第150話 さらば「エルベ」
「ルクセンブルク」は、その末路は置いておくとしても、後世には幸運艦として語られることがほとんどである。
それは、被弾が滅多になかったというのもそうだが、その被弾でさえ、大抵は軽度のものか、重度のものであってもすぐに修理が完了したというエピソードに端を発する。
このときもその幸運ぶりは遺憾なく発揮された。被弾ブロックの予備は滞りなく発注、輸送され、地球軍の輸送支援によって速やかに前線に到着、コピー品特有のズレもなく、F1のピットインよろしく――技師は手記にそう表現した――修理は完了した。それは丁度、予備人員や機材の補充が完了した直後のことである。
ただし、その背景にはオイゲンやヴィクトルの涙ぐましい遅滞戦闘がないわけではないのだが……それはまた、別のお話である。
「全艦、発進準備!」
オイゲンはそう号令を下した。それは心臓から血液が全身に行き渡るように艦の全体に伝達され、細胞たる各乗組員は動き始める。機関の始動、各揺動部の固定……その騒動の中で、オイゲンは欠伸をした。報告が上がってくるまでは待つしかないのだ。
「相変わらずイマイチ締まりませんね」
「黙れヴィクトル。俺は眠いんだ。お前だってそうだろう」
「二人して司令部相手に丁々発止してれば、そりゃそうです」
そう言いながら、控えめに欠伸をヴィクトルは噛み殺す。万全な状態での発進となるように、彼らは司令部に掛け合っていたのだ。幸い、先述の通りスルスルと準備は終わったわけだが、それはそれとして、反動は残る。
「ですが、指揮官たるもの、それを見せてはいけないのでは? 規律に関わります」
「俺がそういうタマに見えるか? 悪いが俺は高潔の士じゃない。屁だってするしウンコだってする。なら欠伸ぐらいいいだろ」
「文字通り、屁理屈ですね」
「だが理屈だ――なあ、この話、前にもしなかったか? このフレーズに覚えがあるんだが」
「さあ?」
そう言いながら、ヴィクトルは手元の端末を操作した。そうして映し出したのは命令書である。そこには、単艦で機動し、ジビャまで到達するようにというようなことが軍隊用語で記されている。
つまり、勝手にあれこれやらせたのだからその分、艦隊からは支援しない、という意味である。
「しっかし、これって懲罰的な命令だよな。」と、オイゲンは頬杖を突きながらボヤいた。「自分が艦長だったらどう考えるかとか考えないのか、連中は?」
「今は艦長じゃないからでしょう。艦長も全体のことも考えなければならない立場になれば分かるでしょう」
「けっ、だからって護衛艦隊を先行させて肝心の航宙母艦を単独で行動させるか? 戦力不足は理解できるが、それじゃ逐次投入だし、俺たちは孤立状態で戦場まで行くことになる。どれだけ危険なことか……」
「一刻も早く、一隻でも多く戦力が欲しいのでしょう、司令部は。それに、移動経路は後方です。まず安全と見ていいでしょう」
「ヴィクトル、お前はいつから俺より楽観的にものを見るようになった? 技師長の話を忘れたのか? ジビャは今、軍艦の墓場だ。着いた頃には護衛艦が残ってないかもしれん。それを計算に入れてないだろお前」
オイゲンは溜め息を吐きながら、腹の肉にベルトが食い込んでいるのを直した。
「それに、だ。うちの艦は被弾したんだぞ? 機関部のチェックはしたが、万一のこともある。それに、敵特殊部隊のことだって考えなければならない」
「特殊部隊……ですか? この艦が標的になると?」
「そうだろうが。この艦がどれだけプロパガンダに寄与したか忘れたのか? それが沈んだとなればあっちは喜び、こっちは悲しむ。それを狙ってこないとは言い切れんだろう」
「それは、考え過ぎなのでは? 自意識過剰ですよ」
「だといいがな……邀撃機はいつでも出せるようにしておけ? 光速に達するまでは、この艦は無防備になるんだからな」
了解、とヴィクトルがそう言ったとき丁度、「エルベ」側から、両艦を繋ぐ全てのロックを解除したとの報告が入った。いつでも発進させられるという意味である。
「艦長」
「ああ――各セクション、準備よいか?」
「機関部、いつでも」
「火器管制、オールグリーン」
「格納庫、邀撃機の準備はまだかかりますが、それ以外は完了!」
「艦長、その他セクションからも完了報告が入っています」
そう言って、ヴィクトルはオイゲンに自分の持っていた端末を見せる――オールグリーン。問題なし。
「了解した」二重顎をたぷりと揺らして、オイゲンは言った。「副長、『エルベ』に連絡。大口を開けるようにと」
「了解」
それと同時に、ヴィクトルは通信兵の席へ行く。それからしばらくすると、「エルベ」の簡易ドックは仕舞われるときの逆再生の如くパカリと開いた。先述の通り各部のロックは外されているから、その真ん中には花の雄しべ・雌しべのように「ルクセンブルク」が取り残される。とはいえその隙間は酷く狭い。ともすれば擦ったり、スラスターの熱で焦がしてしまいそうなほどだ。
「機関始動! 両舷微速。世話になった艦に怪我させたら俺が承知せんぞ、操舵手!」
そう怒鳴られながらも、そこは慣れ親しんだ艦のこと。操舵手は過たずに真っ直ぐ艦を「エルベ」の中から取り出してみせた。それと同時に、両舷全速。艦を加速させて、「エルベ」に別れを告げた――そのときだった。
アラートが鳴り響いたのは。
「――状況報告!」
レーダー手が答えた。
「ミサイル警報! 大型対艦ミサイルと思われる!」
「ホロデコイ用意! 航走パターンは――」
「待ってください!」レーダー手がまたも遮った。「……これは本艦を狙ったものではない! 針路逸れていきます!」
「何だと――⁉」
レーダー手のところまでオイゲンは艦長席から飛んでいった。コンソール上を走る航跡は、確かにその中心点となる「ルクセンブルク」へ進んではいない。その僅かに後ろにある一点に向かって進んでいる――。
「ッ、『エルベ』か!」
それに気づいたときには、もう遅かった。後ろで閃光が起こり、それにオイゲンは振り返る。見ると、「エルベ」の船体が燃え上がり、脆弱な簡易ドックの部分から折れ曲がっていっていた。轟沈である。
「『エルベ』、総員退艦命令出ました!」
「艦長、救助は……」
「……今はできん。敵の狙いは本艦だ! 第二射に警戒しつつ、邀撃機出撃準備! 一機でも多く、一秒でも早く出撃させろ! すぐ出せるのは⁉」
「クルップ隊が既に準備を完了しています。今発進甲板へ」
クルップ隊。
その名前を聞いて、オイゲンは思わず自分の口角が上がるのを感じずにはいられなかった。
「それは最高の知らせだ、あのガキが出るなら、この艦は安泰だ――出撃を許可。敵ミサイルの最初の発見位置に誘導してやれ!」
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