第110話 リミッター
そうして格納庫に辿り着いたエーリッヒを、整備兵は呼び止めた。
「何だ、今出撃なのだろう⁉」
「出撃前に、いくつか申し上げなければならないことがあるのです、少尉殿」
「申し送りだと?」
「はい、技術実証機なので、複雑なのです」
「それは、分かっている。だが……」
今なのか、とエーリッヒは酷く苛立った。小隊のメンバーに後れを取るわけにはいかないのだが……。
「では手短に説明させていただきます。絶対にリミッターだけは解除しないでいただきたい――のです」
「リミッター?」
「はい、このスイッチです」
そう言って指差した先には操縦桿がある。ほとんど「ロジーナ」系のそれだったが、右の外側に見慣れないスイッチが増設されていた。
「このスイッチを押すと、EFマストのリミッターが解除される代わりにアクチュエーターがフルフェザーになります」
「要は、完全にEFマリオネットで動くようになるんだな? それの何が問題なのだ?」
「そうですが、それだけではありません。解除した場合――」
しかし、説明を聞いていられたのはそこまでだった。
『オーギュスト4! 何をしている!』
イコンダが無線で呼び掛けた、これ以上時間はかけていられないということだ。
「すまないが残りは帰還後に聞かせてもらう――こちらオーギュスト4、すぐに出ます!」
「リミッターは、外さないでくださいよ!」
「分かっている」
とだけ言って、エーリッヒはシートに乗り込み、コックピットを格納した。とにかく、リミッターは外すな、ということらしい。そもそも「ロジーナⅣ」にはなかった機能なのだから、使うはずもない、とエーリッヒは考えて、取り敢えず頭の片隅にそのスイッチの件を置いておいた。
それよりも、カタパルトを接続して、きちんと出撃する方が、何倍も彼にとっては大切なことだったのである。
「オーギュスト4、出撃する!」
そう叫ぶと同時に、エーリッヒに大きな負荷がかかる。その加速が完了するや否や、彼は自分の編隊を探し始める。幸いそれは着艦甲板の方角で未だ旋回して待ってくれていた。試験機であることを考慮はしてくれていたのだろう。彼はイコンダに感謝しながら、機体の姿勢をそちらに向けようと、操縦桿を動かした。
「⁉」
が、そこでトラブルが起きた。がくん、と音がしたかと思うと、旋転が行き過ぎて機体が一回転してしまったのである。
『……何だ?』イコンダはそれで彼を見つけたらしかった。『何を遊んでいる?』
「遊んでいるんじゃないんです、何だコイツ、まともに動かない……!」
そう、彼は「ロジーナⅣ」のつもりで機体を制御したのだ。ベース機にもなっていて、同じ第四世代型なら、同じ操作で動いてくれるはずだと思ったのである。しかし実際にはスラスターなしで宇宙に投げ出されたようにクルクルと回るばかりだった。
「何だってんだ……⁉」
しかし彼は冷静だった。行き過ぎたのなら、戻せばいい。操縦桿をさっきとは反対側に動かして、機体に今動いているのとは逆に動くよう命じた。が、異常なのはここからだった。今度は戻しが弱い。しかし何故?
『へん、下手くそめ。機体の姿勢制御もできないで、よくエースになれたもんだな』
そのアレクサンドルの言葉が、ヒントになった。試しに腕を動かしてみると、やはりその動きはぎこちないか、意図した以上に動く。そのせいでスラスターの向きが予定外に向いてしまい、その結果意図しない動きが出力されるようになってしまうのだ。まるで操縦桿のセンサーの感度を一から一〇〇まで操作毎ランダムに動かされているかのようだったが、自己診断プログラムによれば操縦桿の故障ではない。故障個所は現状存在しない。
(だとすれば――EFマリオネットが悪さをしているのか。技術屋は、よくもこんな無責任なものを作る!)
エーリッヒは憤った。こんな不安定で滅茶苦茶な制御システムで戦いに行けと、そう言われているのだから無理もない。だがそれを表に出す代わりに、彼は今までの癖に頼らず、機体の制御に全神経を集中させた。そうすれば何とか、機体の回転を止め編隊に合流するぐらいのことはできるようになった。
『全く』イコンダはため息を吐いた。『新型機というのは厄介だな』
「ええ、本当に――すみません」
『構わん、それより早く本隊に合流するぞ』
そう言って、彼はメインスラスターを吹かして遥か遠くに位置する中隊に合流すべく前進した。エーリッヒもそれについていくぐらいのことは、簡単にできた。メインスラスターは背面についているからだ。軸線さえ集中して合わせれば、できないことはない。
しかし、だからといって間に合うものでもない。
『始まった』
中隊の近くで何かが光ったのを見て、ブリットがそう呟いた。データリンクで共有される情報によれば、敵も一個中隊であるに違いない。だとすれば遅れた分だけ不利であることは間違いなかった。
『馬鹿エーリッヒのせいで中隊が全滅するぞ、どうするんです!』
『やめろアレクサンドル、まだそうと決まったわけじゃないだろ。それに、既に最大戦速だ。これ以上できることはない』
「いや――そうでもないですよ」
エーリッヒがそう言いながら、編隊の前に出たのに、小隊各位は驚いた。最大戦速の「ロジーナⅣ」をあっさりそれは追い抜かしたのである。
『な……』
流石のアレクサンドルもそれには絶句したようだった。
「この機体、EF強度が素の「ロジーナ」よりかなり高いようなんです。だから、自分だけ先行させてください。既に乱戦になりつつあるようですし、一機でも早く辿り着かないと……!」
『それは、そうだが……やれるのか』
「やってみせます」
エーリッヒがそう言うと、イコンダは一瞬迷うような素振りを見せた。戦場に送ってきたのは上とはいえ、貴重な技術実証機を失うリスクを冒せというのか、という葛藤があったのだろう。
「仕方ない――行け!」
だが最後に下した決断はそのセリフだった。それに了解、とだけ言って、エーリッヒはペダルを一杯に踏み込んだ。スラスターがそれに連動して限界の出力を絞り出し、ぐんぐんと小隊の「ロジーナⅣ」を追い越していき、恐ろしいスピードで戦闘宙域に突入する。既にミサイルの射程。そこでまず目にしたのは、二機の敵に追い回される味方機であった。
「やらせるか!」
エーリッヒはその二機をロックオンして、ミサイルを発射した。敵機はそれぞれ新手の存在に気づいて、追尾をやめ、クルリと旋回しつつミサイルをかわし、彼の方へ向かってくる。そして、ビームを放った!
「!」
回避運動。しかしそのとき彼はついいつもの感覚で操縦をしてしまった。その結果旋回はいきすぎ、カウンターの射撃は回避される――というより、外れる。
「チィッ」
エーリッヒは自分がいつもと違う機体に乗っていることをそのとき思い出したのかもしれない。少なくとも可動域がモノを言う格闘戦には乗らず、旋回戦もせずにそのまま離脱した。敵機も敵機で深追いをせずに一度離脱する。手練れだ。やはり格闘戦をしないという判断は正しかった。
「だが!」
エーリッヒは、今度は集中して機体を操作した。そうして描いたのは急旋回のヘアピン軌道。激しいGに耐えながら、彼はまた戦闘宙域に舞い戻るのである。するとそれは予想外だったのか、単に離脱したことで油断したのか、さっきの敵機はまた別の機を狙うところだった。その背後には、今度は僚機による援護はない!
「もらった!」
そこにエーリッヒが潜り込んだ、その瞬間だった。彼は引き金を引く一瞬前に、アラートに晒された。ロックオンされている――ミサイル!
今度は彼が追われる立場となる番だった。カウンターメジャーを射出しながらやり過ごしつつ索敵――真後ろに一機。さっきの僚機の方だ、とエーリッヒは直感した。一瞬分離してみせたのは囮だったのだ!
(……しまった!)エーリッヒは追撃のビームを慣れない機体の慣れない手応えで何とかかわしながら、後悔していた。(手練れだという時点で、気づくべきだった。そんな手練れが僚機を見失うわけがない。罠だったんだ!)
その罠にかかったエーリッヒは、なし崩し的に格闘戦をするしかなかった。バレルロールで相対角度と相対距離を殺していき、敵機を何とか真後ろから押し出そうとする。しかしさっきまでは比較的素直だった機体の手応えが今度は悪くなった。思った軌道からは逸れていったが、彼の方に修正ができるほどの余裕がなかった。
敵はそれを好機と見て、もう一機が正面から仕掛けてきた。エーリッヒはぎこちなくなってきたバレルロールをやめ、マイナスG方向に機体を振ることで何とかそれを捌くが、そうすると反対に後ろ側の敵機に優位に立たせるということを意味した。その一撃を何とかジンキングで回避してみるも、これは時間稼ぎにしかならない。段々とその癖を敵に読まれていき、至近弾による表面のダメージが増えていく。
「クソ――クソクソクソ!」
エーリッヒは最早パニックになる寸前だった。操縦桿を握る手はシェイカーの震えによってズレ、思ったポジションを維持できない。しかしそれが逆にエーリッヒにヒントをもたらした。その親指が操縦桿の外側で触れたのは、わざと握り込みづらくなっているそのスイッチである。後付けされたそれは、まるで今こそ出番であるかのように彼の前に現れた。
(リミッター……)その瞬間、エーリッヒ機を衝撃が襲った。装甲の厚い部分に直撃弾をもらったのだ。(使うなと言っていたがな、使わない手はない!)
効果は分からない。
不安定さが増すだけかもしれない。
だが二機に追い回される現状を打破するには、それしか方法はないように彼には思えた。
そして、彼はスイッチを押す――激しいG!
「ウッ……⁉」
その瞬間、彼はこの機体の恐ろしさを味わった。機体に命じたのは単純なロール機動で、実際のGもそれほど強くはないのだが、スラスターの向きを変えるのが速くなりすぎて、心構えができるより速く旋転してしまったのだ。それに驚いて、彼はロール機動をそのまま維持して三六〇度回してしまった。幸いだったのは、敵もそれに惑わされて、反対側に射撃していたことである。
そうして、俄かに押し出された形になった敵機は切り返し、二機はシザース機動に入る――それこそ、この機体の望むところである。ロールの速さは分かった。ピッチ方向にも速くなるはずだというのがエーリッヒの考えだった。二度、三度、と射線から逃れながら交錯する両機――激しいGの押し付け合いを先に諦めたのは敵機の方だった。背後を取られるのを察して、ぎゅんと機首を上げ逃走を図る。
だが、それをエーリッヒは追わなかった。罠だ、と気づくことができるぐらいには、彼はそのとき冷静になっていた。再びロールしながら、旋回――背後のもう一機は、その移動した後を射撃で貫いた。急旋回の鋭さに惑わされたのだ。敵機は驚いたように振舞って、それからようやく離脱を図る――。
「逃がすか!」
だが、その一瞬の隙が仇となった。離脱が一瞬遅れたところにエーリッヒは切り返して、射線をそこにねじ込んだ。敵機はそれに気づいて旋回するが、離脱しようとした後では、それは中途半端な距離で投影面積を増やすだけの結果に終わった。
バゴん!
背面の装甲を易々と貫通されて、それは分解しながら戦域の外へと消えていく――撃墜だ。
それを見たもう一機は尚、敢然と立ち向かってきた。互いはヘッドオンの軌道を描いている。今度は回避しない。ビームライフルで牽制しながら、左手にはサーベルを。互いにその構えを取ったとき、それは交錯した。一機は健在。もう一機は――正面装甲を両断され、真っ二つになって制御を失う。当然、前者がエーリッヒだった。こういうときは冷静な側が勝つのだ。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ……」
だがエーリッヒはそのとき息を荒立てた。酷く機体内部が暑いことに気がついたのである。呼吸をする度に肺が焼けるような感覚すらあった。見ると、機体の過熱度は全てレッドの表示。恒星の真隣で戦闘しているのとまるで同じ数字だった。放熱機関にでも被弾したのだろうか? 普段ならまず経験しないことだ――普段なら。
「!」
その考えに至ったとき、彼はすぐさまリミッターを元に戻した。それと同時に乱戦から身を放す。機体から魔法のようなしなやかさが失われていくが、でなければ彼は熱中症どころか全身火傷になってしまうところだ。
(なるほど――使うなと言うわけだ。こんなもの、使えて一分というところだ。それ以上はこっちの身が持たない!)
しかし、そうして離脱するのを許してくれるほど、敵も甘くはない。
「チィッ」
彼が舌打ちしたのは、レーダーで再びロックオンされたからだった。彼は接近するミサイルに対して機動による回避を狙った。距離がそうするのに充分離れていると感じたからだ。
「⁉ 何だ⁉」
しかし彼はそのとき機体に裏切られた。リミッターという麻薬が切れた機体は、熱というその禁断症状に苦しめられていた。操縦桿をいくら引いても、思っていた通りに動いてくれなくなっていたのだ。アクチュエーターが熱でジャムっている。一か一〇〇かではなく、一から五までといった具合に、操縦への応答性が損なわれていた。
「しまっ……」
彼はホロデコイを遅ればせながら射出する。ミサイルは何とかそれに騙されてくれたが、敵機の方はというとそうはいかない。それは集団の中から飛び出すと、一気に彼の方へと向かってくる。牽制のビームライフルも、あっさりかわされ、死角である背面に潜り込んでくる。こうなってはロールさえうまくいかない現状の自機では、どうすることもできない!
「くッ……」
万事休す。そのときだった。
『…………!』
敵機が横合いからの射撃に晒されたのは――敵機は左腕に被弾してから、ようやく回避機動を取って、離脱した。その背を追うのは意外な人物だった。何とブリットだったのである。だが彼女は彼の方を見向きもせず攻撃を続けた。アレクサンドル機も、その援護に回るという口実でか、寄ってこない。
『無事か、エーリッヒ』
だから、次に近づいてきたのはイコンダだった。周囲を警戒しながら、彼はエーリッヒにそう聞いた。
「何とか……機体はオーバーヒートで戦闘不能ですが」
『了解した。貴様は離脱してくれ。敵の大部隊が確認された。その機体では無理なのだろう?』
「了解です――下がります!」
エーリッヒは動かない機体に鞭打って、何とか機首を母艦の方角に向けた。そして敵機をイコンダが追い払ってくれている内に、後退する。
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