第117話 ジノコヴォへ
しかし彼らが着艦できたのは宙母「ルクセンブルク」周辺に帰り着いてからしばらく経ってからだった。損傷した偵察艇は着艦に失敗して、その大きな胴体で着艦に必要なジェルマットを甲板から剥がしてしまったからである。それを敷き直す手間がかかったのだ。
「プハァっ」
だから、ユーリが格納庫でヘルメットを脱いだとき、思わず彼はその声を出してしまった。汗が玉になって宙に浮き、それが鼻に入って彼は思わずくしゃみをした。
「お疲れ様です」
そう言って、彼の機体を担当する整備兵であるアンナが近づいてくる。整備兵らしく、ヘルメットは被りっぱなしだ。
「どうだったんです、戦果は?」
「三・五機撃墜ってところですね。それより、一発食らってしまいました。直せますか」
「一発食らった? 『白い十一番』が?」
そう真面目そうにアンナが言うので、ユーリは思わず笑いそうになった。
「ほら、正面装甲のところ。スナイパーにやられたんですよ。おかげでえらい目に遭いました。」
「ああ、それで一機分共同撃墜なんですね」
「そういうことです……それで、直せそうですか?」
「さあ、どうでしょう……見ないと何とも、ね」
アンナは操縦席の肘掛を足場にして機体の傷口の辺りまで跳んだ。彼女は間近でそれを見て、触れて――それで戻ってきた。
「あのぐらいだったら、装甲の交換はいらないと思います。どうせ、動き回っているのに同じところに被弾することなんて天文学的確率ですから、考えなくていいと思いますし……何より時間がないと思います。」
「そりゃそうですよね……敵が来ているのは間違いないんですから、そんなときに面倒な作業をやってはいられませんよね」
「そういうことになりますね」
アンナがそう言うと同時に、ユーリはようやくパイロットシートから降りた。そうして、十メートルに及ぶ自らの分身を眺める。その角ばった巨体はずんぐりむっくりとしているが、その実それは全て装甲で構成されていて、側面からの直撃弾すら弾くことができるのだという。
「それにしても」ユーリは思わず呟いた。「いい機体ですよね……最初は大きすぎると思いましたが、実際に乗ってみると、こんなに安心できる機体もないですよ」
「……それ、私の前で言います? 長くなりますよ?」
「おっと」
そうだった。アンナはエンハンサーの話になると見境がなくなる。ただでさえ疲れているのに長口上は御免だった。
「でも、こんなにいい機体なら、どうしたって軍はこれを採用しなかったんです? 独立直後なら、できたんじゃあないですか? だってこの機体が全軍に行き渡っていれば、今頃戦争は終わっていたでしょう」
それでもユーリは思わずそう言っていた。珍しく、この機体に愛着が湧いていたのだ。何しろ命を救われたのである。そのテンションもあろう。
しかし、にもかかわらずアンナの反応は妙だった。それは
「…………」
というものだった。ユーリはそのいつもと違う反応に戸惑う。
「あ、あれ、何か僕、間違えましたか?」
「…………」
「あ、アンナさん? おーい」
彼女は呼び掛けにも応じずに、目を伏せる。ユーリは、彼女のバイザー越しの口元に動きがあるのにすぐに気づいた。彼はヘルメットを被り、無線のスイッチを入れる。
「……じゃない」
「え、っと? 何です?」
「ふざけんじゃ、なぁぁぁい!」
彼女はそう叫んだと同時に、持っていたタブレット端末を天井――そこにもエンハンサーがびっしり――に放り投げた。ユーリは思わず耳を塞げ――ない。ヘルメットのスピーカーから直接聞こえているせいだ。
「な、何です? 何故そんな大声を?」
「……はっ、すみません、ふざけたことを聞いたもんだから、つい……」
……無意識かよ。
ユーリはそう言いそうになって、止めた。
「そ、それで、一体何がふざけたことなんです?」
「ですから、」彼女は飛び上がってタブレット端末を拾いながら、言った。「これを全軍に配備するということが、です。どうしてそんな無茶をパイロットの人は言えるのかしら」
「え? でも高性能機なんでしょう?」
「それは、そうですよ? 確かに戦場では無敵に近い代物だと思います。スペック上から見るだけの私のような身分でも、それは分かります」
――でも、それだけじゃあ兵器の性能は分からない。
そう彼女は言った。
「……どういうことです?」
「ですから、この兵器を戦場に出すために必要なことまで、アナタは考えているんですか、ということです」
「必要なこと?」
「例えば、私みたいに整備する人のことまで考えて言ってますか? ってことですよ――この機体、大きくて重い分、整備だって大変なんですよ⁉ パーツだって頻繁に交換が必要ですし、そのパーツが届かないととてもじゃないですが戦力なんか発揮できるものですか!」
「あー……」
言われてみれば、考えたことがなかった。機種が違うようなことがパイロットにしか関係ないわけはないし、何より多機能な分複雑な面もあろう。
「何より、お財布の問題もありましょうが」
「お財布――予算ですか」
「そうですよ、『ミニットマン』って、『ロジーナ』系の何倍もするんですよ? その上さっきの部品の代金までかかるとなると、同じ数を用意しようと思ったらとてもじゃないですがウチの軍隊の予算じゃ足らないです。」
「なるほど……それはそうでしょうね」
「何より、生産は大半を地球で行っているんです。その輸送費だってかかる。」
「? 生産を? できないのですか?」
「ライセンス生産しているところは無きにしも非ずですが、ごく少数の、それも軍事的同盟関係がかなり深い国でしかやってません。ドニェルツポリ程度じゃ厳しいでしょう」
「なら政治的距離に気を払わないと、維持ができない……ってことでもあるんですね」
「そうなります」
そう言われて、ユーリはふむ、と考えるような仕草をした。ふと、彼の脳裏にあったのは、今のレンドリースという形態のことである。地球は売るわけでもなければ生産を許すわけでもない。支援としてはそれでも機能しているが、それはどこか腰の引けた面があるように思えてならなかった。
なるほどそれは当然そうなるだろう、という考えもある。地球とプディーツァの全面戦争になるというのは、地球にとってどう考えても得策ではない。他に警戒すべき国家――例えば近年急拡大しつつあるジョ帝国など――はあるし、それに対して背を向けるような行いはできないというのは、国家の理論として理解できる。
その一方で、ユーリが危惧していたのは、その手だけを貸すやり方が、引っ込めやすいものであるということであった――肩を貸すのとは訳が違う。そこまで深い関係になって敵国を刺激することなく、かつ国力を損なうことなく、戦争を終わらせようという下心が見え隠れしているような気がしてならないのだ。
(いや――)ユーリは頭を横に振る。(それだって介入論と静観論のせめぎあいの結果に違いないのだ。地球だって民主主義国家。その二極化する振り子に悩まされる立場だものな)
だが、その迷いが前線での人死にに繋がることを、ユーリは知っている。身を以て理解しているからには、どこか寒気のするようなところがあった。
「ルヴァンドフスキ中尉……? どうしたんです?」
「いえ、何でも――」
その寒気はきっと汗が冷え切ったせいだろう、ということにして、ユーリはシャワーを浴びてくる、とアンナに言って、その場を辞した。
ジノコヴォにいるであろう敵本隊への道のりは、まだ長い。それぐらいの時間はありそうだったからだ。
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