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第128話 アイの逃避行

「それで、こんなに遅くなったのか」


「まあ、そんなところだ……」


 だが、結論から言えば全て空回りに終わったのだ。最後に一縷の望みをかけて彼女の自室の前で待ち伏せしていなければ、きっと明日まで絶対に会うことはなかっただろう。


「で、何だよ、アタシのことが大っ嫌いなエーリッヒさんよ」


「大嫌いなど言っていない。そうじゃなくて……」


「好きでもなければ愛してもいないんだろう? それが嫌いでなくて何だってんだ。ああ?」


「違う、そうじゃなくて……」


「どう違うんだってアタシは聞いてんだよ。ちゃんと答えろや、質問に」


 取り付く島もないその態度に、エーリッヒはたじろいだ。その強固さと頑固さは敵の地球製エンハンサーの組んだ槍衾めいた隊列を思わせた。それを押し崩すのは彼我の戦力比を考えるなら――否。


 だから、今は仕事のことは考えるな。


 そういうことを考えるから、こういう誤解が生じるのだ。


「だから、違う。僕は、本当はそういうことが言いたくて言ったんじゃあないんだ」


「でも、言ったんだろう? アタシらは仕事の関係だってな。これでハッキリしたよ。」


「ブリット、聞け」


「聞きたくもないね大尉殿? アンタがそんな甲斐性なしだと思いもしなかったよアタシは。考えなしだともね。馬鹿が。バーカバーカ」


「ブリット……!」


 エーリッヒは胸倉を掴み上げた。制服を着ていた彼女のそれを掴んだせいで、柔らかな膨らみが彼の手の甲に伝わる。その裏にはやせぎすな肋骨の硬さもあって、心臓の音すら骨伝導で聞こえそうだった。


「……何だよ。人の胸倉を掴んでくれたんだ。何か言いたいことがあんのか」


「…………」


「おい黙るな。そこで黙るな。いくら何でもそれは冷めるぞ」


「分かってる。だが言葉にならないんだ。どういうわけか、分かっていても、言うことができない。そういうことってあるだろう?」


「まあ、あるだろうな」


「それを、伝える方法を今考えているんだ。逃げられないようにしてからな」


「まるで耽美主義の強姦魔みたいなセリフだな」


「…………僕は童貞だ。そんな言い方されたら傷つくな」


「第一、今更考えても遅いんだよ。もっと素直に、もっと先に言ってくれなきゃあさ」


「それを君が言えた口か」


「じゃあ、塞いでくれればいいだろう」


「ン……」


 二人は自然と唇を重ねていた。そうするのが礼儀だと思った。生暖かい体温同士がとろけ合って、全身がそこから一つに繋がっていく錯覚にエーリッヒは襲われた。だがそうなってしまえばいいとすら思えた、この一瞬だけは戦争だなんだっていう事情はどこかへ行ってしまえばいいと思えた。


「……は、これで言い訳は利かねえな。」ブリットは笑う。「アタシらは、そういう関係になっちまったわけだ。どうするよ、え?」


「どうもこうもないさ。遅かれ早かれ分かることだ。隠し立てすることもない」


「へ、頼もしいこって」


 エーリッヒは彼女の胸倉から手を放し、今度はその腰に手をやった。そしてそのまま抱き寄せて、もう一度キスをした。

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