第144話 長い黒髪の絡みつくような
ミサイルが来る。ユーリはそれを振り返り様にバルカンで処理して、スラスターを吹かして離脱を図った。
「くッ」
だが、すぐにRWRがロックオン警報をがなり立てる。回避機動を取ったところにビームが飛んできて、機体を掠める。ロールしていなければ直撃弾でお陀仏だっただろう。
そうやって回避を行いながら、自機の後ろについたその鋭い影を見る――「ロジーナ」シリーズの細身のシルエットに、棘のついたようなデザイン。例の「サボテン野郎」だ。それがピッタリと後ろにつき、更にはその僚機も彼にまとわりついてくる。それの内の一機に射撃を見舞うが、すぐさまサイドキックでかわされてしまう。
「クソッ」
それに対する反撃は、数にして四倍飛んでくるわけだ。それも四方八方を取り囲んで、必殺の一撃が彼を目掛けて突っ込んでくる。それを、やはりロールでかわそうと試みる。大きな旋回はこの場合被弾面積を増やすばかりであって、不適正だ。しかし不規則なローリングでも寄せては返す波のように敵の攻撃は迫ってくる。根本的な解決にはならない。
ノーラは。サンテは。マルコは――一体彼らは何をしている? 編隊戦闘の要であるユーリが絡めとられているというのに、一体どこで油を売っているというのだろう?
誰も、近くにはいない。
いや、実は戦っているのは彼一人ではないだろうか? 皆で彼を見捨てて逃げ出したのではなかろうか。周囲で戦闘の光は見えない――だとしたら本当に?
しかしそのときだった。彼が直撃弾を受けたのは。
「しまっ……」
辺りを見回した瞬間、回避機動が疎かになったのだ。その隙を、敵は見逃さなかった。その無防備になった背中に向かって、ビームが飛ぶ――いかな重装甲の「ミニットマン」といえども、背面に直撃を食らっては、一たまりもない。
ノーラの仕業か、とユーリはそのとき光の中で直感した。彼女は自分が振られたことを根に持ったのだろう。そうして彼女は彼を見捨てるという決断をしたのかもしれない。なるほど自分の感情に気づかない男など死んでしまえば――いや、彼女はそんな卑怯な性格はしていない――なら何故見捨てた? ……見捨ててなどいない。現に実際には助けにきてくれたではないか。
実際には?
では、これは何だ?
「……アンナ」
その光は彼から視界を奪うと、次にその中に彼女の幻覚を浮かび上がらせた。赤い眼鏡をかけ直し、彼女はニコリと笑って彼に駆け寄ってくる。その姿は愛らしかった。ああ、ノーラなんて矮小な女、選ばなくてよかった。アンナさえいてくれれば、それでいい。彼の生きる理由も戦う理由も、これでいいのだ。それ以外にはいらない。
「アンナ……!」
ユーリは、だから、彼女を抱き締める準備をした。両手を広げ、ニコリと笑い返す。さあ、早くこっちに来てくれ。その香りで僕の鼻を満たしてくれ。僕を抱き締めて離さないでくれ。僕を許してくれ。僕という人間に生きる価値を与え、肯定してくれ。さもなければ、僕は――。
果たして、彼女は彼の腕の中に入った。太陽のような爽やかな香りが彼の鼻腔を満たし、豊満な双丘が彼の胴に当たり歪む。ああ、やはりアンナだ。あのブヨブヨとしたスライム状の物体がアンナのわけはない。第一、アレはヘルメットに構造材が刺さっていて、顔など見ることができなかったではないか。
そうして納得すると、彼は、アンナを両腕で抱き止めた。その感触はまるで夢のようであった。筋肉の裏打ちのある硬さと脂肪の上澄みを感じさせる柔らかさ。その両方によるフィードバックは、彼をして絶頂する寸前で――そのときだった。
「よくも、私を見殺しにしてくれましたね?」
え、と声が出た。今、アンナの口から、そう言ったのか? だがそれはあり得ないことだと思った。彼女がそんなことを言うはずはない。ユーリは抱き締めていた腕を離し、まるで死体のように腕を伸ばしている彼女を振り払って、彼女の唇を見ようとした。
その顔には、構造材が突き刺さっている。
「――!」
気づけば、彼女は死んでいた。宇宙服を着たその死体は、液体のように宙に浮いて、ぷるぷると震えていた。その表面に触れると酷く冷たく、彼は手を引っ込める。
「死んでいる――どうして?」
どうして、だと?
そんなの、知っている。
自分が、攻撃隊を倒せなかったからだ。
だが、そういうことを聞きたいのではない。どうして、自分は彼女を守れなかったのだ?
どうして?
どうして?
どうして?
どうして?
どうして?
どうして?
「どうして、僕は、まだ生きている?」
アンナ・ジャクソンは死んだ。
なら、僕が生きている意味などないじゃないか。あのとき死んでいればよかったんだ。敵に包囲されて、為す術もなく死んだのなら、まだ恰好がついた。「白い十一番」もただの人……ああ、ノーラ・カニンガムが憎い! 何故彼女はもっと早く、あるいはもっと遅く助け船を出してくれなかったのだ⁉ 彼女のせいだ! いや彼女は悪くない。全てはユーリ・ルヴァンドフスキこそ、責を負うべきなのだ。
「ユーリ」
だが敵が憎い! あの「サボテン野郎」が憎い! その取り巻きが憎い! 何度殺しても殺し足りないだろう。何故なら、あの敵に殺されかけたからだ。怖かったのだ。あの四機全てに死神は宿っていた。あと一センチズレていたら、その鎌が彼の首を引っかけていたことだろう。だが生き残ってしまったからには、今度はこちらが大鎌を振り回す番だ。
「ユーリ」
だが彼は生きていてはいけない。これ以上の生に一体何の意味があるだろう。無論、「サボテン野郎」は死なねばならない。だがそれと同じぐらいユーリ・ルヴァンドフスキという罪人は絞首台に送られねばならぬ。守ると言った約束を不履行に追い込んだのだから、それは当然のことだ。誰に止められようとも、それは実行されねばならない。
「ユーリ……!」
うるさい。誰だ。ノーラの手先の者だろう。ノーラは死ね。あの無能めが。殺すも生かすもできずにのうのうと生きているという意味では、ユーリに匹敵する。絶対に許してはならない。何より言い寄りもしなかったくせに一丁前に傷ついた顔をするのだけは上手いのが嫌いだ。傷ついたから、ユーリを見捨て、アンナを殺してみせたのだろう⁉
「ユーリ!」
そうして、彼は目覚めた。揺すぶられて、全てが夢だったのだと悟ったのは、そのときマルコの顔が目の前にあったからだ。
「どうした。」彼は、いかにも心配したような表情をしていた。「随分うなされてたようだったが……」
「……今、」身を起こしながら、ユーリは尋ねる。「何時です?」
「まだ夜中だ。こっちはお前がうるさくて起きたところだ」
「そんなにうるさかったんですか?」
「ああ。何を言っているかは分からなかったが、とにかくうなされてたのは間違いない」
「……そうですか。それはご迷惑をおかけしました」
そう言って、ユーリはもう一度寝転がると布団を被った。それにマルコはなおも心配そうに言う。
「……寝れるのか?」
「寝れませんよ。でもこれ以上迷惑かけるつもりもありませんから」
その返答に、そうか、と言いながら、マルコは二段ベッドの上に引き上げていった。それを見てから、ユーリは目を瞑る。意味がないと知りながら。
高評価、レビュー、お待ちしております。




