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第177話 命令じゃない何かしら

「起きて、兄さん――起きてったら?」


 がちゃりとクローゼットが開く音。それから聞こえてきたその声に、ユーリは寝ぼけ眼を擦りながら、全身に走る強張った感覚の中で身を起こすと、垂れ下がっている服が顔に縦方向の往復ビンタを食らわせてくる。そうなる中で初めて自分が昨日どこで眠っていたのか分かった。結局、クローゼットの中で横になったきり、そのまま朝まで――というのも、カーテンの開いた窓から自然光が降り注いでいる――寝入ってしまったのだろう。上にかけられている服が布団代わりになった格好だ。


「私の服の中で眠ってたの?」その事実に、カマラは若干呆れたような顔をした。「自分でも変態みたいだと思わなかった?」


「嫌だったなら、昨日の内に起こせばよかったじゃないか」


「起こそうとしたけど、母さんも隣の部屋にいるんだよ? それなのに大声出せるわけないじゃない」


 そうだ、両親の部屋は隣にあったじゃないか。その事実に気づくとユーリは遅ればせながら自分の口を塞いだ。無警戒に声を出しすぎた。まだいたら、また隠れる必要が出てくる。しかし、そうなったとき同じように見つからないという保証はあるのか?


 そうしてユーリがソワソワしていると、カマラはクスクスと笑い始めた。ユーリは訝しげにそれを見たが、すぐにどういうわけなのか気づいた。


「兄さんったら。もうお昼なんだよ? 父さんも母さんも仕事にもう行ったの。でなきゃ起こすわけがないじゃない」


「そりゃ……そうだろうが?」


 ――しかしその物言いは、やはりお前は僕のことを庇っているということなのか? だとしたら何故?

 ユーリは内心にできたその疑問を感じずにはいられなかった。ユーリにとって敵なのか味方なのかはそれによって決まる。パッと見友好的に振舞っていてもそれは確実に彼を罠に嵌め、あの病室に送り返すための行動かもしれないからだ。


 彼は確かめなければならなかった。果たして彼女は、一体何を考えているのか?


「なあ、カマラ――」


 そうユーリが声を出した瞬間、カマラは彼の起きた上体の脇の下に手を突っ込んだ。その事実にユーリが気づいて反応するより早く、彼女はその図体に見合ったパワーのままにユーリを、まるで子猫にそうするように持ち上げた。


「な、何?」


 ようやく状況を理解して面食らうユーリを、彼女はゆっくり床に下す。それから彼女はそこに彼を立たせたまま、くるくるとその周りを回って、じろじろ観察した。


「お、おい?」


「動かないで。今考えてるから」


「は、はぁ?」


「――うん。ここがこれぐらいなら、多分あれがまだ使えるはず。じゃあここをもっとこうして……」


「話が見えてこないんだが?」


「うん? 大丈夫だよ? すぐに終わるから」


 ユーリの当然の疑問に何の返答にもなっていない言葉をカマラは返すと、クローゼットに一直線に進んでその中に頭を突っ込んだ。それからガサゴソとあれでもないこれでもないどこにいったと呟きながら漁っていく。


「……何してるんだ?」


 返事はない。集中しているようだった。ユーリはその豹変ぶりに若干恐怖しながらも、これ幸いと抜き足差し足でリビングの方へ行こうとした。水ぐらいは飲みたいのだった。


「よし、兄さん!」しかし、そのとき丁度、彼女は文字通りの没頭から戻ってきたらしかった。「これ!」


 それから、彼女はぬっと腕をユーリに向かって突き出した。その先端には、一着の服が掴まれている。なるほど、確かにいつまでもパジャマ――そういえば病衣ではない、あまりにボロボロだったから拾われたときに捨てられたに違いない――を着ているわけにもいかない。第一、暖房が効いているといってもこのボロマンションのことだから、パジャマだけではいくら何でも寒い。何かもっと厚手のものを着たいのだった。


「おい」しかし問題は、そのデザインだった。「何だ、これは?」


 カマラの持っているそれは――ひらひらでふりふりで、がーりーでちゃーみんぐなワンピースだったのだ。どう見ても女物――という言い方をすると地球時代ですら論争になるだろうが、実際ユーリの趣味趣向に合っていない――である。


「何って」しかしカマラは小首を傾げるばかりだった。「兄さんの服だけど」


「僕のじゃない、お前の服だろう」


「まあそうだね? もう着れなくなった私の服だけど、そこ重要?」


「重要だろう⁉ もっと他にないのか? それ以外――」


「あ、そっか!」


 ユーリの言葉を遮りながらそう言ってぽんと手を叩くと、カマラはまたクローゼットの中に顔を突っ込んだ。しかしようやく分かってくれたかと思ったのも束の間、彼女が弄っていたのはずらりと上に並んでいる服――上着の方ではなく衣装ケースの方だった。それを訝しんでユーリは止めようとしたが、それより一瞬早く彼女は顔を出した。


「はい!」


 女物の下着を上下セットで持ちながら。


 …………。


「…………なるほどな」ユーリは、自分がプルプルと小刻みに震えたのが分かった。「分かった分かった。分かったから馬鹿なお前にも分かるように言うが、確かに『それ以外』と僕は言った。だけどそれは『それ以外()』下着まで含めてフルセットで用意しろって意味じゃなくて、『それ以外()』今持っているの以外に服はないのかって意味だ! 人の話は最後まで聞け!」


「でも他のって言われても、兄さんの服のサイズって私の何分の一とかじゃない。全然同じのないよ」


「僕の服を持ってこいって意味だ! 何でお前の服を着る前提で話しているんだ⁉ あと流石に何分の一とか、それほど僕は小さくない! 平均より少し下なだけだ!」


「だって兄さんの服はほとんど処分しちゃったもの。そうじゃなきゃ仕舞う場所なくて」


「何勝手に処分してるんだよお前は! それじゃあ僕が帰省したとき何着せるつもりだったんだ⁉」


「もちろん、これを着せるつもりだったけれど?」


「けれど、じゃない! 丸っきり計画的犯行じゃないか! お前が妹であることをこれほどまでに恐ろしいと思ったことはないよ!」


「でも兄さん。実際のところ今これ以外に服はないし、これでも私は第二第三の候補を持っていて、その中で一番マシな方を選んでいるわけだけれど、それでもこれはどうしても嫌?」


「実の兄を脅すな! それを着るぐらいなら僕はこのパジャマを着たままでいることを選ぶし、それすら許されないなら素っ裸でいた方がマシだ! 断固拒否するぞ!」


「そういうわけにはいかないんだけど。兄さんその格好で外に出るつもり? 普通に氷点下だよ?」


「いや、だからといって僕にだって尊厳というものが……って、外?」


 外に出ろ、と、言ったか、今?


 ユーリはその瞬間、今まで緩んでいた警戒の糸をピンと張り直した。


 ――そうだ、カマラは僕が脱走兵であることには気づいているはずだ。昨日通報しなかったのは、移送に耐えられる程度まで回復させようという考えだったに違いない。それか、やはり彼を油断させる罠だったのだろうか。


 しかし――いずれの場合にせよ、外出するのには危険が伴う。外に出れば、昨日の今日だ、捜索の兵隊はいるだろうし、そうでなくても沢山の視線の中をかいくぐっていく必要がある。それは避けたいところだったのだが……。


「カマラ、お前――どういうつもりだ?」


 昨日は庇っておいて、今日は危険な外に追い出すなんて、随分な変節ぶりじゃないか?


「?」ユーリはその言葉を視線に込めたつもりだった。それに、彼女は答える。「どういうつもりも何も、今からここに彼氏を呼ぶからだけど?」


 膝から崩れ落ちた。


「ちょ、兄さん、大丈夫? まだ熱ある?」


「いや、多分熱はもうないが……というか彼氏いたのかお前……」


「うん。キャンドルサワー君っていう子でね、私より背が高くてね」


「やめろやめろ聞きたくない。妹の恋愛事情なんか知りたくもない」


「あ、出掛けたら二時間は帰ってこないでね。適当に時間潰してきて」


「?」二時間?「何でだ?」


「だってえっちするから」


 …………。


 聞かなきゃよかった。


「とにかく……分かった。僕はその、女物の服を着て外に出て、二時間ほどぶらぶらしていればいいんだな?」


「あ、ついでにご飯でも食べてくれば? 朝ご飯か昼ご飯か分からないけど」


「…………」ユーリはこの服装で食事するなんて死ぬほど嫌だったが、抵抗することを諦めていた。「はいはい」


「あとこの靴使ってね。多分サイズは合ってるはずだから」


「はいはい」


「あとついでにコンドームも買ってき……」


「それは自分で調達しろ」


 これ以上聞いていたら馬鹿が感染る。そう思ったユーリは、パジャマのボタンに手をかけて脱ぎ始めた。


「え、ちょ⁉ 待って⁉」


 その瞬間、カマラは大きな声を上げて、ユーリから目を逸らした。待てと言われたので、ユーリはぴたりと動きを止める。


「……何だよ」


「い、いや……何で私が部屋出る前に脱ぎ始めたのかなーって……」


「?」ユーリは首を傾げた。「脱げって、お前が言ったんだろうが」


「言ったよ? 言ったけど……」


「僕はお前の命令通りに動いているだけだ。待てというならいくらでも待つが……着替えろって話だろ?」


「命令って……」カマラは少し困惑したような表情を浮かべた。「そういうのじゃないよ。そんな堅苦しい話じゃ……」


「? よく分からない。僕に着替えろって言っただろ? それは命令じゃないか」


「……そうじゃないよ」


 そのとき、カマラはユーリの目を見た。どこか悲しそうで、何かを決心したような瞳。しかし彼には読心術が使えるわけではない。それが何を悲しく思っていて、何を決心したのかは伝わらない。


「世の中には、命令じゃないことだって沢山あるよ。もっと柔らかくて、強制するんじゃなくて、言いつけられたのでも押し付けられたのでもなくて、もっと自発的に自分のしたいことを決める方法があるよ」


「?」


「今は忘れてしまっているかもしれないけれど、いつかは思い出してほしいな。だって、兄さんは……私の兄さんだから」


 ユーリは、彼女が何を言っているのか、全く分からなかった。命令以外に何があるというのだ? 確かに軍にいた頃それを実直に守り続けていたわけではなかったが、だとしてそれ以外に誰かに何かをさせる方法などあったか? 従うべきことなどあったか?


「取り敢えず、」カマラはやはり悲しそうな目をしていた。その瞳のまま立ち上がった。「着替えたら出てきて。あ、コートはこれね。マフラーはこれ使って」


 それから、彼女は部屋を出て、扉を閉めた。ユーリには彼女が何を意図してそんなことを言ったのか皆目見当もつかなかった――彼氏がいるのに男の裸を恥ずかしがるだと――から、取り敢えず直前に受けた命令を実行することにした。


 ……女物の衣服の着方が分からず、かなりの時間を要したことは、まあ、蛇足だろう。

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