第124話 非常に説明を要する無関係以上の関係性
彼らは朝食を取り終えると、すぐさまシミュレーターでの戦闘訓練に移った。もう四日目ともなると、若干二名(アーサーとジッツォだ。エーリッヒの怒鳴り声が飛んだ)がもたついたことを除けば皆が機敏に行動して、今朝は三戦することができた。
だから、異変が起きたのはシミュレーションを終えて、機体から一度降りたときだった。
「ンフフッ」
誰かがそう笑ったような気がしたのだ。最初は気のせいだと思ったのだが、整備兵が一人ドリンクを持って近づいたときに、堪え切れず笑うような仕草をしたのを見て、確信に至った。
「……何か、顔についているのか」
「い、いえ……そういうわけでは」
それを彼は笑いを堪えるようにして言った。
「なら」ドリンクを彼の手からエーリッヒはひったくる。不機嫌だった。「そんな顔を見せるな。真面目にやれ」
「は、はい……!」
そう言って他の整備兵たちの元へ帰っていくその足取りは、どこかほっとしたようなところがあった。そして辿り着くや否や溜めていた笑いを発散するようにげらげらと笑い始めた。
(……何だ?)エーリッヒはそれを見て、尚更心をざらつかせた。(あの不自然で不愉快な態度は)
どこか知らないところで遠巻きに馬鹿にされているような気さえ彼にはした。士官学校でもあった、真綿で首を絞められているような感覚。それに久々に襲われていた。
「……どうしたんだよ?」そこに来たのはブリットだった。「次は発艦だろ? 何ぼうっとしているんだ?」
「整備兵たちが、変なんだよ」
「変……?」
彼女はそのままたむろしている整備兵たちを見た。その内の一人と目が合って、その彼は慌てて目を逸らし、笑いを堪える。
「確かに、何か隠してそうな感じだが……」
「だろう? 気にならないか?」
「なる、が、関係はないだろう。早く行くぞ」
エーリッヒは最初はその素っ気ない態度に反発したが、すぐに、それもそうだ、と考え直した。それからコックピットに入り直して、訓練飛行に出た。
そしてそれを恙なく終えて、帰還してきた、そのときだった。
「あ、あの」
それは若い女の整備兵だった。エーリッヒがコックピットから降り、整備時間を兼ねて一時休憩にしたときに、彼女は話しかけてきたのだった。しかし面識はない――エーリッヒ機の担当ではないからだ。
「……何だ? 君はこの機体の担当ではないだろう。自分の持ち場に戻れ」
「ですが大尉殿に至急確認したいことがありまして……」
「確認したいこと? 何だ」
「その……あの、申し上げにくいことなんですが……」
彼女は兵隊に似つかわしくないほどはっきりしなかった。俯いて、もじもじと指先を動かす様はまるで恋する乙女のようだった。
しかしここは軍艦。エーリッヒは軍人で、彼女もそうであるからには、彼は苛々するだけだった。
「何だ。早く話せ」
「では、申し上げます――」彼女は意を決したように顔を上げた。「大尉殿とノルビ中尉殿は、その、お付き合いされているというのは本当でしょうか⁉」
世界が凍り付いた。整備の音すら一瞬は止んでしまったようだった。何人かの整備兵が「あーあ言っちまった」と言いたげな顔をしている。また別の整備兵は「バレちまったどうしよう」とでも言いたげだった。何にしても固まったエーリッヒの視界に入っていたのは整備兵の顔ばかりで、要するにそこで噂になっていたのだろう。
「……二等兵。」まさかな、と思いながらエーリッヒは勇気ある彼女の階級章を見て言った。「何故そう思ったのか、理由を聞かせてもらっても?」
「は、はい。整備兵たちの間で、専らの噂になっているんです。メイン大尉とノルビ中尉のこと」
背後で整備兵たちが挙って頭を抱える。今度は「言うんじゃなかった」とでも言いたげだ。
「…………」それに次はお前らだという意味の視線をくれてやってから、エーリッヒは答えた。「教えてくれてありがとう。恩に着るよ」
そう言って整備兵たちの元へ歩こうとしたその腕を、二等兵の彼女はつかんだ。
「あ、あ、あの!」
「まだ何か?」
「それで結局どちらなのですか、お付き合いされているのかいないのか?」
「…………それは」整備兵たちは仕事を探して逃げ腰だ。それを急いで追いかけねばならなかった。「重要か? この戦時に」
「否定なさらないのですね、卑怯だわ」
「卑怯? 何の話だ」
本当に分からなかった。完全に初対面だというのに、何を?
「卑怯ですよ、そうやって二人の女を天秤にかけて弄ぼうというのでしょう⁉」
「だ、だから何の……」
「私は! アナタのことが好き、好きなんですエーリッヒ・メイン! 一目お見かけしたときからずっと! 好きなんてものじゃあない。愛している! 一目惚れなんです!」
「は、ハァ⁉」
エーリッヒは素っ頓狂な声を上げた。逃げる整備兵たちのことなど暫時どこかへ行ってしまうほどの衝撃だった。本当に、全く身に覚えがない。声をかけたことすらないのだ。
「だって、僕は君とは本当に初対面だ。名前だって知らないんだぞ!」
「写真だって毎日寝る前にキスをしているんです、どうして私の想いに気づいてくれないのですか⁉」
「やめろ、放せ、気色の悪い! 僕には仕事がある! 今すぐ行かなければならないんだ!」
「やっぱりあの女がいけないのね、仕事だ何だってすり寄ってくるんだから!」
「それは君の妄想で、僕が君を愛しているというのも妄想に過ぎない! 分かったらさっさと離れろ!」
二等兵はいつの間にかほとんど抱き着くような恰好でエーリッヒを止めていた。整備兵らしい力のある腕を悪用して、エーリッヒをその場に押し留めていた。その間に全ての整備兵は何かしらの作業に逃げてしまい、彼はただただ邪魔な二等兵をどうにかしなくてはいけなかった。
「何やってんだ、馬鹿ども」
するとそのとき聞こえたその声は、エーリッヒの気持ちの半分を救って、もう半分を掬った。つまりそのブリットの声を聞くや否や、二等兵は腕を放してエーリッヒの後ろに隠れ――ぎりぎりと歯ぎしりをして彼女を威嚇したのだった。
「ぶ、ブリット? 助かったが今は来るんじゃあない。ややこしいことになっているんだ」
「あのな、大声で騒いでんだから聞こえてんだよ。何だよこのちんちくりんは」
「ち、ちんちくりん⁉ 大した喧嘩の売り方ですね中尉殿!」
「ちんちくりんをちんちくりんと言って何が悪い。変な噂に踊らされやがって。好きにすりゃいいのに」
「好きに、すれば?」
「だから、」ため息を吐いてから、ブリットは言った。「コイツとアタシは何でもないってこと。そんなに見てたんだったら、分かるだろう⁉」
「アハッ、そうか、そうだったんですね! よかった……!」
そう言って、その場で彼女は泣き始めてしまった。エーリッヒはそれでようやく解放される。抱き締められた胴がびりびりと痛んだ。
「ありがとうブリット。助かったよ」
「……へん、人を厄介者みたいに呼んでた癖してさ。こういうときだけアタシ頼りかよ」
彼女は何故か彼と目を合わせようとしなかった。苛々したように後頭部を掻いて、そう言った。
「……ブリット?」
「何でもない。水飲んでくる」
「ブリット、おい?」
呼び止めても彼女は振り返りすらしない。エーリッヒも喉は乾いていたが、それを追いかけるのもどこか憚られたので、仕方なく自分の機体のシートに座り直すことにした。
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