女と笑い合えると思っていた。それなのに実際には敵に囲まれて、身動きが取れなくなって、何発も何発もビームの直撃があって、僕は怖くて何もできなかった! 敵の攻撃隊は素通りして、見事に僕の母艦に穴を開けた……僕の無力さと油断が彼女を殺した! それなのにお前は僕のせいじゃないって言うのか⁉」
カマラは、ユーリのその視線に射竦められた。今までになかった敵意の視線に、彼女は怯えた。するとそれは表情に表れていたらしい。ユーリはすぐさま自分が何を言ったのか理解して、視線を逸らした。
「……ごめん」
「う、ううん、気にしないで……私も迂闊なことを言った……」
それからユーリは、少しの間黙った。カッとなってまたカマラを傷つけるのではないかと思ったのだ。手には、彼女の図体の割に細い首の感触がまだ残っているようであった。その感覚が、彼に何もするなと言っていた。やはり、この告白はカマラの善意を使ったただの自慰行為であって、それ以上でもそれ以下でもないのではないか?
「……でも実際、」しかしそれでも、ユーリは口を開いた。ここまで来たら、楽になりたかった。たとえ独り善がりであっても。「僕のせいじゃないと、僕も思いたかったんだ。自分じゃない誰かのせいにしたかった。それは『サボテン野郎』だったり僕が囲まれている間何もしてくれなかった仲間だったりした。馬鹿な話だ、あの敵にしたって多分、僕が『白い十一番』なんて名乗っていい気になっていたからああやってつけ狙うようになったのだろうし、小隊のメンバーも、僕と同じように沢山の敵に囲まれてたってだけなのに、僕は許すことができなかった。彼女を僕から奪った、僕以外のこの世の全てが憎かった。……笑えるだろう? 楽になりたいだけなら艦を降りるとか、いくらでも方法はあっただろうに、とっくの昔に真っ『白』くなった僕の脳味噌じゃ、そんなことは何一つ思い浮かばなかったんだ。そして――そして、上官に犯された」
「……え?」
「ああ、正確には犯されそうになった、だな。未遂だ――ノーラ・カニンガムっていう人でね。フロントライン・コロニーからずっと一緒に戦ってきた人さ。髪が短くて、軍人一家で、おっとりした性格で――それで、僕のことが好きだった、らしい。僕がその事実を知ったのは、アンナさんと付き合ってからだった」
そのときユーリは、瞼を閉じることはできなかった。それは視界に闇を齎すことになる。そこに今でも彼女はいるようであった。あの夜以前の優しく思慮深い、アンナを前に素直に身を引いた彼女と以後のエゴイスティックな人型の怪物の二種類が蠢いている。
「だが、僕が一人になって、そこには隙間ができたように見えたんだろうな。彼女はそこに滑り込もうとした。夜中に忍び寄って、僕を――僕の体を僕から切り離して自分一人だけのものにしようとした。今思えば、それは彼女なりの慰めだったんだろう。単に自分の欲望に適うからってだけじゃなくて、支えのなくなった僕が頼りなく見えたから、心に溜まった澱を欲望として排出させたかったんだろう。多分それは、彼女を唆した小隊の連中にしても同じことだ。だが、そんなものは僕には受け入れられなかった。当人を置き去りにした思いやりなんて、ただの暴力でしかない。それもこんなやり方で! ……僕はすぐに、ノーラさんを突き飛ばした。死んでしまえばいいと言った。殺してやりたいとさえ思った。だが僕はもっと真剣に言葉を選ぶべきだったんだ。だって彼女は真面目だったんだから。自分のしたことが悪いことで許されるはずがないと理解していたし、その確信の下僕に手をかけたんだから。でも僕には許せなかった。僕は彼女を拒絶し続け、仲間を否定し続け、孤独を選択し続け――そして彼女は壊れた。」
ユーリは、真空の中破滅的な笑い声でヘルメットのバイザーを上げる彼女を思い返す。想像の中の彼女は、その過酷な環境の中で沸騰しながらに凍り付き、液体窒素の中に入れられたバラを握り潰したように粉々になった。
「程なくして僕たちは激戦地に派遣された。彼女がそうなったことに僕が気がついたのはそのときだ。彼女の戦い方は、まるで以前と違っていた。チームプレーをする今までのやり方ではなくて、敵の注目を集めて一つ一つに撃ち返していくやり方だった。無論、今までとは違って待ち構えている敵のところに飛び込むような戦いだったというのはあるけれど――だとしても、そんな破滅的なやり方をする人ではなかった。あんな、死と隣り合わせの戦い方……!」
ぎゅう、と手を強く握り締める。冷たい幻覚が手の中一杯に広がって、そこから悲鳴を上げてノーラの破片が零れ落ちていく。そうだ、彼女を壊したのは他ならぬ僕だ。その僕が、どうして後悔しているようなことを言っている?
本当は、後悔する資格もないというのに……。
「それでも僕は、彼女にも本当は生きていてもらいたかったんだと思う。彼女が最期の戦いで被弾したとき、僕は敵を撃つことよりも彼女を助け出すことを優先した。それは、確かに停戦命令があったからだけれど――それ以上に、彼女が、僕を庇ったように思えたからだ。僕は彼女をこっ酷く遠ざけようとしたというのに、彼女はそれで傷ついておかしくなってもなお僕のことを思ってくれていたんだ。それを、僕は、彼女がそのせいで命を落とすまで気づこうとしなかったんだ……!」ユーリは、そこで底意地悪く笑った。「それなのに、僕は彼女の遺体をどうしたと思う?」
「どう、なって……?」
「真っ二つにしたのさ。ビームの粒子で背中がやすりでもかけたみたいに抉れていたのを、僕がそれを受け入れなくて、抱き起そうとした拍子に、千切れたんだ。縦に真っ二つ――上半身はすぐ後ろを通っていた機体にぶつかって粉々になった。僕はそれを見て、見て、見て……!」
あああッ、とユーリは息を吐く。見て、どうだというのだ? そんな残酷な風景を見たから、壊れるのは仕方のないことだとでも言いたいのだろうか? それだけではない。こうして他人に自分の辛かったことを言って、それだから僕が壊れたって別に悪くないと言うつもりなのだろうか。だとすれば、これはただの責任逃れであろう。やはり、これは自慰行為なのだ。自分一人が楽になりたいがために、他人を使っているに過ぎない。何と身勝手な人間なのだ、ユーリ・ルヴァンドフスキという存在は⁉
「兄さん……」
「僕は」何かを言おうとしたカマラを目で制しながら、それでもユーリは言った。「こんなものになりたかったわけじゃない」
「…………!」
「面白いだろう、滑稽だろう、馬鹿馬鹿しいだろう? 最初っから戦争なんてしなければよかったのに、ちょっとカッとなって手を出したせいで、気づけばこのザマだ。何も守れちゃいない。友達は殺して、先生は裏切って、仲間は切って捨てて、愛する人は死なせて、曲がりなりにも愛してくれた人は千切った。こんな恩知らずで恥知らずで情け知らずの人間は、この世にいちゃいけないんだ――それなのに」
そうじゃない。
それだけじゃない。
ユーリはそう言いながら、沸々と湧き上がる腹の中の存在にも気づいていた。首を振りながら、言葉を進める。
「それなのに戦争が終わって、僕は……どうしたらいいか分からなくなった。どうやって生きてきたのか分からなくなった。戦争のない暮らしが皆目見当もつかないんだ。多分それは、自分は悪くないっていう気持ちが幾分か残っているからだろう? 全ては敵のせい。プディーツァ人が来なければこんなことにはならなかった。だから殺そう。許せない連中はすぐそこにいる。それなのに戦争が終わったなんて、そんなのおかしいって、そう思っている『白』い誰かが僕の腹の底にはいる。その誰かは時折僕を乗っ取って、戦争ごっこをさせるんだ。世界を敵と味方に切り分けて、僕に戦って死ねって囁く。僕の暗くて臭くて汚いところはそれに同調して増幅されて、自分と誰かを殺すのに少しの躊躇も感じないようにする。僕はそうやって、お前を殺そうとした――殺そうとしたんだッ」
そのときユーリは、衝動的に立ち上がった。それこそ、今言った悪しき連鎖反応が起こったのだ。駄目だ、と頭では分かっていた。だが全身に悪意と敵意が満ち溢れていき、それがアドレナリンを放出させて、脳内を満たす。数少ない理性がそれに抵抗して脳の皺の間に引いた要塞戦に引きこもっているが、援軍なき籠城戦は破滅の先延ばしに過ぎない。
だがそれは、抵抗ではあったのだ。ユーリは何もかもを破壊してしまうぎりぎりのところで踏みとどまっていた。戦いの中で視界が明滅する。彼はぴたと振り向いて、まだ座ったままだがそれでいて何かを決意したようなカマラをじっと睨む。見つめる。鋭い視線で射殺す。甘えた目つきで縋る。その明滅の激しさは、ついに彼の意識を一瞬奪う。膝から力が失われ、彼は、しゃがみ込む。
「ウ……」
「兄さん!」
カマラはそのとき咄嗟に彼の上体が落下の衝撃で暴れないよう抱き留めた。ユーリはまだモノクロの世界にいるのか瞳孔の動きが安定していない。まるで目が見えなくなったように手探りでカマラにしがみつく。その動きが乱暴なのは、害意からか不安からか。しかしその位置が妙に首筋に近いような気がするのは? ……カマラは一瞬怖くなったものの、その手が震えているのを見て、その恐怖を断ち切った。
「兄さん――兄さん!」
彼は、ただ寒いだけなのだ。ずっと冷たい風の吹きつける吹雪の中に、遮るものもなくほとんど裸でいて、それでも何とか彼女の下に辿り着いたのだ。その目つきが鋭くなるのも、歯を食いしばっているのも、拳を握り締めているのも、その拳には血がついていて、その出所であろう哀れな小動物の毛皮が握られているのも、彼が受けてきた受難のせいなのだ。そうしなければ、凍え死んでいただろうから……。
そして、それは、本当に彼が受けるべきものだったのか?
「兄さん――」カマラは、ほとんど泣きそうになりながら、言った。「ありがとう」
「え……?」
「まずは、私に全てを話してくれて――本当は思い返すだけで苦しいはずなのに、それでも私に伝えることを選んでくれてありがとう。兄さんの言葉が聞けて、私は嬉しい」
「ッ、こんなの――」ユーリはしかし、歯を食いしばって、睨みつける。「僕が楽になりたかっただけだッ。そうさ、僕は利己的な人間なんだ。お前をまた利用して、自分だけが気持ちよくなろうとした! そんな僕にありがとうなんて言葉を使うな……!」
「でも、兄さんが戦っていなければ、私たちは多分、死んでいた。一度家に帰ってきたってことは、ノヴォ・ドニェルツポリの戦いにはいたのでしょう? あそこで兄さんが命がけで戦っていなかったら、ここはプディーツァになっていて――ううん、それどころか、戦争に負けていた。そしたら、ドニェルツポリ人がどう扱われることか――」
「そんなのは、戦争を知らないから言えるんだ。一人のパイロットが戦争全体に影響を与えることなんて、ない。一つの戦闘に絞ってもそうだ。僕がいなくたって、同じことが起きた。それなのに英雄扱いなんてするから、僕みたいな単純な人間は思いあがってしまう。離せよ、おい……!」
ユーリはそのとき、密着した状態から離れるべく手足を振り回そうとした。握り締めた手を突っ張って、カマラの抱擁から逃れようとした。
「でも、」カマラは、抵抗する彼を少しも離さずに言った。「兄さんがあのとき立ち上がった一人であることには、変わりがないでしょう?」
「ッ」ユーリは、一瞬、言葉に詰まった。「だから何だというんだッ」
「私はね――それが英雄の条件だと思っている。誰かの命が理不尽に奪われようとしているときに立ち上がった人。兄さんはその一人なんだよ」
「お前一人の意見だろう、それはッ。お前一人がそう言っていたからって、そんなものは僕にとっては……!」
「それなら何故、」カマラは、そのときユーリの言葉を遮った。「『白い十一番』なんてものは生まれたの?」
「それは……!」やはり、言葉に詰まる。呻きながら、彼は続ける。「ただのプロパガンダだ。プディーツァとの戦争に国民を駆り立てるための嘘っぱちに過ぎないッ」
「でも、それは誰かの心の救いになっている。たとえ大国相手でも不正なことには負けないぞっていう心の支えになっている。今じゃ、『白い十一番』の名前を知らないドニェルツポリ人は一人もいない。それは、私と同じように考えた人が大勢いたって証拠でしょう? 兄さんに助けられたと思っている人が山ほどいるって証明でしょう?」
「……何が言いたいッ! 僕が間違っていて、お前が正しいって言うんだろうッ? だから僕は苦しむべきであって、だから僕は……!」
「違う! ……兄さんは、正しいことをしたんだよ。それは確かに、苦しいことや辛いことの繰り返しだったかもしれないけれど……それを負うべきは、本当は私たちだったんだよ。それを、兄さんは肩代わりしてくれた。だから――」
カマラは、そのとき、腕の力を抜いた。ユーリは、それでも抵抗しようとしたが、彼女が脱力するにつれて、彼の力も抜けていった。瞼からも険しさが剥がれていって、彼は次第に、彼女の胸に突っ伏す。
「だから、今度は私たちの番。私たちが兄さんを守る番。兄さんは、その中でゆっくり自分の本当にしたかったことや本当にやるべきことを思い出して。これからは、私たちが世界と戦うから」
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