第114話 第二次ダカダンの戦い
戦場は既にジンスクを離れ、ダカダン周辺にまで達している。周辺には何もなく、ただ荒涼とした宇宙空間だけが広がっている。そこに差し込む一筋の光――否、それは一筋と呼ぶには、縄を綯うようにあまりに太く、束ねられていた。
大編隊だ。
一個航宙艦隊同士の大規模戦闘がこれから始まろうとしているならば、その戦列は、大きな三次元上の矢印を描かずには済まされない。それが複数展開して、広く戦域を確保していた。
狙うは航宙撃滅戦である。
つまり、艦船ではない。それを住処とするパイロットという替えの利かない戦力をすり減らしてからそれらの物理的兵器を狙おうという魂胆だった。
『オーギュスト4、今度は早すぎる。突出しても落とされるぞ』
その矢印の端の方で、イコンダにそう言われたエーリッヒは自分が僅かに前に出過ぎていることに気がついた。調整して多少調子はよくなっていたが、そのせいで却って動きが乱れてしまうのだった。
そして、彼は集中できなかった。
今や、小隊の誰もが信用できない。それどころか艦全体が薬物中毒患者の群れだというのだから驚きだ。その驚きが、彼の思考を幾分か蝕んで機体の制御に必要な集中力を奪ってしまっていた。
中立的なイコンダでさえ、薬物に染まっていないとは限らない。
あの異常な艦内の中で一人だけ正常なのかもしれない。
そう思ったとき、僅かに機体はふらついた。何のために戦っているのか、彼には一瞬分からなくなったからだ。
それは、公正な世界の実現のためだったはずだ。
そこに生じるはずの国益のためだったはずだ。
それなのに、それを実現すべき軍隊は腐りかけている。
腐りかかった軍隊のすることなのだから、手段も狂いっぱなしだろう。
それが身に染みて理解できてしまったのだ。だとすれば彼は――彼は何に酔えばいいのだ、今宵?
しかしそのときだった。
一条の光線が、戦隊を縦断したのは。
「狙撃だッ……!」
そうエーリッヒが判断できたのは、自らに直撃しなかったからだ。矢印の先端にいたエンハンサーが正面から一撃を食らい、瞬間的に分解していく。編隊は大隊長機を失って混乱した。その混乱は、敵機がまだこちらのセンサー圏内にいないことにより、全ての編隊に伝播していく――そこに第二射。鼓舞していて動きにブレがない中隊長機が狙撃された。
その光景を見て、エーリッヒは何かを感じ取った。あの手際の良さ。状況判断力――まさか。
「『白い、十一番』……!」
間違いない。姿も形も見せないが、エーリッヒには理解できた。地球製の機体の性能なら、その才能を遺憾なく発揮させられるはずだ、なら――。
「ドコンダ隊長、散開を――」
『オーギュスト小隊各機、編隊を維持』
「な……!」
全く正反対の指示。それにエーリッヒは驚かされた。
「オーギュスト1。ですがアレは『白い十一番』です! このまま密集していたのでは、狙撃され通しです!」
『エーリッヒ。落ち着け、敵の狙撃兵の腕がいいからと言って、何でもかんでもエースだと思い込むな。地球製の機体なら、アレぐらいの芸当は一般兵でもできる。』
クスクス、という笑いが無線で聞こえた。ブリットとアレクサンドルだ。
「違うんです!」それに反射するように、エーリッヒは激発した。「奴の判断力は、そういう付け焼刃のものじゃあない。このままじゃあ、この編隊全てを狙撃される可能性すらある。どうして分からないのですか」
『そんなことはあり得ない。それより、ここで編隊を乱して他の一般機に突撃される方が厄介だ。』
「オーギュスト1! 考え直してください!」
『そろそろ敵も見えてくる頃だ。戦闘よ――』
うい。
その言葉は、摂氏数千度の火の玉にかき消された。
「あ」
エーリッヒはそれを目の前で見てしまった、さっきまで生きていた人間を乗せた機体が正面から貫かれ、縦に真っ二つにされるのを。それは今まで見てきた戦闘のフラッシュバックであり、ハイライトでもあった。同じことが、また繰り返されたのだ。
「だから言ったんだ、だから、僕は、忠告して……」
その瞬間、RWRが唸り始める。ただし、全機のが、だ。アウトレンジされている!
「――言ったんだぞォッ!」
データリンクにもたらされる警報の嵐と暴風雨めいた敵弾の両方を回避しながら、エーリッヒは吼えた。リミッターを解除。整備兵の努力によって、三分にまで拡張されたその時間制限を利用して、彼に向かって幾重にも重なって飛んでくる光弾を回避しながら、見る見る内に距離を詰めていく。
「捉えた――そこだッ」
そして、ミサイルの射程に収める。マルチロックオンからの一斉射。敵は編隊を一時的に解いて回避運動に入る。そうすることで、一瞬、エーリッヒに対するプレッシャーはなくなった。その隙に彼は回避の結果孤立した機体を見つけ、それに向かってビームライフルを撃った。
「何ッ?」
しかし、それは側面からの一撃だったにもかかわらず、防がれたようだった。敵は一瞬よろめきながらも、視界の中にエーリッヒの姿を捉えると、すぐさまビームライフルを構え、反撃に転じた。その一撃をかわしながら、エーリッヒはその脇をすり抜けて離脱する。格闘戦をやれば包囲されるという判断だった。
(……馬鹿な⁉ それほどまでに地球製のエンハンサーは装甲が硬いというのか。守りが堅いというのか!)
驚きを隠せないまま離脱したエーリッヒはそのまま反転した。すると敵編隊が味方の編隊と交戦状態に入ったのがよく見えた。ビームの交錯、機動の騙し合い……しかしその結果落ちていくのは味方機ばかりのようだった。編隊が乱れたところに整然と突撃を食らったのだから。
「く、そ、お」
激しいGに耐えながら、エーリッヒはその繭玉めいた戦場に向かって突撃する。残り時間は後二分。それまでに一機でも落として――閃光!
「!」
それをかわすことができたのは、ほとんど僥倖だった。敵の狙いが甘かったのか、味方の惨状を見て握っていた操縦桿に力が入ったのが功を奏したのか……あるいはその両方か。いずれにしてもその一撃は編隊の外側から飛んできていた。それが誰の攻撃なのか分からない彼ではない。
「『白い十一番』!」エーリッヒは叫ぶ。「貴様だけはァッ」
彼は機体を旋回させ、突撃の方向を変える。狙撃に対しては距離を詰める以外に対処法はない。第二射をスレスレのところでかわしながら、彼はセンサー圏内に敵機の姿を見た。機体が違うせいか見えづらいが「J‐11」の刻印がある。間違いない。奴だ。
「オオオオッ」
ビームライフルを連射する。だがそれはセンサー感度の違いを思い知らされるだけに終わった。「白い十一番」はその射線の中で悠々と旋回すると今正に殺戮の現場となっている戦闘の繭玉の中に飛び込んでいく。
「逃げるのかッ」
だがスピード勝負では「ロジーナⅣ」ベースの「N/A」だって負けてはいない。エーリッヒはスロットルを全開にして、それに追いすがりつつ、牽制のビームを放つ。敵はそれをかわすためにいくらか軌道を変える必要があったから、じわじわと距離は詰まっていく。
だが、それは乱戦の真っただ中に入るまでの間のことだ。そのとき目の前を高速で敵味方が通り過ぎる。雑踏の中でただ一人を追いかけるのに等しい難しさだった。その中で、エーリッヒは右へ左へとそれらをかわして追撃をかけようとするが、グイグイと引き離されていく。
「くッ……」
機体性能の差だ。そう甘んじるにはあまりに決定的だった。時間は残り一分。汗が滴ってくる。このまま乱戦の中で時間切れになったら? ……そのときは、間違いなく戦死だ。撃墜されて、お終い。その焦りが、更なるミスを生んだ。
「!」
タイマーに気を取られて一瞬目を離した瞬間に、「白い十一番」は彼のセンサーの中から姿を消していたのだ。いつの間にか、ホロデコイに敵の姿は変わっていた。どのタイミングで? ……それは分からなかったが、エーリッヒはそうと分かると即座にリミッターを元に戻した。冷却が追い付き始め、段々と機体の温度が下がっていく。
「どこだ、どこに行った⁉」
しかしそれとは対照的にエーリッヒの体温は上がっていった。騙されたという怒りがそうさせた。しかしそれは空回りするばかりで、見えるのは地球製のエンハンサーでも別の機体ばかり――?
しまった。
と気づいたのは、そのときだった。彼は僚機を置き去りにして突撃し続けていたことに今更気づいたのだ。連携などあったものではないからだったが、その結果敵のど真ん中で孤立してしまったことに気がついた。
「クソッ!」
それに気づいた瞬間、敵もその存在に気づいたらしかった。辺りの味方機は既に後退を開始している。わざわざ危険地帯に戻ってくるものなど一機たりともいないだろう。エーリッヒはリミッターを再び解除した。この中から離脱するにはそうする以外道はないと思った。
残り五十秒ほど。
それ以内に離脱できなければ、彼は死ぬ!
「!」
アラート。敵機一個小隊が仕掛けてくる! 綺麗な編隊を組んで、一斉射撃せんとばかりに突撃してくるのだ。エーリッヒはそれを旋回でかわす――するとまた次の敵機がやってきて、離脱への道のりは遠ざかる。
あと四十秒。
汗が流れるのは、決して温度だけのせいではない。
(どうする――どうしたら切り抜けられる!)
そう焦りながらも、エーリッヒは敵の一撃をかわし続けていた。しかし、何故かわし続けられる? 集中力も切れかかっていて、時間制限に追われる中で、何故?
(だとするなら敵の攻撃はしつこくないぞ? どういうことだ?)
あと三十秒。
エーリッヒは慌てて前に押し出された敵機を撃墜しながら、それに思考を向けた。そこに脱出の糸口があると感じたからだ。囲まれた状況下から、どうにかして――囲まれた?
敵が、囲んでいるということは?
「そうか、そういうことか!」
あと二十秒。
エーリッヒは閃きのままに行動した。またも襲い掛かってくる敵機に対して、その向こう側に別の敵機が来るように機動した。すると敵機は同士討ちを恐れて、攻撃を諦め、再び旋回に移る。そう、その淡白さだ。それがエーリッヒを今の今まで生かしてくれた甘さだった。
あと十秒。
それを繰り返しながら、エーリッヒは敵の包囲の中から少しずつ外に出る。そして僅かに隙間ができた瞬間に、フルスロットル。後ろからはミサイルが飛んでくるがカウンターメジャーとホロデコイを併用して、その雨から逃れ――そこで時間切れになった。
祈るのはここからだった。運動性が皆無になった機体を騙し騙し敵の元から引き離さなければならなかった。まして味方とも合流しなくてはならない。エーリッヒはセンサーの表示に全神経を集中させた。
(頼む、上手く行ってくれ……こんなショボい一機を狙うこともないだろう?)
敵機が怒りに任せて襲ってくるか、冷静に立ち回るか。プロフェッショナルなら後者を選ぶはずだ、というのがエーリッヒの考えだった。第一、深追いになる。このときばかりは敵を信頼した。そうしなければ、彼は……。
「…………」
じっとセンサーを見る。すると信じられないことが起きた。そこに残っている反応が、ドンドン遠ざかっていくのだ。
「よし――よしよしよし!」
エーリッヒはともすればガッツポーズをしていたかもしれない――コックピットにいなければ。敵は再集結を優先して、エーリッヒは見逃すことにしたのだろう。そのまま彼はスラスターを調節して、母艦の方へと流れていく。
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