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第127話 悪意あるキューピッド(たち)

「何故呼ばれたのか、分かっているな?」


 訓練が終わり次第、エーリッヒは待機室にアーサーとジッツォを呼び出した。二人は椅子に座ることも許されず、直立で立っている。


「さっぱり分かりませんね」とジッツォが言う。「何故我々が呼び出されねばならないのですか。撃墜したのは事実なのですから、褒められこそすれ、糾弾されるはずはありませんが。」


「……それはやる。貴様らは事実よくやったよ。こちらが混乱した隙を突いての時間差攻撃。まぐれというにはデキ過ぎなぐらいだ。だが……」


 バン、とそのときエーリッヒは壁を殴った。


「あの噂を流したのは貴様らだな!」


「あの噂? 何のことですか?」


「とぼけられると思うな。調べはとうについているんだ。整備兵たちは皆一様に貴様らの名前を挙げたぞ。その意味まで分からぬ貴様らではあるまい」

そう言って、キッと二人を睨みつける。二人とも。その迫力には息を呑むばかりだった。


「そ、それの、」いや、それでも口を開いたのはアーサーだった。「一体どこが悪いのでしょうか」


「何だと?」


「自分たちはもしかしたら、という取り留めのない世間話をしたまでのことではないですか。それに目くじらを立てられましても」


「あくまで責任はこちらにあるとでも言うつもりか。誹謗中傷をしておいてか」


「中傷なのですか。自分にはそれほどの問題だとは思えませんが」


「そうですよ」ジッツォが援護射撃を行った。「付き合っている程度、大した問題ではありますまい。神聖隊の例もあります」


「古代ギリシャと現代を一緒くたにするな。第一、問題はそれが事実でないところから発しているのだぞ。不名誉でないのなら不正確だ、不誠実だ。その責任はあろう」


「ですから、それが噂というものでしょう。」


「無責任なことを言う。ただの噂が我々を殺しかかったということがまだ分からないのか。これが実戦だったなら、貴様らなどは我々の援護なしには戦死だろうが」


「失礼ながら」ジッツォは言った。「それは負け惜しみというものではないのですか?」


「……何を!」


 エーリッヒはあっさり激発した。ジッツォの胸倉を掴み上げ、締め付けた。


「もう一度言ってみろ! 貴様は……!」


「ですが、それは事実でしょう。理由はどうあれ、大尉殿は精神的にかき乱された状態で出撃し、その結果敗れた。違いますか」


「冗談ではない……!」自然と、胸倉を掴む腕に力が籠った。「貴様が言うことか。新兵の貴様が」


「誰が言うのであろうと事実は事実なのでしょう、この腕の力がその証明ではないですか」


「……!」


「分かったら、お手を放していただければと思いますが、大尉殿?」


「……ふん」そう言われて、仕方なく、エーリッヒは離さざるを得なかった。「今回は貴様が正しい。こちらも大人げなかった。すまない」


「いえいえ。弘法にも筆の誤り、ということでしょうが」


 その声が皮肉たっぷりだったことに、再びエーリッヒは胸倉を掴みかけそうになったが、何とか堪えた。


「それで、話は戻るのですが」アーサーが言った。「実際、お二人は付き合ったりとかはしないのですか」


「……何だ貴様は。そこまでして自分の流した噂を正しくしたいのか」


「噂は噂でしょうが、これは自分個人としての疑問です。ノルビ中尉も可愛いではないですか」


「か、可愛いだと? 曲がりなりにも上官だぞ貴様」


 そんなことを面と向かって言った日には後ろから撃たれかねない。それは御免だった。


「ですが可愛いことは可愛いでしょう。目鼻立ちも整っていますし、ぶっきらぼうながらどこか優しい性格は、健気というか、そういう美しさはあるでしょう」


「貴様、急に饒舌になったな……ハッキリ言って気持ち悪いぞ」


「そうだぜアーサー。お前そんなキャラだったか?」


「でも、どうなのです大尉殿。大尉殿だって木石にあらぬ身。興味がないわけではないのでしょう?」


「そ、そりゃ……」


 と、思わず歯切れが悪くなった。奥手な方だと自覚はあったが、恋の一つや二つ、していないわけではない。実際ブリットの横顔をまともに見る機会が増えたせいもあってか、少しその睫毛が長く美しく見えてしまったことがないわけではなかった。


 無論それは死と常に隣り合わせの環境にいることから生じる性欲だったろうし、エーリッヒにはそれをそうだと断じて切り離すところがあったが、それを恋心と呼ぶことも、不可能ではなく……なくないのではなかろうか。


「ほら、やっぱりそうなんじゃないですか」ジッツォが冷やかした。「大尉も隅に置けませんな?」


「ば、馬鹿言え。今は戦時だ。たとえ絶望のブスでも絶世の美人に見えるものだ。」


「では、実際のところどちらに見えるのです?」


「それは、だな……」


 後者だ。圧倒的に。多分平時でも同じことを考えるだろう。


「後者なんでしょ」それを読んだようにアーサーは言った。「やはり大尉殿は……」


「誰がそんなことを言ったというのだ」


「論理的な帰結ですよ、戦時は女性を美しく見せるのでしょう? もしブスに見えていたら大尉殿は戦時にいないことになる――それとも、何を想像されたのでしょうね? 大尉殿は?」


「ぐ、ぬぬ」


「というか大尉殿、いい加減素直になりましょうや。別に好きだって問題ないでしょうってさっきも言ったでしょう? 別に広めやしませんって」


「……前科持ちが言うと説得力があるなペストーレ少尉? そう言う人間を信用できると思うか?」


「おお怖。そう睨みつけないでくださいって。本当に言ったりしませんよ、こんなトップシークレット。自分だって撃たれたくはないんですから」


「そんなことを誰がするものか」


「ノルビ中尉はしたがるでしょうね」


「…………」


「だからこの場だけ話ってことで……それじゃあダメですか?」


 ……どうする。


 答えたところでメリットはこれといってない。それは分かっている。だがここでそうするかどうかというのは自分に正直になるかどうかということを意味しているように彼には感じられた。ブリットのことを好きなのかどうか――愛しているのかどうか。


 ふむ――とエーリッヒは考え込む。この二つは似た概念ではあるが絶妙な違いがある。隙であるというのが一方的な感情であるのに対して後者は双方向的な感情である。いや、感情であるからには本質的には内在するものであって然るべきなのだが、後者は対象に対して何らかの働きかけ――例えばそれは気にかけたり愛でたりといったもの――を必要とする一方、前者は必ずしもそうではない。ただ心の内で思っているだけでも、ただ一人で考えるだけでも、「好き」は成立する。


 さすればこの場合、そのどちらで答えるべきだろうか。エーリッヒはそこでふと立ち止まってしまったのだ。なるほど好きではあるに違いない――それすら認めることに何らかの抵抗感がなくはないというか、戦時に不謹慎だという考えがなくはないのだが、それは多分、事実だ。彼女の髪が揺れる度に、胸がざわめくのを彼は否定できない。


 その一方で、愛している、ということはできないのではないか、というのが彼の意見だった。何故ならその感情は彼女のことを考えているとは言えない。彼女のこと想う度そこに過るのはどことなく性的な欲望が香るものであって、それは彼の論理においては純粋な愛とは言えなかった。


「僕は」だから、彼は口を開いた。「別に、ノルビ中尉のことは好きではない。愛してもいない。それが真実だ」


 だが、そう言ったとき、返事は二人からなかった。それどころか、口をあんぐりと開けて、ぽかんとしていた。


 あーあ、言ってしまった、とばかりに。


「……? 何だ、二人して」


「あの、大尉殿、後ろ……後ろ」


「後ろ? それがどうかしたのか。後ろには」


 扉しかない。


 扉。


 ……まさか。


 エーリッヒは振り返ってしまった。


「……ブリット」


 そこにいたのは、果たして彼女だった。その表情からは何も窺い知ることができない。ヘルメットを被っているわけでもバイザーを下ろしているわけでもないのだが、表情が無の状態で固まってしまっていて、まるで彼の言葉によって立ちながらに殺されてしまったようですらあった。だが口元だけはその死の呪いから何とか逃れたようだった。それは辛うじて動くと、


「そうかよ」


 と、だけ言った。それから彼女の足は王子のキスもないのに蘇って、踵を返して行ってしまった。


「待て、違うんだ、ブリット――」


 違う?


 何がどう?


 自分があんなことを言ったことは間違いないのに?


 それが――本心でない?


 それが、真反対なのだとすれば。


 その事実に気づいてしまったことが、逆に彼の足を止めてしまった。そんなことがあり得るのか。信頼関係を気づいたのだって極々最近であるというのに。


「何、しているんですか」ジッツォが言った。「早く追いかけないんですか。じゃないとどこ行くか分かりませんよ」


「そうでしょう! 早くしないと――」


「だ、だが……」


 だが、一体どう声を掛けたらいいのだ。あの走りが彼女の本心なのだとしたら、その意味合いの分からぬほどエーリッヒは馬鹿ではない。とはいえ、それにどう対処するべきなのかは、彼は経験がなかった。


 つまり、


「だがもダガーもないでしょう! アンタ童貞ですか! 女のケツも追っかけられないのか!」


 ということだった。


「ど、どど、童貞ちゃうわ!」


「だったら、さっさと追いかける! でなければ子々孫々童貞のままですよ!」


 子々孫々がいるなら童貞ではないではないか、と思いながらもエーリッヒは、一瞬だけ迷ってから、それでも何故か、追いかける道を選んでいた。彼女の姿は見えなかったが、ならば行きそうな場所を総当たりにする他ない。そこへ向かって、先回りをしようとしたのだった。

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