第118話 暗夜行路、そして
宙母「アレクセイ・ブルシーロフ」内食堂。
そこにブリットの姿はあった。今日の朝食は、味のしないビタミンスープに油でギトギトのたんぱく質ペースト、そこに硬すぎる軍用ビスケットが合わさった伝統的な軍隊飯だった。当然、そんなものを目の前にしては食欲など湧くはずはない。またも後退中で補給状況が悪化しつつあるのは理解できなくはないが、だからといって分かりやすく保存食を出さなくたってよかろう、と彼女は思わなくはなかった。
試しに一口、ペーストを口に運ぶ……冷え切ったラードが動物性たんぱく質と喧嘩をしている。せめて肉単体を出してくれればいいものを、栄養バランス等を考慮してくれやがったのか、余計な何かを添加したらしい。おかげで舌が異物と判断して吐き出せと言ってくるのを何とか堪えなければならなかった。
「ここ」彼女がそれを何とか飲み込んで胃からの抗議に耐えていた、そのときだった。「空いているか?」
ブリットはハッとして皿から視線を上げて見上げた。するとそこにはエーリッヒが自分もプレートを持って立っていた。思わずさっき食べたものを吐き出しそうになりながらも、彼女は立ち上がった。
「ええ、どうぞどうぞ。人に許可なんか取らずに勝手に座ればよろしいでしょう」
そう言って、彼女は自分のプレートを引っ掴む。そうして別の席に行こうとしたのだ。彼女はそうして数メートルは離れた別の席に行こうとした。
「待てよ」
それを、エーリッヒは止めた。
「……何だよ、アタシがどこの席で食おうとアタシの自由だろ」
「そうかもしれないが、僕は君の近くで食べたいんだ。話したいことがある」
「気持ちの悪いことを言うな。アタシはアンタの顔なんざ見たくないって言っているんだ。悪いが別の席に移らせてもらう」
歩き出したブリットに、エーリッヒは立ちふさがった。
「君にその自由があるなら、僕にだってあって然るべきじゃないか」
「アタシとアンタじゃ全然違うんだよ」
「ならどう違うっていうんだ」
「何もかもだろうが。つきまといやがって、気持ちの悪い」
「だが、同じ隊の仲間じゃないか」
マズい、とエーリッヒが思ったのは、それを全て口にしてしまってからだった。
「……仲間?」ブリットの毛が逆立つのが見えた。「それをアンタが言うのか?」
「ブリット、悪かったよ。今のはなかったことに」
「できると思うか? 仲間を殺したお前は、そんなことを言う資格はないんだ。アタシはハッキリ聞いてしまった。ふざけるんじゃあない!」
その大声に、食堂内の視線は集まった。しかしそれでも彼女はその敵意ある視線を止めようとはしなかった。
「ブリット……」
「ミハイルだけじゃあない。アレクサンドルもドコンダ隊長も、お前が殺したようなもんだろうが。そのお前が、仲間を名乗るのか⁉」
「ブリット、だけど、殺したのは敵だ。『白い十一番』がいなければ、こうはなっていないんだ」
「またそれか! いい加減にしろ! お前の妄想は沢山だ!」
「妄想なんかじゃあない! あの乱戦の中で狙撃できるなんざ、奴ぐらいしかいないんだ! だから、仇を取るために僕らは、」
「仇は」ブリットはプレートを掴んで投げた。「お前だ!」
それは無抵抗だったエーリッヒの顔面に直撃して、油たっぷりのペーストが顔面に張り付いた。その威力によろめいて、エーリッヒは自分のプレートも取り落とす。
「ウッ……」
「これで分かっただろうが……お前はクズだ。クソ野郎だ。そんな奴と組みたい奴なんざ、この世に一人だっているものかよ」
そう言って、彼女はエーリッヒを突き飛ばして歩きだした。どうせ食えたものじゃあない昼飯なのだから、彼女に後悔があろうはずもなかった。
「…………」
だが、この男は違った。
エーリッヒである。
彼は顔に張り付いたペーストらを剥がすと、それから辺りに散らばった食材を素手で回収して、それぞれプレートの上に戻した。するとそれを運んで、回収口まで持っていく。
(また、失敗か)
エーリッヒはそうしながら、頭の片隅でそう呟いた。これで彼女に引っ叩かれるのは十回目である。とはいえ、こんなに手ひどくはなかったが――顔を洗いたい。彼が向かったのはトイレだった。
そうして辿り着いたそこには、自動化された手洗い器がある。そこに(本来の使い方ではないが)顔を突っ込んで、彼はそこに生じる突風と水の応酬に耐えた。そうして取り出したころには、清潔になっているという寸法だ。
それらがいい加減済んだところで、彼は顔を上げた。無重力下のトイレでびしょ濡れになった顔を袖で拭うと、ようやく綺麗になった顔が鏡に写った。
(いい加減、アプローチを変えなければならない。分かってはいるのだが……)
エーリッヒはそれから自分の部屋に歩き出した。格納庫にいって汗を流すという選択肢もなくはなかったが、それで鉢合わせした日には蜂の巣にされかねなかった――シミュレーション上ではなく現実的に。
(何にしても僕たちは、連帯しなければならないはずだ。同じ隊であるという以上に、同じ仇を持つものとして、そうしなければ勝てないからだ)
それを、彼女も分かっているに違いない、というのはほとんど想像に過ぎなかった。返ってくるのはなしのつぶてどころか石のつぶてである。
あるいは強い拒絶の意志というべきか――何にしても、ないより悪い。
想像を絶する抵抗に、彼は晒されていた。
無論、彼が彼女の仲間を殺したのではない――少なくとも、直接手を下したわけではない。そんなことをした日には、彼がいるのは軍艦ではなく軍法会議の壇上だろう。
だが、彼女はそう信じてしまっているのである。彼女の視点からすればミハイルという彼女のいい人がいるべき場所を彼が横どって、残りの仲間も彼が突っ走ったせいで戦死した。つまり彼女には彼は死神を連れてきた何者かに見えているのだ。
(彼女の言っていることはでたらめだ。だがどうしたらその偏見を取り除けるというのだ)
まるで出口の見えない迷路だった。ひょっとすると全てが行き止まりかもしれないと思えるほどに、それは長く険しいものに違いなかった。
そう思えば思うほど、エーリッヒの気分は酷く落ち込んでいく。それも当然だろう。毎日毎日身に覚えのない人殺しの件で暴言をぶつけられに行くのだから、気分がいいはずもない。
だから彼は、自分の部屋に着くや否やベッドに寝っ転がった。同室はいない。皆、先の戦いで戦死した。広い四人部屋にたった一人である。
「…………」
だからだろうか、彼はどうしたって眠れそうになかった。この戦争が始まってから、ずっと、彼だけが生き残ってしまう。ブリットの理論によれば彼は人殺しらしいのだが、実のところ彼に人を殺す何かが宿っているとすれば、それは決して間違ったものの見方とは言えないのだ。
自分の隊長を見殺しにし。
そのときからの仲間は巻き添えにして。
そして拾ってもらった恩を仇で返している。
「…………馬鹿を言え、そんなことあるわけがないだろう」
エーリッヒはそう言って立ち上がる。殺したのは「白い十一番」であり、それ以上でもそれ以下でもない。少なくともエーリッヒではないことだけは確かだ。
だがそうしたところで現実は変わらない。何とか、彼女を説得しないことには、「白い十一番」への復仇どころの話ではない。
(こういうときは、思考を逆転させるんだ。彼女を説得するのではなく、自分が寄り添っていく。それしか筋道はない)
だとして、方法は?
エーリッヒには、それは見当もつかなかった。この艦に来る以前のことは彼女には関係ないのだし、後のことにしたって、イコンダにせよアレクサンドルにせよ、どちらもその死について知り尽くしたことである。そこを争点にしたところで押し問答となって、先ほどの再現になることだろう。
(? だとすれば?)
しかし、彼はそのときたった一つの例外に気がついた。するとそれはたちまち彼の脳を支配して、一歩先へ、更に先へと進ませる。
(これしか、方法はないかもしれない。だが上手く行けば、きっと――)
そう思った彼の行動は速かった。すぐさまロッカーに行き宇宙服を取って着替えると、その足で格納庫へ向かったのである。
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