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第130話 オチャイィへの帰還

「オチャイィに……か」


 オイゲンは僅かな驚きを以てその決定を聞いた。


「はい」と、ヴィクトルは答える。「攻撃方向はオチャイィ方向に指向し、敵を国境宙域まで押し戻す、と、命令書にはあります。確認なさいますか?」


「いやいい。貴様が嘘を吐くはずもないしな……だが『ルクセンブルク』は旗艦のままなのか?」


「はい。提督たちもそのままのようです」


 尚のこと不可解な決定だった。オチャイィ方面は主要航路とは言い難い。旗艦をその方向に差し向けるというのは指揮統制上の困難を惹起するし、何より国境方向への攻撃をこの段階で行うというのが特に不可解だった。それは戦術的に不利になる決定である、というのも、その場合ジビャ方面にいる敵に対して側面を晒すことに他ならないからだ。


「コルト、」だが、その不合理が命令書として出ている、のだ。「貴様はどう思う?」


「は? と申しますと?」


「だから、この命令について、どう考える? 合理的ではないと俺は思うが」


「そりゃあ、そうでしょうが。政治的な作戦ですよこれは」


「政治的な、な……」天井をオイゲンは仰ぐ。「分かってはいるつもりだが」


 理屈としては分からないではない。この戦争というのが不当な蛮行に他ならない以上はそこで行われた軍事行動もまた蛮行にならざるを得ないのだろう、プディーツァ軍は数多くの戦争犯罪を行ってきた――戦争が始まって、まだ一ヶ月と少ししか経っていないにもかかわらずそれは各所にて発覚している。その一つが、この艦が経験したフロントライン・コロニーの劫掠である。その惨劇は、ドニェルツポリ国内で報道されたことを考えれば、その惨劇の現場への凱旋というのは、まさしく反撃の狼煙となるだろう。


 この戦闘というだけでなくこの戦争全体のそれに。


「しかしだ、ヴィクトル。それは敵の逆襲を凌いでの話だろう。その作戦というのは、敵に対して土手っ腹を晒す危険を犯してまで実行されるべき代物なのか? 敗北しては元も子もないのだぞ?」


「さあ?」


「俺はお前の意見を聞いている」


「負けるために戦っている軍隊などいませんよ。恐らくは諜報によって敵軍に逆襲能力がないことを察知しているのでしょう。現に我々が経験する限りでは、敵軍は敗走し続けているではないですか」


「だから提督たちが調子に乗っているのでないかと不安になるのではないか。目に見えているものだけで戦争ができるのなら、我々将校は必要ないだろうが?」


「そりゃまあそうです。でも提督たちとて神ならざる身でしょう。そして上司がいる身でもある」


 その言様は、オイゲンの脳裏に一人の人物を指し示す。


「大統領か――考えそうなことではあるが」


「そして彼女とて自由の身ではない。今や地球というスポンサーを背負っています。つまり我々は試されているのでしょう――地球の有権者から、差し出されたコストに見合うだけの成果を挙げられるのかどうかを」


 その返答に、オイゲンは黙りこくった。それではまるで、地球のためにショーをやっているようなものではないか。しかしそれは血みどろの、モザイクなしのショーだ。それは戦争という名前であり、世界最悪のリアリティー・ショーである。そこでは人が死に、殺され、消えている。それをエンターテイメントとされているような気がして、身震いがしたのだ。


「えっ、オチャイィに?」


 しかし、この男は、そんなことを考えもしなかった。ユーリにとって格納庫でその地名を聞いたからには、それ以外の全ては些事に置き換わってしまったのだ。


「それ、本当なんですか?」


「そうだって、専らの噂です。」そうアンナは言った。「私も、整備の合間に聞こえただけですが……でも出処は大隊長ですから、確実だと思います」


「それは、情報統制に問題があるでしょう、ブラフじゃないんですか」


「ブラフだとして、聞かせ方ってものがあるでしょう。第一、味方に何でブラフを聞かせるんですか、艦隊行動中だっていうのに」


「だって、本当だと思えない。こんなことがあるなんて……」


 彼は自分の手が震えていることを知覚していた。それだけ、オチャイィというのは特別な宙域である。彼の第二の故郷がある宙域。そこを薄汚い侵略者の手から取り戻せるのである。それも他人の手ではない、自分の手で、だ。


 この、自分の、手で!


 彼はギュッとその手を握り締めた。そうすると指の隙間からその微笑みはついに溢れ出してくるのだった。


「僕は、初めてこの戦争を戦ってきて嬉しいと思いましたよ。ついにあそこに帰ることができるんだって……」


「あそこって、オチャイィの……フロントライン・コロニー」


「そうですよ。僕がそこの育ちなのはジャクソン伍長なら知っているでしょう? あそこには学園があって、中高って、僕はあそこで勉強してきたんだ。そして地球に留学することが夢だった」


「地球に?」それは彼女にとって初耳らしかった。「意外ですね、それは」


「それ、どういう意味ですか? こう見えて成績は優秀だったんですよ?」


「あ、いえ、そういう意味ではなく……こうして国の英雄になったのに、国外に行こうとしていたなんて、ちょっと面白いなっていうか、皮肉だなっていうか、そういう意味です」


「確かに、今の僕を昔の僕が見たら、間違いなく説教されますね。『何戦争なんかしているんだ』って。ああ」


 懐かしい。


 彼は確かにそう言った。目を細めて、思い浮かべるのはシャーロットのことだった。便りもないのだが、ふと彼女が今どこでどうしているかが気になった。元気にしているだろうか? 病気を治して、どこか戦争の関係ないところにいるだろうか――そんなことを考えていたところに、アンナの笑い声がした。


「何です」


「いえね、懐かしいって、まだ何ヶ月もも経っていないじゃないですか」


「言われてみれば……」照れ笑いをした。そういえばまだ自分は十六歳で、まだまだ若造なのだった。「そうですね。何か、変なことを言ってすみません」


「いえいえ、変なことだなんて。『白い十一番』様の言うことに変なことなどあろうはずがない」


「……その言い方はやめてほしいと思いますがね? 常々言っていることですけど、僕を神格化しようとするのはやめてください。噂じゃ、艦内でファンクラブ作ろうとしているって話じゃないですか。正気ですかアンタ」


「でも」ユーリの反駁を、アンナは無視した。「変じゃないっていうのは、実のところマズいことだと思うんですよね」


「……」ともすれば矛盾するその言葉に、ユーリは一瞬戸惑った。「どういうことです? 正気に戻られた?」


「だって、懐かしいっていうのは、今はもう違うってことじゃないですか。普通、それは時間経過によって引き起こされることですけど、今回はそうじゃあない。たった数ヶ月しか経っていない。それって、平時の感覚からすれば、変じゃあないですか」


「…………」


 確かに、言われてみればそうだ。日常のちょっとしたことならともかく、夢や暮らし方が随分前のことのように感じるなんて、平時にはなかったことだろう。


「でも、それってユーリさんだけじゃないんです。私だってそうなんですから」


「ジャクソン伍長も?」


「そりゃ、そうですよ! 私だってしがない整備兵なんですから、日常なんて灰色でしたよ。それがいつの間にか戦争になって……アナタと、『白い十一番』と出会った。そうしたら、世界が変わっちゃったんですから。そしたら、前のことなんて……」


「後半部分は、まあともかくとして……」ユーリは後頭部を掻いた。「戦争のせいで、何もかも変わってしまったような気がするっていうのは、同じですよ。実際、コロニーはそうなってしまったわけですし」


 そうだ。戻ったところで何も残っていない。あるのは敵軍に支配され、泊地に改造された宙域であり、そこにはコロニーの残骸しか残されていない。そこには暮らしも何も残ってはいない。あのとき見た死体だって、残されてはいないのだろう。


 シャーロットとの関係だってそうだ。先ほどは都合のいいところだけ思い出したが、致命的なまでに破局を迎えたそれは、どうやったって元に戻るとは思えない。とうの昔に乗り越えたこととはいえ、辛いことには変わりなかった。


「あの、」しかしそのときアンナは言いにくそうに言った。「そんな辛そうな顔、しないでください」


「おっと……すみません。もう起こったことはどうしようもないっていうのに、女々しいですよね。分かってます。戦争が終わったって、全部元通りにはならないってことぐらい……」


「そういうことじゃなくて、」彼女は首を横に振る。「アナタが辛そうだと、私も辛いんです。だから、全部打ち明けてください。辛いときは、ただ辛いんじゃなくて、それで終わらせないで、私と一緒に背負うって、それじゃあ駄目ですか」


「……え?」


 ユーリは困惑した。そう言うアンナの目が潤んでいたからだ。それは何か意味ありげなように彼にも感じられた。いつも快活な彼女にしては珍しい態度で、口以上に何か言いたげな瞳と睫毛に魅入られて、彼は、そこから目が離せなかった。


「アンナ・ジャクソン……?」


「……何でもありません。忘れてください。気の迷いです」


 しかし、それは一瞬の幻のようだった。彼女はそう言って打ち消すと、背を向けてどこかへ行ってしまった。だから彼にできたのは、それを自分の機体の前でぼうっと見ていることぐらいだった。

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