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第166話 診察

「戦闘神経症」と、軍医はハッキリと言った。「ですね」


 医務室の軋む椅子にユーリは座らされていた。「ルクセンブルク」は被弾しなかったので、カーテンに仕切られただけのそこはいつかとは違って酷く静かなものだった。その中で、ユーリは小さな溜め息のような返事をした。


「はあ」


「おまけに摂食障害による栄養失調や睡眠障害――それも、全て慢性的なもの。パイロットとしてだけではなく、普通の市民生活にすら影響が出るレベルですよ、これは。今までよく誰も、何もなしでいられたものです」


 軍医は半分は怒っているようだった。語気は強くあった。それはユーリにも分かった――が、それが何故なのかが分からない。取り敢えず怒られているのが自分だったならここで真面目な顔をしなければより怒らせると思って、何とも言えない返事をした。


「はあ」


「取り敢えず、アナタは明日タッチダウンする予定の病院船に移乗してもらいます。アナタには入院が必要だ。内地の軍病院に搬送してもらう。それまでは、ここのベッドにいてもらいます……いいですね?」


「はあ」


 ユーリの返事に、軍医はその眉毛に山脈を作った。気のない返事をし続けたのが気に障ったかなとユーリは思った。とはいえ、それぐらいのことしか彼にはできなかった。


「これで、診察は以上です。」そのユーリの表情を見て、軍医はどこか悲しそうな顔すら見せて、向き直った。何故?「何か質問はありますか?」


「あ、えっと……」


 怖ず怖ずと、ユーリは手を上げた。別にその必要はなかったが、目の前の人が怒っているというのは、彼をして行動を慎重にさせた。


「……何です?」しかし、そのせいで中々話し出すことができなかった。それに軍医は怪訝そうな顔をした。「質問があるのでは?」


「だから、それで――」後頭部を掻きながら、ユーリは言った。「僕はいつ前線に戻れるんですか?」


「……はい?」


 軍医は明らかに怪訝そうな顔をした。聞こえなかったのかと思ってユーリは言い直した。


「ですから、僕がいつこの艦に戻ってこられるのかって話ですよ――入院は困るけれど仕方がないというのなら、従いますけど……でもすぐ戻ってこられるようでないと、次の戦闘に間に合わないじゃないですか」


 すると、軍医は眉根を寄せた顔を奇妙に歪ませた。目を伏せて、深く溜め息を吐く――それから何度かユーリの方をチラチラと見て、それからようやく顔を上げた。


「ルヴァンドフスキ中尉。大変申し上げにくいのですが――」だから、軍医は目を逸らさなかった。「戦争は、終わりました」


「…………? えっと……」


「戦争は終わったんです。停戦になって、今は政治家たちが話し合う段階になった。戦場で戦うのはもう終わったんです。アナタはもう、戦わなくていいんですよ」


 今度はユーリが怪訝そうな顔をする番だった。戦わなくていい? ……その言葉には怒りすら覚えた。


「……意味が分かりません。戦争が終わった? いつ? どうやって? 誰がそんなことを? ……誰のものであれ、そんな言葉には従えません」


「しかし、これは命令です。政府から発せられた正式なものなんですよ。我々は全ての戦闘を中止し、最寄りの軍港まで後退しなければならない。軍人である以上、そして命令であるからには、誰からのものであれ従わなければなりません」


「軍人だから何ですか。命令だから何ですか。こんなふざけたことを言われてはいはいと従わなければならないというんですか? アナタは上官から死ねと言われたら死ぬんですか?」


「そんな話はしてないでしょう? 少し落ち着いてください。別に上は、アナタに死ねと言っているわけではないんですよ?」


「だが、僕にとっては同じことだ。何が戦わなくていい、だ。まだ何も終わっちゃいない。だってそうでしょう⁉ この戦争を起こしたプディーツァ人共は平然としているじゃないか、少しも傷つかずにヘラヘラ笑ってるんだ! だったら戦争は終わっていない、続くべきなんだ……!」


「中尉……落ち着いてください。アナタは……!」


「戦争は、」ユーリは思わず立ち上がった。「終わっていないッ! まだ、僕にとっては終わっちゃいない! あいつらを皆殺しにするまで終わっていいわけがないッ! でなければ、何のために僕は戦ってきたんだッ、アンナさんもノーラさんも、皆々アイツらに殺されたんだぞ!」


「中尉、アナタは病気だ。病人には治療と休養が必要なんだ……!」


 後ろでカーテンが開く。看護師がそこから飛び出して今にも軍医に掴みかからんばかりのユーリを羽交い締めにした。


「離せよッ、僕は正常だ! アナタたちが異常なんだろ、こんなこと許されていいはずがないじゃないか! ……アナタたちはプディーツァ人の味方をするのかッ? アナタたちには、守るべきものも失ったものもないっていうのか⁉ 僕にはある! ならそれを奪い返そうとして、何が悪いッ!」


 ユーリは振り解こうとしたが、二人がかりの上、腕力の違いもあってビクともしない。何よりユーリの体力は著しく落ちていた。引き剥がそうとする力に抗えず、ヨロヨロと引きずられる。それでも暴れるユーリは、その隙に軍医が引き出しから何かを取り出すのに気づかなかった。それから看護師が狙いを変え、腕を拘束しにかかった瞬間、チクリ――そこで初めて、何かを注射されたことに彼は気づいた。


「何、を……?」


「鎮静剤です。」軍医は睨みつけるように言った。「アナタがどうであれ、戦争は終わり、アナタは病に侵されている。なら私の仕事は、アナタを治すことだ――エンハンサーになど、乗せるものか」


「グッ……」そう感じたから、ユーリは軍医を睨み返した。「アナタって人は……!」


 ならば、この心のうちにある激情はどう処理したらいいというのだ? アンナを殺されて、ノーラを狂わせて死なせて――その償いは、どうしたらいいというのだ? ……しかしその目は、瞼は、薬によって一秒ごとに重みが増していく。次第に力を増す睡魔の軍勢に抗えなくなったユーリは、最後にはガックリと首を落として、意識を失った。


「……拘束衣を着させておけ!」軍医は注射器を処理しながら、看護師たちに言った。「猿ぐつわもだ。病院船に移管するまで何もさせるな。導火線に火の点いた爆薬だと思え」


 その言葉に看護師は頷くと、ユーリをカーテンの外へ引っ張っていった。靴の踵のゴムが床に引っかかって、ガタガタと音を立てる。それがドンドン遠ざかっていき――それが充分離れたと思ったところで、軍医はよろよろと後ずさりをして、墜落するように椅子に座った。


(……何たることだ!)それから額に浮かぶ嫌な汗を拭った。手の甲にはまるで何千メートルも全力疾走したように、水分が付着していた。(アレが一六歳の子供の言うことか⁉ 完全にぶっ壊れているじゃないか!)


 椅子の背もたれを限界まで使って、後ろに寄りかかる。できれば横になりたかった。少なくともこのような現実に対して冷静に直立不動でいられるわけはなかった。


(俺たち大人がどうして戦争などという行為に手を染めたかと言えば――ああいう子供を生み出さないためじゃなかったか。大人として、よりよい未来を次の子供に受け渡すためじゃなかったのか? だからプディーツァ人のやることは許せない、そういう理屈だったんだ――それが、現実にはこうだ。子供を喜び勇んで矢面に立たせて、挙句に完全に狂わせてしまった。戦争の論理に染まった怪物を作り出してしまった……)


 軍医はぎり、と歯を食いしばった。手にも自然と力が入る。怒りだ。この世に蔓延る理不尽の現出に、彼はそれを覚えていた。


(なるほど戦争は終わらせられるのだろう。戦闘を止め、戦線を去り、戦意を忘れれば――だが、それは戦禍が即座に元通りになることを意味しない。戦争で変わってしまったものや失われてしまったものが、戻ってくるはずがない。まして、戦争で歪められた心と思考は、簡単には戻らない。果たして彼は――かつての彼自身に戻れるのだろうか?)


 しかし、そこで軍医は、胃に不快感を覚えながら身を起こした。無力感が脳の奥にこびりついている。あるいはそれは罪悪感だった。ああまで壊れるまで、軍医として何も気づいてやれなかったという事実が、それを抱かせる。


 だが、軍医はそれから椅子を傍らのコンソールに向けた。それから、引継ぎに向けたカルテを書き始める。


 自分の仕事をする。


 それが、大人としてできる、最低限の償いだからだ。

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