第134話 「帰ってきたら、続きをしましょう」
そして、出撃の時は来た。サイレンの鳴り響く中、ユーリは待機室から格納庫へ急ぐ。減圧されたエアロックを抜け、機体に乗り込んだ。
「ユーリさん」座席に座ると、そこにアンナが覗き込んできた。「これを」
そう言って、彼女は何か薄っぺらいものを渡してきた。見るとそれは、一枚の写真と、何か毛の入ったパウチだった。しかし彼は思わずそれから手を離しそうになった。
何故なら、それが、彼女のヌード写真だったからだ。指で目と局部を隠しているが、薄橙一色のそれは、グラビア写真集にあってもおかしくなかった。
だとすれば、もう一つは、それが縮れているのは……。
「アンナさん、これ……!」
「シャワー室で撮ったんです。ほら、こういうのって魔除けになるっていうじゃないですか。ほら、私処女ですし」
「しょ、処女って……そりゃ、そうかもしれないですけど……多感な時期の男子に、こんなもの送りつけないでくださいよ! ビックリするじゃないですか!」
「ビックリしてくれるんですか? 嬉しいですけど」
「……!」ビックリするってことは、興奮したということだ。「そういう問題じゃないでしょ! アナタって人は、今出撃前なの分かってるんですか?」
「だからですよ。無事に帰ってきて欲しいって、そういうことです」
「そりゃ……死にませんよ。僕は。言ったでしょう?」
そう言いながら、ユーリはそれを宇宙服のポケットにしまった。ここなら、機体が撃墜されても脱出時に一緒でいられる。
「クルップ3! 何をしているの! 出撃でしょう!?」
そのとき、ノーラの怒鳴り声が響いた。早く甲板に上がれということらしい。見ると、他のメンバーは既に準備ができているらしかった。
「急かされちゃいましたね」
「誰かさんが引き留めるからでしょ……」そう言いながらも、ユーリは笑顔だった。「それじゃあ、行ってきます。」
「ええ、行ってらっしゃい」
コックピットが格納される。それと同時に機体はエレベーターに向かって動きだし、甲板の上に出た。そこにはエンハンサーが所狭しと犇めいている。
「遅かったな」サンテがいかにもにやついた声で話しかけてくる。「何か、いいことでもあったのか?」
「ありませんよ」ユーリは声が上擦った。「ただちょっと、勇気をもらっただけです」
「勇気か。本当にそれだけかァ? お兄さんにだけ教えてみ」
「無線なんだから丸聞こえだぞ。秘密も何もない」
「マルコさんの言う通りですよ」と、ノーラは割り込んだ。「それに今は出撃前です。私語は慎みなさい」
「了解です、小隊長殿ォ」
そのサンテの声がいかにもふざけているのにノーラは何か言いたかったが、黙っていた。今は何を言っても八つ当たりになってしまいそうだったからだ。
そういうやりとりがある目の前では、次々に機体が飛び出していく。オチャイィ攻撃は既に始まっているということだった。順番を前に進みながら、ノーラは最後の確認をした。
「作戦目的は明らかですね? オチャイィ星系、及びその周辺の泊地を制圧し、敵を国境宙域に押し返す。私たちは攻撃隊の護衛です――行きますよ!」
「クルップ2、了解ィ」
「クルップ3、了解です」
「クルップ4、了解」
「よろしい……では、カタパルト接続」
前の機体が射出されると、ノーラたちは足下に戻ってきたカタパルトペダルとスコーピオンを機体に接続した。改装された「ルクセンブルク」は、四機同時発進を可能にしていた。一個小隊を一気に投入できるのである。
そしてパイロットは操縦桿から手を離す。射出時にそれに触れると予期せぬ動作を起こすことがあったからだ。「ミニットマン」にはそれ用のハンドルが備えられている。
それに手をやって――
「クルップ隊――射出準備完了。いつでもいけます」
「了解――射出!」
出撃――!
激しいGと共に、機体は宇宙という虚に投げ出される。操縦桿に手を戻し、各部のチェック――オールグリーン。ユーリはアンナの整備に感謝した。
「各機、ここからは無線封止です。必要なことはハンドサインで伝えるように」
ノーラがそう言った。ここからは泊地に向かって数時間のクルージングである。敵に察知されるのを防ぐために、電波放射は最低限にしなければならない。
そうして訪れる沈黙――低くくぐもったエンジン音だけが耳朶を打ち、まるで胎内にいるかのような安心感を与える。
その中でユーリはアンナの写真を取り出していた。退屈しのぎに、ではない。考えがあってのことだった。処女だという彼女がこんなものを送ってくるのには、それ相応の覚悟があったに違いないのだ。それを退屈しのぎになど、使えるはずはない。
ならば、何なのか――それは、自らに向けられた愛の確認だった。その覚悟こそ、愛に違いない。それを再確認したくなったのだ、死地に向かうに当たって。
(彼女の愛のためにも、死ぬわけには行かないな――必ず帰って、彼女とキスをするんだ)
そう思いながらユーリはそれを仕舞った。腹の底に勇気が湧いてきた。これでいつでも敵と戦える。
「……見えてきた」
そして数時間――まんじりともせず過ごした彼の視界に、それは映ってきた。バラバラになったコロニーの残骸を組み合わせて作られた、オチャイィ泊地。まだ遠いから、それはズームされた荒い画像だったが、それでも充分すぎた。
かつて、コロニー・フロントラインと呼ばれた場所。
そこに、敵が進駐しているのは、分かるからだ。勇気の次には怒りが燃え上がった。図々しくも、自らが築いた大きな墓標の上に座ろうというのか、この敵は!
そのとき、RWRが反応を始めた。ピッピッとという、捜索モード特有の音。泊地の警戒レーダーに引っかかったらしい。ユーリはスコープを覗き込んだ。敵が少しずつ、編隊を組んでこちらに向かってきているのである。だがその方向が完全に一致しているわけではないことには彼も気づいていた。大型レーダーといえども、まだ編隊があるぐらいのことしか分からないのだろう。
するとユーリはノーラへハンドサインを送った。見えるということは、射程内だ。それを伝えたのだ。彼女は頷き、中隊長に同じ連絡を取ったらしい。それから振り返って、上へ行くという合図を出した。
(小隊ごと離れて――敵の目を撹乱するんだな?)
その意図するところをそう読み取ると、ユーリはノーラの指示を了解して、その上昇機動についていった。充分編隊から離れたところで、スコープを再度覗く。撹乱・陽動が主任務なら、敵指揮官を殺すわけには行かない。ユーリたちの方に進行方向を遷移させなければならないからだ。殺すのはそれからでいい。
だから、狙うのは二番機だ。まだ直進しているそれに偏差を合わせ、トリガーを――ノーラの指示を待って――撃て!
引く。
ズドォン! ……閃光が迸って、必殺の攻撃が飛んでいく。直進している敵など、外すはずもない。一撃で胴体が真っ二つになり、重力エンジンの誘爆が、宇宙を染めた。
「これで、敵はこちらに気づいたはず……どうだ?」
第二射はそれを待った。既に指揮官機には照準を合わせている。動かないというのなら、いつでも引き金を引いて、消し飛ばすだけのこと――だがそのとき、目標が動いた。編隊がぐるりと向きを変え、彼らの方に迫ってくる。本隊の反応は高度なジャミングだと判断したらしい。
「よし来た――ノーラさん!」
「了解! 離脱しますよ!」
全機が後退する。その反転の一瞬先に、ユーリはトリガーを引いて、指揮官機を撃墜する。それに怒ったように、敵機の大軍が猛スピードで迫ってくるのだった。既に編隊のレーダーに映ってしまっただろう。離脱しなければ巻き込まれて包囲される。
そうして背後を見せる――と同時にミサイルアラート。先頭の中隊からのそれだろうが、背面レーダーがそれでも真っ赤に染まった。ユーリなどは一瞬ヒヤリとしたが、ノーラは冷静にスラスターを全開にして離脱することを優先した。そうすれば、背後射程ギリギリのミサイルなどは当たるものではない。条約に従って定められた射程より自爆する。
それを見届けたとき、もう一つの爆発が敵編隊の背後で起こっていた。本隊が敵編隊の後ろに張り付いて、ミサイルを放ったのだ。これにより敵は混乱に陥った。何しろ指揮官を失ってしまっていたからだ。直接攻撃を受けた部隊は反転するが、まだ何が起きたか分からない前方の部隊はどちらに行けばいいのか分かりかねて浮ついていた。
「今です!」
そこに、反転した一個小隊からのミサイル攻撃が襲いかかる! 敵は各々の回避機動になってしまい、編隊を崩してしまった。それをユーリは見逃さない。一機一機、孤立した敵から一撃の下に撃墜していく。
それが三機を数えた辺りで、敵も、ようやく当初の目的に立ち返った方が生き残る可能性が高いことに気がついたようだった。散り散りの状態から即席で編隊を組み直し、迫ってくる。敵も腐っても精鋭のようだった。
「私とサンテさんで足止めします。ユーリさんは援護を、マルコさんは護衛をお願いします!」
ここでノーラは隊を二つに分けた。普通なら一個小隊で纏まって攻撃行動に出るのが定石だが、こちらにいるのは狙撃兵の中でもかなりの手練れ。それに接近戦をさせるのは得策ではない。そういう判断だった。
その下にノーラと、悪態を吐きながらサンテは突進する。ミサイルとビームライフルを連射しながら、何機かに損傷を与え、囲まれない内に離脱する。それを追う動きを見せた敵機に、ユーリは容赦なく狙撃を行った。そのユーリに近づいてくる敵には、マルコが睨みを利かせる。ミサイルで編隊を砕き、その隙に接近してビームサーベルで次々斬りつける。取りこぼした敵にはビームライフルだ。危うくなったら、同じく離脱してユーリに狙撃してもらえばいい。
そう、これはユーリの狙撃能力を最大限生かした戦い方だった。ユーリを要として、周りがチームワークで動く。そういう戦い方だった。狙撃ほど効率のいい戦い方もない。それを利用していたからこそ、彼らは一個小隊ながらに一個中隊を拘束することに成功していた。
すぐさま、敵は不利を悟った。一機、また一機と戦意を喪失して、離脱を図る。それをユーリは敢えて追撃しなかった。そうすることで逃げることができるのだと認識させて、目の前の敵を早く押し潰そうとしたのである。そしてそれは功を奏した。敵は本隊とクルップ隊に挟まれて、次々戦線を離脱していったのである。
そうして敵が少なくなったところに、攻撃隊は突入する。デブリの合間を縫って、留まっている敵艦に対してミサイル攻撃を行う。その光を見ながらユーリたちは、逃げ出した敵をこのタイミングで追撃した。攻撃隊に一歩たりとも近寄らせないためにだ。
そして、攻撃隊を追って、デブリ帯へ突入する――彼らの帰還を援護するために。
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