第169話 ムゾコンの主(前編)
プディーツァ連邦首都星系ムゾコン。
その中心部にある大統領公邸はサイケデリックなカラーリングで前衛的な形状をしている。旧革命評議会政府時代に地球との差別化としてやたらとアヴァンギャルドでエクストラオーディナリーなデザインが公的な建物の意匠として好まれた結果、半ば悪趣味とすら言えるその建物は今現在も建て直されることなく残っていた。
その廊下――意外にも、内装は外見よりは大人しく、どこか宮殿風――を、一人の男が歩いている。名前をアダム・アイゼンといった。年齢相応のゆったりとした足取りを以て、敷き詰められた赤い絨毯の上を進む。目指すは最奥部。そこで大統領と待ち合わせることになっていた。
目印の重厚そうなドアの前に辿り着いて、警備についている二人の兵に軽く会釈をする。すると一人が身体検査――公邸入口でもやったのにもう一度――、もう一人がインターホンを使って中と連絡を取る。
「アダム・アイゼン大使、到着されました」
『通したまえ』
ドアの向こうの声は、低く、それなのによく通った。元軍人、それも特殊部隊員らしいどこか恐ろしさすら感じさせるもの。この声で凄まれれば、大抵の政敵はたちどころに口を噤んでしまうだろう。
そう考える間に身体検査は恙なく終了。二人の兵士は両開きのドアそれぞれに手をかけ、開く。
すると、そこにあるのは――この「そこ」というのは少し誠実な表現ではない、ドアからそれまでには、どちらかといえば「あそこ」というべき距離がある――一つの執務机である。どこ様式とも言い難い宮殿調の内装に合った、上品なもの。
「やあ、アイゼン大使殿?」その向こう側にある椅子から、警戒ポストにいる兵士のような鋭い視線が向けられる。銃口のような瞳。それがプディーツァ連邦大統領ヨシフ・スモレンスキーの特徴だった。「お加減はいかがかな?」
「ご機嫌麗しゅう、大統領閣下。」だが、アダムは少しも物怖じしなかった。この程度で怯むようでは、仮想敵国で外交官などできるはずがない。「この寒さは少々堪えますがな」
「我が国は寒冷惑星だからな。冬はどこでも厳しいものだ。尤も、この国に長くいる君にはシャカに説法だろうがな」
――いえいえ、二〇年間ずっとこの寒々しい国の政権の座に居座っているアナタほどではありません。
アダムは何とも言えない曖昧な笑顔の裏にその言葉を隠しきった。賄賂とハニートラップで絡めとることが一つの手段となる国で外交官をやっていくためには、単にその国のことをよく知っていたり外交官として優れているだけではなく、面従腹背の姿勢――即ち外見上はなよなよとして与しやすしと思わせておいて内心では敵意にも似た信念を持っていなくては、あっという間に本国に呼び戻され、ただの無職になる。
「それで――」ヨシフはそのとき肘掛の上に頬杖を突いた。「一体何用かな? 私にわざわざ時間を取らせるのだ。相応の用事があってのことなのだろう?」
「ええもちろん。この時間を用意させていただいたのは、我が国の新しい大統領からの連絡を伝えさせていただくためです」
「新大統領? ……ああ、そういえば、貴国では大統領が変わったのだったな。我が国では珍しいことだから忘れていたよ。同じ民主主義国家だというのに、貴国は全く難儀なことだ」
――プディーツァが民主主義国家だと? 権威主義者の皇帝気取りが、よくも言う。
アダムは内心そう毒づきながらも、その感情は表に出さなかった。彼は歴戦の外交官である。年齢を重ねてアジア系らしい黒い髪が全て抜け落ちても、生来からの強烈な自制心は少しも衰えてはいなかった。それどころか老獪さすらそこには宿っていた。
「では、申し上げます――」だからこそアダムが選んだのは挑発的な視線だった。不意にそれに晒されて、ヨシフは睨み返す。「現在我が国の艦隊は同盟国内の貴国との国境地帯において大規模演習を実行中です。これはあくまで演習ですが――貴国もよく知るように、演習中には事故が起きるものですから、どうかこの点について注意していただきたい」
プディーツァがドニェルツポリに侵攻した表向きの理由は演習中の偶発的な事故ということになっている。ドニェルツポリ国境に「誤って」侵入したので退去する途中で、ドニェルツポリ軍国境警備艦隊からの発砲を受けたので応戦したということになっているのだ。
だが言うまでもなくこれらは自己正当化のプロパガンダである。地球軍情報部はただの演習なら必要ない輸血用血液の集積の情報を掴んでいた(これは比較的分かりやすかったので報道によく載った)し、実弾演習にしては多すぎる燃料弾薬の輸送も確認していた。それらの情報を抜きにしても、高々国境紛争を始まりとして首都星系まで攻め込んだというのは、どう理屈をこねたところで無理があるのである。
「……ふん?」しかしその皮肉を知ってか知らずか、ヨシフはどこか余裕そうな表情すら浮かべた。何だその程度のことか、と。「もしそんなことが起きれば、現地司令官の首は飛ぶだろうな? シビリアンコントロールを無視した軍部の暴走! ……一政治家としては恐れる限りだが?」
「ええ。ですから、彼らは議会と大統領の許可なしには動くことはありません。ご安心を、何も起こらなければただの演習です。少々騒がしいでしょうが、まあ、見逃していただきたい」
アダムがそう言うと、ヨシフの表情は少しだけ訝しげに崩れた。
「……何?」
「ですから、現在貴国との国境付近にいる我が艦隊は、その規模や編成にかかわらず、一切貴国に関与することはない――そう申し上げております」
ここでアダムは嘘くさいほど笑顔を浮かべた。口角を吊り上げ、敵意がないということをアピールする――しかしどういうわけか、アダムがそうすればするほどヨシフは視線に敵意を宿らせ、姿勢を正していく。頬杖も、もうやめた。
「……なるほど?」ヨシフはどこか不機嫌そうに、じろりとアダムを見て言った。「それで……それだけかね? それだけなら、別に文章でもよかったように思えるが……」
「いえ、もう一件――貴国とドニェルツポリとの戦争に関して、我が国から要望がございます」
そう言うと、ヨシフの目の色は全く変わった。彼は何かを感じ取っていた。まるで、目の前の民間人が拳銃を隠し持っていて辺り構わずぶっ放すつもりだと気づいたときのような緊張感が、その眼には宿っていた。
「……何だ、言ってみろ」
その目を見て、アダムは思った。
かかった、と。
「今から二四時間以内に停戦していただきたい」
「何?」
「今から二四時間以内に停戦し、終戦に向けた交渉を開始していただきたい――と、大統領から伝えるよう言われましたので、お伝えいたします」
そう、これはアダムの戦略だった。
彼がこの国に長くいたことで分かったことは――この国には、強く信仰されているものが二つある、ということである。
一つは、力。
この国が、実際の経済力に比して大きな軍事力を有している――それはつまり、それだけ国民の生活が圧迫されていることを意味する――ことからも、それは読み取れるだろう。もちろんこれは国の成り立ちから来る地球連合に対する不信感や対抗心がそうさせるという側面も無視できないが、いずれにしても国際問題の解決に際して、経済や文化、政治といった無形の間接的な手段よりは、艦船の保有数や兵員の練度、エンハンサーの性能といった有形の直接的な示唆に重きを置いているのである――その証拠が、この戦争である。
そしてもう一つは――勝利だ、その力から連想されるべき。
どれだけの負担であろうと甘受する代わりに、プディーツァの国民たちは、自国の勝利という美酒を欲し続けてきた。当然である。必要だからと徴収されたものが全く役に立たないもののために使われていたとしたら、どの国の国民でも反発するし、暴動に発展することだってあり得るだろう――強権的なことで有名なプディーツァであったとしても!
そしてこの力と勝利のイデオロギーに最もよく染まっているのが、このヨシフ・スモレンスキーという男である。
つまりどういうことか――それは、強き勝利の国プディーツァ連邦を代表するヨシフ・スモレンスキーは、強くあらねばならないし負けることは許されないということである。
逆説的に言えば、彼はこの二〇年間、その力と勝利というモチーフを維持してきた、ということでもある。
それが可能だった理由は、やはり元軍人としてのイメージ戦略もあるだろうが、その軍人特有の思考にあるだろう。敵は常に嘘を吐くものであるという観念がそこにはある。その前提で勝利するには――相手にはこちらの吐いた嘘を信じさせ、一方でこちらは相手が吐いた嘘の裏を掻いて出し抜くしかない。
そういうわけだから、とにかく彼に嘘は通じない。例えばここで戦争を止めるという一心で「もし停戦に応じない場合は、我が国は貴国を速やかに攻撃する準備がある」という宣言をしたとしよう。するとヨシフは「地球連合は民主主義国家であるから、議会を通さなければ宣戦布告はできない=軍は動かせない。よってこの情報はブラフであり、そこから逆算すると地球連合にこちらを停戦させる能力はない」と判断してしまう。
だとすれば、どうすればいいのか。
結論から言えば、真実を言えばいい。
真実を言って、勝手にその裏を探らせればいい――今、ヨシフの頭の中には二つの情報がある。一つは、地球が同盟国領内において大規模演習を行っているという情報。もう一つは、地球がドニェルツポリに対する侵攻を停止するよう要求しているという情報。本来、この二つは独立した一つ一つであって、直接的な関連性はない。軍事演習は本当にあくまで軍事演習であって、プディーツァ=ドニェルツポリ戦争への直接介入の準備ではない。
ないのだが、ヨシフにとって解せないのは、何故このタイミングでこの二つの情報が同時に、その国の代理人という一人の男から伝えられたのか、ということである。嘘ではないからこそ、それは何らかの繋がりを持っているように思われるはずである。何しろ、彼らプディーツァは軍事演習の直後に侵攻を開始した。だとすれば――己の論理を相手に適用すれば、今般の軍事演習も何らかのサインに見えてくるに違いない。
そして何より重要なのは、ヨシフはどのような事情であれ、負けるわけにはいかないということである――それはつまり、強さを損なわない範囲(弱い者イジメをしているような人間を、誰が強いと思うのだろう?)でのリスク回避を強いられるということである。
なるほど、ドニェルツポリはそういう意味では丁度いい立ち位置だったのかもしれない。確かに小国でこそあるがそれなりの規模の艦隊を有している(その証拠に、半年持ちこたえてみせた)。かといってプディーツァを滅ぼし得るような戦力ではなく、仮に戦場で敗北したとして国家として再起不能になるほどのダメージは想像できない。
だが、地球は違う。
保有艦艇数、エンハンサー保有機数、所属兵員数――そういった分かりやすい数字で既にプディーツァを僅かながら上回っているのみならず、その質の高さ、つまるところ艦艇やエンハンサーの性能、兵一人一人の練度でも勝っている。今は地球がまだ戦時体制になっていないからしばらくは戦えるかもしれないし、地球とて全盛期はとうに過ぎている――が、それでも戦争に本腰を入れたならば、プディーツァを、ヨシフ・スモレンスキー政権を滅ぼし得るポテンシャルはあるのである。
その可能性が一パーセントでもあるのなら――その選択肢をヨシフは踏まない。
そうアダムは考えた。
「……そうか」長い沈黙の後、その推測を裏付けるようにようやくヨシフは口を開いた。「貴国の要求は分かった――検討し、後ほど返答する。それでいいかね?」
ここで変な条件をつければ、ヨシフはブラフを読み切るだろうし、そこまでの権限は与えられていない。アダムは「ええ」と返事をして、一礼をした。
「どうか、プディーツァ連邦という親しい隣人が正しい判断を下されますよう……」
ヨシフの視線が、アダムの禿頭に突き刺さる。しかしそこに痛みはない。猫に引っかかれたほどの感触すらない。虎やライオンに例えられるほどのこの政治家は、今このとき子猫よりも無力であるようだった。
その確信に押されるようにして、アダムは席を辞する――彼がドアに近づくとそれを足音からか察して兵がそれを開けたので、そこを半ば小走りで通り抜ける。
そしてそのドアが閉まる。
そしてその優れた防音が沈黙を齎す。
そしてその数秒後。
「…………ふ」
その向こうでヨシフは――笑う。
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